081.ハハリ将軍とのお話し合い
敵陣を抜けると、イェルケルは臨戦態勢を解き騎馬隊隊長に問う。
「この後はどうする? 本隊はもう砦に引いた後か? もしまだ引ききれていないのなら私たちは殿に付くが」
「……本隊は引いていません」
「そうか、なら騎馬隊に殿はキツいだろう。君たちは本隊の護衛に……」
「本隊は今、第二次攻撃の準備をしている真っ最中です。砦に引く気なんざさらさら無いようですよ」
あまりのことにイェルケルは思わず声を荒らげてしまう。
「馬鹿な! 奇襲で敵を崩すのはもう失敗しただろう! 敵の練度は相当なものだ! ハハリ将軍はいったい何を考えている!」
「……イェルケル殿下が、敵を崩すのを待って突撃をかける。だそうです」
返事はできなかった。
口を開いたのはいいが、何を言っていいのかわからずそのまま馬鹿みたいに口を開けっ放しに。
どこかに解決策は、と探して回ってそれっぽいものを見つけ口にする。
「さ、参謀が多数いただろう。誰も反対はしなかったのか?」
「しません。国軍の部隊長が何人か撤退を進言しましたが、全てあしらわれました」
「急がないと包囲される。全滅するぞ」
「そう言いましたが聞き入れられませんでした。……すみません、将軍がアテにしているのは王子です。その王子が説得してくれることを期待してます」
「わかった。すぐに行こう」
イェルケルが本隊に辿り着くと、そこは思っていた以上に活発に動いており、まだまだ意気軒昂な様子だ。
それを不思議に思ったイェルケルは、兵士たちの様子を探るよう三騎士に頼みつつ、自分は騎馬隊隊長を引きつれ将軍のテントへと。
テントに入ると、中に揃っていた参謀たち、そして各部隊の隊長たちが驚いた顔でイェルケルを見る。
一番驚いた顔をしていたのは、中央に居たハハリ将軍であった。
言いたいことが山ほどあったイェルケルは、挨拶もせずいきなり本題を切り出そうとする。
「ハハリ将軍! お伺いしたいことが……」
すぐに、将軍からの怒声が被せられた。
「何故こんな所におるか!」
怒鳴られるのも意外なら、言われた言葉も意味がわからず。
イェルケルは呆気に取られた顔で将軍を見返す。
将軍は怒り顔のまま怒鳴り続ける。
「貴様には敵陣への突撃を命じてあったはずだ! なのに何故敵も崩さず戻ってくるか! サロモは! サロモは何をしておるか!」
「死にました」
「な、んな!? サロモが!? 死んだだと!? ど、どういうことだ!」
「騎馬隊にすらついてこられぬ程度の馬術で、敵陣ただ中への突入などを行なって生きて戻れるはずがないでしょう。何故あのような者の同行を許したのか、将軍の目的をお伺いしたい」
「騎馬隊と馬術を比べて多少なりと劣るのは当たり前ではないか!」
「なら私の所では全く通用しません。ここで生き残ったとていずれ死ぬしか無かったでしょう。どうして、できぬをできると言い張るのか。自らの死命が懸かっているというのに」
「貴様は何を言っておるのだ!? サロモの馬術が多少劣っていたところで、だからなんだというのだ! まさか! き、ききき貴様! サロモが邪魔になって殺したのか!? アレはウッパ家の者なのだぞ! なんという、なんということを……」
「邪推は止めて頂きたい。我らの突撃についてこれず、一人で脱落したのです。それも最初の、サロモ殿以外誰一人脱落しなかった突撃で。お答えください。何故あのような未熟な者を我が隊に寄越したのですか。技量足りなくば死んでしまうだろうと、私は申し上げてあったはずです」
「何が死んでしまうだ! それを守るのがお前たちの仕事だろう! いいか! サロモの死は貴様の責任だ! 貴様が責任を取らねばならぬのだぞ!」
もう面倒になったのでイェルケルはさっさとこの話題を打ち切る。
「まあそんなこと、今はどうでもよろしい。何故将軍はこの場におられるのか。敵軍が迫っております、急ぎ砦に退却せねば本来の任務を果たすどころか、ここで全滅してしまいます」
「だ、黙れ! 貴様がっ! 貴様さえ私の作戦通り動いていればこうはならなかったのだ! さっさともう一度突撃し敵陣を崩して来ぬか!」
「無理です。これも前に言いましたが、私たちが敵を殺し尽くす前に本隊の包囲が完了するでしょう。そうなればもう、ハハリ将軍の脱出すら難しくなります」
「誰が全部殺せと言ったか! 敵陣を! 崩せと言っておるのだ! 言葉の通じぬ愚か者め! 貴様が崩した陣に我ら本隊が襲い掛かれば、たちまち敵は総崩れとなろう!」
「敵はその程度でどうこうできる練度ではありません。盗賊退治ではないのですから、たった四人でできることもたかが知れております」
「貴様のような若造の意見なぞ誰が聞いておる!? 貴様は言われた通りに敵陣に突っ込んでおればよいのだ! 良いか! 今度は撤退なぞ決して許さぬ! 文字通り決死の覚悟で! 隊が死に絶えるまで戦い抜けい! カレリア王国の禄を食む騎士、ましてや王族であるというのならその程度の覚悟、当然持っていよう!」
この言葉にはさしものイェルケルも堪忍袋の緒が切れる。
だが、それでも体裁を整えるぐらいの理性は残っているのか、直接将軍にではなく後ろの参謀に向け怒鳴った。
「作戦参謀! 将軍はこの地に残っての敵迎撃を希望されておる! 何か策はあるのか! あるのなら今この場で披露せよ!」
いきなりのことに、テントの内はしんと静まり返ってしまう。
憤怒に顔を真っ赤にしていたハハリ将軍すら黙り込んでしまったのは、イェルケルの怒声のせいだ。
ものの半年も経たぬ間に多数の戦を経験し、自らの手で数百の敵を屠ってきた男の、戦士の中の戦士の怒声だ。
そのつもりになればここにいる全ての者を瞬く間に皆殺しにできる、そんな自信と自負を持つ戦士の声に、彼らは竦み上がってしまったのだ。
再度イェルケルが怒鳴ると、参謀の一人が前に出る。
「い、イェルケル殿下と第十五騎士団の突撃により敵前衛を打ち破り、ここに残る騎馬全隊を叩き込み敵本陣までの道を開きます! しかる後、敵本陣も同様に打ち破り敵将を討ち取ります!」
「その馬鹿げた案はお前の考えか。国軍どころではない、騎士学校ですらそのような答えを出せば教官にどやされるぞ。例えば、私たち四人が千の前衛に突っ込んでこの陣形を崩すことができたとしても、それにかかる時間は一時間以上だろう。その間、お前たちはいったい何をして堪えるつもりだ? 参謀が下らん夢を語るな! 次!」
倍の兵力を相手に野戦で勝つ策なぞ、余程の事前準備でもなければありえないだろう。
沈黙する参謀たちに、再びイェルケルが怒鳴る。
「では現状で最善の策を述べよ!」
参謀たちは皆沈黙したまま。
なので国軍歩兵部隊の隊長が前に出た。
「僭越ながら申し上げます。足止めの軍を残し本隊は砦に撤退、砦にて敵攻勢を防ぎます。援軍は最短で三日、遅くとも五日後には来られるでしょうから、それまでの勝負となります」
「良かろう! 他に策はあるか!」
参謀たちは戸惑った様子であるが、彼らの主であるハハリ将軍はイェルケルより向けられる強烈無比な殺意により硬直したまま。
無いのならば、とイェルケルはゆっくりと将軍に歩み寄る。
誰もが、将軍が斬られると思った。が、止めようともしなかった。
「将軍」
そう言ってハハリ将軍の肩に手を置く。
「まだ、元帥より託された任務は果たせます。兵を連れ砦にお戻りください。参謀!」
イェルケルの声にびくりと震える参謀一同。
「ロクに策も立てられぬ貴様らにでもできる仕事だ! 将軍をお守りし砦へ退却せよ! わかったか!」
誰も逆らわない。参謀たちは一斉に、はい、と声をあげる。
彼らも軍人だ、たかが若造一人にこうまで脅されるのはあまりに不可思議。
だが、不思議はないのだ。
この時イェルケルは、これ以上余計なことを言うようならば、ハハリ将軍を斬るつもりであった。
完全にその腹をくくったうえで、周囲の皆に問うたのだ。
邪魔をするのかと。
この場の誰もが戦場に立つ兵士であったからこそわかる。
戦場で最も近寄ってはならぬ存在が、今自分たちの目の前にいるのだと。
もちろん、元文官とはいえ戦場に立っていたハハリ将軍にもわかった。
つまらんことを一言でも言えば、イェルケルは一切の躊躇無く将軍を斬るだろうと。
いや、いっそ一言すら無くても斬るつもりである、そう誰もが思っていた。
だからイェルケルが肩に手を触れ、優しく語りかけたことで将軍は、自分が許されたと思ったのだ。
逆らうどころではない。今はともかく、生き残れた安堵で心が一杯だ。
もし、これがいっぱしの将軍であったなら、自分の死も本陣壊滅も覚悟の上で、イェルケルに逆らうこともできただろう。
だがハハリ将軍にはできなかった。
結局のところ、ハハリ将軍はこれができないからこそ、本当の意味での将軍にはなれないのだろう。
話がまとまったところで、イェルケルは誰にともなく言う。
「殿には私と第十五騎士団が残るが、さすがに四人で一万を抑えるのは無理だ。誰か、一緒に残ろうという者はいるか?」
すぐに声があがる。
「騎馬隊! お供させていただきます!」
殿には最も向かない兵種であろうに、彼は迷うこと無く言い切った。
策を述べた歩兵隊隊長も声を上げる。
「歩兵第一隊! 殿下にお付き合いさせていただきましょう!」
二人に続き、次々と殿に名乗りを上げる隊長たち。
これらは全て、国軍部隊であった。
逆に雇われ兵とこれを率いる隊長たちは、お互い顔を見合わせつつも手を挙げることは無かった。
それをイェルケルは責めたりしない。
「よし、残りは将軍と共に砦に行け。援軍が来るまで、苦しいだろうが踏ん張ってくれよ。私たちが元帥のご期待に応えるためには、もうお前たちだけが頼りなんだからな。殿軍はついてこい!」
イェルケルがそう言ってテントを退出すると、殿を引き受けた国軍隊長たちがこれに続く。
ぽつりと、イェルケルは溢す。
「すまない、行く先は間違いなく地獄だ。それでも私たちはまだ生き残る目はあるが君たちは……」
本当に申し訳無さそうにしているイェルケルを見て、国軍の隊長たちは少し間をあけた後、それぞれの笑い方で笑い出した。
「ははは、ここで殿買って出ないようならカレリア国軍兵士は名乗れませんよ」
「くくっ、王子は若いねえ。こっちはアンタがまだ生まれる前から兵士やってんだ、殿やるのも初めてじゃねえ、もちろん、殿から生き残るのもな」
「うははっ、ヘボ将軍の下につくのもな。何、今回は王子みたいな頼もしいのが居てくれてんだ、随分とマシな方さ」
「王子も、本当にヤバくなったら逃げてくだせえよ。優れた兵士の絶対条件ってな、何があろうと生き残ることなんですからね」
「ま、そーいうことっすよ。王子は確かにバケモノみたいにつえーけど、俺たちだって結構やるんですぜ」
実に頼もしい返答だ。
イェルケルは胸が熱くなる思いで答えた。
「ありがとう。さあ、やろうか」
周辺の地図は皆頭に入っている。
つまり、どこで防ぐかの共通認識もあるということだ。
守るべきは二箇所、中央街道と西の峠。
歩兵隊第三隊長がイェルケルに問う。
「西の峠はウチともう一つで、しばらくは防げると思います。中央は……王子に任せちまうのが一番だと思うんですが、どうでしょう?」
「ああ、中央街道の山道で待ち構えるんだな。あそこは攻める側だけじゃなくて守る側も多数の兵は配備しづらい。となれば私の所だ。弓隊は私たちに付き合ってくれ。西には第一歩兵隊と、第二もそっちに回ってほしい。中央街道のあの幅なら、私たち第十五騎士団を抜くのに半日はかかるだろうからね」
イェルケルの大口に、おお、と隊長たちは感嘆の声を。
そして第一、第二歩兵隊長は指示を了承する。
更にイェルケルは騎馬隊隊長にはまた別の指示を出した。
「騎馬隊は殿というよりは遊撃だ。多少時間がかかってもいいから、大回りして敵の後ろ、補給路、もしくは糧食をどうにかできるか?」
「ほほう、殿の心配じゃなく、その先の心配ってことっすか。さすがに王子は剛毅だねぇ。任せてくだせえ、その手のちょこざいな動きは得意中の得意ですんで」
「追撃に逸る連中に後ろから冷や水をぶっかけてやれば、攻撃の手も緩むだろうって期待もあるさ。色んな場面が予想される任務だが、どれも判断が難しいものばかりだ。こんなややこしい任務を人に押し付けるのは心苦しいんだが、すまない、私の知る限りこれができそうなのは君しかいないんだ。どうか、頼む」
「知る限りって、王子はそもそも国軍の人間大して知らないでしょうに。まあ、大丈夫っすよ。やれることはきっちりこなして、できないことからはさっさと逃げて、適当なところで引き上げるとしまさぁ」
「ああ、アテにしてる」
そう言うと、騎馬隊隊長は一足先にこの場を去っていった。
残った四人の隊長たちは、彼に羨望のまなざしを向ける。
自分も、彼のようにこの妙に血臭の強い王子から、信頼されたいと思ったのだ。
そして最低限の打ち合わせを済ませると、殿軍たちは守るべき場所へと散っていった。




