008.出陣準備
イェルケルは命令が下ったその日のうちに、アイリとスティナの二人と共に王宮へ向かう。
二人を正式にイェルケルの騎士として認めるための許可をもらいに行くのだ。
王宮までの道すがらで、イェルケルはスティナと最終確認を行う。
「バルトサール侯爵とケネト子爵の耳には絶対に入らぬよう動く、だったな」
「はい、そのために解決すべき点は二つ。即日許可を出させることと、事情を知っている者が取次ぎをしている日は避けるということです」
「今日は問題無いんだな」
「確認しました。今日の担当は派閥で言うのなら宰相閣下直属の方です」
三人は王宮の文官に申請がある旨だけ伝え、担当貴族が出てくるのを、元帥府より豪勢な応接室の一つにて待つ。
すぐに担当官が小走りに駆けてくる。
「いや、お待たせしましたイェルケル殿下。早速ですがご用件を承りましょう」
名目上は王への取次ぎであるが、実際はよほどの大事でなければこの担当官が処理してしまう。
内容を聞いて関係各所に割り振ることが彼の主な職務となっている。
「実は、つい昨日辞令が出まして。私も軍を率いて出陣することになりました」
「ほほう、それはおめでとうございます」
「ありがとうございます。つきましては、雑事を私一人で処理するのも難しいので、私も騎士を抱えようと考えこちらに参ったのでございます」
「なるほど。こちらで騎士見習いを見繕えと?」
「いえいえ、今私が連れております二人の騎士見習い、アイリ・フォルシウスとスティナ・アルムグレーンを騎士に迎えようと思っております」
二人の名を聞くと、担当官の表情が曇る。
「フォルシウス家とアルムグレーン家ですか……」
「ご懸念ごもっとも。ですが二人共既に騎士見習いとして認められております。ご心配には及びませぬ」
担当官はふむ、と考え込む。
実際、イェルケルは王族で騎士を任命する権限を持つ。無制限にそうできるわけではないが、現在イェルケルは騎士を一人も持っておらず、これから軍を率いるというのであれば騎士の一人や二人抱えるのも妥当であろう。
またかつて叛徒側に与した二家であるが、許されたからこその騎士見習いである。
そうでない者からいきなり騎士にするというのではなく見習いから騎士にというのであれば、とりたてて問題視するようなものは何も無い。
「了解しました。申請は上げておきましょう」
イェルケルはここが勝負と口を開く。
「いえ、大変申し訳ないのですが、できれば即日の許可を頂きたいのです」
担当官の視線が鋭くなる。
「……と、おっしゃいますと?」
「なにぶん出陣が急な話でして、その日までもう十日ほどしかありません。これから急ぎ物資の手配やらをせねばならずその手伝いを二人に頼みたいのですが、見習いの立場のままでは色々と滞ってしまいます。また率いる兵達も傭兵ということで、彼らへ睨みをきかせるにも見習いのままでは心許なく、できる限り早急に騎士として扱えるようにしてもらいたいのです」
道理は通っている。担当官も二人が男なら二つ返事を出していたところだ。
イェルケルは言葉を重ねる。
「申請の受理が遅れ、出陣に間に合わないなんてことはあってほしくないのです。二人には死地へと赴く前になんとか名誉ある立場を与えてやりたく、どうかお聞き届けいただけないでしょうか」
後ろで聞いているスティナもアイリも感心してしまう。イェルケルの王族とも思えぬこの下手っぷりは、演出だとわかっている二人ですら思わず手を貸してやりたくなってくる。
担当官もそう思ってくれたようで、わかりました、と快く了解してくれ、手続きのためにまた小走りに部屋の外へ出ていった。
担当官が居なくなると、イェルケルは天井を見上げて息を吐く。
「どうにか、なってくれたかな」
まだ不安のある三人であったが、その後問題無くアイリとスティナの騎士申請は受理された。
上手くいったのは騎士叙勲の件のみで、後は指揮権がどこにあるかの確認や、補給計画や、後続との連携や、与えられた任務の具体的な目標など、当然知っていなければならないことは全部居留守やらたらいまわしやらを使われ、どこに行っても確認できず。
無為に時間だけが過ぎていく。
イェルケルは元帥府と王宮へ何度も通い、少しでも話が聞けそうな所を探して回り、アイリは補給の確保、スティナは何やら怪しげな場所に情報収集に向かう。
毎夜それぞれの進捗を確かめ合うのだが、イェルケルの方は全く進展がなく、アイリもかなり苦労しているようだ。しかし、スティナは一人順調に情報を集めてくる。
「敵、ほぼ確定数字出ました。辺境領城の守備兵抜きで三千ですね」
イェルケルの屋敷で夕食を共にしながらの発言で、思わず口に含んだたまねぎを噴き出しそうになるイェルケル。
「さ、さんぜんだと!? 待て。まてまてまて。命令は私たちにこれを攻撃せよという内容ではなかったか?」
「まともにぶつかったらどうなるんでしょうね」
「私にもわからん。そもそも私は今回が初陣だぞ」
「奇遇ですね殿下、私もです」
アイリもパンにチーズを乗せながら続く。
「そういえば私も戦は初めてであったか。うーむ、実は我々、物凄く不利なのではありませんか?」
イェルケルは二人をちらっと見る。
「二人は軍学は修めているか?」
「一応は」
「王都で閲覧可能な書は全て目を通しましたぞ」
よしっ、とイェルケルは手にしたパンを半分に千切る。
「明日、蔵書館で地図を書き写しに行くぞ。それを基に考えられるだけの策を考え、後は傭兵たちの長と相談しよう。その者なら戦にも慣れていようし、良し悪しの判断もできようからな」
スティナは持ってきていた大きな鞄の中にあった書類を取り出す。
「地図ならありますよ。とりあえず平民の間で出回ってるのと、軍用のと、徴税用と。騎士位持ちっていいですわねぇ、皆騎士を名乗るだけで下手な貴族が頼むより協力的になってくれますわ」
「良くやったスティナ! では食事が終わったら検討するとしよう」
ああ、後もう一つ、とスティナは思い出したように付け加える。
「バルトサール侯爵とケネト子爵が激怒しているそうですわ。明日あたり、殿下にお呼び出しがかかるのではないでしょうか」
うんざりした顔で千切ったパンを頬張るイェルケル。
「……私も連中みたいに居留守を使うわけにはいかんだろうか……」
「屋敷に篭っているのならそれもアリでしょうが、出歩かないわけにはいきませんから。私たちのことでお手数おかけします」
アイリは五つ目のパンにチーズを乗せている。
「補給も随分とヒドイものですな。辺境領の領民からもらえばいい、なんて真顔で言う馬鹿も居るぐらいですから。嫌がらせにしても言って良いことと悪いことがあるでしょうに」
イェルケルはなんとも言えない顔をする。
「私も同じことを言われた。案外連中本気でそう思っているのかもな……嫌だ嫌だ。元帥府は良い顔はしないだろうが、補給の備えはあそこの仕事で我々はこれを受け取る権利がある。何を言ってこようと強く出て構わないぞアイリ」
「はっ、ならば遠慮なくそうさせていただきましょう」
使用人が持ってきたデザートを平らげると、食器やらを片付けさせ、そのまま食堂で作戦談義に入る。
アイリは練りに練ったらしい作戦を披露する。
「ここはやはり私が一騎駆けにて敵前衛を粉砕してみせますのでその隙に……」
「矢を雨と射掛けられたらそれで終わりだろう! 二人の武勇は既に向こうに知れているのだから、絶対に油断はしてくれんぞ!」
真顔でかつ妙案のつもりで、スティナは以下の提案を述べる。
「いっそ三人で辺境領の城に忍び込むというのはどうでしょう。軍が出陣した後ということでしたらロクな相手も残っていないでしょうし、首狩り放題ですよ」
「首狩りって未開の蛮族か私たちは!? 討つべきは辺境領の軍であって辺境領ではないのだから、そういう無差別弱点狙いみたいなのは無しだ無しっ!」
二人の発想は軍学を学んだとは到底思えない、騎士学校ならば教官激怒のうえに零点つけられそうなものばかりであるが、そもそもまともな作戦でどうこうできる戦力差ではない。
「待ち伏せです殿下、他に手はありませぬ。有利な地形で山ほど罠張って待ち構えましょう。それに視界の通らぬ狭い場所ならば、私が突っ込んでも矢での迎撃は難しいでしょうし」
「武威を示せということなのだから、待ち構えるわけにはいかんだろう。後単騎突貫は絶対やらせんからその発想から離れろ」
イェルケルの反論に、無言のまま口を尖らせて抗議するアイリはスルー。
「騎馬だけでひたすら馬の上から矢を打って逃げ回るとか」
「敵にも騎馬は居るだろう。それに傭兵は基本歩兵だそうだし、馬を与えたところで上手く扱えるとは思えん」
こちらも拗ねた顔で地図に目を落とすスティナ。
イェルケルは状況を丁寧にまとめてみた。
「ともかく一戦はする。しなければならん。だが、そのうえでいかに損害を抑えつつ、引き上げられるかだ。勝つだとか損害を与えるだとか余計なことは一切考えず、ただ少しでも損害を少なくすることだけを考えよう」
即座にアイリ、スティナから反論とか文句とかが。
「殿下! そのような消極的な考えでどうしますか! ここで手柄を立てねばこれから先、二度と機会なぞ回ってきませぬぞ!」
実に反論しづらい言葉だ。基本脳筋のアイリであるが、時々は正論を吐くらしい。
スティナもさっきの仕返しとばかりに言い返しにかかる。
「率いるは傭兵です。殿下の弱気を見れば、まともに動いてくれなくなる恐れがありますよ。六倍もの敵に立ち向かう理由が『一度は矛を交えるのが命令だから』なんてどうやって彼らに納得してもらうつもりですか」
そうは言うがなー、と腕を組むイェルケル。
そこからはもう酒の席の無礼講と一緒の騒ぎだ。あれが良い、これがよろしくない、だのと始まり、地図に直接記入することができないので、机の上に水で地図を描きこれに色々と書き加えてみたりと、三人の相談は夜遅くまで続いた。
バルトサール侯爵とケネト子爵の二人に呼び出されたイェルケルは、忙しい最中わざわざバルトサール侯爵の屋敷にまで出向くことになった。
スティナとアイリを愛妾に迎えようと様々な画策をしていた二人だ、イェルケルもまるで好意的になれない相手だが、感情的にならず冷静に対処しなければならない。
今や二人を守るのはイェルケルの役目なのだから。
相手がどのような要求を突きつけてくるか。相手は老練な貴族だ、どんな手に出てきてもおかしくはない。イェルケルは、どのような企みも必ず看破してみせる、と気合いを入れ会談に臨む。
「きっさまはいったい何を考えておるのだ! あれは反逆者の娘だぞ! それを! 騎士に迎えるなぞと何たる考え無し! なんたる愚かさか! そのような真似をすれば貴様も謀反を疑われると何故考えが及ばぬ!」
「下の方の王子たちはどれもこれも愚物ばかりと聞いていましたが、いやはや聞きしに勝りますな。今なら宰相閣下のご苦労が我がことのように理解できます。こんな後も先も考えられぬ行動に出るとは、なるほど間引きしたくもなるでしょうに」
「はっ! あの女共にたぶらかされおったか! 軽薄な顔をしおって! どうせ女の喜ばせ方もロクに知らんのだろう! 女を騙しているつもりで女に騙され身を持ち崩していく様が目に映るようじゃ!」
「私が若い頃にも愚か者は居ましたが、最近の若いのは最早理解不能です。思慮が無い、分別が無い、思想が無い、挙句色にだけは人一倍熱心とは、もはや国にとっては害悪以外の何者でもありません」
呆気に取られるイェルケル。謀略を巡らせ、言葉による戦を想像していたのだが、まさか感情むき出しで延々罵られることになるとは思ってもみなかった。
怒鳴り萎縮させた後に致命的な言葉を滑り込ませるつもりか、としばらく黙って聞いていたが、二人はひたすら思いつく限りの罵詈罵声をイェルケルに浴びせるのみで、一切何の仕掛けもしてはこない。
結局二人が疲れ果てるまで罵り言葉は続き、荒い息を漏らしながらバルトサール侯爵が最後に締める。
「では今日中にも二人の騎士申請を取り下げてくるのだ! わかったな!」
おちょくるように即答してやりたかったがぐっと堪え、間を空けてから丁寧に返事をするイェルケル。
「申し訳ありませんがそれはできません。既に申請は宰相閣下の認可を得ておりますので、今更取り下げるような真似をすれば私が大きな恥をかいてしまいます」
イェルケルは騎士学校時代、感情的に他人を詰る人間を何度も相手してきた。
そうした時、冷静で的確な指摘をしたところで意味は無い。何を言ったところで、彼らはそれが正しい正しくないに関係なく大声で怒鳴り自分の正当性を主張するだけなのだから。
彼らの言葉に同意を示さぬと再び爆発するものなのだが、どうやらバルトサール侯爵もケネト子爵もそれまで怒鳴り続けていたことで疲れ果ててそうできないようで。
ただ顔を白黒赤青させながら、意味のわからない身振り手振りをするのみ。
「お二方のお話、肝に銘じておきます。では今日はこの辺りで失礼いたします」
バルトサール侯爵の屋敷を出た後、イェルケルは考える。
今回の会談、二人はまるっきり馬鹿丸出しであった。
しかしそれはイェルケルを年若いと侮り、怒鳴り脅すだけで解決すると考えていたからではないかと。
問題は次に二人が打ってくる手だ。長い貴族人生を生き抜いてきた二人の、得意分野での攻撃が来ると予想される。
せめても出陣するまではそうならぬよう、まだイェルケルを説得する余地がある、と二人に思わせるようにしてきたつもりであった。
「やはり難しいな、剣振ってる方が余程私の性にあってる」
騎士学校での人間関係は、この先の貴族人生の縮図である、とはとある教官の言葉であったが、まったくもってその通りであった。
ただ、全く同じだと勘違いするときっと手痛い傷を負うだろう、とも。