078.山盛りの不安要素
各軍の配置先が決まって行軍が開始されたりと、軍としては忙しくも緊張感に満ちた時間であったのだが、イェルケルたちはそもそも身軽なので行軍もそれほど苦ではなく、どちらかといえば退屈な時間であった。
ハハリ将軍の部隊五千と共に第十五騎士団が送り込まれたのは、領境にある砦であった。
ここを堅守していれば、南部貴族連合は西部との連絡を絶たれる、そんな場所だ。
西方との連携を防ぐ意味では絶対必要な配備であるが、主戦場からは離れた場所、といったところである。
元々ハハリ将軍は武官ではなく、文官の出である。
それだけに物資や装備の手配はお手の物で、砦には戦が長期化したとしても充分なほどの物資が揃っている。
そう、イェルケルは考えていたのだ。
「……おい、スティナ。ここ、本当に砦の食料庫、だよな?」
額に青筋が見えるスティナが、イェルケルに並んで食料庫だと思われるものを見ながら答える。
「ぱっと見、五千人で食べたら半月もたない程度しか無いよーに思えますわね。ハハリ将軍はよほど即戦に自信がおありのようで」
「とりでぼーえーにんむで即戦ってなんだ」
「私に聞かれましても。殿下が直接将軍に問いただして下さい。ワリと切実なんで」
「そうだ、な」
「歯切れ悪いですね。そんなに苦手ですか?」
「ああも露骨に利用するつもりで接してこられるとな。将軍はきっと、軍人って生き物が嫌いなんだろうよ」
「もし殿下がご希望でしたら、ちょっとした嫌がらせぐらいしてやりますわよ?」
「お前がやらかしたら、ちょっとしたじゃ済まなくなるだろうがっ。シルヴィ・イソラの件、後で物凄い抗議が来たんだぞ」
「えー、あの子は楽しんでたと思いますよー」
「怒ったのはその子の保護者だ! 宰相閣下の手前もあるんだし、頼むから大人しくしててくれよな」
「はーい」
スティナの返事の何がタチが悪いかといえば、この返事をする時のスティナの表情が、それはそれは可愛らしいものであることだろう。
間違いなく当人わかってやっている。
なのでイェルケルが渋い顔を全く崩さぬようにしてやったら、スティナは営業スマイルを崩して本当に笑い出した。
イェルケルには見抜かれてるとわかったので、正直にごめんなさいと笑ったのだ。
本当にタチの悪いことに、この笑顔がまた蕩けるほどに可愛いものであるのだ。
イェルケルは早速ハハリ将軍にこの備蓄のことを問い質す。
彼は砦に入るなりすぐにイェルケルが糧食の話題を持ち出したことに驚き、喜んでいるようだ。
「おお、さすがは騎士学校首席卒業の俊英か。その通りですぞ、戦にて最も重要なのは糧食、補給なのです。これをまず何より先に確認されるとは、元輜重隊としては嬉しい限りですな」
「は、はぁ。で、糧食が少ない件に関しては……」
「無論、考えあってのこと。我が軍略、是非お聞きくださいませ」
とても嫌な予感のするイェルケルであったが、まさか聞きたくないとも言えず、ハハリ将軍の策一部始終を聞くことになる。
まず、最初からハハリ将軍はやらかしていた。
糧食が少ないのは、これをハハリ将軍のツテを使って売り飛ばしていたせいだ。
そして得た金銭で兵を雇っていたのだ。
この段階でもうイェルケルは何も聞かなかったことにして帰りたくなっていたが、ハハリ将軍の話は続く。
西方への蓋となるこの砦の防衛であるが、こちらに来る敵軍は、砦を落とすほどの数を出すには本隊に余裕はなく、かといって無視もできずで中途半端な数であろうと。
『いやぁ、それは無いんじゃないかなぁ』
といったイェルケルの感想は口にはできず。
ハハリ将軍は敵軍が陣を張るだろう場所を予測してあり、ここを奇襲するために予め間道を調べ攻撃を仕掛けるつもりだそうな。
何よりハハリ将軍が勝利を確信しているのは、この時の先陣にイェルケル率いる第十五騎士団を充てるためだ。
ハハリ将軍はイェルケルたちの挙げた武勲を信じており、その圧倒的攻撃力ならばこの地に配される程度の敵軍なぞ恐るるに足らずと考えているのだ。
一応、イェルケルたちを引き取るのに失敗した場合のことも考え、糧食を売って兵を買うなんて用意もしていたのだが、こうしてイェルケルたちが来たことで彼はもう勝利を確信しているようだ。
イェルケルはハハリ将軍の機嫌を損ねないよう注意しながら口を開く。
「将軍、我々が先陣ということには全く異存はありません。むしろこちらからお願いしたいぐらいでした」
「おおっ! 流石は勇猛をもって鳴る第十五騎士団! 実に頼もしいですな!」
「は、はあ。ですが、その奇襲は兵士たちも付いてくる形ですよね」
「は? え、ああ、それはもちろんそうですが」
「そこが問題なのです。我等第十五騎士団の進軍速度と、普通の兵士ではあまりに差がありすぎまして、一緒に運用するのは難しいのですよ」
「いや、それは殿下がゆっくり進んでくだされば済む話では?」
「単純な足の差の話ではないのです。私たちが四人のみであるのなら、百の兵に突っ込んでも問題はありません。ですが兵士たちはそうもいかないでしょう。気が付いたら私たち四人以外みんな死んでいたとなりかねません」
「そ、それは……殿下が敵を倒してくだされば」
「敵軍と我らに充分な兵力の差があった場合、我々四人が敵を殺し尽くすまでに、味方の兵が殺し尽くされてしまいます。どれだけ頑張っても我らの腕は四人八本しかないのですから」
突如、ハハリ将軍は高笑いを始める。
「殿下。そうして万端に整えるは素晴らしき心得にございますが、戦には勢いというものがあります。その機を逃しさえしなければ、勝利は必ずやその手にできましょう。我が軍には機を逃さぬ優秀な参謀を揃えております。殿下は後ろを顧みず勇を振るっていただければ、後は我らがどうにでも処理してみせましょう」
つまり、作戦には口を出すな、とこういうわけだ。
わかりました、と素直に頭を下げるイェルケル。
最後に一言だけ、付け加えた。
「ですが、一つだけ。どうぞ、我らの戦いを直接その目で見ていただければ。率直に言って、我らは四人共戦い方からして異質ですので、ハハリ将軍にはそれをどうか心に留めておいていただきたいのです」
「わかりました、考慮致しましょう」
イェルケルは騎士学校時代の経験により、悪意には非常に敏感になっている。
そして同じぐらい、自分を利用しようとする者の気配もわかるようになっていた。
イェルケルが難色を示した時のハハリ将軍は、どこか苛立っているような、焦っているような気配が見えた。
軍の合流場所を出る前に、イェルケルは相談役となってくれた将軍たちから会議の場で起こったことの説明と謝罪を受けた。
その時、ハハリ将軍に関する話も聞いている。
元々軍属文官であったハハリ将軍は、実家のハハリ家が代々優れた武官を輩出してきた家柄である誇りから、彼、ヤルマリ・ハハリにも軍務に就くことを望んだのだ。
そこで当人にどのような葛藤があったかはわからないが、彼はこれを受け入れ武官としての道を行くことに。
元文官としての経験を活かし輜重隊で数々の功を挙げ、また部下を活かすことで武功をも手にし見事将軍位を射止めた。
元文官故の組織内の立ち回りの上手さが将軍位獲得の役に立ったのは間違いないだろうが、当人も気にしているので面と向かってそう口にする者は居ないそうな。
少なくとも野心を表に出すような人物ではなく、軍部内でも評価も評判もそれほど悪くない、という事だった。
そんな将軍たちの話も、こうして実物と話をした後ではどうにも信用しきれなくなってしまう。
イェルケルはハハリ将軍の前を辞すると、すぐにスティナたちにできる限りの情報収集を命じる。
できれば味方相手にこんなことしたくないんだが、なんて言うイェルケルを他所に、女騎士三人は全く意に介することなく調査を行う。
或いは三人にとっては、友軍ではあっても無警戒で受け入れる味方とは認識されていないのかもしれない。
二日かけて調査し、四人は集まって情報交換を。
まずはレアから。
「斥候してる兵士は、頼れると思う。というか、兵士たちの間で、まともなのとそうでないのとで二極化してる。五千いても使えるって思えるのは、半分ぐらいしかいない」
「原因は?」
「糧食を売って、兵士雇ったって言ってるけど、それ以外にも個人で金を出して、兵を揃えたんだと思う。余程この戦で何かをしたいと思ってるんじゃないかな。一番致命的なのは、そんな雇った兵と国軍の兵を一緒くたに運用して、戦に勝てると思ってるところ、だと思う」
次にアイリだ。
「こちらもあまり良い話はありませぬな。ハハリ将軍がせっついて参謀たちに作戦案を作らせたようですが、そもそもの目的がおかしい。本部からは砦の堅守を命じられているはずなのに、こちらに出向いてくる敵軍を撃破することが目的となっています」
「理由は?」
「手柄を立てやすい戦にて手柄を立てよう、ということですな。ここで無理をしなければ今後まともな武功は上げられぬ、と必死になっております」
「……そんなに軍務が苦手なのか?」
「なのでしょうなぁ。それでも将軍位を維持していくためには、自らの代名詞になるような武勲が必須であろうと。効率的に武勲を稼げる機会を断じて逃さず、といった話を得意顔に話しておりましたよ。内政にも長じた将軍ということならば、宰相閣下あたりは重宝してくれそうな気もするのですが、将軍の部分があまりに不足していては話にならんでしょう」
「色々とがっかりな方だなぁ。おかげで私たちにも出番が回ってきてくれたということだが……んー、そういう話なら、彼、もしかして私たちが挙げた武勲、横取りする気なのでは?」
「でしょうな。難癖付けてこちらの手柄を目減りさせるというのは、元文官ならばそう難しい作業ではありますまい」
「気分はあまり良くないが、それならそれでもいいと私は思ってる。宰相閣下にも多少の理不尽は目をつぶれと言われてるしね。ただ、戦、勝てそうなのか?」
「敵が弱ければ。西部との連携を考えるならばこの地の突破は必須ですが、最初からそれを考えていなければそもそもこちらに軍を回す必要はありません」
「それだと敵、来なくないか?」
「西部で反乱を起こしてくれた者たちへの配慮、程度に兵を回す可能性はあります。この砦周辺の地理はかなり詳しく調べてあるようで、奇襲が成る可能性はそれなりにあると思いますが、さて、それで勝てるかどうかは私には判断しかねます」
最後はスティナである。
「二人が全部言ってしまいましたから、私からは特には。敢えて、ということでしたら一つ気になることが」
「それは?」
「挙動に不審な所がある兵士、居たんですよね。ソイツ、事もあろーに鳥を飛ばしてたんですよ。一直線に南東向かって飛んでいく鳥を」
「それ、敢えてとか抜きで言うべきことじゃないのか?」
「ハハリ将軍を見張っている友軍の仕業か、敵軍の仕業か、判別つかなかったんです。こういう時、身内同士の戦って不便ですわね」
「ソイツに手は?」
「もちろん泳がせておりますよ。手を出したのは私にちょっかいかけてきた馬鹿ぐらいで」
「今すっごく聞き逃せないことを聞いた気がするがそれは置いておく。処分はハハリ将軍にお任せする。異存は無いな?」
「そのつもりで泳がせてますから。せいぜいご機嫌を取ってやってくださいな」
これをハハリ将軍に報せてやると、彼は最初信じようとはしなかったのだが、イェルケルが繰り返し言うとようやく重い腰を上げてくれた。
その兵士はハハリ将軍が金で雇った者で、南部貴族連合へ軍の内情を報せていたらしい。
以後の続報はイェルケルに届かなかったので、それ以上のことはわからぬままなのだろう。
本来は放置されてもおかしくない拠点に、諜報のために人が忍び込んでいた。
その噛み合わない話に一行は何とも言えない不安を覚えるのだが、この不安はすぐに現実のものとなる。
領境に配置していた斥候が、泡を食って戻ってきたのだ。
この報せをイェルケルはハハリ将軍と共に聞いた。
「申し上げます! 南部貴族連合の軍が現れました! その数、一万!」
報告を聞くため広間には軍の参謀たちも皆集まっていたのだが、誰もが報告された敵数に、すぐには反応できなかった。
誰も言わないのでイェルケルが確認する。
「一万という数は正確なものか?」
「は、はいっ! 間違いありません!」
すぐさま参謀たちの怒声が響いた。
「馬鹿な! そんな数をこちらに向ければ本陣がどうなるかわからぬのか!?」
「南部の馬鹿共は軍略を知らぬどころか数すら数えられぬのか!」
「西部には伯爵とイジョラがいるのだぞ! 連中恐怖で狂ったか!」
焦り慌て狼狽する彼らに、ハハリ将軍は将軍らしい落ち着いた様子で、彼らをたしなめる。
「そう騒ぐでない。予定より多少敵が多いからといってどうだというのだ。こちらにはカレリアが誇る英雄騎士団、第十五騎士団がおるではないか」
おおっ、と皆がイェルケルの方を向く。
いや、一万をどうにかしろと言われても、と思ったがここで弱気は禁物である。
イェルケルは何も言わず、ただ皆に力強く頷いてみせると、彼らは意気を取り戻す。
少し見直したな、とイェルケルはハハリ将軍を見る。
ほんの一瞬だが、彼が裾の内に隠した手が震えているのが見えた。
だがハハリ将軍はその後も一切、声を荒らげるようなことも、うろたえた様子を見せることもなく、淡々と参謀たちの話し合いをまとめている。
彼も必死なのだろう。
色々と気に食わないこともあるが、その一点だけは、認めてあげてもいいと思えた。




