077.シルヴィ・イソラ
スティナは剣を知ってはいても、戦を詳しく知っているわけではない。
スティナの知っている戦は極めて特殊なものばかりで、通常の軍対軍の戦がどんなものなのか、それも今回のような大規模戦闘がどんな戦い方になるのか全くわからない。
書物や記録を幾ら見ても、現実の戦とは大きく差異があるということは、これまでの経験からよくわかっている。
だからスティナは、そこそこやる、と思えるヘリがこの戦を生き抜くことができるかどうかわからなかった。
ああまで肉体を磨き上げられる強固な意志が、潰えてしまうのはとても惜しいと思えるのだが。
できれば残るもう一人も、ヘリのような面白い娘であってほしいと願い、スティナは一人でその将軍の陣に向かう。
アイリとレアの二人はあまりに衝撃が大きすぎたため、テントで呆然としたままであるので放置である。
今度の娘もすぐにわかった。
馬上にあって、何気なく槍を下げている。
こからん、こからん、と馬を進ませる。
ただそれだけで、スティナから言葉を奪う。
そして、誰かに呼ばれたのか、不意に後ろに振り返った。
馬ごと。
その挙動でもう、スティナは我慢ができなくなっていた。
『うん、ヤろう』
即座にその場を離れ、スティナは自分のテントに戻り馬と槍を用意してくる。
顔はもうにやけっぱなしだ。
これをアイリ辺りが見かければもう少しマシな展開にもなったのだろうが、アイリはあいにくテントの中から出てこない。
誰も止める者の居ないスティナは、機嫌良く馬を駆って再びあの娘の居る陣へと。
その娘はやはり馬に乗ったままであった。
馬に乗っているからだけではなく、背も高いだろう。
恐らくイェルケルと同じぐらいか。
後ろに伸ばした髪を一本に結わいて、尻尾のように長く垂らしている。
長身であるせいか、手にした槍もしっくりと絵になる収まり方をしており、馬上にあって美をすら感じさせる佇まいがある。
俯き加減であった顔を上げる。
するとそこに、あどけなさの残る可愛らしい顔があった。
背も高く、スティナと比しても遜色ないような女性らしい体型も持っている。
だがその暢気そうな、長閑なとでも言うべき顔つきが、彼女から色気といったものを失わせているように思える。
はっきりと言ってしまえば、槍と馬が似合うような人間にはまるで見えない、身体の各部位だけを見ればそんな特徴を有した女性だ。
しかるに全体を見てみると、今こうして馬上にあって槍を携えるその姿こそが、彼女の本質をあらわしているかのような自然さがあった。
彼女の名前をスティナは事前に調べてある。
シルヴィ・イソラ。
噂のみが流れてくる、嘘だか本当だか判らないような話の数々は、きっとほとんどが本当なのだろうとスティナは確信している。
スティナはまっすぐその女性、シルヴィとその乗馬に向かって馬を進める。
向こうが気付くも構わない。
まっすぐ彼女を見据えたままで、馬はシルヴィの馬の脇をすれ違うように。
ただ、スティナの視線を、表情を見ているのならわかるだろう。
スティナが完全に、ヤる気になっていることを。
その気配にシルヴィの周囲の兵士が気付き、スティナに目を向け始める。
シルヴィ、スティナの視線に対し、目を外すような真似をせず。
ガキが張り合って目を逸らさない、なんて話ではない。
ヤる気らしい相手から目を離すなんて馬鹿な真似をしないだけだ。
二騎がすれ違う、いや、スティナが馬体が並ぶ位置で馬を止めた。
兵士たちの間からどよめきが。
それが非難を込めたものであったのは、スティナが抱えた槍の先がシルヴィの槍の先にぶつかったせいだ。
これはとんでもない非礼である。
しかも、直後にことんと音がした。
なんと、スティナの槍鞘に覆われた穂先が触れただけで、シルヴィの槍の槍鞘が落ちてしまったのだ。
スティナは嫌らしく笑いながらシルヴィに言った。
「あら、ごめんなさい。鞘が、外れてしまったわね」
そう言って自分の胸元に自分がぶつけた穂先を持ってくる。
逆の手で槍鞘を握ると、これをゆっくりと外しにかかる。
「そちらは外れてしまったみたいだし、こちらも外して、いいかしら?」
全く会話になっていない。意味もわからない。
だが、スティナが何をしたいのかだけは強烈に伝わっただろう。
つまりスティナはシルヴィに、公衆の面前でケンカを売っているのだ。
周囲の兵士たちが皆いきり立つ。
彼らはシルヴィ同様、ここの将軍の兵であるからして、仲間を侮辱されて黙ってなどいられないのだ。
怒声と共にスティナの無礼な所業を非難するも、スティナは全く相手にせずシルヴィのみをにやにやと笑い見る。
シルヴィが口を開く。
「やんないよ。めいれい無いのに戦ったら、私が怒られるし」
「あら残念。ねえ、そんなこと言わないで、ねえ、いいでしょ?」
そう言いながら、槍鞘を外した抜き身の穂先を下ろし、その先端でシルヴィの同じく抜き身になった穂先を軽く突き始める。
周囲の兵士たちは今にも抜かんばかりに怒っている。
だが当のシルヴィは特に気にした風もない。
「だからやんないってば」
「えー、貴女もやりたいって思わないの?」
「別に」
そんな会話をしている間もスティナの挑発は続いている。
こつんこつんと槍先同士が当たって音を立て続ける。
第十五騎士団の諜報と説教と最終鬼畜兵士担当であるスティナだが、本来の彼女は、悪ガキ度、チンピラ度において他団員の追従を許さない。
順法精神も無いわけではないが、必要とあらば踏み躙るに躊躇はない。
そもそも彼女得意の建物への潜入、あれは誰がどう見ても不法侵入であり法律違反だ。
それをこの年で得意と言えるまでこなしてきたのだから、スティナ・アルムグレーンという人物がこれまで犯して来た法律違反の数がどれほどのものか。
彼女の恥ずべき過去として語られた税金の持ち逃げなぞ本来斬首ものであろうし、あまつさえ隣国の貴族に暴力を振るって逃げてきたなど、もうそれは、犯罪なんて言葉ですら収めきらぬものであろう。
これらはあくまでこの時期の彼女の代表的な犯罪行為であり、実際にはもっとやらかしてるだろうと容易に推測できる。
今大人しくしているように見えるのは、隠れる術に長けているのと犯罪行為をするまでもなく目的を達せられているだけであり、本来の性根を露にしたスティナは恐らく、第十五騎士団最凶の問題児であろう。
大人として振舞っている間はともかく、こうした遊びの領域においては、上にドが付くクズチンピラそのものである。
だが。
武の領域においては。
このような人間のクズのやることとしか思えぬ交流手法も。
「ん?」
最も手っ取り早く互いを知り合える手段となる。
シルヴィは穂先より伝わってくる感触に違和感を覚える。
上手く口にはできないが、芯に響くような何かがあったのだ。
試しにと、シルヴィも穂先をスティナの穂先に押し付けてみる。
スティナも笑みを深くしながら押し返しに来る。
「おおっ」
シルヴィは更に力を込める。
合わせるようにスティナも。
いつしか鐙を強く踏みしめるほどに、お互い穂先を押し付けあうように。
そこでぶつかりあいが発生していると気付いた外野たちは、生意気女の挑戦をシルヴィが受けたと見て大盛り上がりである。
既に人として出せる力の限界には達している。
膂力の限界という意味ではなく、踏みしめる大地の無い馬上にあってはという意味だ。
ここからは馬術の勝負となる。
騎乗する馬の重心を上手く移動させながら、槍先により力が篭るように調節していく。
じわりと力が篭っていくゆっくりとした展開。
これをさっさと動かしにかかったのはスティナだ。
馬の体重を穂先に乗せるのではなく、馬は強く踏ん張れる体勢に移行していき、自らの膂力をより発揮できる形に。
すぐにシルヴィも対応し、全く同じことをしてくる。
スティナは、そう動いてくれたことと、そう動くことができることに、犬歯が見えるほど口の端を上げる。
シルヴィもとても力を込めているとは思えぬ呆とした顔でありながら、僅かばかり口が緩む。
観客である兵士たちはシルヴィへの声援とスティナへの罵声を飽きもせず繰り返している。
その兵士たちが驚愕の声をあげる。
二人の騎馬が、重なり合った二つの穂先を中心に、持ち上がっていくではないか。
お互いの馬は前片足が完全に浮き上がってしまう。
これを支えているのは、馬体と比べればか細いとしか言いようのない槍が二本。
先端で絡み合ったまま、金属特有の悲鳴を上げているコレのみである。
そこまでやっても二人の均衡は崩れず。
決着のための切っ掛けは、外部からの声であった。
「シルヴィ! 何をしている!」
そんな怒鳴り声にシルヴィが集中を切らす。
スティナもまたシルヴィがきっと切り返してくれると信じていたからこその今の体勢である。
シルヴィが崩れればスティナもまた崩れる。
その歪みは最も力のかかっている両者の穂先に集中し、金属の刃部は甲高い音と共に砕け散った。
急に力がかかったことで馬が多少身震いするも、スティナ、シルヴィ、両者共即座にこれを制御しきった。
この時、あまりに近づき過ぎた距離を離すことも忘れない。
今の二人は、挑戦し、これを受けたことで敵同士となったのだから。
そんな二人の空気を全く察しない一人の中年貴族が、怒り肩でシルヴィのもとへ進み出る。
「勝手なことはするなと言ったはずだ!」
「……ごめんなさい」
それ以上貴族が何を言うより早くスティナが口を挟んでくる。
「あらまあ無粋な。まあいいわ、ねえ、シルヴィ・イソラ。私はスティナ・アルムグレーンよ、いずれ、またね」
そう言ってさっさと馬首を返す。
その背中にシルヴィの声がかかる。
「ねえ、すてぃな・あるむぐれーん。貴女みたいな人、他にもいるの?」
「私と、貴女と、もう一人、ぐらいかしら」
「もう一人! そう、もう一人いるんだ。だったら、私もっと鍛錬頑張るね」
くすりと小さく笑うスティナ。
「そうね、私もそうするわ」
スティナはそのままこの場を去っていった。
シルヴィはまた怒られるか、と貴族をちら見するが、彼は難しい顔をして考え込んでいた。
「おいシルヴィ。アレはもしかして、お前と戦えるほどなのか?」
「うん」
「……よもや、勝てぬとは言うまいな」
「最後までやらないとわからない。それに、もう一人いるんだって、凄いよね」
「待て、わからないとはどういうことだ?」
「勝てるかもしれないし、負けるかもしれない。だから、やってみないと」
貴族は天を仰ぐ。
「何ということだ。お前が、まさかお前が勝てぬかもしれんなどと言い出すなぞ……そんな存在がこの世にいるなどと……」
「きっとすっごく鍛錬したんだと思う。頑張ってるんだね、私ももっと頑張らないとだ」
馬に乗ったシルヴィを取り囲む、兵士たちの顔色が一斉に青ざめる。
彼らがそんな顔をするような鍛錬を、シルヴィは日々積み重ねているのだろう。
貴族は信じられないという顔で、シルヴィから聞くだけでは埒が明かないとでも思ったか回りの兵士たちからも話を聞き始める。
その間ずっと、シルヴィは去っていったスティナの方を見続けていた。
ちなみに、この後の第十五騎士団テントでは。
「なんだとスティナ貴様ーーーーーーーーー!! そんな面白そうな奴がおったというに何故私を誘わぬか!!」
「うっさい、アンタ私からレア取ったでしょ。だから今度は私の。全部私がやる。アイリは指をくわえて見てなさい」
「許さん! 今ここで貴様と決着をつけ! そのシルヴィなる未知の戦士も私がいただいてやろう!」
「はっ、上等! 返り討ちにしてあげる!」
イェルケルとレアは並んで不機嫌顔を晒している。
「スティナが言うからにはきっとその判断は正しいのだろう。私とレアより強いのだろうなその子は」
「……そう言われて。はいそうですか、って納得する気にはなれない。私槍得意じゃないから、剣でやってみようかな」
「では私は槍だな。こればっかりは身体の大きさもあるから……」
スティナがこちらにも突っ込んでくる。
「こらそこっ! 不穏な相談してない! だからアレは私のだって言ってるでしょ!」
「馬鹿め! 隙ありーーーーーーーー!!」
「ぎゃああああああああ!!」
大層賑やかであったそうな。




