074.せめて斥候らしく
崖際に立つ木というものは、山の陰になっている方角以外ならかなり遠くまで見渡すことができる。
熟練斥候はイェルケルたち四人を置いて、この木を登り始めた。
下手な城壁よりも高い木だ。
こんなものを貴族様に登らせるのは当たり前にありえないので、熟練斥候は登る時も一言断るだけで単身で登りはじめる。
だが、半ばまで彼が登ったところで、下から声が聞こえてきた。
「おーい! そろそろ私たちも登るから! 気をつけてなー!」
ぎょっとなって下を見下ろす熟練斥候。
木登りを甘く見てはいけない。
今自分が触れている木の強度がどれほどかを見極める経験が無ければ、いつ木が折れて落下するかわからないのだ。
熟練斥候は慌てて大声で注意を促す。
「危ないので下で待っていてください!」
すると、返事が聞こえた。
すぐ下から。
「大丈夫よ、このぐらいならよくやってたから」
一行の中で一番スタイルの良い女性騎士が、既に真下にまで登ってきていた。
ひらり。
まさにそんな音と動きであった。
すぐ側を通ったというのに、どうやったのか全くわからない滑るような動きで熟練斥候の脇をすり抜け、更に上へと登っていくスティナ。
少しすると小柄な少女が二人、続いて登ってきた。
「おお、さすがに手慣れた斥候殿よな。もうこんな所まで登っておったか」
「やっぱり、斥候にはこういうのも必要なんだ。うん、勉強になる」
最後に、なんと王子様まで登ってきていた。
「くっそー、いつも私だけ遅いんだよなぁ。あー悔しいっ、あ、私たちは気にせず、自分に合った速さで登ってくれ。落ちたりしたら大変だからな」
狭っ苦しいはずの木の上を、いとも簡単にひょいひょい抜けて上へと登っていく。
あの四人の登木速度には、熟練斥候でもまるでついていける気がしなかった。
「何者なんだ、あの人ら?」
てっぺんまで登ってしまうとさすがに木が細くなりすぎるので、充分な高さと木の太さが両立できる場所にて、イェルケルたち四人は視界の邪魔になる葉や枝を払って熟練斥候が登ってくるのを待っていた。
そして彼が辿り着くと早速質問攻めだ。
街道も見える場所は良いが見えない場所はどうするかだの、山中を突っ切ってきた場合の見つけ方だの、悪天候時はまともに監視もできなくなるのかだの、説明に時間のかかるようなことばかり次々訊ねられ、熟練斥候は答えはわかっていても、説明に慣れていないせいで苦労しながらこれら全てに答えていく。
木の下に至るまでの道行きで行なった問答により、イェルケルたち四人の尊敬を既に勝ち取っている熟練斥候は、見目麗しい美人たちや天上人たる王家の人間に敬意を持って接してこられることで、かなり機嫌がよろしくなっていたので、その返答はとても真摯で誠意あるものであった。
全員が満足するまで質問が繰り返される中、ふと、アイリが何かに気付いたのか彼方を見ながら目を凝らしている。
「あれは……煙か? 皆、見えるか?」
場所を指定してもらった上で目を凝らせばどうにか、といった感じのイェルケルとレア。
スティナと熟練斥候は、ある、と言われればすぐにわかった。
スティナは考えながら問う。
「狼煙? にしては煙が変よね」
熟練斥候はそちらをじっと見据えながら答える。
「煙は一つではありません。複数の煙が重なっています。となれば、狼煙ではないでしょう。すぐ近くで複数の火元があるということですから」
そんな所まで見えるのか、と驚くイェルケルとレアだったが、アイリもスティナも言われればそれとわかったようだ。
感心したようにアイリとスティナ。
「おお、見事なり。なるほど、あの少し歪んだ煙はそういう訳であるのか」
「これは……言われなきゃ気付けないわ。でも、うん、学んだ。次はわかるわ」
イェルケルは悔しさが表に出ないようにしながら、熟練斥候に問うた。
「複数の火元、ということは炊飯の煙か? しかし、それだと色が違うと思うのだが」
「あれは間違いなく火事の類でしょう。この距離で見えるのですから、家一軒丸ごと燃やすぐらいはやらないと、ああはなりません」
脳内に周辺地図を思い浮かべるイェルケル。
「村、があったな、あの付近に。大きな火事ということなら人手が要るだろう、急ぎ向かわなければ」
これをすぐに制したのは熟練斥候だ。
「王子、戦場予定地周辺で火が上がったとなれば、まず真っ先に疑わなければならないのは火事ではなく放火でしょう。国軍からこの辺に軍を出しているという話はありませんから、あれは……」
「敵、か。今ここに出張ってきた挙句わざわざ目立つような真似をする理由が今一理解できないが、いや、だからこそ確認には向かうべきだ。そうだろう?」
「……正直に、申し上げてよろしいでしょうか?」
本来、これは熟練斥候ならば口にしない言葉だ。
いや同じ内容のことをもっと、誤魔化すように隠すようにしながら言う。
だがここまで彼に敬意を持ってくれるイェルケルたちなら、きっと正直でまっすぐな言葉も重く受け止めてくれると思えたのだ。
「ああ、構わない。遠慮は無用だ」
「王子たちはまだこうした任務には不慣れです。なのに難しい判断を要求されるだろうあの場所への捜索を行なうというのは、危険度の方が高いと私は考えます。かといって私が単身で向かうのも悪手、ここは、戻って煙の報告のみを行うべきでしょう」
スティナ、アイリ、レアは沈黙。
判断はイェルケルに委ねるということだ。
イェルケルは再び煙の方角に目を向ける。
「略奪の可能性を私は考えた。君はどう思う?」
「……はい。恐らくは」
ここで熟練斥候が嘘をつかなかったのは、王子はきっと見破ると思ったからだ。
イェルケルは頷き、毅然とした態度で言い放つ。
「行くぞ。だが、そのうえで極力貴方の指示には従いたいと思う。どうだろう、それで納得はしてもらえないだろうか」
「わかりました……斥候としては落第ですが、王子たちは騎士団ですからな」
それだけ答えて、熟練斥候は木を降りる。
その時、あまりにもふざけた降り方をしてくれやがった四人を見て、熟練斥候はこの人たちの行動や選択を制限するのは、それ自体が誤りなのではなかろうかと思い悩むことになる。
南部貴族連合の懐具合はあまりよろしくないもので。
元々、国内の金という金が王家に集まっていってしまうからと兵を挙げたようなものなのだ。
潤沢な資金なんてものがあったら、そもそも反乱なぞ起こしはしなかっただろう。
なので彼らは、招いた傭兵団への報酬を出し渋っていた。
傭兵団も馬鹿ではない。
南部貴族連合の状況も理解しているので、では、と交換条件を提示する。
それは、領主たちには絶対できないことだが、傭兵団ならばできる。
それでいて報酬として成立する、領内の略奪許可である。
もちろん無作為にではなく、領主が許可を出した村、地区のみであるが、傭兵たちの好きにしていいとお墨付きを出してやったのだ。
自らの足を食らうような行為であるが、略奪許可を出したのは王家直轄領に程近い場所がほとんどだ。
おそらく開戦すれば何らかの形で損害を受けるだろう村を選んだので、被る損害としてはそれほどのものでもなかろう。
そんな貴族たちの都合により、その村は傭兵たちへと差し出された。
銀熊傭兵団も、報酬として村を受け取った傭兵団の一つだ。
この話を受けるなり銀熊傭兵団は急ぎ目標の村へと向かう。
本格的に戦線が開かれてしまっては、利益追求に動く暇が無くなってしまう。
銀熊傭兵団は近隣五つの村の略奪権を得ていたので、隊を五つに分けつつそれぞれの村から金目のものを収奪する。
当然、報酬金額として戦を潜り抜けるのには圧倒的に足りない。
なので彼らは、檻を繋いだ馬車を用意していた。
健康な若い男女を充分な数集められれば、報酬としては悪くないものになるのだから。
後は如何に戦の開始前までに売り捌けるか、それができる商人を確保できるかである。
なので当たり前に、商品を傷つけるような行為は厳禁である、はずだった。
「ふっざけんなクソ農民が! 構いやしねえ! 教会に火付けてやれや!」
村の中央に立つ唯一石造りの建物、教会に村人たちは立て篭もっていた。
領主が見捨てた、だからお前たちは今日から奴隷だ、なんていきなり現れた荒くれ者たちに言われて、信じる者なぞおるまいて。
幾つかの家を焼いて脅してくる彼らに対し、領主様がそんなことを言うはずがない、と村人たちは助けが来るまでの間教会に篭ってやりすごそうとしたのだ。
もちろん助けなんてどこからも来る予定は無いし、彼らの行為はいたずらに傭兵たちを刺激するだけなのだが、さすがに村が置かれた現状を察しろというのは無理があろう。
なめられた、と感じた銀熊傭兵団団長が怒りに震えながらその村の教会に火をかけた。
少しして、慌てふためいた村人たちが教会から飛び出してきた。
その無様なありさまを見て傭兵たちは溜飲を下げたようで、ゲラゲラと村人たちを指差し大笑いしている。
だが、団長だけはそれで誤魔化されず。
出てきた村人全員を一箇所に集め、村長を皆の前で殺す。
村人全員が顔を背けるような殺し方をしてやると、彼らからはもう反抗の意思は一切感じられなくなった。
そこまでやってようやく、団長は機嫌を直したようだ。
「よーし、じゃあ選ばれた奴は順に檻の中に行けよー。……なあ、ジジイとかババアって、売るどころか処分料取られねーかな」
「輸送費もタダじゃねえっすしね。面倒だし置いてきます?」
「置いて? 馬鹿かお前は。こういう時は雇い主に気を使ってやるもんだぞ」
「と言うと?」
「生きてる奴には口があるだろ。お前、自分ん所の領主に見捨てられたなんて話されたらどうよ?」
「なるほど、そいつはその通りっすね。んじゃ、新入りに度胸付けさせるってことで、解体でもさせやすか?」
「ん? おお、そいつはいいな。ちょうど俺の見本も見せてやったことだし」
彼らにとって既に村人は人間ではない。商品であり、所有物だ。
だからこんな話も言い出すし、そしてきっと、まかり通ってしまう。
団長の指示に従い、傭兵の一人が老人達の中から一番傭兵側に居た老人の手を掴む。
「ほらほら、老い先短いジジイなんだから手間かけさせんな……」
傭兵は怪訝な顔をした。
「おいジジイ。お前老い先短い割に、腕だけ妙に若々しくないか?」
腕を引っ張りきると、しゃがんでいた老人が立ち上がる。
「おいおいジジイ。お前老い先短い割に、やたらデカくねえ?」
そしてかぶっていたフードを取ると、下からは育ちの良さそうな怜悧な男顔が。
「おいおいおいジジイ。お前老い先短い割に……ってどう見てもジジイじゃねええええええええ!!」
「いや、さっきからうるさいぞ、お前」
老人の集団の中に、いつの間にか混じっていたイェルケルは、その傭兵の首を一撃で刎ね飛ばす。
そしてそんなイェルケルを見上げ、目を白黒させている老人たちに優しい声音で言った。
「ああ、ご老人方。少し賑やかになるが心配はいらない。きちんと全部殺しておくから、どこかの家に隠れて待っていてくれ」
傭兵団団長を含む五人をそれと知らず一瞬で蹴散らしながら、イェルケルは老人たちに向かってさわやかな笑みを見せる。
老人たちはとてもとても、怯えた顔をしていた。
一方、村の女たちは女たちだけの檻馬車に、順次載せられている。
乗せるではなく載せるであり、座る余裕すらないほど押し込まれていく。
これを誘導していた傭兵は、隣の同僚に向かってぼやく。
「なあ、こういうのってさ、俺たちにもコレ使ってお楽しみーとかあるもんなんじゃねえの?」
「お前正気か? こんな田舎臭い女抱くなんざ金もらったって御免だぜ。コイツらはコイツらできちんと金になるんだから、売り飛ばして、その金で町の女買うのが正解だろ。頭使えよ頭」
「お、おう。そういうもんか。いやな、でも金払って云々とかじゃない、そういう男子たるもの一度はーってのねえ?」
「それでこんな程度の低い女に手を出すってか? やりたきゃお前だけでやれ。もちろんお前の取り分はヤった数だけ減るだろうけどな」
男の浪漫を全く解さぬ同僚にがっかりしながら傭兵は、次の女を檻へと引っ張る。
随分と背が低い。
「はぁ、こういうちっちゃい可愛らしい子って好みなんだけどなあ。これで顔が……」
はらりとかぶっていたフードが落ちると、そこには絶世の美少女の姿が。
「これだよこれ。こういう見たこともないような可愛い子とかさあ、そういうのを……」
傭兵。美少女アイリの顔を二度見する。
「はああああああ!? なんだよこの可愛い子! 可愛すぎて俺の目が溶けるわ! こういうの待ってたってんですよ! 村すげえええええ! 田舎なめてましたすんませんっしたああああああ!!」
「やかましい」
そう言って心臓を一突き。
ここには五人の傭兵が居たが、これらが敵の出現に気付く前に、アイリはさっさと残る四人を殺しきる。
驚いたのは集められた女たちだ。
いったい何事かとアイリを怯えた表情で見る。
「心配するでない、私はカレリアの騎士だ。狼藉者は残らず始末してくれるので、少し待っておれ」
すると、女たちの中から恐怖に怯えた顔のままで中年女性が前に出てくる。
「あ、あの、この人たち、ウチの村のじいさまたちを殺すって言ってて……」
村故の純朴さか、自分の安全確保ではなく、真っ先に同じ村人の心配事を告げるその女に、アイリはこんな場でありながら頬が緩んでしまう。
「我らに任せておけ、既に人は手配済みよ。怪我人は居ないか?」
「あ、はい。大きな怪我をした者はおりません。ほ、本当にありがとうございました」
「何、これもまた騎士の役目よ。此度の襲撃に際し、村人に犠牲者は出ているのか?」
「……そ、村長が……」
「そうか、残念だ。ならば、お前たちの気晴らしのため、何人かを生かしたままにしてやろうか?」
アイリの言葉に中年の女はその意味がわからず。
きょとんとした顔の彼女に、アイリはなんでもないことのように軽く告げる。
「この人間のクズ共に、ただ殺すのではなく生まれたことを後悔させてやりたいのならば、一人や二人生かしておくぐらいなら造作も無いことだぞ」
中年女性は、それはもう勢い良く首を横に振る。
アイリは何故か少し残念そうであった。
「そ、そうか。いやな、そういうやり方を村の中で一人でも知っておるとだな、こうした盗賊の襲撃時に見せしめを効率的に行うことができ、被害軽減に繋げることができるのだ。村の前とかに晒しておいてやると、本当に盗賊避けになるのだぞ?」
どうやらアイリ。親切心からこれを勧めていた模様。
だがもちろん一般村人にはあまりに至難な要求であり、彼女がアイリの機嫌を損ねない程度に断ると、その表情からようやくアイリは彼女たちがそうした拷問紛いを行なうことを恐れていると理解できた。
「ふむ、そうか。こういう真似は、兵士のようにそれなりにでも訓練を受けておらねば難しいということか。あいや、よくわかった。うーむ、しかし土地によって色々と違うものだな。ウチの領地であれば……」
どうやらこれを喜んで受け入れるような領地を、アイリの親は拝領していたようだ。
それだけでも彼女の育成過程がわかろうものである。
ともあれ、イェルケルが老人を、アイリが女たちを解放している間に、スティナとレアは殲滅に動いていたようで。
村のあちらこちらであまり品のよろしくなさそうな悲鳴が聞こえてくる。
順調順調、と一人頷くアイリのもとに、熟練斥候が駆けてくるのが見えた。
「敵増援です! 数は三十!」
あれ、と思うアイリ。
今回ここに乗り込んだのは、戦争間近ということで火事場泥棒的な盗賊が出たと考えていたのだ。
檻付きの馬車なんてものを持ち込んでいるのも、始めからそのつもりであった盗賊だろうという推理の助けとなった。
だが、この村の盗賊は全滅させたはずなのに、三十の援軍があるというのは意味がわからない。
元から大盗賊団が合流予定だった、なんていう話にしたとしても、この村を合流地点に選ぶ意味がやはりわからなくなる。
だが、ここでこの三十を放置もできない。
間違いなく彼らは村人たちに襲い掛かるであろうから。
せめてこの傭兵団が旗でも掲げてくれていたらすぐにわかったのだろうが、あいにく略奪に行くということで彼らは、旗のような目立つものを持ってきていなかったのだ。
結局、その後四度の襲撃を受け、その全てを迎撃するハメになった。
この戦いで村人に被害は無かったが、各個撃破できたとは言え百人以上の敵が居たのだ。
その全てを殺し尽くすこともできず、幾人かには逃げられてしまった。
そして、生かしておいた敵傭兵から敵方の状況を聞きだしたイェルケルたちは、隊長たちの居る陣地に向かって引き上げる。
帰り道の途上、イェルケルは恐る恐るといった様子で熟練斥候に、今回やらかしてしまった事の是非を問うた。
彼は、悲しそうな顔で言った。
「覚悟、しておいてください。絶対に隊長怒りますから」