068.大会の前日はナーバスになるものです
闘技場での第十五騎士団採用試験を翌日に控えたその日。
第十五騎士団団長、王子イェルケルは、落ち着かない様子で闘技場事務所の椅子に腰掛け、意味もなく足をぷらぷらと動かし続けていた。
今回の第十五騎士団採用試験の発起人であり、この催しの責任者でもあるヘルゲ・リエッキネンは、そんなみっともない様のイェルケルを見て苦々しく言った。
「落ち着け。お前の出番は明日だろうが」
「お、おおお、落ち着いてるし。俺のどこが落ち着いてないって証拠だよ」
「うるせえ、見苦しい言い訳してんじゃねえよ。お前がびしっと決めてくれねえと、こっちの評価が落ちるんだから、びっとしろびっと」
「……おう、俺が失敗してもお前が痛い目に遭うと考えると、少し落ち着いてきたな」
「殺されてーのかてめーは」
前日であるからして、アイリもレアもヘルゲの取り巻きも、傭兵たちも闘技場係員も新たに雇った係員たちも、最終確認のためあちらこちらと飛び回っている。
総責任者であるため、何か不測の事態が起こった時すぐ判断できるように事務所に詰めているヘルゲと、明日は一番目立つ場所で大暴れしてもらう予定なので休むよう言われているイェルケルの二人のみが、今は特にすることもなく事務所に居るのだ。
二人は不愉快そうに会話を切ると、それぞれ何度も見てきた資料を手に取り確認する。
しばし、無言。
そんな時間に耐え切れなくなったのはイェルケルが先であった。
「俺、みんなの昼飯取りに行ってくるわ」
「……ま、お前が行きたいってんなら止めねーよ。おい、イェルケル」
「なんだよ」
「…………」
「だからなんだよ」
「なんでもねえよ」
なんだそりゃ、と言って事務所を出るイェルケル。
その背に向かってヘルゲは心の内のみで問う。
『お前の所で、赤い刃殺ったって話は本当か』
そんなことを聞いてどうしようというのか、とヘルゲは自問する。
赤い刃と繋がりがある、そう言われている商家が次々と国にヤられている。
緘口令が出ているようだが、ヘルゲならば塞がれた兵士の口を再び開くこともそう難しくはない。
どうやらイェルケルの所の女騎士が、身元不明の襲撃者を多数殺害したらしい。
これが、赤い刃の暗殺者であるという噂だ。
故に、官憲は反撃の不安なく商家を捜査できるのだと。
もうずっと闘技場事務所にも顔を出さない最後の一人、スティナ・アルムグレーンの仕業だそうだ。
どうやらイェルケルは既に、ヘルゲには到底手の届かないほどの強力無比な攻撃力を手に入れているようだ。
取り巻きたちとも何度も話し合っている。
その挙げた戦果から戦力を考えた場合、第十五騎士団が特定対象を殺害に動いた場合、これを防ぐ手段は存在しえないと。
恐らくは元帥であろうと、下手をすれば国王陛下であろうと、もしかしたら宰相閣下であろうとも、殺せてしまうのではないだろうか。
その後は未曾有の大混乱となろう。
そういった無責任な真似をイェルケルはしないとヘルゲは考えているが、追い詰められればその限りではないとも思う。
「カレリアのためには、俺の方こそが死ぬべきかもしれねえな」
王都はそれほどでもない。
だが現在カレリアの、王家の目の届かぬ地域では不穏な空気が漂っているのだ。
アンセルミ宰相の辣腕により、カレリアは今大いなる繁栄の時を迎えようとしている。
だがその陰で、王家のみが肥え豊かになっていくことに不満を持つ貴族も少なくないのだ。
ヘルゲのリエッキネン家はドーグラス元帥が居てくれるおかげで、王家の作り出した利権を受け取ることができている。
だが王家は、王家に対し忠実でない、もしくは王家に利益をもたらさないと判断された貴族には極めて冷淡だ。
そのせいで今国内では、裕福な土地とそうでない土地の差が顕著に現れてしまっている。
当然、豊かでない土地からは豊かな土地へ人が移ってしまう。
同じ国内なのだから移動にも文句を言われる筋合いはない。
これを各領主はそれぞれの方法で防がんとしているが、なかなか難しいようだ。
王家の庇護を受けずとも上手くやれていた代表格、オスカリ・バルトサール侯爵はその奴隷利権ごと叩き潰されてしまった。
辺境にて他国との交易を勝手に行なっている者もいる。
いや、国境付近の領地を持つ者ならほぼ全ての領主がやっているだろう。
王家はこれを牽制すべく、反乱を起こさせ見せしめに領地を一つ潰したりもした。
着々と王家の勢力は強くなっている。
リエッキネン家の頭首であるヘルゲの父は、これら王家の横暴を断固として認めずとの立場だ。
祖父は、少々特殊で。
リエッキネン家とは密接な関係にありながら、国軍における絶対権力者でもある。
アンセルミ宰相を、永遠の盟友にして血の繋がらぬ心の息子と呼び、王家に強く臣従する態度を示しておきながら、現頭首である血の繋がった息子が貴族派として王家に反する立場を取ろうと放置する。
そんな意味のわからない好き勝手が通ってしまうような人物なのである。
色々と型破りな人間であるが、ヘルゲはそんな祖父が大好きなのだ。
リエッキネン家の一員として行動することに迷いはないが、ヘルゲ自身が目指すべき目標は、優れた貴族ではなく偉大なる軍人ドーグラス元帥であるのだ。
元帥が常々言っている言葉を、ヘルゲは決して忘れないだろう。
「カレリアのために生き、カレリアのために死ね、か。イェルケルを活かすことが、カレリアのために生きることに繋がるってか……冗談じゃねえよなぁ」
宰相アンセルミは既に、イェルケルたち第十五騎士団をカレリアのための稀有な戦力として認めているだろう。
彼、アンセルミという人物の考えを、ヘルゲはずっと、とても認めがたい王家のことだけを考える自分勝手なものだと思っていた。
だが騎士学校で様々なことを学び、学校を出て国を自分の目で見て回ることで、宰相アンセルミのやっていることの意味が少しずつわかってきた気がする。
宰相はカレリアという国の将来を見据え、様々な制度を整えていると。
祖父の言葉を重要視するヘルゲにとって、宰相の整えた諸制度は敬意に値するものであったが同時に、貴族としてのヘルゲには易々と受け入れられぬものでもある。
祖父と、宰相と、父たち貴族と、ヘルゲは自らの立ち位置に悩み続けていた。
ヘルゲなりにこれへの解決策として考えたのが、ヘルゲ自身が祖父のように宰相にとって極めて有益な人物になることで、貴族と宰相との間を取り持てるようになること、だ。
まだ年若いが故に、ヘルゲは見誤った。
今の諸勢力の関係性が、ヘルゲが大きく育つまで、まだまだ続いていてくれると。
努力の先に、叶えられぬ願いなど無いと。
しかし現実は、ヘルゲはまだただの国軍一若手士官に過ぎず、王家と貴族との間には既に大いなる隔たりが生じてしまっている。
そしてヘルゲがまず最初の目標として目指したその場所、宰相の信頼を得た若手騎士という立場には、ヘルゲではなくイェルケルが居た。
「なんでっ……なんでイェルケルなんだよっ。なんで俺じゃ、ないんだよ……」
ヘルゲはその立場から、護衛という名のお目付け役がつかない時間というものがほとんどない。
それを迷惑とは思わない。父や祖父が自分を気にしてくれていることの証であるのだから。
だが今はそんなお目付け役たちも、やることが多すぎてそちらにかかりきりに。
今は珍しくヘルゲが一人きりでいる時間で、そのために普段ならば堪えているものが噴き出してしまった。
この姿を、見てしまった者が居た。
アイリは事務所の入り口で足を止め、嗚咽の声を聞くと、居心地悪そうにしながらも入り口前からは動かない。
ふとアイリが目を向けると、道の先にイェルケルの姿が見えた。
『……ふん』
アイリはこれといってヘルゲに思い入れがあるでもないし、貸し借りも存在しない。
だからこれは、ただ純粋な情けという奴で。
入り口前から離れ、イェルケルの方に向かって小走りに駆ける。
事務所からは少し離れた場所で、事務所の中に聞こえるような声で、イェルケルに声をかける。
「殿下! どうして殿下がそのような大荷物を持っているのですか!」
「おー、アイリか。いや昼食をだな……」
「そういうものは使用人に運ばせるものです! どうしてこう殿下は腰が軽いのですか、それでは騎士団長としての威厳がですな……」
二人が騒ぎながら事務所に入ると、ヘルゲはやはり不機嫌顔のままこれを出迎える。
「おい、アイリ・フォルシウス。ソイツに身分相応の振る舞いなんて求めるだけ無駄だぞ。自分が動いていないと落ち着かない種の人間なのだからな。まったく、どういう育ち方したら王族がそうなるんだか」
ヘルゲの言葉に、イェルケルが盛大にへこんでしまう。
大慌てでアイリが抗議する。
「こ、こらヘルゲ・リエッキネン。何を言い出すんだ貴様は、殿下がほれ、落ち込んでしまったではないか」
「……いやさ、王子って言ってもほら、俺、下の方だしさ。いっぱいいる姉たちが見栄張らずに物頼めるのって、同じ王族で目下の俺ぐらいでさ……ずっとそうだったから……」
「でんかっ! でんかー! もういいですから! そんな切ない返事に困るような話はっ!」
ヘルゲは声を上げて、大笑いした。
「ぶはーっはっはっは! おまっ! お前、だからそんなに腰低かったのかよ! やばいっ、腹痛ぇ。その割にお前他の王子王女に全然好かれてねーよな! あれか! 騎士学校入って良い成績残すような裏切り者はいらんってことか! 報われねえなぁ! さいっこうに愉快だわ!」
「離せー! 止めるなアイリー! 俺はこいつをぶちのめしてやるんだーーーーーーー!!」
「お、落ち着いてください殿下! 騎士学校では堪えておられたのではなかったのですか! ええいヘルゲ・リエッキネン! 貴様はこれ以上余計なこと言うでないわ!」
「ああ、最近だぞ、こういうことできるようになったの。俺もイェルケルへの嫌味返しとか覚えてきたのよ。いやぁ、昔の俺余裕無かったよなぁ。今のイェルケル見てるとホントそう思うわ」
「へーーーーーーるーーーーーーーげーーーーーーー!!」
なんやかやと騒いでいる間に他の連中も事務所に戻ってきて、うやむやのうちにイェルケルは拳を納めさせられる。
皆ケンカしてる余裕なんて無いのだ。
食事を取りながらも、進捗を確認しあい、各部署の進行具合から人員配置を変更する。
ほぼ全員が未経験な未曾有の大集客を迎えるのだ、準備時間は幾らあっても足りはすまい。
「明日の貴族用コース料理、献立上がりました!」
「誘導係、平民用貴族用、どちらも予定していた最終訓練終了しました。……出来は、不安が多少残ります、はい」
「酒、茶葉、共に倉庫に運びましたが……これ、本当に良いんですかヘルゲ様? ちょっと笑えない値段の銘柄がごっそり入ってるんですが……」
「平民用店舗の出店場所、闘技場周りに確定して線引いときましたんで、これ以外に店出してる馬鹿いましたら強面軍団の出動願います」
「……強面軍団て。ウチの傭兵は一応、時間に余裕があれば試合させるんだから、あまり無茶させんなよー」
連続して聞かされる報告事項全てを把握しつつ、脳内の進捗表を埋めていくヘルゲ。
もう心配はいらないだろうという所まで来たことで、ヘルゲはほっと一息ついた。
まだ準備は残っているが、ヘルゲが心配していた問題はほぼ全て解決済みなのだ。
残るは作業のみで、それも時間と人員とを鑑みれば問題なく、日が落ちる前に終わるだろう。
「後は、明日か。どうせ、予定通りになんていかないんだろうけどな……」
イェルケルが意外そうな顔をする。
「なんだよ、弱気か? 珍しいこともあるもんだな」
「俺だっていつでも自信満々とはいかねーよ。大体一番の不安要素はおめーだぞイェルケル。お前が時間かければかけるほど、時間ズレ込んでくんだからな。アイリ・フォルシウスやレア・マルヤーナがキツかったら代わるとか言ってるが、貴族も平民も山と見てる闘技場に女騎士、それもあの二人を出すのは、できれば避けたいんだよ」
「……俺は女騎士へのそういった不愉快な偏見をどうにかしたいと思っている。だが、お前の言ってることもよくわかる。二人に頼るなんてことになった場合、二人は一度に多数と戦うんだろうから尚更だ」
「わかってんなら、お前一人で意地でもなんとかしやがれ」
「一応、自信はあるんだけどな。一人で二百人斬った経験無いんで、そうはっきりとしたことは言えないんだが」
「そんな経験ある奴が……待て。もしかしてお前の所の騎士、やったことあんのか?」
「サルナーレの戦果を聞くに、アイリとスティナは多分、二百以上斬ってる。アレよりはずっと条件が良いし、俺にもできる、と思いたいな」
「……ふん、いいさ。明日、見せてもらおうか。騎士学校出た後お前がどんだけ強くなったのかを」
「おうよ、腰抜かすなよ」
本当にムカツク奴だ。なんて言葉を飲み込んで、ヘルゲは残る作業の監督に向かった。