063.レア対蒼虎激流争覇騎士団(前編)
レアを取り囲む人の数は、もうレアには数え切れないほどに。
ほぼ全員が武装しているが、着ている鎧は金属だったり皮製だったりとまちまちで、用意している武器もバラバラだ。
一様なのは、浮かべている下卑た笑いと、見るからに育ちの悪そうな顔立ちか。
ガラの悪い者たちに取り囲まれ、周りを囲う建物からも多数の人間がこちらを覗き込んでいる。
ロシノと同じと言えばそうなのかもしれないが、戦場として乗り込んだ街と、いつも生活する場所の延長にある街とでは、感じ方が違うものらしい。
レアは自らの心中に、言い知れぬ不安感のようなものが膨らむのがわかる。
殺意とは違う。
見下した悪意というものは、こんなにも気味の悪いものなのかと、レアはその場で身を硬くする。
自然とそうなってしまうのだ。
レア・マルヤーナは、彼らに対し怯えてしまっているのだから。
彼らがレアに対し、どうしてやろうと思っているのかが伝わってくる。
想像するだにおぞましい行為を、彼らはきっと笑いながらレアにしてくるのだろう。
この全周を覆う圧倒的多数の彼ら全てが、そんな悪意の持ち主であるのだ。
勝てる勝てないではない。怖いのだ。
もしコレに負けたらどうなるのか、そんなことを考えると自然震えが出てしまう。
これまでも無茶な戦を潜り抜けてきたのだから、こんなものどうとでもなる。
そう考えようとしても、周囲から突き刺さるような嘲笑が、レアの全身を縛り付けてくるのだ。
ケンカの強い弱いと、悪意の強弱は全く別物なのである。
それでもレアは、精一杯の虚勢を張り、無様な真似を晒さぬよう足に力を込めてその場に立ち続ける。
騎士学校の元同級生が、何やらこちらに文句を言っているようだが、レアは緊張しているせいで彼の言葉がよく聞こえてこない。
思い出されるのは騎士学校を追い出された時のこと。
周囲の草木すら自分をあざ笑っているように思えて、恥かしいのと居た堪れないのとでどうにかなってしまいそうな空気。
レアが怯えているのは、どうやら取り囲んでいる者たちにも伝わっているようだ。
一際高価な鎧を身につけた男が、レアの前に進み出てきた。
「君がレア・マルヤーナか、噂は聞いているよ。その珍妙な身体でイェルケル殿下に取り入って武勲を譲り受けたんだって? 騎士学校を不名誉退学しただけでは懲りなかったというのか。まったく、嘆かわしい限りだよ」
彼は聞きもしないのに勝手に名乗りを上げる。
蒼虎激流争覇騎士団、の団長らしい。
どうやらレアを取り囲んでいるのは蒼虎激流争覇騎士団の面々らしいのだが、集まっている連中をどう見ても騎士の団には到底見えない。
「君が今日、ここに呼ばれた理由はわかるね。そう、騎士ならざる者が騎士を名乗るのなら、同じ騎士がこれを誅せねばならない。もちろん我らも騎士! 正々堂々たる一騎打ちにて君に騎士のなんたるかを教えてやろうじゃないか!」
一対一ならば、万が一にも後れは取らないだろう。
そうは思っていても、もし、スティナやアイリのような怪物が混ざっていたら、と思うとレアは大きなことを言うことができない。
無言のまま、じっと騎士団長を見据えるのみ。
騎士団長は、まず先陣を、と騎士団一の大男を指名する。
歓声と爆笑が同時に起こった。
ここに集まった誰よりも小さいレアに向かって、最も大きな男をぶつけるというのだから、笑いも起ころう。
下卑た野次がそこかしこから聞こえてくる。
レアは対戦相手である大男が姿を現すと、そこでようやく多少の落ち着きを取り戻すことができた。
この手の大男は、レアが一番嫌いなタイプである。
それに彼の所作挙動を見るに、どう見ても、レアの速さに対応できるようには見えない。
大男が大剣を抜き放ちながら前へと進むに合わせ、レアもまた腰の剣に手をかけ引き抜く。
騎士団長は猫なで声で言った。
「大丈夫、殺したりはしない。多少、痛い目を見る程度で済むから、ね」
彼のこの一言が、大男、そしてこの後に続く者たちの命を救った。
レアは、ああそう、と剣を使うのを止めることにして、これを鞘へと納める。
大男が大きく身を乗り出してレアを見下ろしてくる。
「うわ、これ殺さないの難しいぜおい。手足の一本ぐらいは大目に見てくれよな」
「多くは望まない。せめて、受身ぐらいは取って」
「あ?」
言うが早いかレアは大男の懐へと踏み込み、その腹部に両手の平を打ち込んだ。
打つ、というよりは押し出すといった方がより適切であったかもしれない。
レアの掌打をモロにもらった大男は、ふわりと両足が大地より離れる。
そのまま大きく弧を描いて宙を舞い、殊更大きな音と共に大地に落下した。
落下地点には人垣があったのだが、彼らはその光景に呆気に取られており、大男が落下してくるまで全く反応ができなかった。
飛んできた大男に薙ぎ倒されるように、人垣が割れた。
完全に余裕を取り戻したレアは、騎士団長に向けて言い放つ。
「これが、貴方の所の騎士? この程度の腕じゃ、ウチなら雑用にすら使えない」
現実に目の当たりにしたとしても、そう容易く受け入れられないこともある。
なので彼らは先の大男は、自分から後ろに飛んだと考えたようだ。
「おいおい、このチビ壊すのが怖いからって、自分から逃げるこたねえだろう。よし、なら俺が次に相手してやるよ」
そう言って前に出てきた男は、口調は完全にレアをなめきっているが、態度はどことなく恐れているようで。
彼は腰に下げた剣を外し、肩を大きくぐるぐると回した。
「騎士たる者、組み打ちもできんではな! ふふ、男らしく武器に頼らず肉体のみで勝負しようではないか!」
そう言いながら上着を脱ぎ始める。
「お互い裸になって武器なぞ持たぬと示してこそ公正な組み打ちよ! 貴様も騎士ならば男女の別なぞと下らぬことを言うまいな! さあ今すぐ脱いで俺と勝負だ!」
次からはまともに勝負ができる、と思っていた矢先にコレである。
男の思いつきに、外野達は大喝采。
皆が口々に男の勇気を称え、ゲラゲラ笑いながらレアに向かって服を脱げと叫ぶ。
「さあどうした! 騎士に男も女も無いのであろう! なら服を脱ぐぐらいどうということはあるまいて!」
「……騎士になった程度で男も女も無くなってくれるなら、私はこんなに苦労はしていない」
全周囲から聞こえてくる脱げの大合唱に、レアはまともに相手してやるのが馬鹿馬鹿しくなりながらも、一応、ルールっぽいものには従ってやる。
レアは男の腹を正面から素手で掴んでやった。
途端、男が絶叫を上げ身をよじる。
その声のあまりの大きさに野次を飛ばしていた全員が黙ってしまう。
それでも男の声は止まらない。
首を左右に振り、腕はレアの腕を押さえつけるようにして、しかし苦痛は全く無くなってくれないようで、男より苦悶の表情は消えてくれない。
レアは腹を掴んだまま、男を頭上に向けて持ち上げる。
そのまま放り投げてやろうとしたところで、ぶちりと音がして、男の腹の皮が千切れた。
肉を掴んでいたのだが、持ち上げた勢いで滑って皮を掴んでしまい、そのまま皮がレアの腕力に負けて切れてしまったようだ。
出血はそれほどでもないが、赤く染まった腹部を押さえたまま、男は人垣の中へと逃げていった。
「例えば」
レアの言葉に皆が耳を傾ける。
「今のは、私が服を脱いでいれば、アイツは勝てたの?」
声をかけたのは騎士団長へだ。
レアが手にへばりついた皮を払い捨てるのを見た騎士団長は、隣の騎士へと目配せする。
彼は雄雄しく名乗りをあげながら、腰の剣を抜き放った。
「良かろう! 次は俺が相手だ! お前たち! 出ろ!」
そう合図すると、五人の男達が彼の横に並び立つ。
「コヤツらは我が従者! 持ち物装備も同然よ! 装備を携えて戦うが騎士なれば、従者もまた共に戦える理屈よな!」
「そんなわけ、無い」
即座にツッコむレアであったが、観客たちはもちろん彼の主張に許可を出す。
いいかげんレアもここがそういう場所だとわかってきたので、文句を言う気も失せている。
今度は手すら使わず、足蹴りのみで六人全てを叩き伏せた。
全員どこかが折れているだろうが、命には別状無いだろう。
このぐらいの数ならばレアもまだまだ余裕を持って手加減をしてやれるのだ。
そんなレアの情けある芸当を見て、蒼虎激流争覇騎士団の団員たちは口々にこれを非難し始める。
「獣のように手足を使うのみとは! それが騎士の戦い方か!」
「まるで蛮人が如き所業! 騎士とは高貴で典雅な貴族を指して言うのだぞ!」
「なんと野蛮な戦い方か! そんな無様な戦い方では家名に傷がつくだけだ!」
「人より少し膂力があるからと! それだけで騎士になろうなどと勘違いも甚だしいわ!」
「品性の欠片も無い振る舞いは第十五騎士団で習ったか! やはり後に生まれた王子はクズが多いと……」
最後の言葉を吐いた男は、レアがぶん投げた鞘を頭にくらって引っくり返った。
これでも死んでいないのはレアが加減したからで、それもそろそろ、難しくなってきたようだ。
感情的な意味で。
レアは心中で膨らむ悪感情を抑えながら騎士団長に問う。
「そろそろ、帰っていい? 貴方たちの下らない遊びに、これ以上付き合うつもりは、無い」
レアはそう言ってじっと騎士団長の顔を見る。
いや、もっと言えばその目を、瞳を。
『ああ、やっぱり』
タイミングを合わせて振り向くと、今正に矢を放たんとしている者が、建物の二階から身を乗り出している。
一瞬、彼は撃つかどうか躊躇したようだが、レアの後ろから撃ての合図が出たのだろう、矢は吸い寄せられるようにレアへと。
剣を抜きすらしない。
レアは片手で飛来する矢を掴んで止めてみせた。
そして、振り返り笑う。
それまでのうんざりしたような顔ではない。
満面の笑み。
「こういうのを待っていた。下らないお遊びなんかじゃない、本気の殺意を、ずっと待っていた。騎士団を名乗っておきながら、戦もできないチンピラかと思ってたけど、やっぱり騎士。やる時はやる、そう来なくては」
レアが完全に臨戦態勢に入ったのを見て、騎士団長は大いに慌てだす。
彼は矢で足を狙わせたのだが、殺すつもりは無かったのだ。
だが、既にレアからは紛うこと無き殺意があふれ出している。
騎士団長は、多数で取り囲み絶対優位な立場を確保しながら、相手を追い込み破滅させようと画策していたのだ。
それがどうだ、この女は騎士団長とこの二百人近くいる人数を相手に、一戦交えんとばかりに挑みかからんとしてくるではないか。
事前に聞いていた第十五騎士団の噂なぞ、眉唾ものと笑っていたのだが、もしかしたら、そんな噂が立つほどの手錬なのではないかと思い出したのだ。
レアはそれでもまだ、待ってくれていた。
「さあ、抜いて。大将の貴方が抜けば、後はもう、殺し殺されるだけの戦になる。さあ、早く、抜いて」
騎士団長は、脂汗を堪えつつレアに笑いかける。
「ま、待つんだ。あくまで我々は……」
「抜け」
「死人を出しては宰相閣下にも……」
「抜け」
「き、貴様のためを思って……」
「抜け」
「ぐっ、き、きさま……」
「さあ、抜け。騎士のくせに、言い訳しかできないか? 腰の剣は飾りか?」
くすり、とレアは騎士団長に微笑みかけ、彼のすぐ目の前に立つ。
「結局、抜けなかった。お前は、騎士の風上にもおけない、臆病者として、死ね」
騎士団長が準備させていた弓隊が今正にレアを射んとしていたその時、レアは騎士団長を一刀で斬り伏せつつ、輪になって取り囲んでいた者たちへと突っ込んでいった。




