062.アイリと人質(後編)
口に縄を噛ませ、全身を縛り上げた職人を引きずりながら、男はアイリに従い鍛冶場の馬車を勝手に使って彼らのアジトへと。
アイリは馬車の座席に、男は御者席にという逃げるに最適な状況になっても男は逃げなかった。
スティナに屈したアルハンゲリスクの将ニクラス・ヤーデルードと同じである。
アイリを絶対的な存在と見なし、何をしても無駄だと諦めさせてしまったのだ。
ちなみに、あの後徹底的にこちらに協力的であったニクラス・ヤーデルードは、ヴァラーム城のマティアス将軍に身柄を預けたところ、その協力的な姿勢と有用さからマティアス将軍子飼いの密偵頭に再就職が成った。
身柄をマティアス将軍に預けたのだから、その処遇も当然マティアス将軍が決めてしかるべきもので、そこにイェルケルたちの意思が入り込む余地は無いはずなのだが、ニクラスは再就職したことをイェルケルとスティナに手紙で報告し、許しを請うたとか。
手紙に二人が許可の返事を出し、ニクラスがこれを受け取った時、彼はその場に突っ伏して、助かった、助かった、と何度も呟き涙を溢したと言う。
男の操る馬車は、目的地へと辿り着いた。
その建物は、周辺にある建物の中で一際大きく、豪勢な造りになっていた。
何部屋もあるだろう大きな建物は彼らの仕事場であり、そこには何十人という傭兵たちが住んでいる。
近隣の店の護衛、という名でみかじめ料を取り立て、土木工事の現場に奴隷紛いの配下を送り、取引相手を威圧するために傭兵を巡回させておく。
そんな仕事だ。
兵士に取り立ててもらえず、戦もそういつもあるわけではない。
かといってまっとうな仕事にも就けず、腰に差した剣で他者を威圧するしかできないような輩もまた、傭兵と呼ばれるのだ。
それでも彼らは暴力の専門家で、一般の市民が彼らに抗するのは難しい。
彼らが限度を守っている限り、そうそうは官憲も手を出してはこない。
実際に彼らの行いが、他所の無法者の侵入を防いだり、さしたる混乱も無く人集めができたり、盗賊にでも堕ちるしかない連中に仕事を与えたりと、それなりに社会的意味のある活動をしている部分もある。
そんなクソみたいな言い訳、アイリ・フォルシウスには全くもって通用しないのだが。
「おい、そこの雑魚。ここのボスの下に案内しろ」
なんて台詞をドチビの女の子が抜かしたとて、強面の傭兵様が言いなりになる謂れは無い。
無いのだが、馬鹿かお前とせせら笑った代償として、縦まっぷたつに叩き斬られ、守っていた鉄の門を捻り折られ突破されてしまったのだから、彼らがこの受難を避けるためには、ドチビの女の子相手でも一定の配慮が必要だったのだろう。
ご愁傷様、と呟くのはアイリに付いてくるよう言われた、鍛冶場から一緒にいる男だ。
この男が居るのだから、アイリはこの男の案内に任せれば良かったのだろうが、そんな穏便に済ませるつもりは毛頭無いアイリは、向き合った全ての傭兵を斬り殺して先を進む。
殴り込みだ、との叫びが屋敷内を飛び交う中、アイリは悠々と屋敷のボスの部屋へ。
部屋も広く、調度品も良いものが揃っているこの部屋には、血相変えた傭兵たちが十人集まっていた。
「頭! コイツです! コイツが殴り込みに来たんでさ!」
なんて叫び声は、アイリが傭兵を次々斬り殺すのを見て、泡を食って逃げ出した男のものだ。
傭兵たちの頭は、それはそれは眼光の鋭い男であった。
「殴り込みだあ? てめえ、どこのモンだ」
アイリの見た目にも誤魔化されず、頭は凄んだ声を出す。
「第十五騎士団、アイリ・フォルシウスだ。貴様の部下が私にちょっかいをかけてきたのでな、いかなる事情かを聞きに来た」
当たり前だが、頭はアイリを襲った連中の動向を把握していたし、そうなるよう動かしたのも頭の考えだ。
ただ、彼が少し驚いていたのは動いた時期が早すぎたせいだ。
彼らに資金援助をしている大口スポンサーであるヘルゲ・リエッキネンから頼まれているのは、闘技場の日に仕掛けてアイリ・フォルシウスが来れないようにすることだ。
ぎろり、と頭が睨むと、アイリと共に来た男は首をすくめてアイリの後ろに隠れる。
「いや頭、申し訳ねえ。ですがもう、どうしようもねえ。いや、どっちにしろ一緒だったわ。早いか遅いかの差でしかなかったわ。なあ頭、俺たちはさ、この人にケンカを売るって決まった時にもう、終わっちまってたんだよ」
「何をわけのわからねえことを……」
「頭ぁ、不思議に思わなかったんですかい? 三千人に三人で突っ込んで、六百人殺したって話がどんだけ狂ってるかって。俺はね、見たんですよこの目で。三千に突っ込む兵士ってのがどんなシロモノなのかって。俺たちは、絶対に触れちゃなんねえもんに触れちまったんだ。たとえ、元帥閣下に弓引くことになろうとも、この人に逆らっちゃなんなかったんだ」
「てめえ!」
元帥の名を出したところで頭が激昂する。
だが今更だ。男は自分が聞き知った話全てをアイリに話してある。
男はアイリに向かって頼んだ。
「すんませんアイリさん。頭以外、一瞬でコイツら皆殺しにしてくれやせんかね? アレ見せてやれば頭も名の知れた傭兵だ、抵抗の無意味さをすぐに理解できると思いやす」
「ふむ、良かろう」
言うが早いかアイリは動く。
もちろん室内に居た十人の傭兵は皆臨戦態勢であった。
それでも、アイリの初撃を視認できた者は居ない。
二歩踏み出し、腰より剣を抜きざま振り上げただけの動きを、誰一人、目で追うことができなかった。
そこからはもうどうしようもない。
低い背を活かし死角を縫うように動き回るアイリが、剣を振るう度に傭兵が死ぬ。
最初の男から力が失われ床に倒れ伏すのと、最後の一人をアイリが斬るのがほぼ同時であった。
アイリは何事も無かったかのように頭の前に立って問うた。
「どうだ、見えたか?」
頭はその後、屋敷中の傭兵をアイリが皆殺しにしている間も、一切文句もつけず、鍛冶場から伴った男と共に無言でアイリの後に続いた。
ただ、最初に一度だけ、頭はアイリに訊ねた。
「あの、どうして、他の連中を皆殺しになさるんで?」
「貴様らは敵、元帥の手先であろう? 実に業腹な話だが、元帥を斬ることはできぬ。なのでな、こちらに手を出せぬようその手足を切り落としていこうと思っておるのだ」
「そ、そんなに表立って元帥閣下と事を構えると」
「ふっかけてきたのは向こうだ。前も、今も。あれが宰相閣下の盟友でなければとうに殺しておるわ」
頭は、コイツは腕っ節も狂ってるが頭もおかしい、とまっとうな対応を諦めた。
アイリは屋敷の傭兵をあらかた殺すと、鍛冶場から伴った男に命じて頭を縄で拘束する。
男は不要だと思ったのだが、アイリの目は、頭にはまだ逆らう余地があると見ていた。
これは頭がアイリの実力を理解できてない云々ではなく、この頭の人間性が、最後の最後で開き直れるようなモノだとアイリには思えたのだ。
こうしてアイリは二人の捕虜と一人の協力者を伴い、闘技場へと向かった。
アイリが、縄でぐるぐる巻きにされた二人の男を引きずり、一人の青ざめた顔をした男を伴い現れると、イェルケルは見なかったことにして逃げ出したいのを堪えながら訊ねる。
「で、今度はいったい何があった?」
つい先日のアイリによる教会大虐殺で、治安担当者にめちゃくちゃ嫌味を言われたイェルケルが警戒しきった顔でそう言うと、アイリは特に悪びれた様子もなく答える。
「実はつい先程、狼藉者に襲われまして」
「何?」
「その親玉を捕まえ、更に上の者がいるというのでこうして出向いてきたわけです。殿下、ここには確か、ヘルゲ・リエッキネンも居るのでしたな」
「アレの差し金だと? 襲われたってことは、殺しに来たのか?」
「殿下を人質に取ったと言って殿下の短剣を見せて来ました。そのうえで私を手篭めにしようとしたようです」
「馬鹿め」
「まったくで」
闘技場内には会議を行なう場所や食堂、貴族用の待合室といった施設も整っている。
ヘルゲは側近たちと共に貴族用待合室の一室を借り切っている。
そこに、イェルケルはアイリと捕虜たちと共に向かう。
ノックと共にイェルケルの来訪を告げると、室内が少しにぎわった後、中へと通される。
部屋の中にはヘルゲのほか、側近の騎士が二人と、ヘルゲが雇ったらしい傭兵が五人居た。
全員の目は、イェルケルとアイリではなく、アイリが引きずっているぐるぐる巻きの捕虜二人に向けられていた。
最初に言葉を発したのはイェルケルではなく、アイリであった。
「ヘルゲ・リエッキネン。コレらが貴様の指示に従い、私を襲ったと言っておるが、真か?」
職人の方は知らぬだろうが、もう一人傭兵の頭はヘルゲも見知った顔だ。
アイリは言葉を続ける。
「こやつらは良くやったぞ。この私を相手に、勇猛果敢に挑み倒れ、それでも尚と食らい付いてきた。貴様の配下か? 良い部下を持ったな。皆、主に忠義を示さんとあらん限りの力を振り絞り、遂には命をすら、出し尽くした」
ヘルゲとその一党は無言のままアイリを睨む。
「皆、だ。誰も彼も、皆死んだぞ。襲ってきた馬鹿共も、この傭兵たちが詰めておった屋敷の者も、誰も彼も全てを殺した。なあ、ヘルゲ・リエッキネン? お前は、この者たちの忠義に、応えることは無いと言うのか? おい、何か言ったらどうだ? それともリエッキネン家は、忠を尽くし仕えた者に、かける言葉すら無いというのか?」
ヘルゲは、深呼吸を一つ。
おもむろに、口を開いた。
「おい、イェルケル。このチビはお前の所の騎士か? 口の利き方も知らんでは言葉をかけてやるのも気分が悪い。次までに直しておけ」
まっすぐにアイリを睨みつけたままヘルゲは言う。
「で、だ。貴様が何を言っているのかわからんな。ソイツが何をしたのかは知らんが、私の知ったことではない。部屋に転がされても目障りなだけだ、とっとと連れ出した後、どうなと好きにすればいい」
アイリは面白いものを見たと言わんばかりに口の端を上げる。
「ほう! それはそれは! コヤツらは騎士位を持つこの私を狙った悪党でしてな! 事もあろうに殿下の短剣を盗み人質に取ったと、こう抜かしたわけです! である以上、死罪は免れませぬし、関わった者にも処罰が下されましょう! いや、大変結構なことです! こんな事件にヘルゲ殿が関わっていたとなれば元帥閣下にも多大な迷惑がかかりましょうからな!」
言いたいことを言うと、アイリは捕虜を引きずり部屋を出る。
イェルケルはこれに続いたが、部屋を出る直前、ちらとヘルゲの表情を盗み見ると、それはそれはもう、とてもヒドイ顔をしていた。
これを見れただけでもう、アイリを怒る気が失せたイェルケルだ。
イェルケルとアイリは捕虜二人と降った男と共に、闘技場内の一室に入り、そこでアイリが状況の説明を行なった。
今日最初に闘技場に入った時、イェルケルはヘルゲとの対面に備える、とか言われ双方武器を預けるという話になっていた。
この時短剣も預けたのだが、どうやらこれを持ち出したようだ。
この話を持ちかけたのはヘルゲ陣営であるというのだから、状況はもう真っ黒であろうが、ヘルゲほどの貴族が否、と言ったらそれは否になるのである。
だが、だからこそあそこで関係を否定したのはアイリにも驚きであったようだ。
「殿下から聞いただけではただの馬鹿貴族でしたが、どうしてどうして、挑発にも乗らず、情にも流されず、面目に引きずられることもなく、良くぞあの場面で自制できたものです」
「ああ、私もアイツの成長には驚いている。あそこまで言えば、部下たちの手前かっこうつけたがると思ったのだが、いやはや、面倒な相手になったものだ」
「ま、先方の許可も出たことですし、心置きなく手足を潰しにかかるとしましょうか。私はコレらを連れて役人たちのもとへ向かうとします」
「そっちの後始末、手伝わなくても大丈夫か?」
「教会の時、なかなかに使える役人を見つけておきました故、それほど手間はかかりますまい」
「わかった。なら私は闘技場で打ち合わせを終わらせておくよ」
かくして、王都で大いに幅を利かせていたクジャン傭兵団とその郎党は、アイリただ一人に壊滅させられることとなったのだ。




