060.王都最強チンピラ決定戦、開始
アイリ・フォルシウスがその日鍛冶屋を訪れたのは、以前から頼んであった剣を受け取るためであった。
サルナーレの戦いが終わり褒賞金を得たアイリは、この鍛冶屋に大量の金を渡し、ありったけの技術を用いて考えうる限り最も硬い剣を作るよう依頼してあった。
鍛冶屋は、そんなことをしたら重くて持てなくなると言ったのだが、アイリの膂力を見せてやると彼はすぐに作成に取り掛かった。
アイリの要求は、最早新しい技術を開発するようなものであった。
なので時間がかかっていたのだが、試作品ができたので是非すぐにでも見に来てくれ、と昨晩遅くに職人が来たのだ。
アイリは待ちかねたと翌朝一番で鍛冶屋に向かおうと思ったのだが、彼によれば翌日は昼過ぎまで鍛冶屋には誰も居ないそうな。
申し訳なさそうに、来るのならば昼過ぎにお願いします、と言った彼に、アイリはわかったと答え、昼過ぎに向かうと伝えた。
今日はイェルケルは闘技場にて追加発生した問題の話し合いがある。
これには宰相側の人間も参加するので、イェルケルのことはさほど心配はいらないだろう。
レアも今日は用事があるらしいのが少し気になったが、イェルケルも構わないと言うのでアイリは鍛冶屋に向かうことにした。
イェルケルも硬い剣には興味があるようで、アイリを急かすようでもあった。
アイリ、イェルケルに限らず第十五騎士団の面々は、剣にそれほど拘っていない。
というより拘れないのだ。結局は折れてしまうのだから。
だが、より硬い剣があるというのなら、わざわざ敵から奪う手間が省けるというもので。
どうせ携えるのならそうした長く使える剣が欲しいと思うのだ。
当たり前のことだが、屋敷を訪れた職人にも怪しい素振りは見られなかった。
なのでアイリはこれといった警戒もせぬまま鍛冶屋の中へ入る。
案内をしてくれた職人は、アイリの屋敷を訪れた者だ。
彼はアイリを鍛冶場の中まで招き入れる。
そこは特に大きな音を立てる場所であるからして、ここでの大きな音を気にする者はいない。
部屋も広く、かなりの人数が入ることができるだろう。
そこにぽつんと、アイリと職人の二人が立っている。
職人は少し待つよう言うと、部屋から外に出ていった。
彼の恐ろしい所は、こんなに側に寄っているというのに、一切アイリを恐れる気配を表に出さなかったことだ。
彼もまたアイリの尋常ならざる力を知っているというのに。
職人が立ち去るとすぐ、鍛冶場に二つある入り口からぞろぞろと人が部屋に入ってきた。
「いやぁ、思ったより簡単だったなおい」
「アイツ、なかなかやるじゃん」
「はあ? 引き込みなんて誰にでもできんだろ」
「お前はそんなだからいつまで経っても頭に相手にされねーんだよ」
「おお、おい、俺、あの子マジ好み。すっげ、何この天国」
「はあ? そうかあ? つかガキじゃん、ただの」
「ばっか、ああいうのひーひー言わせるのが楽しいんだろ」
「あーわかるわー。如何にもな貴族顔だしな。しかし、これ売っ飛ばした方がいいんじゃねえのか、下手に手出して値が下がったら笑えねーぞ」
「うるせーよ、役得もなくこんな所来れるかよ。俺ぁよう、昨日は女無しにして我慢してきてんだからよ」
「おめーは金がねーだけだろーが。ま、俺もタダでできるからって来たんだけどさ」
口々に勝手な事を抜かす彼らが、何者なのかはまるでわからないが、とりあえず。
敵であることと、殺しても良さそうだ、ということだけはアイリにもわかった。
レア・マルヤーナは少し浮かれてしまっている自分に、一応気付いてはいた。
ただ、それを自制する方法を知らなかっただけだ。
なので騎士学校の元同級生が、剣術を教えてもらうために時間を割いてくれないかと持ちかけてきた時、レアはこれも騎士学校との友好のためと気安く引き受けてしまっていた。
実に愚かなことに、レアは宿を出るその時もまるで彼らを疑ってはいなかった。
それが少しずつ不審に思うようになったのは、来るよう言われた場所に近づいてからだ。
今までレアはこの辺りに来た事は無かったので知らなかったが、あまり綺麗とは言い難い街並みだ。
少なくとも貴族が出歩くような場所とは思えない。
それでもまだレアが街並みを警戒しても、約束を警戒しなかったのは、これを持ちかけてきたのがあの講演の後、レアに真っ先に謝り、そして今の成功を喜んでくれた生徒だったからだ。
レアは彼が騙されている可能性に、思い至ることができなかったのだ。
彼のレアへの好意は事実であり、レアがこれを疑わなかったのも正しい判断であったのだろう。
だが、レアへと忍び寄った悪意はそんなレアの想定を簡単に覆してきた。
レアがその場所に辿り着くと、それはもう明らかに、騙されたとわかる場所であった。
何せそこに辿り着くなり周囲を取り囲むように、すぐには数え切れぬほどの人数がそこら中の建物から出てきたのだから。
そして最後に、もったいぶって人の輪の中から抜け出てきたのは、騎士学校の講演時、レアを憎々しげに睨んでいた男たちであった。
「騎士、だと? お前のようなチビ女が? はっ、オホト殿の時とは違い、今度は上手くやってみせたらしいな。お前のような気味の悪い身体でも、珍しがって重宝する者もいるだろうからな」
レアはすぐに、レアを招いた彼はどうしたのかを聞きたかったが、ぐっと堪えた。
レアが彼を心配していると向こうに伝われば、それはきっとよくないことになるだろうから。
なのでレアが口にしたのは別の言葉だ。
「敵はこれで全部? 随分、少ないみたいだけど、これだけで本当にいいの?」
スティナ・アルムグレーンはその日、最近お気に入りの食堂に行った。
いつも特に時間を決めているわけではなく、今日も昼過ぎ頃になってから思い出したようにこの食堂に入ったのだ。
頼んだものはその日の店主のお勧め。
一口目をいただき、二口目を口にした時、あまり馴染みの無い調味料か何かの味がした。
「!?」
その正体を思い出すと、近くの小皿に中身を吐き出す。
そこらに吐き捨てない辺り、何やかやと育ちが良いのだろう。
すぐに立ち上がり、後ろに向かって座っていた椅子を後ろ足に蹴り飛ばす。
駆け寄ってきていた小男の脛に当たる。
スティナの脚力のせいで、小男はそのまま椅子ごと弾き飛ばされてしまった。
スティナが周囲を見渡すと、店に居た他の客は立ち上がってこちらを見ていた。
二人、どうやら普通の客が混じっていたらしい。
彼らは音も無く胸を刺され、殺された。
昼日中、街中で堂々と、暗殺に来たらしい。
「……案外、気付けないものね」
本職、それも歴史を積み重ねてきている本物中の本物だ。
そして今のスティナは一口分、口にしてはならない物を既に飲み込んでしまっている。
これを吐き出す猶予を、彼らは与えてくれそうになかった。
王都に古くから居る組織、赤い刃の幹部会合は昔からの伝統で、幹部の全てが一堂に会するようなことが決してないよう、誰かが必ず欠席するように調整されている。
今日の欠席は貴族担当の長だ。
代わりに彼の副官がこの場に座っている。
今日の仕切りは暗殺の長だ。
「思わしくない」
彼がいきなりそう呟くと、集まった者たちは皆小さく頷いた。
彼は続ける。
「ヘルゲ・リエッキネンから上がっている件はどうなっている?」
これには傭兵の長が答える。
「より強い戦士を要求している。金にはなるが断ることもできる」
「断れまい。戦士の手配にどれぐらいかかる?」
「闘技場の日までならば十人」
「全てそちらで使ってくれて構わん」
「手が足りないんじゃないのか?」
「我らが直接手を下すのは、スティナ・アルムグレーンのみだ。アレは良くない。アレだけは必ず真っ先に殺しておかねばならない」
「ああ、前回の会合でお主が言っておったな。こちらでも確認した、アレは確かによろしくない。いやさ、絶対に生かしてはおけん」
諜報の長がこれに口を挟む。
「惜しい才だ、最後の最後まで調略の目を諦めるべきではないのでは?」
「それならばアイリ・フォルシウスがおる。どの道、スティナ・アルムグレーンから崩していかぬことには、第十五騎士団を相手に被る損害は計り知れん」
諜報の長は、一言添えておきたかっただけなので、これ以上は抗弁せず素直に従う。
暗殺の長が告げる。
「残る二人にはそれぞれ敵をあてがってある。こちらが動くに合わせられるよう人も配した。イェルケル王子には闘技場で打ち合わせをしていてもらう。諜報の長、問題は?」
「ヘルゲ・リエッキネンが我らと同じことを考えていたようだし、目をつけた連中も一緒だった。だが、こちらが早いし深い。問題は無い」
集まった幹部たちからは、感心したような空気が。
これを代表して商人の長が言った。
「目をつけた者まで一緒だったとは。かのぼっちゃんも、成長著しいようだな。諜報の長よ、ウチでヘルゲ・リエッキネンとの取引を増やしても構わんか?」
「彼はあまりこちらを好ましく思っていないらしい。名を隠すのなら良い手だと思うぞ」
「ははは、益々気に入ったわ。今回の件が片付いてから、でいいのだな」
今回の暗殺計画は暗殺の長が強く主張してきたことだ。
通常、この手の計画立案は諜報の長が行うのだが、今回は暗殺の長たっての希望という話であったので、そちらに任せてきた。
だがいつもの動きと違う暗殺の長に、諜報の長は色々と確認をしなければならなくなった。
「ああ。暗殺の長よ、聞かせてくれ。何故、今第十五騎士団と戦うと決めたのだ? 時間をかければかけるほど、こちらに有利になるはずだろう」
「いいや、そうはならぬ。今の機を逃せば、連中は王都の無秩序の元を全て滅ぼしきってしまうだろう。我らは恐らく生き残れよう、だが、我ら以外全てが消えてしまっては、その後の活動に支障が出よう」
「何故、連中はそうまでして他所に噛み付くと考えるのだ? バルトサール侯爵を滅ぼしたのはわかる。ヴァラームでの戦もそうだ。つい先日の教会の件もだが、全て仕掛けられたことに反撃してのことだろう。能動的に動きわざわざ危ない橋を渡ってまで他所に敵対する理由がわからん」
「違う、違うぞ諜報の長よ。第十五騎士団は、放っておけぬのだ。あれだけの不可思議な武勲を挙げた存在を、金に汚い連中が見過ごすはずがないのだ」
「連中の異常な戦力を見れば、そんな馬鹿げた考えも失せよう。宰相もそう考えて闘技場の許可を出したのであろう?」
「間に合わん」
「む?」
その一言で諜報の長も察するところがあったのだろう。
確かに、王都に戻ってからさして日にちも経たぬうちに教会は完全に潰されてしまった。
しかもこれを為したのはたった一人であったと言う。
宰相の計らいで騎士学校との関係改善も進んでいるし、ケネト子爵もバルトサール侯爵の跡を継いで貴族派を糾合するなんてことはせず、イェルケルたちにすりよる姿勢を見せている。
第十五騎士団の敵は、確かにかなりの数が居るのだが、物凄い勢いで減っていってもいるのだ。
諜報の長は頷き、納得を示す。
次は商人の長が問うてきた。
「で、スティナ・アルムグレーンに負けたらどうする?」
「負ける? こちらは最初から暗殺部総がかりで仕掛けるつもりだ」
前回の会合でスティナ・アルムグレーンの危険性を説いてきたのは他ならぬ暗殺の長であった。
曰く、暗殺部ですら行えぬ困難な暗殺も、彼女ならば可能であろうと。
成功を確信されている暗殺者、なんて偶像を作り上げるのに彼ら赤い刃がどれほどの苦労と犠牲を払ってきたか。
その成果として、彼等暗殺部が単独で商売として成立するほどに依頼が来るのだ。
そして暗殺部の存在による利益は、ただ報酬にて得られるもののみではない。
誰しもが暗殺部の存在を恐れるため、他の部門を大きく伸ばすことができるのだ。
彼ら赤い刃の隆盛は、全て暗殺部の存在ゆえであると皆が理解している。
その暗殺部の存在が根本より揺るがされている。
それほどにスティナの存在は大きい。
彼らが集めた情報から出したスティナの能力は、千の兵に囲まれ尚脱出可能で、音も無く最重要区画へと忍び込める人外の化物である。
兵で防ぐこともできず、襲撃を察することもできない。
こんなものに狙われたら、生きていられる訳がない。
さしもの赤い刃暗殺部も、ここまでの怪物を育て上げることなど不可能だ。考えたことすらなかっただろう。
だが、実際にこうして出てきた以上、対処せねばならぬ。
諜報の長、そして今回副官が出てきた貴族部、更に傭兵の長も非難めいた視線を暗殺の長に送る。
それほど大きな作戦となれば被る損害もとんでもないものになる。
暗殺者一人を育てるのに彼らが割いている予算は、貴族を一人成人させるに等しい額であるのだ。
そんな虎の子たちを用いた組織の全てを賭けるような真似を、彼らは支持したくないのだろう。
そこまでの損害を被る敵ならば共存を考えるべき、といった彼らの視線に暗殺の長は真っ向より向かい合う。
「我らがこれまでしてきたことを思い出せ。こちらが第十五騎士団より劣るとなれば、第十五騎士団はもちろん、宰相も我らの存在を許しはすまい」
諜報の長は渋い顔のままだ。
「以前から言われている宰相直属の諜報機関か。予算も無い、人も居ないでどうやって組織を運営する。我らよりの結論は以前にも言ったな、それはあくまで噂だ」
「このカレリアに第十五騎士団はいきなり現れてきた。そのために予算や人員を割いた部署がどこかにあったか?」
あれは例外だ、と誰もが言いたかったのだろうが口にする者は居ない。
第十五騎士団はあまりにその存在が異質過ぎて、例えとして相応しい対象とは思えないのだ。
実際幾ら調べても誰かが狙ってアレを作り上げたという話は出てこない。
暗殺の長の言葉の理は、皆わかっている。
それでも踏ん切りがつかない。
だから商人の長は彼らの背を押してやるため、口を開いた。
「もし暗殺部が敗れたならば、我ら赤い刃は大きくその活動を封じられることになろう。だが、隠れ里はあるし、我ら他部門も即座に壊滅するわけでもない。金があれば再起はできる。暗殺の長よ、全力を尽くすのは構わぬが後に続く者のこと、考えて作戦は立ててくれよ」
「無論だ。もし万一のことがあろうとお主らに迷惑はかけぬ」
「我らは同胞だ。迷惑などと言ってほしくはないが、我らが生き残るためには絶対に必要なことなのだ。負担をかけるが、どうかよろしく頼む」
最悪の事態にあっても、続くビジョンが持てたことで皆納得はしてくれた。
後は、赤い刃が誇る暗殺部の力を、信じるのみである。




