006.王子、女騎士達を迎え入れる
石畳の道を荷馬車がひっきりなしに往来し、その脇を幾人もの人が、何がそんなに忙しいのか足早に道を歩いていく。
出店が禁止されている主道を少し外れると、そこには所狭しと露天商が店を広げ、食料品から生活雑貨から、胡散臭い魔法の品までが並べられている。
王都の賑わいはいつ来ても変わらないもので。
ほんの十日も空けていただけなのに妙に懐かしい気がする。
イェルケル、スティナ、アイリの三人は主道を王城に向かって進む。
奥に行くにつれ周辺の建物の造りがより高級なものへと変化していく。
こうなってくると、徐々に往来も少なくなってくるが、それでもその建物、元帥府の周囲は相変わらず賑やかで、先程通った大通りの騒がしさは全く気にならなかったというのに、その庶民ではなく貴族が集う故の独特な賑やかさは、これが妙に理不尽に感じられるイェルケルである。
「生きて、戻ってきたなぁ」
スティナはイェルケルのように感傷に浸ったりはしていない。むしろつまらなそうに見える。
「あの程度ではさすがに殺られてはあげられませんよ」
まったくだ、と頷くアイリに、イェルケルは訂正と抗議を。
「いや、死ぬかと思ったのは辺境領ではなくラノメの山なんだが。お前らなぁ、てっきり初日が一番キツいかと思ったら、二日目以降のがよっぽどヒドかっただろーが。なんだあの毒霧の谷は、この世の終わりの風景としか思わなかったぞアレ」
三人はイェルケルを先頭に残る二人が後ろに従う形で元帥府を訪れる。
元帥府、大鷲騎士団の部屋を訪ねると、以前来た時と同じ配置に騎士団副団長が座っていたが、イェルケルたちを見て文字通り飛び上がって驚いていた。
「で、ででで殿下!? イェルケル殿下ですか!」
「はい。任務の報告に参りました」
副団長は大いにうろたえた後、三人を応接室に通し、しばし待つよう言って退室した。
お茶の一杯も出されぬまま待たされ、副団長が戻ってきた時は十人の騎士を引き連れてであった。
「お待たせして申し訳ありません殿下。では、報告を聞きましょう。他の者たちがおらぬことも含め、詳細にお願いしますぞ」
騎士たちは半数が騎士団運営に携わっている重鎮たちで、残る半数は特に腕が立つと言われている猛者たち。
彼らに囲まれ、尋問でもされるような刺々しい雰囲気の中、イェルケルは起こった出来事を報告する。
時折、騎士たちの中から失笑が漏れるのは、三十人の騎士を三人で倒しただの、三人のみで容易くサルナーレ辺境領を突破しただの、ラノメ山中を抜けてきただのの話をした時だ。
イェルケルにも彼らの気持ちは理解できる。腹の立つ話ではあるが、確かに信じられぬことばかりなのだから。
最後に副団長は念を押す。
「……殿下。確認いたしますが、本当にそれが報告でよろしいんですね? これは元帥にはもちろんのこと、宰相閣下にも上がる報告なのですよ。今ならまだ訂正もできますが」
嘘つくんならもっとマシなものにしろ、と言下に言っている。
それでも他に言いようのないイェルケルは、できるだけ誠実に見えるような顔で返事をする。
「ご配慮ありがとうございます。ですが、私からの報告は以上です」
「そうですか。では後日、恐らくもっと大きな形で事情を聞くことになると思いますのでそのつもりで」
三人が退室すると、すぐに部屋の中から笑い声が聞こえてくる。
イェルケルはスティナとアイリを伴ったまま元帥府を出る。
「二人共、この後用事はあるか? 特に無いのなら私の屋敷に来ないか? 無事帰還の祝いをしたいと思うのだが」
スティナは、イェルケルが初めて見る、張り付けたような笑顔をしていた。
「殿下。あのクソ共を全員闇討ちしたとして、バレないで済む方法って何かありませんか?」
「おーい、いきなり何言い出すんだー」
アイリも無理やり無表情を作ろうとして失敗し、頬がひくつき額に青筋が二つも三つも走っている。
「殿下。元帥府には今何人が詰めておりましたでしょうか。全部殺せば、足はつかないと思うのですが」
「そういう不穏な台詞はせめて私の屋敷に着いてからにしてくれっ! と、とにかく一度このまま屋敷に行くからな、いいな」
むすーっとした顔の二人を引きつれ、イェルケルは自分の屋敷へ向かう。
元帥府を出た所で、息を切らして駆けてくる者がいた。
「ヘルゲ、か」
イェルケルは心底から面倒そうに顔を歪めるが、仲間二人を引き連れ走って来た青年貴族、ヘルゲはイェルケルを見るなり驚きに目を見開く。
「ば、馬鹿な!? どうしてイェルケルがここに!?」
「……悪かったな、生きてて。辺境領を突破して、どうにかこうにか逃げ出してきたんだよ」
それに、とイェルケルは意地の悪そうな顔で笑う。
「こういう時は、たとえ社交辞令でも無事を喜ぶもんだぜ、なあヘルゲ」
イェルケルからの揶揄に、ヘルゲはあっさりと激昂する。
「ふ、ふふふふざけるなよ! お、お前っ! おじい様のご予定を崩しておいてタダで済むと思うなよ!?」
「ほう、なるほど。今回のコレは元帥閣下のさしがねであったと?」
「は? あ、ああ、それは、まあ、おじい様ならそのぐらいできるって話で……そ、そんなことより! イェルケル! お前相当無茶苦茶な報告上げたらしいな! 副団長殿、本気で怒っていたぞ!」
「そんなことって。というかお前、どっから報告聞きつけてきたんだよ。ついさっきの話だぞ」
「うるせえ! デタラメな報告なんて上げやがって! どうせ辺境領には行かないでどこかに隠れていたんだろ! は、ははっ! 女連れで任務も放棄、挙句騎士たちが皆死んだら連中に責任押し付けてってか!? 最低だよなお前!」
先日会った時はそこそこマシになったような気がしたのだが、やっぱりコイツ学生の頃と全然変わってないなー、とイェルケルはヘルゲの暴言を聞き流していた。
だが、今日はこの場に居るのはイェルケルだけではないのだ。
背後から剣呑な気配が漂い出すのに気付いたイェルケルは、ヘルゲに聞こえても構わぬと普通の声の大きさで後ろも見ずに言った。
「ヘルゲが抜くまで動くなよ。もちろんその時でも、お前たちの相手はお付きの二人だ」
イェルケルの声に、ヘルゲのお付きの騎士二人が緊張に身を堅くする。この二人はヘルゲ付きであり何度もイェルケルと顔を合わせているので、イェルケルの尋常ではない剣捌きをよく見知っているのだ。
後ろからの澱んだ気配がより濃くなった。スティナとアイリは、待て、ではなく、斬って良いと受け取った模様。さっさと抜けと、言葉ではなく殺意で言っている。
まあ、ヘルゲは後ろの騎士との三人がかりでもイェルケルには絶対に勝てないとわかっているだろうし、抜くことはまず無いと知ってて言った言葉でもあるのだが。
案の定、ヘルゲは不愉快そうに顔を歪めるも、剣に手を付けようとはしない。
「あの報告なら、お前を追い詰める手は幾らでも出てくる。お前、もう終わったぜイェルケル」
「俺が辺境行く前も、そう思ってたんだろお前。なあ、行く前に言ったよな、久しぶりに手合わせしてみるか? もちろんいつも通り手加減はしてやるぞ」
ヘルゲは、イェルケルの前で地団駄を踏む。本気でそうやる奴をイェルケルは初めて見た。
苛立たしげに何度も何度も足で地面を踏みつけている様は、別の意味で怖いものがある。
「ちくしょう! お前絶対後悔させてやるからな! チクショウチクショウ! いつもいつもよう! お前! 絶対許さねえからな!」
コレを宥めるのは間違ってもイェルケルの仕事ではない。溜飲も下がったことであるし、とイェルケルは踵を返しスティナとアイリがそれに続く。
ヘルゲはいつまでもその場で、喚き散らし続けていた。
イェルケルの屋敷は王族のそれとは到底思えぬような小さなもので、スティナやアイリの持つ一般的な貴族邸宅と比べると半分ほどの大きさしかない。
それでも使用人の心がけが行き届いているのか屋敷は清潔で庭は整っており、スティナとアイリが案内された食堂も、採光や飾られた花などのおかげで小洒落た部屋に仕上がっている。
二人の機嫌は直らぬまま。イェルケルは席につくと苦笑する。
「二人共、あの手の嫌がらせは経験が無いか?」
スティナ、アイリも素直に席につくが、仏頂面はやはり崩れず。アイリがわかりやすく怒りを顕にする。
「少なくとも私は。まったく、人の武勲をなんだと思っておるか」
スティナはそっぽを向いたまま。
「……ありますけど。不愉快なものは不愉快なんです」
スティナの失礼な態度も、慣れてくれたからこそと思うと、むしろ嬉しく思えてくるイェルケルである。
「私は騎士学校でずっとそうだったからな、今更怒る気にもなれんよ」
イェルケルの言葉に、アイリは不思議そうな顔をした。
「気になっていたのですが、イェルケル殿下は、その、あまり王族という立場を尊いものと思っておられぬように見受けられるのですが……」
「実際大したことはないよ。王子の数だけでも十人以上居るんだ、有り難味も何もあったもんじゃない」
それはスティナも気になっていたのか彼女も参加してくる。
「とはいえ王族は王族ですわ。普通の貴族からすれば、経済力云々がどうあろうと恐れ敬う部分はあると思います」
「そうかぁあああああああ?」
イェルケルらしからぬ顔が歪むほどに不満げな表情。よほどスティナの言葉が信じられぬらしい。
スティナは真顔で訊ねる。
「いったい、騎士学校で何があったんです? あそこかなり高位の貴族子弟でないと入れない場所ですよね」
今度はイェルケルがそっぽを向く番であった。
「私は学校に入る前から、学校で優れた成績を残せねば王族の面目が立たぬと思い、ずっと訓練を行っていたのだ。なのに学校に入って周りの奴らはどうかと思えば、ロクに走ることもできずあまつさえ重い剣は腕が疲れるなんて寝言を抜かす馬鹿まで居るんだぞ。入学から一週間で私が味わった絶望がどれほどのものだったか」
アイリはイェルケルとその辺りの感性が一緒なのか、同じように憤慨する。
「何と。信じられませんな、仮にもカレリア王国の未来を担う騎士見習いたちがそのような体たらくとは」
スティナだけは、現実とはそんなものだと見切っていたので、一々腹を立てることもなかった。
「それで、殿下はそいつらに言ったんですか? 怠けるなって」
「馬鹿を言うな。私にだって最低限の社交性ぐらい備わっている。私の不満が態度に出てしまわないよう苦労したものだ」
「それじゃ、もしかして入学当時から剣の技術とかは一番でした?」
「もちろんだ。競う相手すら居なかったので、私は目標を教官たちに変えたぐらいだ」
「……嫉妬も、あったんでしょうね」
「私もいっそ手を抜くなんて真似ができれば良かったんだが、どうしても、な。カレリアの将来を担う騎士学校で手を抜かねばならぬという事実に、納得ができぬままずるずると卒業まで行ってしまったのだ」
スティナがイェルケルの拘りを切って落とす。
「そういう所が疎ましく思われたんじゃないですか? 俺はお前らとは違うなんて顔されたら、そりゃ誰だって愉快ではないでしょうに。しかもその相手は誰より優秀なんでしょう? 殺意が生じていても不思議はありませんね」
「……見てきたように言うな」
「まさか、推測しただけですよ。ただ一つだけ言えることは、実は私も入学希望してたんですが入れなくてほんっっっっっとに良かったなと」
イェルケルが文句を言おうとしたところで、使用人たちが食事と酒を運んできてくれた。
不思議だったのは彼らが皆一様に笑顔であったことだ。
何か良いことでもあったのか、と後でイェルケルが彼らに聞いたところ、イェルケルが本当に楽しそうに話す相手を屋敷に連れてきたのが嬉しかったんだそうで。イェルケルは気恥ずかしさで使用人の前で赤面するハメになった。
食事内容は可も無く不可も無くであったが、使用人たちが相当気合いを入れたのだろうことは伝わってきた。
これらを口にしワインを楽しみながら、歓談は続く。
とはいえ貴族の歓談というよりは、最早庶民が酒場で騒いでいるのと大差ない状態であったが。
アイリはワインを一息にあおった後、勢い込んで話し出す。
「ですからっ! 殿下は王族の一員なのですし、此度の手柄をもって騎士団でも作ってしまえばよろしい! 騎士団は軍とは独立した組織ですから、元帥が何を言おうと最早恐れることはありませぬ!」
「そう簡単に行くかっ! そもそも騎士団作ったとて兵を集める金も維持する金も無いのだぞ!」
「そんなものさっさとどこぞに出兵して再び手柄を立てればいいでしょう! おお、ちょうど辺境領も叛いたことですし討伐に名乗りをあげれば良いではありませんか!」
「成り立て騎士にそんな重要任務与えてくれるわけないだろうが! 後私は兵の募り方など知らん!」
賑やかに怒鳴りあうイェルケルとアイリ。これを眺めながらワインを飲むスティナに、使用人がおかわりを注ぐ。
その使用人の表情が本当に嬉しそうなのを見て、スティナは彼に問うた。
「あの二人の怒鳴りあいがそんなに楽しい?」
「ああ、いえ。殿下があのように夢中になって大声を出されるなど、ご幼少の頃以来でして」
「色々と苦労してるみたいね、殿下も。領地の経営、そんなに上手くいってないの?」
「私の口から申し上げられることはありませんが……殿下の騎士としての給金が頼みの綱でございます」
年や立場に似合わぬ落ち着いた様子は苦労故なのだろうか、とスティナは少ししんみりとしてしまったが、気を取り直して怒鳴りあいに参加することにした。
「殿下、もしお金が無いのが問題なら、私が国内の盗賊団の所在調べてきますから、そいつら退治して資金集めましょうよ」
「とーぞくの上前跳ねるとかお前それ盗賊よりタチ悪いだろうがっ!」
「別に退治しないとは言ってませんよ、失礼なこと言わないで下さい。きちーっと皆殺して国内治安の健全化に一役買いましょう。ただ、盗賊が溜め込んだ資金を過少に報告するだけですっ」
「王族が率先して不正を行ってどーする! ……それはそれとしてスティナ。盗賊の所在、調べられるのか?」
「有名どころでしたら。基本的に連中、軍隊動くとなるとゴキブリみたいにさっさと逃げ出しちゃいますけど、少数で乗り込むなら捕らえることは可能ですわよ」
「うーむ。ああ、いや、資金奪うとかではなく、普通に退治しても褒賞金やら地元からの援助やらが期待できるからな。しかし、少数前提か……」
「そんなもの、私とアイリと殿下の三人だけで充分でしょう。突っ込むのは私たち二人でやりますし」
イェルケルは、そこで言葉が止まる。
考え込んで、それで、遂に耐え切れずこれまで我慢してきた言葉を口にする。
「なあ、スティナ、アイリ。お前たち、私の騎士になるつもりはないか?」
そう言われたスティナとアイリは、目を大きく見開いてイェルケルを見返す。
すぐに返事は無い。イェルケルは言い訳したくなるのを懸命に堪え二人をまっすぐ見つめる。こんな席で、こんな場所で、こんな時に口にしてしまった言葉であるが、せめてもそれがイェルケルの真意であることだけは伝わってもらわねばと。
スティナは探るような目を向ける。
「……本気、ですか?」
「ああ。お前たちの事情もわかった。そのうえで、私の下に来てほしいと思っている」
そんなやりとりを交わした二人は、すすり泣く声が聞こえ驚きそちらを見ると、なんとアイリが目を擦りながら泣き出しているではないか。
大慌てのイェルケル。
「ど、どうしたアイリ。な、何かとんでもない失礼でもあったか?」
泣きながらぶんぶん首を横に振るアイリ。
「い、いえ……その、殿下。ひとつ、私の浅ましい話を聞いてください」
「う、うむ」
「私たちが騎士見習いから騎士になるのは、とても難しいことでしょう。たとえ手柄を立てたとしても、やはり騎士として貴族に復権するのは難しいと思っておりました。ですから、こうして殿下のお屋敷に招かれた時、期待を、してしまっていたのです。もしかしたら殿下は、私たちを自身の騎士にと言ってくださるのではと」
私たち、と言われているスティナは口を挟まず。
「殿下はご自身が王族であることを卑下なさいます。しかし、王族である殿下には私たちを騎士として、貴族に戻す力がおありなのです。だからこそ、私は殿下が自らを低く見られていることが嫌だったのです」
イェルケルもまた無言のまま。
「結局のところ、私は殿下のためのようなフリをしながら、全ては自分のためにそうしていたというだけだったのです。そんな私を、殿下は全ての事情を知ったうえで本当に騎士にしてくださるという。もう、私は自分が恥ずかしいやら、情けないやら……」
まだ少しぐずっているアイリに、イェルケルは優しく問いかける。
「わかった。で、どうだアイリ。君は、私の騎士になってくれるか?」
勢い良く顔を上げ席から立ち上がるアイリ。
「よ、喜んで!」
一つ大きく頷いた後、今度はスティナの方に向き直る。
「スティナ、君はどうだい。私の騎士になってくれないか」
スティナもまた優しく微笑み返す。
「ええ、もちろん。喜んでお受けさせていただきますわ」
「そうか。ありがとう、二人共」
騎士の叙勲には様々な作法と手法があり、略式ならばここで今二人にそうすることもできた。
だが三人共が、いずれ後で儀式は行うにしても、今そうする気にはなれなかった。
騎士の誓約と誇りと、といったものではなく、もっと何か暖かいもので結ばれたいと、三人共が思っていたからだ。