056.受身の切なさ
スティナから話を聞いていて、イェルケルは一応覚悟は決めていたつもりだった。
だがこうしていざ自分の屋敷の前にヘルゲを出迎えると、どうにも不愉快の虫が蠢きだしてしまうもので。
「……お前が俺の屋敷に来るとはな。茶なぞ出ないが構わんな」
「門から中に入れようともしないで茶もクソもあるか馬鹿が」
ヘルゲがイェルケルの屋敷に来る。
そういった先触れがあったのでイェルケルは、間違ってもヘルゲを屋敷の敷地内に入れたりしないよう、自分が門の前まで出向いてこれを迎えた。
実に大人気ない扱いであるが、学生時代からこれまで被った迷惑を考えれば、イェルケルとしては話をしてやるだけありがたいと思え、と言ってやりたい気分である。
ヘルゲが後ろに従えている十人近い戦士たちがここぞとばかりに色めきたっているが、ヘルゲは彼らに何も言わないので彼らもまた動くに動けない。
「で、用事はなんだ。聞きたくもないが、さっさと言え」
「お前……まあいい。イェルケル、お前の所の騎士団に、最近入団希望者が多いんだってな。驚いたよ、大した人望じゃないか」
「俺はお前といつまでも話なんてしていたくないんだ。さっさと本題を言え。闘技場、借りたんだろ? なんに使うつもりなんだ?」
イェルケルの言葉に、ヘルゲは驚き目を丸くする。
これまでイェルケルにこの手の諜報能力は絶無であったはず。
「へぇ、良い部下見つけたみたいだな。どれだ? チビかデカか? それとも新入りか?」
「お前の知ったことか。ああ、もういい。用件は知ってるから答えだけ言う。いいぞ、受けてやるから細かい調整はウチの部下とやってくれ」
「……はっ、そりゃ話が早いことで。んじゃお前は俺の申し出を受けたってことで……」
「調整次第では申し出を蹴ってもいいと部下には言うつもりだ。せいぜいまっとうな条件にすることだな。俺は別に逃げたと言われようと構わない。お前がそれで大損してくれるんならそっちの方がいいくらいだ。なあ、ヘルゲ、忘れるなよ。こっちはもう騎士団なんだ、あまりにナメられるようなら相手が何者だろうと前に出るしか無くなるんだからな」
「ほうほう、騎士団長様は脅しも様になってやがるな。だが、こっちもそいつは同じだ。テメェに逃げ腰野郎って看板つけられるんなら、軍に借りを作るぐらいどうってこたぁねえよ。闘技場のイベントは次の案を実行すりゃ出した金の回収ぐらいどうとでもなる。いいか、忘れるなよイェルケル。俺は、てめぇみたいな雑魚王族じゃあねえ、リエッキネン家のヘルゲ様なんだよ」
二人はにらみ合った後、ふいっと同時に顔をそらした。
細かな条件の話し合いはこの場に同席したアイリと、ヘルゲの代理人とで行われることとなった。
ヘルゲの後ろの戦士たちから次々と放たれる挑発の言葉全てを無視しながら、イェルケルはヘルゲのことを考える。
『しかし、ヘルゲの奴随分と成長してくれたもんだな。学校に居た頃はもう馬鹿貴族丸出しだったのが、今じゃいっぱしの騎士様に見えなくもない。時々、ガキっぽい昔のままな所も出てくるが、どうしてどうして、妙に手ごわくなってる』
だが、と捨て台詞と共に屋敷の前から去っていくヘルゲを見てイェルケルは思う。
「こんっなにも成長が嬉しくない知人ってのも珍しいな」
今回、ヘルゲはいつもの貴族の取り巻きではなく、おそらくは国中からかき集めたのだろう戦士たちを連れてきていた。
いつもの取り巻きたちは、最悪の場合ヘルゲの盾となって突っ込みその間にヘルゲが逃げる段取りになっていたはず。
彼らもまた将来有望な若手たちではあるが、護衛任務に就くとはそういうことだ。
その彼らを置いてきて、ということはつまり、ようやくヘルゲは気付いたのかもしれない。
あの取り巻きたちでは、イェルケルに対し足止めにすらならないと。
ぼやくように呟く。
「敵も動くし強くなる。挙句知らない所で勝手に増える。でも……」
覇気に満ちた瞳でヘルゲの去った先を睨む。
「やられっぱなしじゃ、ないんだぜ」
宰相アンセルミの執務室にて。
上がってきた報告書を見たアンセルミは、側近のヴァリオに訊ねた。
「おい、この闘技場使用許可。もう嫌な予感しかしないんだが、いったいどういう話なんだ?」
「元帥のお孫さんがイェルケル殿下をハメようと画策した結果です」
「だーったらあっさり許可出してどーする!?」
「はぁ、とは言え軍部の推しも入っておりますし、こう言ってはなんですが、外部への闘技場貸し出しはかなり割の良い収入になりますよ」
「金の問題かっ! この馬鹿共なら闘技場でイェルケル殺しかねんだろ! というかそもそもなんでイェルケルが相手することになっとるのだ! アイツの配下は一騎当千の兵ばかりだろうが! ソイツらにやらせればいいだろうに!」
「残念なことに、イェルケル殿下の配下三人は皆女性でありますれば……」
「だからどうした。女に負けるのが嫌ならそもそも手を出さなければ良いではないか」
「少なくとも宰相閣下より、イェルケル殿下は配慮のできる方だということでしょう。女に負けたとあっては意固地になる者も出てきましょう」
「それは挑戦者側の理屈であって、イェルケルがそんな馬鹿共に配慮せねばならん謂れは無い。自分の立場を考えれば尚のことだ」
「殿下ご自身が強力な剣士であると喧伝することは、そう悪い手ではないと思いますが」
細い目でアンセルミはヴァリオを斜め見る。
「元帥が何しでかしてきてもイェルケルならどうとでもなる。そう言っているように聞こえるな」
「はい、それが私の見解です」
「理由を聞こうか」
「殿下の第十五騎士団、諜報部も評価しておりましたが、実際その諜報能力はかなりのものがあります」
「かなりとは?」
「ウチの諜報部より深い情報も手にしているようで」
「王家より上だと?」
「それはさすがに無理でしょう。ただ矛先を絞れば我らを上回る動きもできるようです」
「以前の報告にあった隠密活動とやらか。騎士が隠密と言われても今一ぴんと来ないのだが、いったい何をやっているかわかるか?」
「美しい女性ですから」
「え?」
「冗談です。いや、本来は冗談ではないのでしょうが、彼女に関しては違うようですね。ビボルグ砦の攻略法を考えれば、イェルケル殿下を除く三人は城壁クラスの壁であろうと容易く無力化してしまうようです。それは潜入の大きな武器となるでしょう」
「……軍事関係者からすれば悪夢のような話だな」
「悪夢ですか。皆考えることは一緒みたいですね。ロシノの街での戦は、あちらではロシノの悪夢と呼ばれているようですよ」
「あれもなぁ、報告を読んだが、ホント、ヒドイ話だよなぁ。アイツらが味方で良かった」
「まったくです。その辺りがわかっていない愚か者の話があるのですが」
「………話せ」
「騎士団が一つ、下町の大規模グループが一つ、盗人集団が一つ、傭兵崩れのグループが一つ、実際に第十五騎士団に手を出そうとしているのはこのぐらいだそうです」
勢い良く机を叩くアンセルミ。
「馬鹿な! アレに手を出すなぞ正気かそいつらは!」
「そもそも彼らは王家が出した論功行賞を信じていないのでしょう。これからも殿下がその力を示さなければ、こうした輩は増える一方です」
「わかった。闘技場の件はイェルケルに私の意図を伝えたうえでなら、了承しよう。まかり間違ってもアレに恨まれるような真似だけは避けろよ」
「当日の闘技場運営には王家側からも人を出しましょう。他の集団が動くより先に、闘技場でイェルケル殿下がその力を示されれば、馬鹿な動きも少しは減るでしょう」
「どうだかな。クソッ、嫌な予感が止まらん。イェルケルは動くか?」
「少数精鋭は防戦には向きません。であるなら、前に出る他ありますまい。そのための道しるべは諜報担当が引っ張ってくるでしょう。アレで案外隙の無い布陣ですよ、第十五騎士団は」
「イェルケルが死ねば終わる、その程度だぞ。……おい、そうだ、例の赤い刃はどうする。今のイェルケルたちにそこまで手を出す余裕は……」
ああ、と今思い出したかのようにヴァリオは言った。
「そういえば、赤い刃も殿下を狙っているのでした。それを殿下の側も把握しているようですね」
再び机を強く叩くアンセルミ。
「どいつもこいつも! あれだけやらかしてるイェルケルたちをどうして恐れん! あれはこちらのルールでは縛れぬ鬼札だぞ! アイツ等に殺せない相手は、アイツらに存在を認識されておらぬ者のみだ! そこに居る、と向こうにバレた瞬間、連中の攻撃を防ぐ手立てなぞ無いのだぞ!」
「閣下」
「ああ、わかっている! わかっているとも! だがな! どうしてこうも人食い熊の巣の中で喜び勇んで馬鹿騒ぎするような連中が次々と出てくるのだ! 元帥もそうだ! 本当にあの方はわかっているのか!? イェルケルが後先考えなければ元帥を殺すことすら可能なのだぞ! もしイェルケルをそこまで追い詰めてしまったら、どちらも死ぬなんていう我が国にとってあってはならぬ事態に陥るのだぞ!」
「そしてイェルケル殿下が元帥殺しに動かないのは、宰相閣下にとって元帥が無くてはならぬ人であるから、です。ホント、昨今珍しい律儀な方ですよ、イェルケル殿下は」
「……正直、何故イェルケルがそこまでして私のために働いてくれるのか、私には理解しきれんのだが」
「宰相閣下はすなわち、王家そのものです。それは現在においては、カレリアという国そのものでもあります。カレリアに忠誠を捧げるつもりがあるのなら、カレリアの民のために働きたいと思うのならば、それは宰相閣下に仕えるということになりましょう」
「私が、カレリア、ね。右往左往して、気が付けばいつの間にかここにいるような私がカレリアとは恐れ入る。国の主とはもっと、威風を備え、毅然と決断し、カレリアの民全てを養う叡智を備えた者であるべきだろうに」
「いいんじゃないですか、宰相閣下のような王が居ても。文治の神なんて呼ばれる王は、カレリア史においてもこれまで居なかったのですから」
「やめろ。やめろ。やめろ。誰が神だ。誰が文治だ、ふざけんな。大体だな、文治というものは文官に重きを置き武断や法治とは相対する制度であって、どちらかと言えば私の政策は法治寄りであろう。それを……」
「付けられた二つ名が恥かしいからって早口に喚かないでください、見苦しい」
「おまっ、お前な、そういう情けの欠片も無い言い草をどうにかしろといつも言ってるだろーが」
「それは失礼いたしました、以後心より注意いたします。まあそんなどうでもいいことはさておき、赤い刃に関しては共闘を視野に連携を考えてみる、と諜報部は言っておりました」
「ムカツク、すっげぇムカツクわコイツ。しかし赤い刃か、連中絡みでいったいどんな貴族が出てくるのやら」
「以前に仕事を頼んだことがある、程度でしたらそれはもう山のように出てくるでしょうな。無自覚に彼らと取引していた者もいるでしょうし」
「ある程度は大目に見るしかないだろうな。その線引きが難しいが、諜報部に裁量全て投げてしまってはまずいか?」
「判断しきれない部分も出てくるでしょう」
「……はい、頑張って仕事します。私がやればいいんだろ知ってたよちくしょう」
宰相は激務。当たり前なのである。




