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048.兵士の絶叫



 兵士たちは皆、怯えた目でイェルケルたちを見ている。

 スティナとレアは、その嫌な空気を警戒し、イェルケルの側に戻った。

 イェルケルたち四人が集まっても、兵士たちがこちらを見る目は変わらず、ただ何を言うでもなく、じっと見つめているのだ。

 四人は訳がわからず、お互い顔を見合わす。

 誰もが無言の中、一人の兵士が前へと進み出た。


「お前たちは、いったいなんなんだ」


 イェルケルには質問の意味がわからなかった。

 所属も含め名前は名乗ってあるはずだ。

 兵士は体の内から吐き出すように叫んだ。


「なんなんだよお前らは! なあ! いったい何しにここに来たんだよ! 将軍も! 太守様も殺してまだそれでも足りないってのか!?」


 今度は質問の意味がわかったが、それを戦の最中、敵に問いかける意味がわからない。

 驚きに目を丸くしているイェルケルに、兵士は続けた。


「いきなり! 理由も無く仕掛けてきて! みんなみんな殺しちまって! それでも戦だってんならまだわかるさ! なのに将軍も太守様も殺したってのに全然止まらない! じゃあいつ終わるんだよこの戦は! ロシノの民皆殺しにするまでか!? たった四人で! 全部殺すまで延々殺し続けるってのかよ! なあ! お前ら! いったい何しにアルハンゲリスクに来たんだよ!」


 兵士の叫びに、イェルケルもまた真顔になって答える。


「ビボルグ砦のロニー・エステルバリが、カレリア領内の村を焼き、娘をさらっていった。これを取り戻しにビボルグ砦を取ったのが始まりだ」

「だったらどうしてロシノを攻める!」

「取り返しに来るだろう、ビボルグ砦を。ロシノの兵がそうしないとは言わせないぞ。ロシノの兵は援軍が揃えば更に前へ、我が領土まで進むだろう、そうしないとは言わせないぞ」

「しねえよ! 悪いことしたんなら謝るからさ! こっちにはもう攻める力なんて残ってねえよ! 娘も見つけたら返すさ! だからもう! 殺さないでくれよ!」


 イェルケルは彼にだけ言うのではなく、耳を澄ましこれを聞いている全ての敵兵に語りかけるつもりで言った。


「まだ、この感じだと百と少し、二百も殺していない。君たちロシノ軍には千の兵がいるのだろう? ならまだ八百以上残っている。充分、戦える数だろう。時を稼げば援軍もあるのだろう? 君たちはまだ、敗北したわけではないと私は思っているのだが」

「お前らとやったら全部死んじまうじゃねえか! お前ら千人全部殺す気なのかよ! もう無理だよ! わかったからさあ! 俺たちじゃお前らに勝てないのよおおおおおおくわかったからさあ! もう殺さないでくれよ! 無駄に殺さないでくれよ! お前たちもう勝ってるんだからこれ以上殺すのはやめてくれよ!」


 叫び続ける兵士も、これが軍隊相手ならばこんな真似はできなかっただろう。

 だが、相手は四人なのだ。

 誰がどう見ても、軍ではなく個人であろう。

 彼らにとってイェルケルたちの力は、戦争に用いられる武力ではなく、個人が濫用する暴力にしか見えなかったのだ。

 兵士の叫びを、生き残った隊長格の者すら止めようとしないのは、彼の叫びが皆の心を代弁してくれていたからだ。

 生ける悪夢に対し、誰しも恐怖で動けなくなっていた中、彼は、彼だけが、皆の心を語ってくれたのだ。


「どうすりゃいいんだよ! なあ! もう俺たちみんな殺されるしかねえのか!? ロシノの街もアルハンゲリスク全部も! お前ら殺し尽くしに来たってのかよ!」


 イェルケルは、有体に言うならば、凄く困っていた。

 兵士の彼には停戦を決める権限なんて無いだろう。とはいえ、太守も軍の大将も死んだということならば、降伏を言い出せる人間も居ないのだろう。

 権限で言うのなら太守の補佐なり副官なりにその権限があるのだろうが、見たところそうした人物が出てくる気配はない。

 というか、今のイェルケルたちの前に出てこられる文官が居るとは思えない。

 イェルケルはちら、とレアの顔を見る。

 レアは、内心では必死に叫んでいた。


『もう無理、疲れた、休みたい、逃げよう、帰ろう、そうしよう』


 戦闘前に満ち満ちていたやる気はとうに消耗しきっていたらしい。

 当然声は漏れず、傍目にはただ無表情にこくんと頷くのみであったが。

 次にアイリを見る。イェルケルの視線に、アイリは難しい顔をする。


「本来ならば、考えるまでもないことなのでしょうが……殿下に一任いたします」


 最後にスティナを見ると、彼女は、はいはいといった調子で笑っていた。


「もうどうするかは決めてるんでしょ? いいですよそれで。元より私たちは、有利不利だけ考えて戦してるわけじゃありませんからね」


 すまない、と苦笑するイェルケルは、叫んでいた兵士に向き直って言った。


「わかった。君にその権限が無いのは承知の上で、一時停戦に同意するとしよう。この後で、我が国より使者が送られることだろう。できうるならばその使者が、粗略に扱われぬことを願う」


 イェルケルは手にしていた剣を、勢い良く地面に突き刺す。


「第十五騎士団! 引き上げるぞ!」


 声にての返事は無い。命じられた三人は手にした剣をイェルケルと同じく大地に突き刺し、身を翻したイェルケルに続いた。

 ロシノ兵もロシノの民も、誰一人動く者は無かった。

 イェルケルたちは、彼らが作り出した屍の上を進む。我が物顔で、本来ロシノの兵が進むべきだった道を。

 そして祝福と共にロシノ兵が出立するはずだった正門を潜る。

 ロシノ兵はもう誰一人、あの門を潜る勇気は無い。

 彼らは皆その場に膝を折り、戦友の死と、主の喪失と、これでもう永遠に失われてしまっただろう戦士の誇りに、涙を流した。







 正門を抜けてもしばらくは無言のままで、イェルケルたち四人は歩き続けていた。

 街を出てしまえば、街の人間は皆出陣式に出るべく街に入っていたので、そこらで人目に付くことは無い。

 そうなってくると、レアが我慢するのをやめだす。


「ねえ、王子。もう休んでも、いいんじゃないかな」

「疲れたのはわかるけど、まだここは敵地ど真ん中だぞ。休憩は不許可だ」

「うー。アントン中隊長、気を利かして、迎えに来ないかな?」


 アイリが呆れ声で言った。


「わざわざ隠れさせてるというのに、自ら顔出しに来たりしたら叱責ものだぞ」

「うー。じゃあ、合流場所で休憩?」

「それもイカンだろう。連中結構な数が残っているからな、気が変わって追撃なんぞされる前に引き上げるべきだ」

「アイリの、いじわるっ」

「私はいじわるで言っているのではないっ」


 イェルケルはぼやき、スティナが微笑む。


「門を抜けてしばらくは保ったんだが。まあ疲れているのは仕方が無いか」

「ふふっ、アイリもレアも、門潜るまでは変に意識しちゃって、いかつい顔しようとしてましたから。反動でも出たんじゃないですか?」


 スティナの声を耳ざとく聞いていたアイリとレアが抗議する。


「あ、あそこで変な顔をするわけにはいかんだろさすがに」

「うん。せっかくこっちに、怯えてくれたんだから、その印象は大事にすべき」


 鼻で笑うスティナ。


「何が印象よ。二人共ただ格好付けようとしてただけじゃない。ああ、三人か。殿下もやったわよね」

「私が?」

「ほら、かっこつけて地面に剣刺した奴。なんか流れで私たちもやったけど、あれ意味あったんですか?」

「あれはそんなんじゃない。ほら、あの剣って連中から奪ったものだし、どうせ鞘にも入らないだろうから返しとこうかなって」


 アイリは焦った様子で問い返してきたし、レアもまた驚いた顔である。


「あれはこれより先に進むな、という意味だったのではないのですか?」

「うん、うん。そんな感じだった。凄く脅す気配ふんぷんで」

「無いって! もう充分怯えてたろ! みんなも倣ったのは、君らの剣も敵さんから奪ったものだからだな、って納得してたんだが」


 スティナは口元に手を当て笑いを堪えている。


「あんな偉そうな態度で剣刺しといて、返すつもりだったは無いでしょう。どうしてこう、殿下って時々、ドが付く天然なことするのかしら。頭の回転は速い方だと思うんですけどねぇ」


 イェルケルはスティナの言葉にムキになって言い返し、またスティナがからかいアイリが混ざり、レアが休ませろと文句を言う。

 正門を出てすぐの頃の歴戦の猛者気配なぞどこ吹く風で、四人は賑やかに騒ぎながら道を行く。

 幸いにして、四人のこんな有様を見ているアルハンゲリスク人は居なかった。




 ちなみに、合流場所に戻り馬に乗って脱出にかかっても、賑やかさは大して変わらなかった。


「おいこらレア貴様っ! 騎乗しながら寝る馬鹿があるか! おい起きろ!」

「すー、ぴー、すぴー」

「っだー! ずり落ちる! こら! しっかりせんかー!」

「殿下ー! そっちじゃありませんって! 何!? もしかして寝てるの!? 聞いてますか殿下ー!」

「んー、わかってるー、こっちなー」

「だーからそっち違うって言ってるでしょ! 殿下起きてっ! おーきーろー!」


 アントンに、部下の兵士が言った。


「あの人ら、なんつーか、人生全力で楽しんでるっすよね。全然羨ましくねーけど」

「羨ましいって思ったところで真似できるモンでもねえしな。なんだろうな、俺なーんにもしてねえのにすげぇ疲れたわ……」



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