046.真っ向奇襲
激しい乱戦となったが、アイリが敵陣の動きに気付かぬということは無い。
この手の戦いはこれで四度目であるというのも、乱戦の最中にその外の動きを察するなんて芸当ができてしまう理由であろう。
物理的に視線が通らないので、どんな陣が組まれているかはわからないが、先手を打てるのなら打っておくが良いだろう。
「スティナ! そろそろアレをやる! この一撃で戦を決してくれようぞ!」
すぐさまスティナからも返事が。
「本気でやるの!? まったくもう、せいぜい死んだりしないようにね!」
「当たり前だ! 誰に言ってると思っておるか!」
アイリは戦いながらもこちらに意識を向けているイェルケル、レアに向かって、これから何をしでかすかを教えてやる。
「殿下! レア! 二人がやったアレ! 我らも真似させていただきますぞ!」
アレと言われてもすぐにはぴんと来ない。
が、何やらやらかすつもりらしいのはわかったので、アイリの動きが見える位置に動き出す。
アイリはその場で跳躍すると、眼前より迫ってきた敵の顔面を蹴り飛ばし、更に高く、後方へと跳ぶ。
この一跳びで敵兵士から離れると、そのまま来た方向、正門の方に向かって走り出す。
ところどころ死体が転がっているが、特に気にした風もなく踏みつけ走り抜ける。
逃げたか、そう兵士たちが思った時にはもうアイリは最初に敵兵士を迎え撃った場所を抜け、死体も何も無いまっさらな道の上まで戻っていた。
周囲に敵兵無し。
彼らは残るスティナ、イェルケル、レアを狙うのに必死でアイリの所まで気にかける余裕が無い。
アイリはその場で屈伸運動、両腕を大きく広げて左右に回し、腰を大きく捻る。
「いよしっ!」
その場で軽快に跳ねながら、大きく手を振る。
そろそろ敵の一部がアイリに向かって駆けてこようとしている。
「スティナー! いっくぞー!」
「りょーかーい! 踏み出しはアンタの方で合わせなさいよー!」
「わかっておるわ! 練習通りに! いざっ!」
アイリは前傾に深く体を倒す。
そのまま顎が大地につきそうなところで、足を伸ばして走り出した。
アイリへ向かおうとしていた兵士が驚き慌て足を止める。
足の回転の速さが、兵士の知る常識から大きく逸脱している。
速さだけではない。
足が後ろに蹴り出す度に、硬く踏み固められているはずの大地の土が抉れかき出されているのだ。
そこにどれほどの力が加わっているというのか。
自身の脇を抜けるとわかった兵士が剣を振り上げるが、あまりの速さに大きく振り遅れてしまう。
他の兵士たちも皆、人の走る速さだと思って迎え撃ちにかかったため、その全てがアイリを捉えそこなった。
時には接触するほどに接近していたというのにだ。
アイリの疾走を目にしたスティナは、前後に大きく足を開き、真下に向かって重心を落とす。
こちらもまた大地に両足が沈み込んだ。
これは大地を削ったのではない。
踏み固めたのだ。これより起こる衝撃にも耐えられるように。
そうして待ち構える。
自らの周囲の敵を、スティナは既に斬り倒した後だ。
それでも兵士たちは再びスティナへと迫るだろう。
だが、その前に、奴が来る。
「スティナーーーーーーーー!!」
放たれた矢のように、大地を蹴って跳ぶアイリ。
その右足が、強く踏ん張るスティナの左肩に乗った。
「アイリ! 行けええええええええ!!」
折り曲げたアイリの右足が、スティナの左肩を伝って胴、腰、足、そして踏み固めた大地に繋がる。
スティナの吸気とアイリのそれが重なり、全く同時に吐き出される。
スティナもアイリも人知を超えた訓練により、体の動かし方、もっと言えば如何に体を連動させ強い力を発揮させるかということに関し、余人の及ばぬ領域にまで深く理解していた。
どうすれば足で蹴り出した力を体の中で加速させ、腕、そしてその先の剣にまで伝えるかといった動き方を熟知しているのだ。
だが、それは当然自分の体ならば、の話。
しかし、共に訓練を重ねてきたスティナとアイリならば、お互いの力の増幅を触れ合ってさえいれば感じ取ることができてしまうのだ。
だから、スティナが作り出した大地からの強力な反作用を肩から飛ばしてやれば、これを受けたアイリは全身を順に伸ばすことで余すことなくこの力を跳躍に用いられる。
人外の膂力を誇る二人の合作だ。
結果、どれほどの力が発生するものか。
その瞬間、ロシノの街の隅から隅まで届くような、分厚い重低音が轟いた。
スティナへ駆け寄らんとしていた兵士たちがあまりの音と迫力に、その場に倒れてしまうほど。
後に悪夢の鐘の音と言われたこの音は、聞く者の腹の底を震わせるもので、今この街で何が起こっているのかを知らぬ者すら恐れさせた超常の音だ。
結局、いったいどういった理由でこの音が鳴ったのかを説明できる者は、ロシノの街、いやさ後世に至るまでアルハンゲリスクには現れなかったと言う。
この音の正体は、アイリとスティナが同時に重ねるようにして大地を蹴る形を取ったせいで、主道の一部が円状に沈み込んだため起きた衝撃音である。
先日、同じことをイェルケルが土台になり、レアを発射するという形で行ったが、イェルケルもレアも、アイリとスティナのこれを見た後ではとても彼女たちの発射台になれるとは思えなかった。
ぴたりと揃った二人の息と、本当に人間が辿り着ける境地かどうか甚だしく疑わしいほどの膂力が重なり、アイリは放物線すら描かない直線軌道で兵士たちの頭上を飛び越えていった。
痺れる肩を手で撫でるスティナ。
練習で何度かやったのだが、本番だからと二人共が気合を入れたせいか、練習時より痛いし、よく跳んでいると思われる。
それに、と足元を見下ろす。
放射状に大地にヒビが入っている。ここまで強く踏み込んだことはスティナの経験にも無い。
「二人分、ってことかしら。なんだか随分と大それたことになってるわねぇ」
とスティナに向かってきていた兵士に声をかけてみたのだが、彼らは皆轟音に驚き転び、尻餅をついたまま、いったい何が起こったかときょろきょろ周囲を見渡している。
「ほらほら、兵隊さんは戦うのがお仕事でしょ。ボケたことしてないでさっさと来る。それで、死んでしまいなさいな」
初速が想像していたより随分と速かったせいで、危うく狙いを取りこぼすところであった。
アイリは眼下に過ぎ去ろうとしていた敵隊長に向かい、掬い上げるような一刀を伸ばす。
見えないけど手応えはあった。
当たった場所が頭部なら間違いなくあれで死んだろう。
先ほど跳躍した時に確認しておいたのだ。
今斬ったのが、この場で指揮をしていた一番偉い者だろうと。
アイリは知らないが、彼こそアルハンゲリスク東部国境を支える将軍であった。
もちろん武名相応の武技も持ち合わせていたが、矢と同速度で人が頭上を抜けていき、あまつさえ剣を振って頭を砕いていくなんて想像すらしなかったであろう。
最後の瞬間まで彼は、死を認識できなかったに違いない。
かくしてアイリは一番の標的撃破に成功する。
だが、勢いをつけすぎたせいでアイリの着地はまだまだ先だ。
通り過ぎていく足元には、呆気に取られた顔でこちらを見上げる兵士たちの顔が並ぶ。
誰もが皆、おんなじ反応をしているのが、少し愉快に思えたアイリだ。
まだ、跳ぶ。
アイリは全身に風を感じながら、目指す先を見据える。
それは一騎の馬。
明らかに一騎だけ目立つ馬具をつけており、あれはきっと有力者なのだろうと思っていたのだが、こうして近づいていくにつれてアイリは自分の考えが正しかったとわかる。
確認した時は少し見えただけだったのだが、今ならわかる。
あれは、この集団の中でもとびきり偉い何者かだろうと。
そしてもう一つわかったことがある。
『ぎゃー! 狙いがそれておるー!』
見た感じ、剣が届かぬほど横にズレてしまっているようだ。
これではアレを殺すことができない。
『だがしかし、慌てず騒がず、それっ』
真横を抜ける時、アイリは手にした剣を空中でぶん投げる。
これがどうなったかは確認することができなかった。
それよりもっと重大な問題、着地が待ち構えている。
着地先になりそうな兵士たちの慌て顔が見える。
というか目が合った。
逃げようとして身を翻す。
『遅いがな』
彼の後頭部に着地。
大変申し訳なかったが、首がアイリの体重を支えられるほど頑強ではなかったようで、枯れ木のように容易く折れた。
すぐ前の兵士の背中に再び着地。
彼の上体が崩れる。
アイリの両足が滑り彼から離れた。
三人目の背中に着地すると、今度は背中の真ん中であったようで、そのまま兵士を押し込むようにして地面に。
兵士の体を下敷きにしながら地面を滑る。
進行方向の兵士は避難しており、敵兵士の集団の中に飛び込みながらその敵兵士が自ら避けてくれるという幸運に恵まれた。
アイリの足裏に張り付き大地を滑る板となった兵士は、まあ、とても余人に見せらないような有様になったが、アイリはおかげでスムーズな着地に成功する。
自分が飛んできた方向を眺める。
どの兵士よりも低い身長の関係で、ほとんど先は見えない。
が、かなりの数の兵士を跳び越してきたのだろうし、今の位置からさっきの偉そうなのが生きてるか死んでるかを確認する術は無い。
跳び越した兵士を数えたわけではないが、眼下が兵士でびっしり埋まっている光景をかなり長い間跳んでいたので、その数は百や二百ではきかないだろうと思われる。
『更に奥にもまだ数百? うーむ、この数を一人で突破し、皆の下に戻る? イカン、これはさすがに死ぬか?』
完全に静止したアイリを、ぐるりと取り囲む兵士たち。
彼らは最前線で何が起こっているのか目視することはできていないだろうが、空から降ってきて仲間の兵士を踏み潰した者を誰も味方だとは思っていないだろう。
サルナーレで三千に突っ込んだ時、アイリは最初は勝てるつもりであった。
だが、三千と戦い、千に挑み、五百の砦を攻めた経験から、自分が大体どのぐらいまで戦えるかの見当はつくようになってきていた。
戦える数は周囲の状況にもよるが、こういう形で完全に囲まれてしまっている場合、敵が様々な戦術を用いることができるため、かなり危険なことになる。
そんな冷静な判断もできるようになったのだが、やはりアイリであるので。
自身では気付いていないが、頭でそう考えているほど焦っているわけではない。
どうしようもないほどに追い詰められたとしても、心の奥では自分は必ず突破できると無根拠に信じている。
『沿道には民衆が並んでおるし、主道は見た目ほどは使えぬ。ええい、やはり街中は動きが制限されやすいな。…………あ、そうか、街中かここは』
アイリが目を向けたのは沿道、の先の建物。
二階建てのこの屋根までの高さは、ビボルグの城壁と比べればあってなきが如しである。
そうと決まれば、とアイリは建物目掛けて走り出す。
行く手を塞ぐ兵士たちは武器が無いので素手で蹴散らす。
剣より間合いが狭いのが難点だが、素手の利点は剣よりよほど壊れ難いことだ。
多少雑に殴っても良いというのは精神的に楽なので、アイリは敵の剣を奪うといった真似はせぬまま沿道に駆け寄る。
民衆が物凄い勢いで割れた。
いや、幾人かがその場にへたり込んでいる。
知ったことではないのでこれを無視し、アイリは跳ぶ、壁へ。
跳ぶ、一階の屋根部へ。
跳ぶ、二階の屋根の上へ。
三回の跳躍で建物の上に跳び乗ったアイリは、こちらを見て何やら騒いでいる兵士たちを他所に、屋根から屋根へと跳び移っていった。