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045.力比べ



 アルハンゲリスク軍が動かなかったのは、彼らが目にした光景があまりに非現実的すぎたからだ。

 最初はもちろん勝つつもりであった。

 そのうえで見栄えを重視し、アルハンゲリスクの精兵が愚か者を成敗し、その首級を挙げるのを確認し皆で声を上げてから、再び前進を再開する段取りだったのだ。

 だから最初に、四人と接触した兵士がいきなり血を噴き倒れたのを見て、何が起こったのか誰もわからなかった。

 先陣を切って走った兵士たちは皆、武勇に優れる男たちばかりだ。

 その彼らが、ただの一人も、ただの一合も合わせられず斬り倒されるなど、民衆はもちろん見ていた兵士、指揮官ですら思いもよらなかったのだ。

 そして続く光景。

 数多の激戦を潜り抜け、平時においても厳しい訓練を絶やすことの無かった兵士の中の兵士たちが、為す術無くいいように斬られ死んでいくのだ。

 板金の鎧に身を固めた分厚く太い戦士が、見た目には小さく細い四人の敵に手も足も出ず、只々死ぬ。

 死ぬためだけに向かっていって死ぬ。

 絶対に勝てぬ予定調和の中死ぬ。

 そしてただの一人も残さず、皆死んでしまったのだ。

 晴れがましい祝福に満ちた道行きは、その半ばで血に塗れ彼らの行く先を遺骸で埋める。

 そんな凄惨な光景を誰が予想しえたであろうか。

 そんな無残な光景に誰が冷静に対処することができようか。

 だが、できぬを為してこそ、戦場を駆ける戦士である。


「総員! 戦闘準備! 前衛は密集隊形にて槍を構えよ! 斬り込み隊は下がれ! 槍隊は二陣に集まり陣を為せ!」


 この声を上げたのは、八百の兵の副長であり中隊長も兼ねる男だ。

 彼の指示により兵士たちは皆我に返って動き出す。

 槍隊が最前衛にずらりと並んだのを見てほっと一息つく。

 副長は先の指示を出せた自分を褒めてやりたかった。

 まずは、盾を構えた槍隊で壁を作り、敵の正体を探る。

 アレはいったい何者なのか、いや、たとえ何者であろうとも、アレは殺さねばならぬ敵であり、その為に全力を尽くすべき、と副長は心を定め敵との衝突の瞬間を睨みつける。

 構えた長槍を剣にて跳ね上げる。

 彼らがそうした時の槍の跳ね方で、副長はその人間離れした膂力に気付けた。

 そして作り上げた壁を見る間に侵食し斬り崩していく様を見て、人外の域にある剣士たちであるとわかる。

 四列に並んだ槍隊の一番奥まで抜けられそうになるが、四人はその場に留まったまま無理に抜けてこようとはしない。

 その場で手の届く場所にいる兵を殺して回っている。


『イカン、イカン、イカン! 四列ではまるで足りぬ! 六! 八! 十! いやもっとだ!』


 後ろにつかえそうになっていた騎兵を更に下げさせ、槍兵を前に集めさせる。

 副長は最前衛を担っている未だ諦めず戦い続けている戦士たちに心で詫びながら、少し後方で準備していた密集した兵士たちを更に厚く深く固めさせる。

 ただ前に進む、それだけできれば良い、とぎっちり詰まった鉄と肉の巨大な塊を作り上げる。

 そして、でき次第即座に命じる。


「前衛退却! 密集槍隊は進め! そして押し潰せ!」


 ようやく最前衛で踏ん張っていた彼らに退却命令を出してやれた。

 副長の声に応じて最前衛の兵士たちは身を翻すが、既に隊の生き残りは十人ほどしかおらず。

 突っ込んでくる巨大な鉄の塊に、アイリが嬉々とした声をあげる。


「おおっ! 面白い真似をしてくれるではないか! ははっ! それでは槍もまともに刺せぬだろうに!」


 返り血が口の中に入ってしまい、気分悪そうにこれを吐き出したスティナは、持っていた剣を投げ捨てる。


「はっ、そうね。面白いわ。いいじゃない、ねえ殿下! レア! これ! 押し返してやりましょう!」


 イェルケルもレアもぎょっとした顔であるが、アイリとスティナがどちらも剣を捨て突っ込んでしまったのでもう仕方が無い。


「本気かおい! ああもうっ! やればいいんだろやれば!」

「うん、面白い。見た目だけ大きい、中身すかすか戦士なんて、幾らでも押し潰してやる」

「ちょっ! おまっ! 今日はヤケに好戦的だなレア!?」


 イェルケルもレアもずらりと並んだ鉄盾へと両腕を広げ勢い良く突っ込む。

 まず中央付近に二人並んで突っ込んだスティナとアイリだ。

 衝突の瞬間、最も強い勢いを受けた二人の真正面に居た兵士は、これに耐え切れず胴を潰され血を吐いて死んだ。

 だが、それでも陣形は崩れぬまま。

 全力で両足を踏ん張るスティナとアイリだったが、密集した兵たちを押し返すこと能わず。

 すぐ後にイェルケルとレアが右側、左側に分かれて突っ込んだ。

 こちらも正面の兵は潰れて死んだが、スティナやアイリが押さえている列より、イェルケルとレアが押さえている列の方が前に進むことができている。

 四人による渾身の踏ん張り空しく、密集兵はじわりじわりと歩を進める。

 大地に踏ん張った四人の足は踏み固められた地面に足跡を伸ばす。

 声を出す余裕も無い。

 それもそのはず、現在密集兵の数は百人を超えているのだ。

 整然と並ぶことで百人の力を結集している彼らをたったの四人で押し返そうというのだから並大抵のことではあるまい。

 全身を震わせ力を振り絞っても、密集兵の前進は止まらない。

 だが、時折ぶちりという音と、か細い叫び声が聞こえるようになる。

 声の数は次第に増えていく。

 なんの声かは必死に支えているイェルケルたちはもちろん、力の限りを尽くし押し込もうとしている兵士たちにもわからない。

 兵士たちがそれに気付くのは、自らにソレが降りかかってきた時だ。

 ぶちりという音は、支える兵士の体のどこかが重圧に耐えかね、潰れてしまった時の音。

 か細い悲鳴は、あまりの苦痛に声を上げるも、力の抜けた体は更なる圧力に効しきれず即座にそれ以外も潰れ、声が出せなくなるせいだ。

 兵士たちは密集しすぎているが故、潰れた同僚に気付けない。

 すぐ前の仲間が潰れた兵のみが、足元に崩れ落ちる戦友を踏みつけてしまってから彼らに気付くのだ。

 そして恐るべきことに、こうして兵士が減ることで僅かに陣形が崩れているのだが、指揮している副長には押し合いの結果陣形が崩れたとしか見えておらず、兵が減っていることに気付けてないのだ。

 ただ、これらの兵を支えられる非常識な膂力に驚くのみだ。

 それでも押しているのはこちらであるし、いずれ力も尽きるだろうと見ている中隊長は、勝利を確信しながらこの陣形を維持する。

 破綻は、すぐに来た。

 じわじわと進んでいた密集兵の足が止まってしまったのだ。

 これには副長も焦り、皆を叱咤する。

 先にこちらが尽きてどうする、もう一押しだと。

 だが、進まない。

 進めないのだ。

 ぶちり音はまだ続いている。

 突進直後から今まで、四人は押し込む力を一切緩めることは無く、兵士にかかる圧力は今でも続いている。

 一人潰れる毎に力が一人分失われ、僅かでも揺れた陣形は伝える力の効率を落とす。

 密集兵の圧力は弱まっているのだ。

 これを敏感に感じ取ったアイリが怒鳴った。


「今だ! 全力で押し込めい!」


 四人に余力があったという話ではない。

 この一瞬、と制限を切っていいのなら更に力を込めるやり方を心得ているだけだ。

 同時に四箇所よりの圧力が爆発した。

 イェルケルとレアの前の列の兵士は、三列目までがこの一撃で潰れ死んだ。

 スティナとアイリの前の列の兵士は、五列目までがこの一瞬で潰れ死んだ。

 放射状に広がっていく圧力は、密集兵の上体を後方へと押しやり、後ろの兵によりかからせる。

 そして、一番後ろの支える者もいない兵はそのまま倒れる。

 衝撃が広がった直後に倒れたのは最後列の兵だ。

 だが、その後続くようにばたばたと密集兵の各所で兵が後ろに倒れていく。

 敵兵からの圧力が著しく弱まったところで、四人は抱えていた既に死体となっている兵士たちを前方に押し投げると、大きく大きく息を吐いた。

 高らかに笑い声を上げるアイリ。


「はーっはっはっはっは! いやなかなかに面白き趣向であったわ! アルハンゲリスクの兵も中々やるではないか!」


 何がおかしいのか腹を抱えて笑っているスティナ。


「あ、あはははははははは! なんで、私たちこんな所で力比べとかやってんのよ! ば、ばっかみたい! しかも勝っちゃったじゃないどーすんのよこれ!」


 めっちゃくちゃ疲れた顔でぼやくイェルケル。


「き、キッツかったなー。お前なー、スティナ。こんな無駄に疲れるような真似させてくれるなよ。いきなり死ぬかと思ったぞ」


 同じく荒い息を漏らしているレアはというと、笑い声こそ出してはいないものの顔は実に楽しそうであった。


「すっごく、面白かった。けどこれ効率悪い。素直に斬った方が速い。次はそうしよう」


 再びアルハンゲリスク兵たちは沈黙してしまう。

 確かにレアの言う通り、数を殺すのならこれはあまり効率的なやり方ではなかった。

 だが、アルハンゲリスクの民衆は、兵士たちは見てしまったのだ。

 あまりに理不尽すぎる侵略者の剛力を。

 勇敢なる戦士達、とは言っても、兵士が戦いに挑むのはやはり、勝てると思っているからだ。

 自軍の勝利を信じ、失敗しなければ生き残れると信じている。

 確実に死ぬ戦地に留まれるのは極一部の兵士のみであるのだ。

 それにしたところで大いに追い詰められて初めて、といった者が大半だ。

 どれほど訓練を積み、どれほど心を鍛えたとしても、崖から飛び降りて死ねと言われ、はいと即答できる兵士などそうはいない。

 第十五騎士団の剛勇をその目にしたということはすなわち、これと戦うのは崖から飛び降りるのと同義であると理解したということに他ならない。

 いやさ、崖から飛んだ方がまだ生き残れるだろう。

 何せ崖も落下先の地面も、能動的に兵士を殺そうと動いてきたりはしないのだから。

 先の力比べはまさに、第十五騎士団とはそういった者だと示すだけの説得力を備えていた。

 副長は迷う。

 ありえぬ事態に遭遇した衝撃は既に飲み込んである。

 そのうえで、怯え震えだした兵士たちを導く次なる動きを明示してやらなければ。

 密集させた槍隊はもう使い物にならない。

 完全に士気を砕かれており、彼等はもう後退以外の命令には反応してくれないであろう。

 どうする、そう悩んでいた副長のすぐ後ろから、彼が最も信頼する男が大声を張り上げた。


「斬り込み隊! お前たちの勇気、試される時が来た! 朋友を助け! 敵を打倒せよ!」


 将軍だ。彼のそんな声に、副長は不覚にも涙を見せてしまいそうになる。

 そうなのだ、次の動きをするにもまず足止めがいる。

 この場合、今のこの戦場で最も足止めに向いており、策の使用に向いていないのは、斬り込み隊であるのだ。

 だが今アレに攻撃を仕掛けるということはつまり、全滅すら視野に入れねばならぬということでもある。

 それでも、やらなければならなかったのだ。

 副長は、すぐにこの命令を下せなかった自分の未熟さと、代わりに動いてくれた将軍への感謝と敬意に頭を下げる。


「よい。弓隊を揃えよ。あれが如何な怪物であろうとも、急所に刃が刺されば死ぬであろう。ならば、我らに殺せぬ道理は無い。いいか、この場で四人全員を殺すぞ。決して逃がしてはならぬ」

「はっ!」


 アルハンゲリスクの斬り込み隊は、剣術に長けた兵士のみで構成された、攻撃に特化した部隊である。

 夜襲、奇襲といった一方的に攻撃できる状況では無類の力を発揮するし、錬度の足りぬ槍隊相手ならば力ずくで突破してしまう。

 優れた武力と、どんな大軍が相手でも恐れ怯えぬ勇気を備えた者でなくば、斬り込み隊は務まらない。

 最も荒々しく、最も戦士らしい戦士を擁する部隊なのだ。

 そんな彼らだからこそ、誰もが恐れる武威を見せられたとて前へと進むことができるのだ。

 呆然と倒れるままの戦友を叱咤し後退させながら、斬り込み隊はイェルケルたち第十五騎士団に切り込んでいく。

 そして知る。

 この四人に対し、剣術勝負は最も挑んではならぬものであると。

 斬り込み隊には剣を用いる者も多いが、それが故に、剣では決して届かぬ頂に四人が立っているとわかり、武器を槍やメイスへと切り替える。

 剣は、それほど強い武器ではない。

 槍や矛といった長柄の武器が万全の態勢で戦える環境ならば、間違いなく剣が不利だ。

 飛び道具に対しては一方的に攻撃され、馬上で使うには短い。

 盾を持った相手には大きな不利が付くし、棍棒の類が相手では受けることもできない。

 それでも剣を武器として用いる者が多いのは、携帯に優れることと、速いことだ。

 同じ長さの武器であれば剣が速度で負けることはほぼない。

 長柄相手に常に先に攻撃されるのは単純に間合いの問題で、取り回しの速さだけで見るなら剣が上であろう。

 その速さを武器に、剣が抱える数多の不利を技術と腕力で覆し、四人の剣士はアルハンゲリスク戦士の死体を積み上げる。

 悲鳴が聞こえた。

 それは兵士たちのものではない。

 沿道に並んで、主道沿いの建物の二階から、一部始終を見守り続けていた民衆たちのものだ。

 こんな馬鹿なことがあるものかと怒鳴り、もう殺さないでくれと哀願し、頑張れ戦えと兵士を鼓舞し、最も賢明な者は何も言わずその場を全速力で離れる。

 また、四人の武威に魅入られてしまった者たちは、もうこの場を離れることができない。

 吸い寄せられるように友軍が倒れていくのを見続けながら、いつしかその目線は四人の剣士のものと重なっていく。

 それはそうだろう。

 兵士の目線で戦場を眺めても、当の兵士は次々死んでいってしまうのだし、戦場の中心は常にあの四人の剣士であるのだから。

 素人考えで危ないだのもう少しだのと期待し、驚きながらその戦いを見守り、次はどうやって殺すかに注視する。

 いやさ、楽しみに見ている。

 強さには、敵味方を越えた魅力がある。

 まるで見たことの無い、詩人が伝承を詠うかのような作り話が目の前に広がる。

 たった四騎が、数十、いやさ百を超える兵士たちと対等以上に渡り合う。

 そんな無茶を具体的にどうやらかすのかを、彼らは見ることができているのだ。

 速いから斬れる、鎧ごと斬れる、兵の倍以上動くから斬れる、避けると斬るが同時にできるから斬れる、そんな多数に少数が勝てる理由を民衆たちは探し、食い入るように見つめ続ける。

 凄い、なんて感想を口にしてしまうような馬鹿は居ないが、四人に魅入られた民衆たちは、彼らを守らんとして死体となった同胞ではなく、ロシノの街に突如現れた暴虐な侵略者である四人をこそ、英雄であるかのように熱く見つめるのだった。



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