044.四人の剣鬼
隊列の先頭集団が、そこだけ切り離されたかのように突進してくる。
相手はたかだか四人だ。
隊を整えるだのなんだのと言わず、よってたかって嬲り殺すつもりであった。
対するイェルケルたちは、横一線に四人が並んだ形を崩さぬまま、じっとその場で待ち受ける。
引き付け、引き付け、引き付けた後で、四人は一斉に前に出た。
イェルケルの体が前方へと伸び上がる。
足が追いついていない。
上体が過剰に前へと倒されていて、下半身は慌ててこれに続く感覚。
伸ばした剣先は更に前へと。
両腕で振るった剣が、最後の瞬間片手持ちに切り替わり、半身となって更に伸びる。
まだ、間合いは届かぬともう一歩を踏み出そうとした最も前を走る兵は、イェルケルの倍以上の長さに伸びたかに見える剣に貫かれ絶命した。
倒しはしたが、前傾した体は戻らぬ。
そのまま倒れるか、と思われたイェルケルの体は不自然にその場に留まり、すぐに下半身も追いついてくる。
人並みはずれた下半身の強靭さが、この理不尽の理由だ。
一塊となって突っ込んでくる兵士たちに向かって、イェルケルは跳び上がる。
上がりざまに振るった剣で一人そっ首を叩き落とした後、回転しながら次の敵の頭部を斜め上より叩き割る。
更に腰を捻ってもう一回転し正面の敵の顔面を真横からまっ二つに。
着地は、片足は地面ではない。
片方を奥の敵の膝の上へと落としこれをへし折る。
下から膝を振り上げこの男の顎を砕いて、右方より来る敵が上段を薙ぐ剣を潜ってかわしながら、握り締めた左拳をこの男の顔面に叩き込む。
左拳を振るった勢いを殺さぬようにぐるりと回り、左方より来る兵士の首を飛ばす。
血が糸を引き、こちらに飛び込む男たちの方へと。
勇気の塊のような兵士たちも、戦友の首は粗雑には扱えず、これが飛んできては動きが鈍る。
そうしてできた隙を踏み込む猶予とし、彼らを次々屠っていく。
レアの持つ剣はそれほど長くはない。
彼女の小さい体にはそれでも長いぐらいではあるが、その中途半端な短さは、敵集団の中に潜り込むにはちょうどよく。
雪崩れ込む兵士たちの隙間をすり抜けながら、その狭い空間を最大限に活かしつつ彼らの急所を正確に切り裂いていく。
何せその背丈は、並の兵士の胸辺りまでしかないのだ。
低く潜られると兵士たちも対処に戸惑う。
足、腕、胴、それぞれ太い血の道が走る部位を切り裂くと、兵士たちは力が抜けたようにその場に崩れ落ちる。
前の戦いの時、考えていたことだ。
逆に踏み込みすぎるぐらいが、レアにはちょうど良い。
自分は短めの剣を持ち、長い剣は戦ってる時に奪う。
こちらは使い捨てで投げたり受けたりに使うのだ。
お互いの体が触れ合うぐらいの超至近距離にも、レアは一切不都合を感じない。
敵の手や武器が見えなくなるのは痛いが、それもコントロール可能な範囲だ。
何より一人に近寄りきってしまえば、そちらの方向は完全にその兵士の体に隠れてしまい安全になる。
今回のように敵が密集してる時は、レアはこうして飛び込んでしまうことにした。
外から削るのは残る三人がやってくれよう。
だからレアは内より崩していくのだ。
これなら、と思ったところで壁にしていた敵兵が大きく揺れた。
あ、と思ったレアは即座に密集隊形の中から飛び出すことに。
レアが慌てたのは、壁にしていた兵の胴を背中から貫いて、レアへと槍が伸びてきていたのだ。
『か、覚悟の決まった兵士、なめてた、かも』
さすがに少なからずビビってしまったのだが、嬉しくもあった。
敵は単純な獣ではない。
考え、工夫し、勝つ為に挑んでくるのだ。
そんな敵が次に何をしでかしてくれるのか。
恐ろしさもあるがそれ以上に、鍛えぬいた体と技を試すこの上無い機会でもあるのだから。
スティナはこのところ、より少ない動きで敵を仕留める、をテーマに自らの動きを見直している。
首はどこまで斬れば死ぬのか、胴はどこを刺せば、頭部を効率的に砕くには、そんなことを実地で試しながら。
残念なのは、殺せなかった場合を確認している余裕が無いことだ。
幸いビボルグ砦の戦いではスティナが斬った敵は全て死んでいたことを確認できた。
全部死んでいたということは、スティナの取っているきっと殺せるマージンはまだまだ余裕があるということだ。
これをギリギリまで詰めていく必要があるのだが、と考えスティナは苦笑する。
『今は、そういう時じゃないわね』
先のビボルグ砦戦もそうだが、戦に随分と慣れてきた最近でも、一手間違っていれば死んでいたという場面は時折あるのだ。
油断しなければいいだけの話だが、これまた何度も戦ってきた経験的に、どうしても油断してしまう瞬間は出てくるものとわかっている。
なら油断しても生き残れる余裕を、常に持っていなければならない。
そのための効率的殺人手法の確立である。
スティナの動きは、今はもう以前ほどの派手さは無い。
淡々としたものでかつ丁寧に、一瞬の動きで、敵を仕留めていく。
動きにできるだけ起伏を作らず、流れるように、滑りゆくように、剣の理想軌道に沿って体を揃えていく。
おおむねスティナの理想通りの動きができてきた。
そしてそれは少しの失望をスティナにもたらす。
『きっとこれじゃ、戦い抜くのは無理、かしら』
当たり前に処理できるものならこの動きで充分だ。
だが、スティナが身を投じる戦場は、当たり前なぞから最も遠い場所にある。
力を、技を、闘志を、全て振り絞って尚届かぬかもしれぬ。
そんな自らの極致を当たり前に発揮しつつ、これを超える術を探す。
そういった戦いこそが、スティナに求められる単騎で軍と戦う戦であろうと。
つくづく、大変な人の下に付いたものだとスティナは笑う。
大変でも、死ぬかもしれなくても笑えるのは、これが楽しくて仕方が無いからなのだろう。
アイリの剣が兵士の胴に食い込む。
鎧の硬さか体の大きさ故か、兵士の体は両断されずそのまま宙を舞う。
偶にこういうことが起きてしまう。
スティナに雑だと言われる原因だ。
確かに、どうせ殺せるのだからと剣先から意識を抜いていると、こういうことが起こりやすいとも思う。
アイリが好むのは大地に両足をしっかと食い込ませ、強力な一打で敵を打倒する戦い方だ。
この戦い方の一番の問題点は、剣が下手をすればただの一撃でへし折れてしまうこと。
そうならないよう気を配っているのだが、敵の鎧の素材や造りが予想以上に硬いものだったりすると計算が狂ってしまう。
『いっそ棍でも持つか? いや、しかし、やはり剣が一番手になじむ。大体棍であろうと折れる時は容易く……』
ふと、鉄の棍ならばどうかと思いつく。
案外良い考えに思えるが、今一度剣を振ると、やはりそれは悪手であると思える。
剣の形状ならばこそのこの速度なのだ。
アイリは下半身で支える動きから、下半身を振り回す動きに切り替える。
力を込めるはほんの一瞬。
足が大地を蹴り出すその時に、上半身を繋いで腕から剣へと。
恐るべき加速により敵兵の目から完全に剣が消えてなくなる。
伸びた剣は兵士の首脇をすり抜ける。
首の半ばを切っているのだ。
剣を引くと割れた水瓶から吹き零れるように血が流れる。
また一瞬のみ、強く蹴り出し全身をこれに合わせ真上へと剣を振り上げる。
剣先は敵の胴にはまるで当たらず、にもかかわらず顎の下から頭頂までをまっ二つに斬り裂いた。
『やはりこの速さが無くてはな。……結局、如何にして折らずに振るか、であるか』
剣を飛ばす先をより注視するようにしてみる。
見落としを減らすことが、不慮の事故を減らすことになるのだから。
敵が何故援軍を出さなかったのかはわからない。
だが、イェルケルたち四人が最初の一群を皆殺しするまで、アルハンゲリスク兵は一言も無くただ見守るのみであった。
最後の一人をスティナが無造作に振った剣で地面に叩き付ける。
できた死体の上を踏みつけながらスティナが進むと、残る三人も再び横一線に並びながら足を進める。
一番左端にはアイリがいる。
革鎧に剣を下げるといった誰が見てもわかる剣士スタイルであるが、どうしてもその低い背丈と可愛らしい童顔のせいで、子供が強がって背伸びした格好にしか見えない。
それでも、いやそれだからこそ、こちらを見ている民衆や兵士たちを睥睨しつつ薄く笑う様が、返り血が鎧を剣を滴る有様が、恐ろしさを誘うのだ。
ましてや直前に、金属鎧を着込んだ大男を、二つに千切り斬った挙句、剣で斬った勢いでそのまま投げ飛ばすなんて芸当をしでかしてくれているのだ。
こんなバケモノと目をあわせられるわけがない。
アイリがじろりと周囲を見渡すと、誰も彼もが巨大な獣にでも出会ったかのように目を逸らした。
左から二番目にはイェルケルだ。
少し顔が上気しているが、呼吸はそれほど乱れてはいない。背が高く涼しげなイェルケルの風貌は、凛としたという形容がぴたりと来る。
だが、イェルケルの着ている革鎧は、軍服に合わせた黒で統一されているため、どこか威圧するような雰囲気が漂う。
歩き方は如何にも軍人な、背筋をぴんと伸ばしたきびきびとした歩き方だが、無造作に手にしている血の滴る剣や、今にも挑みかからんばかりの獰猛な笑みが、万事整った軍人といったイメージを損ねている。
その目は正面の軍を見据えたまま動かず。
圧倒的大軍を前にしながら、怯え恐れるのはお前らだと言わんばかりに、挑発的な視線を送り続ける。
さあ、今すぐに、かかってこいと。
目で言い続けているのだ。
右から二人目の位置はスティナが行く。
イェルケルには及ばぬも、背は高く、そして何より革鎧如きでは到底隠し切れぬ女性らしすぎるその体型が目立つ。
既に完成されているように見えるスティナのスタイルに、少し童顔気味の顔つきだけがバランスを崩して見える。
そんな自分を知ってか知らずか、スティナの表情はどこか大人びたもので。
漂うほどの色気が感じられるはずのスティナには、ある種妖気の如き気配が纏わり付いている。
圧倒されるほどの美貌に吸い寄せられる一方で、その間合いの内は絶対死の圏内であると確信できる。
だらりと下げる剣こそが魔性の象徴だ。
注意を向ければ向けるほど剣は大きく見えていき、遂にはスティナの姿を隠すほどの巨剣にすら見えてくるのに、剣から意識を外せばそれはもう剣とすら認識されず、薄い、細い、糸が一筋手から垂れ下がっているようにしか見えない。
それは完成された剣豪の佇まいではなく、妖剣に魅入られし人斬りの気配であろう。
一番右端をレアが歩く。
アイリと並ぶほどに小柄で、同じぐらい童顔な彼女であるが、スティナに負けぬほどの大きな胸を持つせいで、背徳的に子供を愛でるといった意識が張り付いてくる。
ある意味スティナ以上に淫靡なレアは、既に二本の剣を手にしている。
上機嫌に、浮かれ顔で、利き腕である右手に短い剣を、逆手の左手に長い剣を持って足取り軽く歩を進める。
四人の中で、一番返り血を気にしなかったのはレアであろう。
鎧のみならず、顔や髪にまで跳ねが飛んでしまっている。
その上機嫌さは、跳ねた血飛沫すら好ましいと思えているようで。
既に、一人の戦士が一合戦で殺せるだけの人数は殺しているだろうに、レアの浮かれた顔は言っている。
これからだ、もっと殺せる、それが、嬉しくて仕方が無いと。
何もかも歪だ。
幼く見える背丈も顔も、女らしさの極みのような大きな胸も、手にした左右の二本の剣も、無邪気に喜んで見える微笑も、流れる血を求めて止まぬ渇望も。
それらを無理に一個人に詰め込んだせいで、正気の者には彼女の姿が歪んでみえる。
まっすぐに歩く彼女が蛇行しているようにすら、見えてくるのだ。
四人はそれぞれの個性を保ったままで一列一塊の四人となりえている。
足を動かす速さはそれぞれで異なっているのに、進む速度は何故か一定で。ゆっくりじわりと進み行く。
正気を保ったままではこの四人を正面より正視なぞできぬであろう。
兵士たちは誰もが思う。
何故、こんなにも斬ったのに、まだなぞという顔ができるのだろう。
こんな大それたことをしておいて平然としていられるのだろうと。
そして気付く。
この四人にとって、これだけの兵士を一人も欠けることなく皆殺しにするのは、当たり前、日常のことなのではないかと。
彼らの足跡にはぬめりとした血の滴りが見え、その表情は死を喜ぶ暗き輝きに見え、その背後には彼らを象徴するように死神の姿が見える。
誰もが、そう、ロシノの街で最も勇敢な男である兵士たちの誰もが、来るな、と心の中で叫んでいた。
レアは、前を向いたまま言った。
「ねえ、王子。私結構、この戦嫌だったんだけど。ごめん、嫌じゃないこれ。どうしよう、私、こんなにわくわくするの初めて、かも」
これに返事をしたのはイェルケルではなくアイリだ。
「おおっ! わかってくれるかレア! そうだろうそうだろう! 我が武勇を示す好機ぞ! あんなにもたくさんの敵が居てくれるのが、嬉しくてたまらぬわ!」
「うん、うん、それ。どうしてやろうって、すっごく色々、考えるのが楽しい」
イェルケルは主道を埋め尽くして見える敵軍から目を逸らさぬまま答える。
「ひっどい連中だな、向こうさんに同情するよ。私は違うぞ、嬉しくも浮かれてもいない。ただ殺すだけさ」
イェルケルの隣でくすくすとスティナが笑う。
「そんな楽しそうに言ったって説得力ありませんわ。ああ、でもホント、なんなのかしらねこの妙に晴れがましい感じ。殺意も敵意も怯える視線も、愛おしいとすら思えてくるわ」
ははは、と声に出して笑った後、イェルケルは敵軍全てに届けとばかりに大声を張り上げる。
「挨拶が遅れたなアルハンゲリスクの諸君! 私の名はイェルケル! カレリア第十五王子にして第十五騎士団団長イェルケルだ! これより我が騎士アイリ・フォルシウス! スティナ・アルムグレーン! レア・マルヤーナの三人と共に! ロシノへの攻撃を開始する! 我こそと思わん戦士は進み出よ! その勇気を称え! 我ら四人が念入りに斬り殺してやろうぞ!」
さあ、行こうか、とイェルケルが剣を前方へと突き出し、叫ぶ。
「突撃っ!」




