041.城攻め終わって
自身の執務室で、宰相アンセルミ王子は椅子に座りながら、両手で自分の顔を覆っていた。
「どうして……こう……要らんことばかりするのか……あの方は……」
さしものヴァリオも今回ばかりは笑えない。
現在アルハンゲリスク大公国との国境を守る指揮官は皆不在で、最も地位の高い者は、この地で修業をさせようと思っていたイェルケルなのだ。
そんなありえない状況の時によりにもよって、アルハンゲリスクが国境にちょっかいをかけてきたのだ。
頭の一つも抱えたくなろう。
イェルケルからの報告によれば本格侵攻ということではないらしいが、額面どおりに受け取るわけにもいかない。
こちらにちょっかいを出す理由は充分にあるのだから。
ヴァリオは一足先に立ち直ったようで、アンセルミに進言する。
「ちょうど良かった、と考えるべきでしょう。イェルケル殿下と第十五騎士団の武勇にて、アルハンゲリスクとの国境の急は防いでいただくしかありません」
「騎士学校出て半年も経ってないイェルケルにか? それだけ聞くと、ウチがよほど人材不足に見えてくるな」
「人材なんてものは幾らあっても足りはしませんよ。マティアス将軍が戻るまで三日程度でしょう? それならそこまで心配することは……」
アンセルミの表情が優れないのを見て、ヴァリオは事態は深刻であると察する。
「まさか、元帥閣下は将軍を……」
「殺してはおらんだろう。だが、将軍は急な病気のため、領地から動かすことができなかった、という言い訳だ。下手をすれば事態を知って尚、この言い訳を押し通す可能性がある。その時はヴァラームには誰か別の者を出さねばなるまい」
「なんとも、ヒドイものですなぁ。あちらの国境は最も安心できる場所だったはずなのですが」
「将軍が昇進させようとまで思っていた副官が二人共死ぬとか、予測できる方がどうかしてる。浮気相手に刺されて死んだとか……もう、本当に、どうすればいいんだコレ……」
「そちらの影に隠れてますが、もう一人の書類仕事が嫌で盗賊退治にわざわざ出向いて殺されたって方も大概ですよ」
更にヴァリオは、眉間に皺を寄せたまま答える。
「すぐに動かせる騎士団は無し……アジルバに向けていた兵を回すしかありませんか。それでも二週間はかかります」
「そうなってくると、イェルケルにかなりの負担をかけることになるな。アルハンゲリスクの要求は全部つっぱねさせるとして、こちらから抗議するなんて真似、アイツにはできんだろう」
「それまでの外交の流れもまるで知らぬのです。専門の者ですら難しいでしょうよ。そこはもう目をつぶって、アルハンゲリスクが軍を動かしてきた場合に関する対応だけ任せましょう」
「となると。ある程度裁量の自由は与えないとな。不文律で指揮官なら誰もがわかっている部分すらアイツは知らないだろう。ちと怖いが、最悪に備えてアルハンゲリスク領内への侵入にも許可を出しておこう」
「怖い、のはわかりますが、それ無しで軍との交戦はさすがに……」
イェルケルたちに国境を越える許可が出ていないと向こうにわかったなら、足の速い軍で国境の出入りを繰り返すことでこちらの領内はボロボロにされてしまうだろう。
軍を出すのなら、最低限これだけは認めておかねば話にならない。
篭城のみを許す、とでもしない限りはこの許可は出さざるをえないのだ。
ついでに攻めるからには手柄を、なんて考えないように砦は落とさなくてもいいと付け加えてやる。
「他にも何か無いか? こんな無茶な仕事を押し付けておいて、もし失敗したらイェルケルの責任を問わねばならない。アレを処断するなぞ冗談ではないぞ。軍の者に頼んでもっと細かく指示を出すべきではないのか?」
「私が思いますに、イェルケル殿下は異常な武勇ばかり目立ちますが、あれで戦の立ち回りは悪くありませんよ。アジルバの時なぞ、ただ武勇だけの者であったなら後に続く予定の反乱を抑えることはできなかったでしょう。今回も当人がきちんと、アルハンゲリスクによる一時的な略奪行為ではなく、本格的侵攻の危険性に気付いているようですし、それほど不安がることは無いかと」
「そういえばお前は以前からイェルケルを評価していたな。それは直接会った印象か?」
「ええ、穏やかで誠実な人柄だと感じましたし、何より自身が足りぬ者であることを自覚しておいででした。ああいう方は、伸びるのも早いと思いますよ」
「…………やっぱり、私が直接会ってゆっくりと話しておきたいのだが」
「はっはっは、寝言は寝てからにしてください。ほらほら、元帥閣下に今すぐにでもマティアス将軍を送り出すよう、文句を言いに行く仕事が待ってますよ」
「お前なぁ、そうやって簡単に言うが、元帥閣下に意見するのはほんっとに神経使うんだぞ」
「ですが国中探してもそれができるのは閣下しかおりませんので。ほら、さっさと行ってください」
「おおっ、まるでこの世の全てが私に面倒事を押し付けてくるようだ……すまん、イェルケル。盛大に恩に着てやるから、兄を助けると思ってもう少し苦労を背負っていてくれ……」
アンセルミが心配するイェルケルはというと。
この手紙を読み、ビボルグの砦を攻めてもいいんだ、と受け取った挙句速攻でこれを落としてしまうのだが。
まさか城攻めまで野戦と同じようにやらかしてくれるとは想像もしていなかったアンセルミであるし、イェルケルたちの暴走はこれに留まらない。
これで、終わってはくれなかったのだ。
ビボルグの砦に入った五十人のカレリア兵たちは、中の惨状を見て色々と思う所もあったようだが、イェルケルの指示にはよく従った。
地下牢に閉じ込められていた娘たちを助け出し、すぐに彼女たちを村に送り届けさせる。
そして代わりにここに捕虜を入れる。
アルハンゲリスク兵の捕虜は全部で六人。これには砦の大将ロニー・エステルバリと副将ミカル・ニリアンも含まれる。
この二人はスティナがきっちりとっ捕まえていた。
これ以外の四人の兵は、カレリア兵たちが砦内の死体を片付けていたところ、砦の中で腰を抜かしたり気を失ったりしていたものを捕まえたものだ。
現在砦内を動き回っているのは、カレリアの兵たちのみだ。
この砦を自分たちで使うために必要な準備やら、残された遺留物やらの確認に走り回っている。
イェルケルたち四人はというと、カレリア兵たちが持ってきた食料と水をしこたま腹に収めた後、砦内にあったベッドに寝転がって熟睡中である。
常識外れの武勇を誇ろうと、疲れるものは疲れるのだ。
翌朝起き出してきた四人だったが、まだ本調子とは言えず、なんとも気だるそうなままだ。
レアなどは、まだ寝るとベッドに引っ込んでしまっている。
イェルケルもそうしたかったのだが、兵士たちに指示を出すのはイェルケルの仕事だ。
だが、無理をして動くイェルケルを見て、スティナがその両肩を後ろから掴む。
「でーんかっ」
「ん? スティナか。どうした?」
「そんな見るからに痛そうにひょこひょこ歩かれたらこっちが気を使ってしまいます。ですから……」
そう言うと両肩を掴んでイェルケルを持ち上げるスティナ。そのまま反対側に向いて、イェルケルを部屋の出口に向ける。
「後は私たちがやりますので、殿下は休んでてください」
「いや、そうは言うが……」
「さもないとこのまま私が殿下持ち上げて砦の中歩き回りますよー」
「おい馬鹿よせやめろっ。いや本気で頼むからそれだけは止めてくれ」
「あははっ、やっぱり殿下でも恥かしいんですね」
「悪さした子供じゃないんだから、勘弁してくれよ」
「おかーさんの言うこと聞かない悪い子ですから、しょーがないですよー。ほらほら、早く休む。動きすぎたせいで体中痛いまんまなんでしょう?」
「だー、わかった。わかったからやめろっ。スティナは大丈夫なのか?」
「我慢できないほどじゃありませんね。まっ、基礎体力の違いってことですよ。しょーじんしてください」
「へいへい。んじゃ悪いが後は任せる。アイリには幾人か率いて周辺偵察に出てもらっていいか?」
「了解しました。ではでは」
スティナが面白がっていつまでも掴んでいた肩を離してやると、イェルケルは苦笑しつつベッドに戻っていった。
そして、後を任されたスティナは意気揚々と捕虜を引きずり出す。
場所は砦内の一室で、両手を後ろ手に縛られ、その場に両膝を突け跪いているのはロニー・エステルバリだ。
彼は、憤懣やるかたなしといった風情である。
「いい加減にしろ貴様ら! これがエステルバリ家の者に対する扱いか! カレリア貴族は捕虜の扱いも知らぬのか!」
ロニーを牢屋より引きずりだしてきた兵士曰く、これでも、まだマシな反応らしい。
ロニーを捕まえた当人であるスティナはさすがに怖いようだ。
それでも口数は減らないのだが。
「大体だ、いつまで私を待たせるつもりだ。さっさとあの王子に会わせぬか。他国の貴族に対するこのようなぞんざいな処遇、仮にも王族を名乗る者なら恥じ入ってしかるべきものだぞ」
スティナはロニーを連れてきた兵士に言う。
「頭悪そうね、コイツ」
「は、はぁ……」
この言葉が聞こえたロニー、声を荒らげて騒ぎ出す。
「貴様! 騎士風情が何を!」
鬱陶しいのでスティナは平手で顔を殴ってみた。
スティナとしてはそれほど力を込めたつもりもないのだが、ロニーの顔は首で変な音が鳴る勢いで真横を向く。
だが、ロニーの憤怒は衰えず、強い瞳でスティナを睨み返す。
「くっ! 殺せ!」
「もちろん、そのつもりよ」
「貴様程度でそれができるというのならやってみるが……え?」
兵士も、そしてロニーですら気付かなかった。
スティナはいつの間にか抜いていた剣を手にしているではないか。
兵士は呆然とした顔で、ロニーの左腕があった場所を見ている。
その視線で、ロニーは自らの身体の異常に気付けた。
左腕が肩口からすっぱりと切り落とされていた。
後ろ手に縛られたままだったので、ロニーの左腕はだらんと後ろに垂れ下がり、ロニーが右腕を動かすと手首で結ばれた縄の先に、重い何かの感触がある。
「う、うおおおおおおおおおおお!!」
絶叫。スティナはその声の大きさにも特に怯んだ様子は無い。
「でも、殺す前に色々聞いておきたいから、それまでの短い間、よろしくね」
その後、兵士を記録係としてロニーの供述を書き記しつつ、スティナによる尋問は続いた。
ロニーは年若く尊大で自分勝手な男だったが、軍務を疎かにすることもなく学ぶべきは学んでいたので、それなりに価値のある供述書を取ることができた。
スティナが聞くべき事は全て聞き終えると、後は兵士に任せ、ロニーが生まれてからこれまで起こった出来事を全て説明させてそれを書き取ることにした。
他国とは文化や常識において違いがあるもので、それを相手国の貴族から根掘り葉掘り聞ける機会は貴重なものだ。
スティナが部屋を離れようとすると、弱々しい声でロニーがスティナにすがってきた。
「たの、頼むぅ。我が、我が、父に、一言でいい、窮状を伝えてくれれば、きっと……きっと、父上が……」
「はいはい、それは良かったわね、お父さん助けに来てくれるのね。なら、アンタが死ぬまで後ほんの少しだけど、せいぜい間に合うよう祈ってなさい」
「ち、違うっ、そうじゃないんだぁ……どうしてだ。エステルバリ家を、どうしてお前たちは、知らないんだぁ……カレリアは、どうして貴族にこんなことができるんだぁ……」
知らなかったの、とスティナは薄ら笑う。
「戦なら、敵をどれだけ殺しても、どう殺しても、咎めは受けないのよ。ホント、良い所よね戦場って」
スティナは兵士に釘を刺す。
これはもう、どうやっても死ぬから変な同情なんてしないで、聞くことだけ聞いたらさっさと殺すように、と。
スティナが部屋を出れば後はロニーと兵士のみであるのだが、兵士にとって、ロニーの脅しなんてものより百倍スティナの方が怖いので、彼は言われた通り、ロニーの半生を全て記述した後、哀願する彼の首を斬り落としたのであった。