040.ビボルグ砦の攻城戦
城壁の上に飛び上がった三人、スティナ、アイリ、レアは、事態を把握しておらずぼけっとしている見張りの兵士を、手近な所から順に斬り倒していく。
レアは、何をする、と叫びまるで乱心者でも見るかのような驚きの顔をする見張りたちに、自分たちがどうやって城壁を登ったかを教えてやりたい衝動に駆られるも、敵が簡単に殺せるこの機を逃すつもりもなく、素早く、かつ一撃で敵を殺していく。
二人目を斬ったレアの目に、城壁の内側についた階段を駆け下りていく兵士の姿が見えた。
彼は城壁上にいる兵士たちとは違って必死の形相であり、それが故にレアの目についた。
彼は階段を下りきると大声で叫んでおり、これを聞いた周辺の兵士たちが慌しく動き出す。
一塊の兵士群が、雄たけびと共に階段を駆け上ってくる。
スティナとアイリは、無理に階段を降りようとはせず上がってきた兵士たちを迎え撃つ姿勢だ。
レアが思っていたよりずっと敵の反応が良い。
こんな想定もしなかっただろう襲撃に対しても、どうやって城壁を登ったかなんて考えるより敵を如何に迎え撃つかを考え動くのだ。
襲撃自体、絶対にまだ城の指揮官に伝わっていない。
三人が城壁上に辿り着いた瞬間から走り始めたとしても、城の中に辿り着いてさえいないだろう。
その程度しか時間は経っていないというのに、上の指示もないまま現場の判断だけで当たり前に迎撃の態勢を整える。
これが軍隊か、とレアは感心しきりだ。
階段を昇りきった兵士たちはレアたち三人、いや、イェルケルも登れたので四人、の姿を見るなり、その数の少なさに驚く前に、仲間を殺されたと激情のままに襲いかかってきた。
レアはこれも凄いと思う。
先程階段を降りていった兵士は、仲間が殺されるのを尻目に一人で逃げていた。
怒りもあったのだろうに、城全体の利益を考え最も適切と思われる動きをしたのだ。
彼は城壁を降り階下の兵たちに伝えるべきことを伝えると、今度は城に向かって走り出していた。
実際に現場を目にした者が、起こった出来事を上に伝えに行ったのだ。
それをレアは効率的な動きだと考える。
そして城壁上に来た兵士たちだ。
たった四人に二十人近くが斬り殺されている。
少し考えれば並々ならぬ手練なのはすぐにでもわかろうが、戦うべき場面と相対したならば戦うに足る理由のみを見て勇気を奮って動くのだ。
逃げるべき場面ではきちんと逃げ切り役目を果たしてみせたように。
意図してやったかそうでないかはわからない。
だが、結果として今彼らにできる最善で、レアたちを迎え撃っていると思えるのだ。
襲撃前。
城壁を、壁を跳んで越える自信があったレアは、同じことができるスティナ、アイリと三人でこれを行なえば、敵はたちまち大混乱に陥り、そんな右往左往する敵を麦穂を刈るように殺して回れば、怯え震えた敵はさっさと城を捨てて逃げ出してしまうだろう、なんて都合の良いことを考えていた。
だが、彼らは弱者を虐げることしかできぬ盗賊などではない。
訓練を重ね覚悟を決めてきた兵士であったのだ。
自らの心得違いをレアは深く恥じ入った。
そして、アジルバの街でそうであったような戦いが、ここでも行なわれるだろうと腹を括る。
これは厳しい戦いになるぞ、と構えたところで、ついさっき登ってきたイェルケルがやる気に満ちた様子で敵に斬り込んでいくのが見えた。
多分、自分だけ跳んで登れなかったのを気にしているのだろう。
決死の覚悟の直後にこんな可愛らしいものを見せられては、とレアは耐え切れず噴き出してしまう。
イェルケルの側に駆け寄り、これの背後を守る位置を取りながら話しかける。
「王子、無理は厳禁」
「ぐぐっ、つ、次は私もできるようになっているからな、絶対だぞっ」
相当悔しかったようだ。
レアにはわかっている。
レアにできてイェルケルにできなかったのは、単純に体の大きさの差であろうと。
でもそれを口に出してやるのは悔しいので、レアは全く別のことを言ってやった。
「せいぜい、怪我しない程度に、頑張って」
「よ、余裕見せてられるのも今のうちだからなー!」
レアは思った。
『何でこの人は、戦場のただ中にいるというのに、こんなにも真剣味が足りないんだろう』
いや、と、イェルケルが兵を斬るさまを見て考え直す。
この人は油断なんてしていない。
手加減も無し。
技量の限りを尽くし、敵を効率的に殺している。
スティナやアイリがそうするように。
もちろんレアもそうだ。
だが、こうしてイェルケルが浮かれているように見える理由はわからない。
そう、イェルケルはとても楽しそうに見えるのだ。
階段下からはひっきりなしに増援が昇ってきており、敵兵士はまるで減る気配が無い。
アジルバ市街戦の時の、自らの死に向かって死者を積み重ねるような途方も無く無為な作業感を思い出す。
心が挫けそうになるのを、自らを騙して誤魔化している。
いや、イェルケルならばそんな必要は無い。
きっとそれが真に死に至る行程であろうとも、どこまでも歩み続けることができる人間だとレアは思う。
なら何故、浮かれるような自らの精神状態を制御しようとしないのか。
『その、必要が無いから、かな。このままでも、王子は失敗しない自信が、あるんだ』
相変わらず周りを囲まれキツイ戦場だというのに、と考えたレアは自分が、余計なことを延々考えていることに気付いた。
そんな余裕、アジルバ市街戦ではほとんど持てなかったというのに。
『あれ? アジルバより、楽? あ、そっか。だって、四人揃ってるし』
また戦場も狭い。
城壁上では多数が展開できず、さりとて城壁下から矢でこちらを射掛けるのも難しい。
幾人かが城楼から矢を構えようとしているのが見えたが、姿を現すなりスティナかアイリがそこらの剣なり槍なりを放り投げて仕留めてしまう。
『あの二人、本当に、なんでもできるんだ』
レアもそれなりに投擲術は習得しているが、弓矢と同じレベルであるあの精度はどうやっても出せそうにない。
スティナたちのおかげで、矢でこちらを攻めようとしたら少数がどこかに陣取るのではなく、部隊として展開してこなければ問題にならないだろう。
四人がかりで兵士たちを押し出していくと、そろそろ降りる階段が見えてきた。
そこでスティナがこちらに向かって叫んだ。
「殿下! レア! 上はお願い! 私たち下行くから! アイリ!」
「任せいっ!」
言うが早いか二人は、胸壁に手をかけるとひょいっと一飛びで、城壁の内側へと飛び降りていった。
「えええええええええ!?」
レアが今までの人生で、一度も出したことのないような大声を張り上げる。
同時にイェルケルも叫んでいた。
「おいいいいいいいい!?」
二人は同時に胸壁の側に寄り、城壁下を見下ろす。
ちなみにこの時、他の兵士たちも皆イェルケルたちと同じことをしていた。
イェルケルとレアが胸壁に辿り着いた時には、既にスティナとアイリは城壁下に落着した後で、まるで落下の衝撃なぞ無かったかのように、付近の兵士たちを斬り倒して回っていた。
人の背の十倍である。
十倍。
十倍もあるのだ、
高さであって重量のことではない。
人の、背の、十倍の、高さがあるのだ。
到底信じられる光景ではない。
だが、当人たちが自信満々で飛び降りて、実際に無事だったのだ。
レアたちにとってこの結果は問題無いはず。
レアはイェルケルと顔を見合わせた後、はたと気付いて敵兵士にも目を向ける。
彼らもまたどう反応していいのかわからぬ顔であったが、階段上部に居た小隊長らしき人物が攻撃を命じると皆一斉に動き出した。
階段を昇る途中の兵士は、スティナとアイリが何をしたのか一部始終をその目で見ていた。
二人は壁際を飛び降りたのだが、片腕で途中途中の城壁のへこみを掴んでは離していた。
これで落下速度を減速しつつ、綺麗に着地を決めたのだ。
人の背の、十倍の高さから。
まるで羽毛がひらりひらりと舞い落ちるようであった、と兵士たちの誰もが感じたそうな。
城壁下のスティナとアイリは、階段の下を制圧すると、これ以上昇れないよう陣取る。
これに合わせ階段上の兵士たちをイェルケルとレアが仕留めていくと、階段にはほとんど兵士が居ない状態に。
ここでイェルケルとレアが一気に階段を駆け下りる。
途中、やはりと言うべきか矢が二人を狙ってきたが、階段を五段も六段も一気に飛ぶような降り方の二人を捉えることはできず。
城壁下で再び四人は合流する。
城壁下の中庭には多数の兵士が集まっており、彼等は一斉にこちらへと襲い掛かってくる。
だが、四人が揃っている状態であるのなら、向こうから攻めかかってくれるのは有難い限りだ。
敵が迫り来る速度より、四人が斬り捨てる速度の方が速いのだ。
瞬く間に兵の死体が積み重なっていく。
またこの腰辺りまで積み重なってしまった遺体が邪魔で、攻め手も思うように押し寄せられず、より効率的に数を減らされてしまう。
戦場に余裕ができてきた、と思うとスティナが動いた。
いや、動いたというより消えたという方が相応しい。
気が付いた時にはもうどこにも見当たらなくなっているのだ。
それはイェルケルたち側だけでなく、ビボルグ砦の兵士たちにとっても同様で、時折、もう一人はどうした、なんて声が聞こえてくる。
それに対する返事をイェルケルたちも期待していたのだが答えは無かった。
アイリは特にそのことに反応しているようでもないので、或いはアイリにだけはスティナは何か言っていたのかもしれない。
そう思えたおかげで、イェルケルもレアもスティナの不在をそれほど気にせずに済んだ。
敵兵士の動きを、レアは一人一人を見るだけではなく、全体の流れとしても見ていた。
少し、レアたちの方に向かってくる兵士の数が減り、突っ込んでくる兵士たちは時間を稼ぐように防戦の構えを取っている。
取ったところで耐えられる時間は一緒であるにしても。
『時間稼ぎ。陣を整える。槍? いや、弓、かな』
警戒し始めた時には、既に弓兵の備えは終わっていた。
ここの兵士たちはアジルバ市街戦の時より錬度が高い。
イェルケルの怒鳴り声が。
「レア! 死体を盾に!」
弓を構えている兵士の数は、二十、三十、もっといる。レアは言われるまでもない、と足元の死体を抱え上げる。
直後、矢を射放つ弦の音が聞こえた。
死体盾に、それなりの重さがかかる。
案外に矢というものは重いものだ、と他の二人を見る。
二人は、遺体を盾にすることもなく、その場に剣を持って突っ立ったままであった。
『へ?』
「第二射! 撃て!」
敵指揮官の声に合わせて再び矢の雨が。
今度は量が倍ぐらいに増えている。
そんな矢の雨を、アイリとイェルケルはなんと、剣で切り払っているではないか。
一本二本ならわからないでもない。
だが、自分の体目掛けて高速で飛来する数十の矢を、全て払い落とすなんて真似ができるものなのか。
呆気に取られているレアに、イェルケルから指示が飛ぶ。
「弓隊を潰す! 走れレア!」
そんなもの言われる前にわかれ私、と驚きに硬直してしまった自らを叱咤しつつ、レアは弓隊、それも今正面に展開している部隊ではなく、更に側面に回り込もうとしているもう一部隊に向かう。
敵指揮官の声が聞こえた。
「今だ! 槍行け!」
槍襖が突っ込んでくるのではない。
弓隊の後方にいた兵士たちが、槍を投げ付けてきたのだ。
レアは側面展開している弓隊を狙っていた為、こちらには来なかったのだが、無数の槍はイェルケルとアイリを狙い降り注ぐ。
矢と違って重量がある槍だ。
そう容易くは弾けまい、そんな意図は後付けのもので。
当初は弓での連射に限界があるので、弓射と槍投げとを交互に行い連続して射掛けようというつもりであった。
もっとも、重量のある槍たちも、イェルケルは足を止め強く剣を振ることでやはり全て弾いてみせたし、アイリに至っては足を止めることすらできず全て矢と同様に弾かれてしまった。
レアは回り込もうとしていた弓隊に突っ込むと、まず最初の兵は弓でレアを殴りに来た。
レア、弓ごとその兵を斬り捨てる。
他の兵士たちもそれを見たのか、弓で殴りにきたり、後ろに回りこんで掴みかかろうとしたりと、弓に拘らず柔軟に対応してくる。
それら全ての動きを、凌駕する速度でレアの剣が兵士たちを斬り裂く。
即死の急所に拘らず、出血が多すぎて死ぬ場所も狙う。
大量に血が出ている者は、こちらに反撃はしてこずにその場で死ぬまで蹲るからだ。
前の戦と比べて随分と効率良く殺せるようになった、と少し自信を持てるようになったレアは、次の瞬間そんな慢心を吹き飛ばすような目に遭った。
剣が微妙に届かない距離で、敵兵士は誤射も恐れず矢を番え弓を構えていたのだ。
乱戦の最中に、レア目掛けて、血走った目で。
大慌てで腰を屈める。
頭の上をかすめていく音がした。
だが、まだすぐにはそのイカレ射手を殺すことはできない。
彼が次の矢を番える前に、そう焦りながら二人を斬る。
次こそイカレ射手を、と彼の首を飛ばしたところで気付いた。
同じように、乱戦中に矢を番えてる馬鹿がいる。
見えるだけで三人も。
狂気は伝染するものらしい。
放たれる矢。
悲鳴と怒声は、誰が誰に対して言っているものなのか。
狂った兵士の内の一人が気付く。
矢は、遠く離れて撃った方がより、反撃を受け難いと。
乱戦から距離を取り、こちらに矢を放つ。兵士たちの隙間を縫って飛来する矢。
だが、矢弾きをレアは見た後だ。
『一本ならっ』
乱戦の最中、満足に剣を振る空間も無い中で、レアは剣を真上に振り上げ矢を弾く。
すると、兵士たちは皆、距離を取って矢を撃とうとレアから離れようとしはじめた。
『うん、正しく、狂ったね。コイツら』
恐怖からか、何をしているのか自分でもわかっていないのだろう。
指示を出すべき者が居ないことも影響しているようだ。
前でレアを防ぐ者が居なくなったのならば、後は好き放題に動けるのだ。
レアは逃げ出そうとする兵士たちを後ろから次々と斬り捨て、斬った彼らが倒れるまでの間にこの陰に隠れて矢をやり過ごし、また別の敵を狙うといった流れで敵兵を屠っていく。
集団でまとまって行動されるから面倒なのだ。
こうしてバラけてくれるのならレアにとっては格好の標的である。
弓隊の半数を失ってようやくどこかの隊長が彼らに指示を出したが、最早秩序立った行動は望むべくも無かった。
イェルケルとアイリの方も、弓隊への突入を成功させたようだ。
後退する弓隊の前に槍を持った部隊が割り込んで入ろうとしているのだが、妙に動きが鈍く二人を止めるには至っていない。
レアもそちらに合流すると殲滅速度が格段に上がる。
こちらの数が増えると攻撃される回数がその分減る。
なので八方から襲い来る敵の攻撃を避けたり受けたりする時間を減らすことができ、その時間を攻撃に充てることができるという話だ。
この説明は大雑把なもので、実際は味方の連携や敵の連携阻止が絡んでくるのだが、根っこの所はこういうことである。
敵の動きを不思議に思うレア。
ある時点から敵が小細工をしてこなくなった。
今はひたすら押し寄せるのみだ。
敵の弓隊展開を防ぐため、時折単騎で突出することもあるのだが、こうした行動に対しての反応も鈍い。
城壁上で戦っていた時のこちらが何かをしたら即座に返してくるあの、多数の人間を相手にしているとはとても思えない見事な指揮はもう見る影もなくなっている。
『スティナが、指揮官を倒した? んー、でも、この状況で指揮官死んでたら、もう逃げ出してるんじゃないかな』
レアの疑問の答えが判明したのはそこから更に一時間ほど戦った後になってからだ。
壁を昇ってから二時間弱。
アジルバの時より楽だとはいえさすがに呼吸も荒くなってきた。
まだ自分では動きが鈍ったつもりはないが、或いは気付かぬ所で甘い動きが出ているかもしれない。
敵指揮官の声で起こった出来事に気付けた。
「逃げるな! 貴様らそれでも誇り高きアルハンゲリスクの兵士か!」
レアも気付かないうちに、敵軍の士気は大きく崩れており、既に逃亡兵も出始めていたのだ。
指揮官のこの声にびくりと震えたのは、最前線でこちらに突っ込んでこようとしていた兵士たちだ。
彼等はこちらに向かって飛び出すのを、明らかに躊躇しだした。
指揮官の、行け、という指示にも足は止まったまま。
イェルケルが手近な敵を処理し終えると、足を止めてる彼らに向かって踏み出した。
これがきっかけとなって、前で戦っている兵士たちも皆こちらに背を向け逃げ出した。
見ると、後方では既に兵の逃亡が始まっていたようだ。
その時ふと、開かれた城門の影に一人の人物を見た。
レアは彼は覚えている。
こちらの襲撃時、階段を下って城壁下に状況を伝え、そのまま城内に報告に向かった者だ。
『勘の良い人って、いるもんだね』
兵士たちが壊走するまで安全な場所で隠れていて、いざ壊走が始まり指揮官が指揮を諦めた瞬間、ああして即座に逃げを打ったのだろう。
その立ち回りの妙に感心することしきりなレアは、彼に向かって内心のみで賛辞を送った。
『お見事』