038.許可が出たので攻めてみる
「死体が足りない?」
イェルケルがそう問い返したのは、焼き払われた村の片づけを行なった兵士から、報告を受けたからだ。
兵士曰く。
村人の総数と比べて、転がっている遺体の数が合わないそうだ。
「村民名簿と遺体とを照らし合わせてみるに、幾つか焼けて判別つかないのがあるにしても、見つからない数と、この村の若い女性の数が同数であることを考えれば、彼女たちは殺されず連れ去られている可能性があるのではないかと」
「襲撃はカレリアへの嫌がらせだろう? それも秘密裏に行なわなければならない類の。足がつくような真似をするものか?」
「奴隷法施行の関係で、若い女奴隷の値段が跳ね上がっていますので……」
「ん? それはカレリアの話ではないのか?」
「アルハンゲリスクに輸出していた分が無くなりましたから。やはりあちらでも値段は上がっています」
兵士の言葉に、イェルケルは納得する。
できてしまうと今度は、顔に感情が出てしまう。
兵士が怯えるのを見て慌ててこれを自制するイェルケル。
スティナたちが戻ってくると、この予測を裏付ける証言が取れる。
牢獄に入れられたニクラスは、率先して情報をこちらに開示してくれた。
その中に、村を襲った時さらった娘たちの話もあった。
「ああ、ビボルグ砦に放り込んである。商人来るのが来週だったか、そのぐらいだからその時まではあそこで預かってる」
ニクラスの証言に、スティナとアイリは失策をしでかしたような顔で頭をかく。
レアが二人にそうする理由説明を促すと、スティナが嫌そうな顔で言った。
「ウチの殿下、そーいうのダメなのよ。しかも今回コレ、たいぎめーぶん、って奴もあると言えばあるからねぇ」
「アルハンゲリスクの砦に、乗り込むってこと? さすがに、そこまでやっちゃったら、王都にも言い訳できないんじゃ」
思いっきり聞こえているイェルケルがつっこんでくる。
「おいっ、人を感情だけで動く考え無しみたいに言うな。私だってそれがそう簡単にやらかしていいことかどうかはわかるぞ」
そんな言葉を吐きながらも、イェルケルの表情は優れない。
やはりイェルケルにとって、許しがたい行為なのであろう。
だがしかし。
対策を練っているこの時、王都から書状が届いたのだ。
随分と速い返答だが、ヴァラーム城の窮状がきちんと伝わってくれたということであろう。
そこには、要約すればこんなことが書かれていた。
『そちらの判断次第では、ヴァラーム城の防備を整えたうえでという条件付きではあれど、交戦も已む無し。敵がカレリアを侮るようであればアルハンゲリスク領内に討って出るのも認める。その時は、ビボルグ砦を無理に陥落せしめる必要は無い』
イェルケルはこの書状を自分だけではなく、スティナ、アイリ、レアの三人にも見せてやる。
レアはこの書状とヴァラーム城の置かれた現状を勘案して、ぼそっと溢した。
「あれ? これってつまり、ビボルグ砦攻めていいってこと?」
アイリもうーむ、と考え込むような姿勢だ。
「侮るようならば、って、連中最初っからこちらを侮りっぱなしであるしなぁ」
スティナは、イェルケルの表情を見て説得を早々に諦める。
「あー、それじゃとりあえず一度行って、ビボルグ砦がどんなモノか見てくるとしますか。ねえ殿下、どーせ行くって言うんでしょ」
「ああ」
「こんな時だけ素直なんだからもー。前話してた城攻めの話。試してみるいい機会ですしね。死人出したら将軍に悪いし、私たちだけでやりましょ」
「そうだな。……あ、いや、補給用に後続として五十人ほど付いてきてもらおう。砦を取ったら、すぐに準備しないといけないしな」
一応、といった調子であるが確認するようにレアがイェルケルに問うた。
「相手砦で、五百近くいるよ?」
「だから、私たちだけでやるんだ。私は多数の兵なんて指揮したこと無いんだぞ。マティアス将軍の留守中に兵力半減しました、なんてなったらどうする」
「無茶な戦は控えるって話は、どこに行ったの?」
「何、今回はそれほど無茶じゃないさ。良し、城の中隊長たちも集めて、作戦会議といくか」
ヴァラーム城防衛隊中隊長アントンは、安全な距離からその砦、アルハンゲリスクのビボルグ砦を眺めていた。
「いやー、見るのは久しぶりですけど、最前線の出城ってだけあって相変わらず隙の無い運用してますなぁ」
半ば現実逃避気味にそんな言葉を漏らすと、隣にいるイェルケルはアントンにあの砦の説明を求める。
アントンは自らの知識の及ぶ限り全力で、如何にあの砦に隙が無いかを懇々とイェルケルに説いてやった。
今アントンがここにいるのは、実に馬鹿げた話なのだ。
イェルケルの立案した作戦により、この場にいるのは第十五騎士団四名と、その補給目的でついてきた五十名の兵士、それだけだ。
このメンバーだけであの五百人を擁するビボルグ砦を攻めるというのだから。
作戦案を聞いた時は、中隊長六人全員で反対したものだが、二時間かけてイェルケルがこれを説得した、というか他中隊長が匙を投げたというべきか。
結局身分と立場の違いで押し切られ、アントンは今こうしてビボルグ砦の側まで来ているのだ。
当然向こうはもうこちらを察知していよう。
たかが五十を相手にそれでも討って出てこないのは、そもそも五十で出てくるなんて誰も考えてもいないからだろう。
土地勘のあるビボルグ砦側にすら気付けぬ兵が潜んでいる、そんな可能性を考え慎重になっているのだろう。
一通り説明を終えたアントンは、改めてビボルグ砦に目を向ける。
山中にあるというのに、良くできた城である。
城壁は人の背の十倍を優に超え、内には数千人を収容できるほどの広さがある。
とはいえ、この砦を守る最適の人数はおよそ五百弱。慣れた者たちならばもっと少なくても充分だろう。
城の中にはかなり深くまで掘ってある井戸もあり、食料の備蓄さえあれば幾らでも篭城可能。
またこの周辺には他にもアルハンゲリスクの出城が作られており、更にこの城を抜けた先にはロシノという大きな街があり、ここにも兵がいる。
カレリア側がヴァラームの城一つでここらの国境付近を警戒しているとすれば、アルハンゲリスクは幾つかの出城と、出城よりは奥まった場所にあり出城への補給地点としても使えるロシノの街を連携させることで国境を守っている。
その内の一つにこうしてちょっかいをかけたのだ。
既に連絡は他の出城、そしてロシノの街に向かっているだろうし、連絡を受けるなり援軍も出してくるだろう。
いったいどうするつもりなのか、とアントンは疑わしげな視線をイェルケルに向ける。
イェルケル達四人は、アントンの視線に気付いていないのか、こちらもじっとビボルグの砦を眺めながら四人で話を続けている。
「どうですかな殿下、いけそうですか?」
「難しい、かな。昼間ならまだしも、夜となると……今日は月、どんなもんだっけ?」
「月云々は、考えない方がいい、曇ったら無理だし」
「ま、私もアイリも夜だと失敗する可能性もあるしね。あれ、見えないのって案外危ないのよ。レアは登攀どう?」
「単身で登れって言われたら微妙。上で援護もらえるなら、問題無い……私も跳ぶの、試してみていい、かな?」
「何っ! レアはできそうなのか!?」
「一応、ヴァラームの城壁では試した。いけた」
「な、なんだとおおおおおお! ぐ、ぐぐぐぐぐ、いつの間に……」
悔しそうなイェルケルに、ちょっと得意げなレア。
やるではないかと褒めるアイリに、王子を慰めるスティナ。
イェルケルが落ち着くと、アントンに振り返って言った。
「じゃあ行ってくる。こういう言い方はどうかとも思うが、君たちにはここで起こった出来事の証人になってもらうつもりなんだ。だから、私たちの戦いをここから必ず見ていてくれよ」
「は、はぁ」
なんと返していいものかわからず、アントンは気の抜けたような返事しかできない。
四人はそんなアントンを置いて、さっさと木々の間に消えていった。
しばらくは姿は見えないままだろう。
兵士たちも不安そうに砦を見ている。
最前線の城に突然現れた王子。
その気概は皆も認めるところであったが、ではその実力はと問われて答えられるのは中隊長しかいない。
それにしたところで、個人の武勇であって軍を率いる能力ではない。
兵士の一人が、あ、と声を出す。
木々が途切れるとそこから城壁までは結構な距離がある。
これは急な坂にもなっていて走って近寄るのも大変なのだが、そこに、四人の姿が見えたのだ。
豆粒みたいに小さく見える四人は、ちょこちょこと忙しなく動きながら城壁を目指している。
「あれ? なんかあれ、おかしくないっすか?」
「おー、それそれ。あそこ坂だよな? なんだってあんな速いんだ?」
「てか普通走るか? 途中で絶対バテるだろ」
「四人とも軽装だからイケるんじゃね?」
「重装だったらそもそも登れねーよ。……いや、ホント、速すぎないか、あれ?」
「もう城壁ついちゃうじゃん。あんだけ速いともしかして、アルハンゲリスクの奴ら、気付いてないんじゃね?」
彼らの雑談がぴたりと止まったのは、その直後に見えた景色があまりに現実から乖離しすぎていたせいだ。
駆け寄った豆粒四つの内、三つがぴょんと跳ねたのだ。
壁に向かって。
豆粒は壁に当たるとまた跳ねる。
だがその跳ね方がおかしい。
物は下に向かって落ちるようできてるはずなのに、何故かあの豆粒は壁に当たったら上に跳ねる。
しかも、一度では済まない。
何度も何度も、ぴょんぴょんと壁上目掛けて跳ね続けていく。
「ノミみてぇ」
あの豆粒の正体がうら若き美少女とわかっていてそんな言葉が出てしまうほど、人間とは思えぬ挙動であった。
「あ、真ん中のノミ元気ねえぞ」
「おー、頑張れー、あとちょっとー、よし、登った」
意味がわからなすぎて、兵士たちは考えることを放棄しているようだ。
「おい見ろ、一匹ノミじゃなくてアリが混ざってる。ほら、ちょこちょこ登り始めた」
「アリ、っていうか蜘蛛か? 気持ち悪いくらいはえーぞあれ」
仮にも自国の王子様を匹で数えるのはいかがなものか、なんて声は誰からも上がらない。
アントンですら止める気にならない。
スティナ、アイリ、レアが披露したのは、アジルバの街で見せた壁を蹴って登る壁跳び、の応用であろう。
これはイェルケルもできたのだが、見上げんばかりに聳え立つ城壁相手では、イェルケルはまだ修業が足りなかったようで。
昼日中、真っ向から城壁に突っ込んだというのに、相手に気付かれぬうちに城壁上へと登りきったスティナ、アイリ、レアの三人。
彼女たちが暴れているせいか、城壁上では賑やかそうな騒ぎ声が聞こえてくる。
更に、時々、壁から何かが落っこちてくるのも見える。
兵士の一人が、真顔に戻ってアントンに問うた。
「中隊長。あの人ら、いったいなんなんすか?」
「俺も知りてえよ」