036.王子の罠
イェルケルの対応のせいかおかげか、ヴァラーム城の兵士たちの士気はこの上なく上がっており、皆がアルハンゲリスクのクソ野郎共ぶっ殺したるわー、と息巻いている。
だがイェルケルはもちろんそんなつもりはなく。というか攻め込むなんてなったらさすがにイェルケルの権限を越えてしまう。
しかし当然手は打つ。そもそも、あの挑発も意味があってのことである。イェルケルはスティナ、アイリ、レアの三人を集めて語った。
「連中はかなりの精度でこちらの動きを監視できていると思う。そのうえで、だ。もし今、スティナ、アイリ、レアの三人で国境付近の哨戒に向かったらどうなる?」
スティナとアイリは、それはそれは嬉しそうな顔になった。レアはというと特に感情を表に出しはしなかったが、反対するというつもりもないようだ。
できればイェルケルも行きたかったが、王子を襲うのはさすがに躊躇するかもしれないというのと、現時点での最高責任者が城を離れるのはあまりよろしくないので我慢することにした。
早速とばかりに動き出す三人。この動きを察した中隊長の一人、アントンが大慌てでイェルケルのもとへ。
「王子。そりゃ幾らなんでもマズイ。昨日来たニクラス・ヤーデルードっての覚えてますかい? アイツは元盗賊って噂のある騎士でして、とにかく尋常じゃあねえほど目端が利きやがる。マティアス将軍の目を潜って、ウチの領内で盗賊行為ができちまうほどの奴だ。あっしの言いたいこと、わかってもらえますよね」
「昨日の意趣返しというやつか?」
「いえいえ。連中、副長の遺体で金が取れなかったじゃないですか。あの手の盗賊野郎ってな、もらえる予定のモンがもらえないとなるとその分をどこかで埋め合わせようとするもんなんですよ。王子の前でこんなこと言うのもなんですが、あの美人三人ならとんでもない値が付きやす」
まあいいからやらせてみろ、と言おうとしたイェルケルだがふと思い直す。これから先も、一々三人の強さに疑問を抱かれるのは面倒だと。
「んー、わかった。なら一度、スティナ、アイリ、レアと私の四人が剣を交えるところを見てくれ。面倒だから他の中隊長も全員呼んで一度で済ませよう」
「は? それはいったいどういうことで……」
「サルナーレの戦い、アジルバ市街戦、この二つの話を噂程度でも聞いたことがあるなら、より話は早くなるんだがな」
要領を得ないといった顔のアントンを押し切り、他五人の中隊長の前で、イェルケルは出立前にちょっと顔貸せと三人の騎士を呼ぶ。
スティナたち三人は、それぞれの戦いを披露し、信じられぬと自身も乗り出してきた中隊長六人全員を軽くあしらった後、特に疲れた様子もなく馬に乗って城を出ていった。
残された六人の中隊長たちは、疲れのあまり訓練場にへたりこんだままである。イェルケルは得意げに彼らに言った。
「な、私の騎士は強いだろう?」
地面に仰向けにぶっ倒れているアントンは、そのままの体勢で答える。
「つ、つええ、なんてもんじゃねえ……なんすか、ありゃ」
「これが私の第十五騎士団だ。サルナーレもアジルバも、やったことそのまま報告したのにほとんどの者が信じてくれなかったんだよなぁ。ま、盗賊紛いはいって五十程度だろう? アイツらなら全部殺してお釣りが来るさ」
「……たった三人の騎士団、っと今じゃ四人か。が、千を超える軍に突っ込んで勝ったなんて話、今この強さを見ても信じられるもんじゃありやせんが、それでも、ニクラスのクソ野郎じゃ手に負えないだろうってこたぁよーくわかりやした」
更にイェルケルは中隊長たちに、敵の死体回収準備を整えさせる。整えるだけでまだ兵は出さないが。
もしスティナたちと同時に出発させた場合、彼女たちを餌に兵士たちが待ち受けていると取られてしまうため、城から兵士を出す全ての行為を今は行なうことができないのだ。
イェルケルが思うに、マティアス将軍の不在を狙ってこちらの兵士殺害を企てたとしたのなら、将軍が城を発ってから盗賊襲来までの猶予はなんと二日しかない。
それでも報せ得たということはよほど精度の良い情報収集手段があると思われる。また、定期的に情報のやりとりをするといったものではなく、必要な時に必要な情報を最速で届ける、といった形のものであろうと。
その場合、アルハンゲリスクのビボルグ砦に情報をもたらした者は、城もしくはその側に住んでいると考えるのが常識的な判断だ。
そう思いイェルケルはアントンにこの考えをぶつけてみると、マティアス将軍もまた城下街にかなり機敏に動けるアルハンゲリスクの諜報員が潜んでいると考えていたフシがあったらしい。幾ら調べても出てこなかったので、皆考えすぎだ、と言っていたそうだが。
『反乱騒ぎが連続で起こったとしても、だからとマティアス将軍がここを離れるなんて予想はしていなかったはず。……機を見るに敏というか、なんというか』
こうなってくると、浮気相手に殺されたもう一人も怪しくなってくるものだ。そう考えたのはイェルケルだけではないようで、かなり厳しく生き残った女を取り調べているようだが、新しい情報は無しだそうな。
いや、自白はしたらしいのだが、ではどうやってアルハンゲリスクと情報のやりとりをしただのの話になるとまるで説明できないらしい。多分、滅茶苦茶責め過ぎたせいで、嘘でもなんでも言われるがまま口にするような状態になってしまったのだろう。
さすがのイェルケルも、こんな話を聞いてもこの女や殺された副長に同情する気は欠片も起きないのだが。敢えて同情するとすれば、前後の状況が悪すぎるせいでこんなアホな尋問させられてる兵士たちに対してであろうか。十中八九偶然だろうに。
後で尋問を担当してる兵士の上長に彼らを労うよう一言添えてあげようと心に決め、イェルケルはヴァラームの街長との会談に臨む。
状況と軍の対応を説明し、アルハンゲリスクとの通行を止めたことに対する理解を求めなければならない。マティアス将軍なら一言命じればそれで済むらしいのだが、この街に来たばかりのイェルケルではそうはいかないのだ。
二時間ほどの会談を無事に終えたイェルケルは、街長の反応を見て思う。
『王子という立場は、私が思ってたよりもずっと大きなものであったのだな』
アントンの時もそうであったし、街長も騎士団長とはいえ若輩も若輩であるイェルケルに充分な敬意を持って接してくれていた。騎士団長云々より王子だと名乗った方がよほど通りが良かった。
王都で、王族か王族と当たり前に付き合えるような貴族、そして自領の領民としかほとんど関わることなく育ったイェルケルは、まるで経験の無いことであったのだが、貴族より高貴な王族として敬われるのは、仕事をするうえではかなりありがたいことなのだなと。
同時に、兄妹たちの異常なまでに尊大な態度も少しだけ理解できた気がする。多分彼らは、こうした低い身分の者たちの謙る態度を見て、色々と勘違いしたまま大きくなってしまったのだろうと。
ただ、今まで馬鹿にされ貶されることばかりであったイェルケルからすれば、アントンや街長の謙る態度は、あまり居心地の良いものでもないと思えてならないのだ。
スティナ、アイリ、レアの三人は、馬に乗って街道をのんびりと進む。
アルハンゲリスクとの通行が止められたせいか、轍の跡がくっきり残る程使用頻度の高い道であるにもかかわらず、三人以外に通る者は居ない。
まだこの辺りは農地があり、もう少し行った所には街道沿いの宿場もあるらしい。アルハンゲリスク国境までの道のりには、大きな川があるでもなく、丘の延長程度の高さしかない山林があるぐらいで、難儀するような道ではない。それはつまり、攻められやすく守りにくいということでもある。
馬を駆けさせているわけでもないので、三人には暇つぶしの雑談をするぐらいの余裕がある。女三人寄れば姦しいと言うが、そういった女らしさとは無縁の三人でもお互いへの興味ぐらいはある。
スティナは隣を行くレアに聞いた。
「ねえ、レアって結構うやむやのうちにウチに来ることになったけど、どうなの? 他に何か殺したい奴とかぶち殺したい奴とか叩き殺したい奴とか居ないの?」
「どんだけ、私に殺させたいの? 私の希望はもう叶った。後は、少しでも武名を残したい。それぐらい」
横からアイリが嬉々として混ざってくる。
「なるほど、ならば我ら第十五騎士団は最適か。殿下と共にあれば武名を上げる機会なぞ幾らでもあろう」
「生き残れる気は、全然しないけどその通り。王子はどうして、あんなに戦好きなの?」
「ははは、それこそがイェルケル殿下というものよ。穏やかそうな見た目に反し、内に秘めた闘志は並々ならぬぞ」
じと目のスティナ。
「それ、殿下が聞いたら泣くわよ間違いなく。いい、レア。殿下はあまり争いを好まない方よ。ただちょっと、追い詰められたら凄い勢いで前に出るだけで」
「追い詰められたら? アジルバ市街戦でも、昨日の挑発にしても、戦の火に油注いで、喜んでるようにしか見えない」
「……ま、まあ、結果的にはそうかもしれないけどっ。でもね、前の時はあそこで私たちが動かないと他所の領地まで反乱が広がっていたし、昨日のことだってあの勘違いしてるクソガキを相手に弱気に出たりしてたら、カレリア全体が見くびられたってことになってた。今回の策だって、殿下の裁量を越えないものでかつ、領民への狼藉を防ぐためのものよ」
「コレが、狼藉を防ぐことに?」
「下手に手を出せば面倒なことになる。そう力づくで教えてやるの。国境地帯全てを守るなんて土台不可能な話なんだから、こちらに手を出せば得られた利益以上のものを失うって教えてやるのが一番よ」
眉根に強い皺が寄るレア。
「法治が聞いて呆れる。まるっきり、チンピラの勢力争いと変わらない」
「世の中そんなものよ。それでも馬鹿が高い地位に無い所なら、もう少し文化的なやりとりになるんでしょうけどね」
「……王子は、馬鹿だと思う?」
「あはははは、それを言ったのが貴女じゃなかったら腕の一本も斬り飛ばしているところよ。殿下はねぇ…………あれ? あれ、ちょっと、待って。え? 殿下は、えっと、結構、いやかなり、やらかすこと多い? ちょ、ちょっとアイリ。殿下ってもしかして馬鹿、なのかしら?」
「貴様の方がレアよりよほど失礼だぞ。殿下はやると決めたことをきちんと実行しているだけに過ぎぬ。己が命を懸け馬鹿を斬ることに躊躇が無いだけであって、その馬鹿と同列に扱う者がおるかっ」
「そ、そうよね。それに何やかやと殿下は最低限の体裁を整えるの忘れたりしないし。ホント最低限だけだけど」
レアは、呆れたような、笑っているような顔になる。
「二人共、王子のこと好きすぎ」
肩をすくめるアイリ。
「当たり前だ。レアはそうではないのか?」
そう問われて、レアは考える。イェルケルのことをレアが考えた時、思い浮かぶのは共に戦ったアジルバ市街戦のことばかり。驚かされ、感心し、腹を立て、色々と複雑であった。それでも、一つだけはっきりしていることがある。
「……見てると、気に入らないこともあるんだけど、でも、たとえここに居ることが命懸けであっても、私はこの騎士団を、王子の下を離れるつもりはない。いらないって言われても、意地でくっついてく。なんで、そう思うんだろう……悔しい、のかもしれない。アイリにも、スティナにも、王子にも、及ばない自分が」
スティナが目を細めながら聞いた。
「どこが気に入らないの?」
「私より強いかもしれない所」
レアの即答とその内容はスティナにとって予想外であったようで、目を丸くするスティナ。
「勝てる、って思える時もあるんだけど、あ、これ防げない、って思える剣もあって、なんかこう、上手く言えないんだけど、もやもやする。私も自分でよくわからない。アイリやスティナに対しては、もっとわかりやすく凄いとか悔しいって思えるのに」
アイリとスティナはお互い顔を見合わせる。レアの言葉には思い当たることがありすぎるのだ。具体的には、アイリとスティナがお互いに感じる感情そのものであるような。
スティナは警戒を解き、逆に深い理解を示す。
「そっか。そうよね。それにレアが居ることは、殿下にとっても良いことだと思うし。ねえねえレア、知ってる? レアが壁跳び上手くなったって話したら殿下ね、自分にも教えろって言い出したのよ。それがまた可愛いの」
「かわいい?」
「そ、レアがどれぐらいできるのか、って聞きたいんだけど、それ直接聞いたら嫉妬してるみたいで嫌だからって、遠まわしに自分がレアに劣ってないかーって確認したがるの。可愛らしいでしょ?」
「王子が、私を気にしてるの?」
これにはアイリも乗ってくる。
「おお、言われてみれば確かに。先日殿下に二刀の利点を聞かれたのは、今思えばレアの剣を見たせいであったのだろうな」
「ホントに? ホントに、王子は私のこと、気に、してた?」
「うむ。殿下も我らと会うまでは自身が最強であると自負していたそうであるからな、やはり強者のことは気になるのであろうよ」
レアはそこで突如会話を切ってしまい、乗っている馬を先に進める。アイリは、どうしたのか、とレアに問おうとしたところをスティナに止められる。スティナは上手くアイリを誘導し、別の話題に切り替える。
一人先行したレアは、火照ってしまう自分の顔を押さえる。理由はわからないのだが、イェルケルがレアを気にしている、レアの剣を警戒していると聞いて、表情を繕えないぐらい嬉しいと思えたのだ。




