035.アルハンゲリスク大公国の使者
翌日。執務中のイェルケルを大慌てで兵士が呼び出しに来た。
いったい何事かと、イェルケルと、書類仕事が得意ということで今日もイェルケルに付き合っていたアイリの二人は、城の兵士用応接間に向かう。
そこに居た一人の兵士は、見るからに疲れ果てた様子で起こった出来事を報告してきた。
彼が言うには、盗賊退治に出向いていた副官と二十人の騎馬兵が、盗賊たちに襲われ殺されたというのだ。
村も一つが全て焼き払われた。辛うじて報告に戻った彼のみが、逃げ切ることができたそうな。
この報告を聞いていたのは、イェルケルとアイリ、そしてヴァラーム城防衛隊の中隊長の一人、アントンという男であった。
アントンは大慌てで他の中隊長を集めるよう部下に指示する。異常事態である。これで、ヴァラーム城の近辺にいてすぐに動ける指揮官は、イェルケル一人だけになってしまったのだから。
イェルケルは真っ青な顔をしているアントンに尋ねる。
「ここらの盗賊は二十騎の騎馬をどうこうできるような規模なのか? いや、それもおかしいだろう。すぐ近くにヴァラーム城千の兵が控えているのだぞ。いったいこれは何がどうなっているんだ?」
「えー、その、私の口からうんぬん言えるような内容でも無いんですが……」
「現状、私を除いた場合、最も高い地位にいるのは君ら中隊長だろうに。悪いが保身なんてさせてる余裕ないぞ、この土地ならではの何かがあるのなら全部説明しろ。もちろん、アルハンゲリスクのことも含めてだ」
イェルケルがそう言うと、アントンは驚きに目を見張る。
「うーわ、さすが王都の王子様だ。良くもまあこれだけの情報でそこまで……ええ、ええ、ご明察の通りで。この辺りで騎馬二十騎をどうこうできる武力を持ってるのはウチと、アルハンゲリスクのビボルグ砦ぐらいのもんでして」
どうやらアントンは、イェルケルがアルハンゲリスクが裏にいることを察したと勝手に勘違いした模様。王族というものを、恐れ敬っているからこその勘違いであろう。
「待て。待て。待ってくれ。つまり、そーいうこと、でいいのか? ここマティアス将軍が居たのだろう? それでも防げなかったのか?」
「定期的に嫌がらせに来ますね。村焼くまでやるってのはそれこそ年に一回ぐらいですが。盗賊がアルハンゲリスク領内に逃げ込んだと言われりゃ、将軍でもどうしようもありません」
「兵士が死ぬこともあるのか?」
「そいつは私がここ来て初めてです。ましてや将がとられるなんざ考えてもいやせんでした」
「……その、前例の無い判断を、もしかして私にしろって話か?」
「スンマセン。将軍が戻るまで、どうにか王子に踏ん張っていただかないと」
「無茶言うな。そもそも将軍のように外交まで差配する権限を私は持たされていない。それでどうやってアルハンゲリスクと交渉しろっていうんだ。……とはいえ、初動で失敗すると後を引くだろうしなぁ……王都への報告書類は君らが作れ、私が内容確認して署名する。それと他の中隊長はどうだ? 変な動きするような奴はいるか?」
「いえいえいえいえ、さすがに王族に楯突くような馬鹿はいやせん」
「ある程度は楯突いてくれ。戦なら何度か経験はあるが、外交なんて私は騎士学校で教わった程度しか知らん。君たちの知識と経験を是非とも頼りにしたいのだから」
急ぎ六人の中隊長が全員集められる。この街の長とも連携しなければならないが、今はまず軍の意思を統一しなければならない。
事情を知った中隊長たちは全員が現状の危険さを認識しイェルケルへの協力を約束するも、副長が殺されたなんて事態に際し、どう動いていいかなど誰一人考えも及ばない。まさかこの城だけでアルハンゲリスクとの戦を決めてしまうわけにもいかず、かと言って副長に加え兵士十九人が殺されているというのに、なんの抗議も無しというのはありえない。
結局出た結論は、焼かれた村の調査と遺棄されている副長たちの遺体の回収を急ぐことと、今後の方針に関して王都にお伺いを立てること、騎馬兵達に国境付近の巡回を強化させること、アルハンゲリスクとの通行を停止すること、ぐらいであった。
それらの手配と準備を進める中、夕暮れ時になるとあまり好ましくない報告が入る。曰く、副長たちの遺体が無くなっているらしい。
それがどのような意味を持つのかは、幸か不幸か翌日すぐに知れた。
アルハンゲリスクの使者を名乗る一団が、何と副長たちの遺体を持ってヴァラームの城を訪れたのだ。
中隊長たちは全員、アルハンゲリスクがどういうつもりかわからず。しかし、仲間を殺されたのだ。その反応は敵意に満ちたものとなる。
使者は全部で三十人。皆兵士ばかりだ。ヴァラームの兵士たちは城門を潜り城へと向かう彼らを、威嚇するようにその前後を挟みこみ、彼らを城へと案内する。
兵士たちのとげとげしい敵意を見て、イェルケルはこれはまずいと慌てて兵士を下げさせ、また中隊長たちの中でも今の段階ですら敵意を隠せていない者は会見に交えぬこととする。
イェルケル自身も、彼らに対して好意的である理由なぞ何一つありはしないが、仲間を殺された、などという感情的な部分が無いので、イェルケルは自らが率先して彼らへの応対を行う。
会見のために用意された部屋に、カレリア側はイェルケル、アイリ、スティナ、レアに加えて比較的冷静なアントンと中隊長が二人、で出迎える。アルハンゲリスク側は六人。イェルケルが見たところ、一番態度がデカイのは一番若い男であり、彼が一行の最高責任者であるようだった。
イェルケルがまず自らの自己紹介を行うと、彼らは王族が居ることに少し驚いたようだ。だが、ロニー・エステルバリと名乗った若い男が恐れ入った様子はまるでなく、彼はさっさと自己の主張を一方的に述べる。
「先日、我がアルハンゲリスク大公国領内に二十騎の侵入者があった。それもカレリアの紋を付けた侵入者だ。彼らは我が領民に夜盗の如く襲い掛かり、殺し、奪い、焼いて回っていたのだ。我らは已む無くこれを撃退したが、カレリアは我らとの盟約をどう考えておるのか。明確な答えを頂きたい」
直前に、スティナよりこのような申し出があるかもしれない、と耳打ちされていたおかげで、イェルケルは動揺せずに済んだ。
言うに事欠いてカレリア側が領土を侵したと言ってきたのだ。イェルケルがちらと皆を見ると、まだ誰も怒ってはいない。驚き呆気に取られているのだ。だが、少しでも時間を置けばそれはもうという勢いで激怒するであろう。
イェルケルはロニーという若い貴族の問いに対し、感情的にならぬよう殊更に丁寧な口調で答えた。
「どうやら、お互いの見解に相違があるようで。襲撃を受けた二十一騎の内の唯一の生き残りから私たちが聞いた話は、正体不明の盗賊たちにカレリア領内で襲われ、村に火をつけられた、とのことですが」
「ふざけるな! 貴様! 我が大公国を侮辱するか! 貴様らの卑劣な襲撃にもこちらは誠意を持って対応しているのだぞ! こうして遺体までわざわざ持ってきてやったというのになんだその言い草は! 貴様は国家間の礼儀も弁えぬのか!」
完全に、アルハンゲリスク側の意図を察した中隊長三人の目がヤバイ。今イェルケルが不用意なことを一言でも言ってしまえば、こいつら皆殺しにしてしまうそうなぐらい洒落にならない目をしている。
イェルケルはやはりできるだけ穏やかな口調で答える。
「そのように一方的な物言いでは角が立ちましょうに。それと一つ確認を。今貴方は、わざわざ、持ってきてやった、とおっしゃいましたが、もしかして意にそわぬ話になったのならば遺体を持ち帰るおつもりですか?」
「あ? 当たり前ではないか、本来は貴様らが我らに礼を言って……」
そこで後ろに控えていた中年の男がロニーに耳打ちをしてくる。彼は最初の自己紹介で言っていた、ミカル・ニリアンというロニーの副官だ。
彼に言われたためか、ロニーは見るからに不満そうな顔で言ってきた。
「ふん、まあ良かろう。死体なんぞ持って帰ったところで気味が悪いだけだ。我らの誠意に感謝するのだな」
「そうですか、ではそちらはありがたく引き取らせていただきます。おい」
そう言って中隊長の一人を下がらせる。彼は顔を真っ赤にして怒っていたのでこれ以上ここに置くのはよろしくない。
ロニーは再び口を開く。
「さあ、こちらはきちんと譲歩してやったのだ。そちらも相応の誠意を見せてもらわねばな」
イェルケルはこの会談に臨む前に、お互いの状況を整理してあった。
恐らく、アルハンゲリスクがこちらにちょっかいを出してきたのは、カレリア国内で反乱騒ぎが続いたせいであろう。
更に、交渉に出てきたのがイェルケルであり、マティアス将軍がどこにも居ないことに一切言及しないのは、彼らもそれを知っているからだろう。
だが、このロニーという男がどこを落とし所として何を狙っているのかがわからない。その主張はイェルケルからすればかなりの無理筋に思える。もしかしてこちらの副長や兵士を殺したのは何かの手違いで、失敗を誤魔化すつもりで強気に出ているのか。判断するには材料が少なすぎる。
結論。イェルケルにはこの先の展開が読めない。なので、当たり前に対応することとした。
「誠意、ですか。それは既にこれ以上無いくらい示しておりますが?」
「何?」
「貴方たち、誰一人欠けることなくこの城まで来られたでしょう? 本来ならば、我が兵を殺した者達なぞただの一人も生かしておかぬところです。それを、盟約とこれまでの付き合いを踏まえ、一応、話は聞いてやっているのですよ?」
後ろから、良く言った、との喝采オーラが漂ってくるのがわかる。お前らここは止めるべき場面だろ、と思ったイェルケルだがもちろん口に出せはしない。
案の定、真っ赤になって怒ったロニーが、ぎゃーぎゃーと喚き出した。イェルケルはと言うとロニーの言葉なぞ歯牙にもかけず、後ろの副官に向かって告げる。
「本当に、それでよろしいので? 私も立場上、正式な使者様からの言葉は誤りなく全て王都に伝えなければなりませんので」
そう言った時のロニーの驚きの顔。そこで驚いたことにイェルケルが驚いた。
「お、お前、馬鹿か? 今のお前の状況をそのまま王都に伝えなんてしたら、どうなるかわからんのか? ああ、もしかして、本当にわかってないのか? なんだこれは、これがカレリアの国境を預かる将だというのか? 仮にも王族ともあろう者がなんたる愚か者か!」
ロニーはイェルケルを見下すようにして語る。国境を預かる任を受けながら、死人を出すような問題を起こしてしまえば役職は罷免され、出世なぞ覚束なくなる大いなる失点となるだろうと。
そんな説明をしているロニーの後ろで、わざとらしいほどに大きくため息をつく男。彼はニクラス・ヤーデルードというロニーの配下の者だ。その眼光の鋭さと嘲笑するような表情が印象に残った。
イェルケルは、はぁ、とやる気なく答えた後、やはり普段通りの口調のままでのんびりと言ってやる。
「では手柄でも立てるとしますか。どうですかロニー殿、一つ我が騎士と一騎打ちでもしていっては。私は三人の女騎士を抱えておりまして、何せ女騎士ですから皆に軽く見られてしまうのです。ですのでここは一つ、大層な大口を叩かれるロニー殿と戦っていただいて、これを叩きのめし我が面目を立てるとしましょう」
これにはさしものロニーも即座の返事ができない。侍女か何かかと思っていた三人の女が騎士で、これと戦えと言ってきたのだ。
イェルケルは言葉を続ける。
「まあ、所詮アルハンゲリスクの戦士程度ですから、手加減もきちんとしてあげますよ。アイリ、君ならロニー殿とどう戦う?」
「目をつぶってでも勝てますな」
「そうかい、じゃあスティナ、君はどうだい?」
「片手片足で充分かと」
「そいつはいい、レアはどうする?」
「武器使うのめんどい。素手でいい」
ははは、とイェルケルは笑った後、ロニーに優しく語りかける。
「もちろん私でもよろしいですよ。私は彼女たちと違って相手を慮ることができますから、剣を使って、手加減に見えないような手加減できちんと生きたまま帰してさしあげましょう」
イェルケルの笑い声に被せるように、ロニーの怒声が部屋中に響き渡った。ついでに、剣に手をかけるロニーを必死の形相で止める副官ミカル。
全力で煽りに行くイェルケルのスタイルに、見ていた二人の中隊長もほっこり顔。
ロニーは吐き捨てるように、貴様絶対後悔させてやるからな、と叫んで城を去っていった。
この時のイェルケルの対応は瞬く間にヴァラーム兵たちに広がり、皆がイェルケルの毅然とした態度を褒め称える。おかげであっという間にイェルケルはヴァラーム城の兵士たちを掌握することができたのだった。




