033.貴族の立ち回り
イェルケルが王城に向かったのは、レアの騎士叙勲に関する手続きがあったからだ。なのでレアを一緒に連れている。
今回は宰相アンセルミからのお墨付きがあるので、余計な気を回さずとも堂々と申請を受けてもらえた。
ただ、担当官の手際が悪いせいか、書類の処理に結構な時間がかかってしまっている。途中、時間がかかるので、と言われイェルケルとレアは城から出た所にある食事所で昼食を取り、再度城へと向かった。
時間がかかったことで少し不安に思ったイェルケルだったが、申請は無事に通り、レアは晴れて騎士の地位を得ることができた。
騎士学校を出てもおらず、騎士見習い期間も無しだ。この辺りにスティナやアイリが思う所あるかとも思ったイェルケルだったが、二人共なれるものならさっさとなってくれた方が有難い、と特に気にした風もない。もちろんイェルケルも、共に地獄を潜った戦友を騎士に迎えるに否やなどあろうはずもない。アレを一緒にできる人間を、他所にやるのは絶対に嫌だというのもある。
レア自身はというと、何度か本当にソレでいいのか、とイェルケルに聞いてきた。こんなにあっさり騎士になれてしまうことが信じられないらしい。
騎士の証である紋章入りの短剣と身分証明書をもらうと、表情は変わらぬままだったが、耳がぴくぴく動いていた。多分、嬉しいのを顔に出さぬよう苦心してるのだろう。
見ているイェルケルも嬉しくなってきたのだが、そんなイェルケルの上機嫌は、王城の廊下の先に居た人物を見つけるなり急落してしまう。
先のサルナーレの時の恨みの片割れ、ケネト子爵である。彼の隣にもう一人中年の貴族がいるが、そちらはイェルケルの目には入らない。
彼はまっすぐにイェルケルの方へ向かってくる。バルトサール侯爵は殺した。次はお前だとでも行ってやろうかと構えていたイェルケルに、ケネト子爵はイェルケルが見たこともないあでやかな笑顔を見せた。
「おおっ! アジルバの英雄殿ではありませんか! この度は見事な武勲を上げられたようで! おめでとうございます!」
満面の笑みである。その言葉からは嫌味の欠片も感じられない。というか、アジルバでイェルケルが殺したのはケネト子爵の盟友ではないのか、とイェルケルは大きく動揺してしまう。その間にケネト子爵は畳み掛けるように言った。
「いやはや、侯爵も私が王都に居る間に、まさかあのような大それたことをしでかすとは。どうやら他にも蜂起を考えていた貴族が居たようで、自領に戻った彼らに対してもなんらかの調査が行くかもしれないという話で。恐ろしいことです」
呆気に取られるとはこのことか。ケネト子爵は以前会った時のことが嘘のように、年来の朋友と語るように親しげな笑みを見せてくる。
ケネト子爵は隣の貴族をイェルケルに紹介してきた。
「こちらはテルホ・ラウタサロ伯爵でございます」
そう紹介すると、伯爵は待ってましたとばかりにイェルケルに挨拶をし、そして次にレアに向かって声をかける。
「やあレア。私を覚えているかな、まだ君が小さい頃、マルヤーナ男爵が君を連れて我が屋敷に挨拶に来たことがあったんだが。いやいや、あの時から可愛らしい子だったが、このように美しく、強く育つとはね」
レアは全く記憶に無いようだったが、ラウタサロ伯爵の名は聞いているようだ。イェルケルに、自分の叔父に当たる人物であると紹介する。
更に伯爵は驚くべき話をする。
「実はね、今回の君の騎士叙勲に関して、是非お口添えをしていただきたく、私からケネト子爵にお願いしたのだよ。子爵はすぐに承諾してくださってね。いやいや、素晴らしい技量と武勲には相応の地位が必要だと。さすがケネト子爵だ、高貴な者に相応しい見識をお持ちだよ。君からも是非お礼を言っておきなさい」
イェルケルにも段々と話が見えてきた。レアが似合わない敬語でたどたどしくケネトに礼を言っているのを他所に、イェルケルはケネト子爵とラウタサロ伯爵を観察する。
イェルケルの目から見る限りは、ケネト子爵にもラウタサロ伯爵にもこちらへの悪意は見られない。多少恩着せがましく思える所はあるにしても不快なほどではない。
恐らく、ケネト子爵はこれ以上イェルケルを敵に回すことが危険であると考え、歩み寄りを試みているのだろう。そのために多少遠回りであるが、レアの親戚筋を使ってレアの騎士叙勲に口添えしたという形を取ったのだ。そのことでイェルケルに恩を売ろうと。
レアの方に配慮したのは、直接イェルケルの援助なんてしたら元帥に睨まれかねないからだ。スティナの話では、ケネト子爵は侯爵から重大な仕事を任されていたとのことだが、侯爵が倒れたと聞くなり即座に立場を切り替えたのだろう。その変節と段取りのあまりの素早さに腹を立てるより呆れてしまう。
ケネト子爵は最後に、さわやか満載スマイルでイェルケルに語った。
「もし、貴族間の問題などで判断に迷うことがおありでしたら、是非この私をお頼り下さいませ。私がこれまで積み重ねてきた知恵と経験の限りを尽くし、お力になることを誓いますぞ」
これまでしでかしてくれたこと全てを無かったかのように、ケネト子爵たちはそう言って去っていった。
イェルケルは呆気に取られたまま立ち尽くしている。レアはぼそりとイェルケルに言った。
「伯爵は私の両親に、私が学校を追い出された時、真っ先に縁を切るよう言ってきたって聞いてる。それでも、伯爵がああ言ってるってことはきっと、私の両親にも騎士叙勲の口添えの話は行ってるはずだし、伯爵にも子爵にも父上は借りを作ったって形になってると思う。……なんだろう、この胸に引っかかる感じ」
「そっか。だけど今すぐその違和感を解決させるわけにはいかないぞ。なんていうか、貴族の凄みってものを垣間見た気がするな……」
こうして公に配慮してもらった以上、イェルケルもそう容易くケネト子爵を無下に扱うことはできなくなった。という建前ができた。
レアはイェルケルだけに聞こえる声で言う。
「王子、ウチの実家は、気にしなくていい。元々伯爵家からは、疎まれていたし」
「言いなりになってれば当分は良い目が見れるんだろうけど、すまないな。その時が来たなら手心を加えるつもりはないよ。きっちりトドメを刺せば出る影響は少ないだろうしね」
レアの口の端が上がる。イェルケルは擦り寄ってきたケネト子爵に対し、貴族的配慮とやらで反撃を躊躇うつもりは無いらしい。今アイリとスティナが子爵のしでかした違法行為を探っている最中で、それが終わり次第動くのだろう。
イェルケルのこういった、事に際しての躊躇の無さや行動の素早さを、レアは結構気に入っている。結果として自分たちが忙しくなったり命懸けになったりするので、同時に文句も出てくるのだが。
王城の建物を出て城壁までの中庭を、公務で城を訪れた貴族たちは良く待ち合わせの場所に使っている。城に出入りするにはほぼ必ずここを通らなければならないので、待ち合わせではなく待ち伏せにも使えるのであるが。
レアを伴ったイェルケルはこの中庭で、本日二人目の嫌な顔を見つける。三人の取り巻きを引き連れ、こちらもまた迷い無くイェルケルの方に向かってくるので、きっとこちらに用事があるのだろう。
「……何の用だ、ヘルゲ」
騎士学校の同期にして、元帥との因縁の発端である元帥の孫である。騎士学校ではさんざ嫌がらせされたので、イェルケルはもうコイツの顔を見るのも嫌になっている。
「お前、今度は何しでかしたんだ? 元帥府はとんでもない騒ぎになってるぞ」
「俺がしでかしてみたいに言うな。行った先で偶々反乱があったってだけだ。……偶々、だよな? 今度もお前の所絡んでるとか無いよな?」
「馬鹿か貴様! 王城内でなんてこと言い出すんだお前は!」
「今までさんざ言われるようなことしてきただろお前」
「場所柄を弁えろと言ってるんだ! ……まあいい、それよりだイェルケル。お前、もしかして騎士学校卒業してから、強くなったか?」
「そりゃ、あれから何ヶ月も経ってるしなぁ。それに初陣がヒドすぎたせいで色々と勉強になったし……」
「じゃ、じゃあ、もしかして本当に、千人に、突っ込んだのか?」
「なんだよ、三千は信じなくて千なら信じるのか?」
「千も信じてねえよ! 信じてないんだが、元帥府内じゃもう、お前らの騎士団をそういうものだって扱う空気になってる。おい、イェルケル。お前の所、最前線送りだぞ。もう二度と、王都には戻ってこられないだろうな」
「前線勤務? 本当か? いや、それはありがたい話だが……俺たちみたいな実戦経験の少ない部隊に、最前線の警備任務なんてそうそう回ってこないだろうに」
「……本気で喜ぶなよ、だからお前はムカツクんだ。前線の警備なんて敵が動いたら真っ先に潰される所だぞ、そんなに死にたいのかよ」
「アホか。俺たちを殺せる兵がどこに居るってんだ。なんならヘルゲ、お前が訓練した兵で、俺たちを殺せるかどうか試してみるか?」
顔中に皺を寄せるヘルゲ。
「……お前の所、女騎士また増えたらしいな。女騎士がそんなに頼りになるってか? 俺たち、なんて言葉お前が使うの初めて聞いたぞ」
「みんな俺よか強いしな」
物凄い顔になったヘルゲは、すぐ後ろに控えているレアに目をやる。
「その娘もか?」
「十回やったら五回負ける程度でなんとかしたいと思う」
絶句、嘆息、後、じろじろとレアを見て、後ろの取り巻きたちに視線で問い、首を横に振るというお返事をもらうヘルゲ。
「まあいいさ。どの道最前線の城じゃ、女騎士に騎士の仕事なんてさせてもらえないだろうしな。それにお前自身もだ。前線の兵は軍規も何も無いんだってな。お前みたいなぽっと出は、せいぜい兵士たちにイジメ殺されないよう気をつけるんだな」
さっさと向こうで殺されてこい、と言い捨てヘルゲは取り巻きと去っていった。レアは今のヘルゲの話を聞いて思ったことを口にする。
「王子。もしかして、友達?」
「おいいいいいい!! よりにもよってなんてこと言いだすんだレア! 冗談でもやめてくれ! 気分が悪くなるなんてものじゃないんだぞ!」
これまで見たこともない勢いで嫌がるイェルケルに、レアは小首をかしげる。
「でも、王子が自分のこと、俺なんて言うの、初めて聞いた」
「あー、それは……ほら、敬語慣れする前から見知ってる相手だと、時間が経ってもそのままーっての無いか?」
聞いておいてなんだが、敬語云々はレアに言ってもしょうがいな気がするイェルケルだ。騎士叙勲の手続きの時と、さっきのケネト子爵とラウタサロ伯爵に使った時ぐらいしか、レアの敬語は聞いたことが無い。
ふーん、とそれ以上は突っ込んでこなかったレアだが、更にもう一つ気付いたことを述べる。
「どうやら、ケネト子爵には、逃げられたみたい」
「あ」
前線に送り込まれれば、ケネト子爵を追い込んでる余裕は無さそうである。そして宮廷内工作を得意とするケネト子爵に時間を与えてしまえば、イェルケルたちの考えもつかないような手を打ってくることだろう。彼の処断は、難しくなったと言わざるをえない。
「ホント、手強いよな」
「年季が違う。友達の居ない王子と違って、あっちは友達多いだろうし」
「わ、私にだって友達ぐらいいるさ。そりゃ、騎士学校では友達も何も無かったけど……ってこれはレアも一緒だろっ」
「私は領地に戻れば、友達ぐらいいるし」
「私だっているさ。子供の頃一緒に遊んだ奴らとか……」
どちらの友達も、とりあえず宮廷内で云々だのの役には立ちそうにない。だからとケネトの手を取る気にはなれないイェルケルは、やっぱり友達増えないままなんだろうなー、とか他人事のように考えていた。
この後、ケネト子爵の手の平返しを聞いたアイリは不機嫌顔のまま、暗殺をするなら自分にやらせろと言い出し、一方スティナは、大笑いした挙句、気に入ったから苦しめずに殺してやる、と宣言していた。
イェルケルのもとを離れたヘルゲに、後ろから付き従う青年貴族が言った。
「ヘルゲ様。あの身の程知らずを、そのままにしておくのですか?」
「仕方ないだろう。前線で働くとなればそれはもう誰憚ることのない公務だ。公務の最中に王族が事故死したとなれば、さすがにこれは誤魔化しきれん」
「で、では何か、サルナーレの時のような罠を、元帥閣下は……」
「できてせいぜい嫌がらせ程度、だそうだ。忌々しい、ケネト子爵のようにアレを恐れる者も出はじめている。……何もかも予定外だ」
「はい。よもや侯爵が反乱を考えていたとは」
「イェルケルの動きも速すぎた。両者の対立からイェルケルの失点を引きずり出そうとしたのだが、反乱のどさくさであっという間にケリを付けやがった」
「あ、あれは奴らに運があっただけで……」
「運だけであの侯爵がヤれるものか。女騎士がそうかどうかはわからんが、何かしらイェルケルに強大な戦力がついているのは間違い無い。クソッ! こんなことなら、俺の修業が優先だなんて言ってないで、騎士学校卒業直後に殺しておくべきだった。アイツ、学校出てからずっと準備してたに違いない」
それまで黙っていた別の貴族が口を出してくる。
「なら尚のこと、すぐにでも殺しておかないと」
「……殺せる人材は探しておくとして、いざ動く段になる前にイェルケルが持つ武力を正確に把握しとかないとな。そうだ、確かイェルケルが着任予定の城に、アイツいたろアイツ。女好きの馬鹿が」
「随分前に、将軍への面目が立たないから浮気は自重するって言ってたと思いますが」
「ばーか、あの手の女好きに自重なんてできるわけねーだろ。まあいい、アイツに言ってイェルケルのこと調べさせとけ」
ヘルゲは、騎士学校時代によく感じていたイェルケルへの嫉妬心を新たにする。
学校を出て、軍務に就いたヘルゲは自身が大きく成長できたと確信している。味方の作り方も、敵の倒し方も、充分に学ぶことができたと。それもこれもヘルゲが元帥の孫であるからこそ、学ぶことができたと思っている。
にもかかわらず、ロクな後ろ盾も無いはずのイェルケルは再びヘルゲの上を行こうというのだ。何から何まで、とことん気に食わない。だから、次にイェルケルが戻ってくるまでに、味方を増やして敵を消し、イェルケルにヘルゲの圧倒的な戦力を見せ付けてやろうと気合を入れるのだった。