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無双系女騎士、なのでくっころは無い  作者: 赤木一広(和)
第二章 アジルバ市街戦
30/212

030.アジルバ市街戦、イェルケルとレアの場合



 イェルケルが両膝を折り畳みながら跳ぶ。その足の下を下段に払った剣が振り抜かれていく。空中でイェルケルは剣をこの敵の首下に当てつつ、着地と同時に引く。背後で血飛沫をあげるその敵を見もせず次の敵へ。

 右手から左手に剣を投げ渡すと、左手は受け取りながらこれを左方へ突き出す。同時に体を仰け反らせて眼前に振り下ろされる大剣をかわす。突き出した剣は敵兵士の首に刺さった。

 剣を抜きながらその場で小さく跳躍。ぐるりと回転して勢いをつけると、盾を構えた敵を盾ごと強打する。盾は半ばで曲がり切れ、そのまま胴鎧も深く裂ける。

 この飛んだイェルケルの背後に、滑り込むようにレアが入る。突き出された槍を、イェルケルに向かないよう大きく上へと弾き上げる。

 切り上げた剣を持つ側とは逆腕に持っていたもう一本の剣を投げると、長槍の間合いに安心していたその兵士の顔面に突き刺さった。


「王子、キリが無い」

「千人ってのはそういうもんだ」

「まだ、もつ?」

「おいおい、ここからだよ戦場は」


 レアは、その後に続ける、だとしたら、の後の言葉を飲み込む。

 戦場がキツイなんてこと、最初からわかっていたはずだ。万全の状態で戦い続けられるなんて贅沢は望むべくもないのだと。

 自分が行なってきた厳しい訓練が思い出される。息が上がって、足を動かすのも苦しくて、殴られたわけでもないのに、体中が痛くてたまらなくなってくる。

 その状態でも、戦い続けなければならないと、そういうことなのだろう。つい先日、アイリにぼっこぼこにやられた時のように、指一本動かなくなるまで戦い続けなければならないと思うとかなり憂鬱になる。

 側で戦っているイェルケルが声をかけてきた。もちろん戦いながらだ。これに言葉を返すレアも戦いながら。二人は言葉の合間合間に敵を斬りながら、会話を続ける。


「疲れてきたら、敵兵士の顔を見るといい」

「顔?」

「そ。必死な顔してるから。それで次に動きを見るんだ。必死に動いても、ぜんぜん遅いんだ、みんな」

「うん、わかる」

「それ見てると思えてくるんだよ。こんなのにどうして負けてやらなきゃなんないんだって。さんざ鍛えたのに、凄い頑張って強くなったのに、こんなのに負けて終わるなんて絶対に嫌だってね」

「おおっ、確かに。それは絶対に嫌だ。うん、ありがとう王子。それなら私も、死ぬまで頑張れそう」

「はっはっは、死ぬまで頑張るのはほんっとにきついから気をつけろよー」


 そんな会話が可能であったのも最初のうちだけである。

 敵の攻撃が激しさを増してくるにつれ、二人とも口数が一気に減る。それでもお互いは気にはかけており、それぞれの背後を守るように移動し続けていると、いつしか二人は螺旋を描くように移動するようになっていた。

 イェルケルが敵へと駆け寄り斬りつける。その背後を取るようにレアが走り迫る敵を斬り倒す。この時、走りながら斬りながら、全周囲を視認しなければならないので自然と回りながら移動するようになる。

 これを二人が交互に行うことで綺麗な螺旋が完成するのだ。どちらもそのつもりがあってそうしているのでもないが、最も効率的な動きを追求してみたらこうなったという話。

 戦場に飛び込んで以来、イェルケルもレアも、ほとんど足を止めてはいない。敵を斬り、槍をかわし、剣を潜りながらも絶対に足は止めず走り続ける。

 イェルケルは、山を半日走り回って獲物を追い続けたことがある。レアは、半日山で狼を狩り続けたことがある。だが、その時とは消耗度が比べ物にならない。

 緊張を強いられる時間が段違いなのだ。接敵している間は全周囲に気を配っていなければならない。つまり、常に最大限気を張っていなければならず、積もる心の疲労は段違いなのだ。

 そうした精神疲労は肉体疲労に繋がり、動き続けることで溜まる疲労はこれまで経験したことがないほどに加速する。

 レアは足に痛みが走ったことに驚いた。

 まだ、大して時間は経ってないはずなのに、もう来たのかと。息が荒いのは当たり前だし、こうなってから動けなくなるまではとても長い。だが、足や腕が一度痛くなるとそれからは動きを止めて休まない限りずっと痛みっぱなしだ。

 痛いのを我慢して動くのにも慣れてはいるが、痛いものは痛いのだし、下手をするとこの痛みで掠り傷を見逃してしまうかもしれない。

 どうしたものか、なんて考えていると足の痛いのが気にならなくなってきた。痛くなくなったのではなく、痛いのに慣れたのだ。

 敵の足が見えた。踏んで躓きそうになったが、辛うじてかわし走る。

 ずっと、同じことを繰り返しているようで、さっきから新しいことを模索し続けているようでもあり。訓練で培った剣術の引き出しを惜しげもなく引っ張り出して披露する。

 奇襲の類はほとんど使えない。一方的にこちらだけが攻撃する状況なんて立ち上げようもなく、まず敵の攻撃をかわすことから全てが始まる。

 ただ挙動のフェイントが面白いぐらい決まるので、敵の攻撃前にこちらの動きを見せられるのなら、攻撃の誘導もでき、結構楽にかわすことができる。

 たまにこれが通じない時があるので要注意。そうした相手はそもそもフェイントも何も無く、がむしゃらに突っ込んでくるだけなので最初の剣先さえかわしてやれば後はどうとでもできる。

 しかし、とレアは断末魔の悲鳴を背中に浴びながら思う。


『なんていうか、こう、既に一生分、人を殺した気がする』


 今レアがしているように、人を一生の間に十人も二十人も殺すのが平均だとしたら、この世はあっという間に人の居ない世界になるだろうに。

 もしも、戦になったらこうやって大暴れできる自信はあった。あったのだが、いざこうして実際にやってみると、なんとも言えない妙な気分になる。

 どんなに頭に来ても、どんな侮辱を受けても、絶対に許せないようなことをしている者でも、できるだけ殺さないようにしてきたのだ。それでも及ばず盗賊を何人か殺したことはあったが、それにしたって積極的に殺したというよりは事故に近い。腕を切り落としたらそのまま出血で死んだだけだ。

 だが今は、むしろ率先して殺している。どうしても殺せないのなら仕方なく戦闘不能で我慢しよう、そんな感じだ。

 なんか変だ、と思うと小さくだが笑いが零れる。人とはこんなに簡単に死ぬものだと初めて知った気がする。いや、違う。簡単に人が死ぬ。殺していいのは、ここが戦場だからだろう。

 街中ではなく、戦場ならば構わないのだ。なら、どうしても殺したい者ができたなら、そいつを戦場に連れ込んでやればいい。なるほど、それは良い手だと頷く。

 だが、レアを陥れた同級生たちを皆戦場に叩き込んで殺してやりたいかと言われると、あまりそういう気にもならない。

 今こうして千人相手に斬り込んで、こんなにも戦えている。これならアイツら皆殺しにするまでもなく誰憚ることなく言える、自分は強いと。そう自分自身に対して証明できた。

 オホトも殺せたし、もうこれで死んでもいいんじゃないか、とかなり本気で思うレアだ。

 だが、つい先ほどイェルケルに言われた通り、コイツら程度に殺されてやるのも気に食わない。

 それに、と戦場以外では絶対にしちゃいけないような形相をした兵士を斬ると、思う。斬った後、突然憑き物が落ちたみたいに表情を変え、とても悲しそうに、どうしてこんなことをするんだと責めるような顔でレアを見てくる。


『斬りかかってきたのは自分なのに、なんでそんな顔するの。死ぬのが嫌なら、さっさと逃げればいいのに。包囲殲滅とか言ってるけど、逃げられたら追う余裕なんて、こっちには無い』


 斬りかかるまで自分が死ぬとはわからなかった。そんな倒れていく戦士たちの事情をレアに察しろというのも無理があるのだろう。レアを殺す気であったのも事実なので、そもそも察したとして殺さない理由も無いのだが。

 そんな小さな不満を抱えながらも、レアは剣を、足を止めない。共にあるイェルケルがそうしない限りは。






 タイミングが悪かった。

 イェルケルの前方から二本、左から一本、右から二本の槍が突き出されてくる。

 こうならないよう動き回っていたのだが、どうしても間の悪い時というのはできてしまう。後ろから槍が来ているかはわからない。確認している暇が無かった。


『来んな来んな来んなよー』


 後ろから来ていないことを祈りながら、五本の槍の抜け所を探す。時間は無い、ほぼ同時なので隙間を抜けるしか手が無い。

 と、右手の槍が二本共弾かれる音がした。レアだ。見えないけどそうしてくれるのはレア以外にいない。


『すまん助かった!』


 安心してイェルケルは残る三本の槍に向かう。レアが右方の槍を処理してくれたということは、イェルケルが見えない後方に脅威が無いからそうしてくれたということ。レアがその手の優先順位を誤るとは思えない。少なくともこれまで共に戦った限りではそう信じられる。

 上体のみをずらして前二本の槍を両方とも外した後、左方からの槍が刺さる前に片手で捕まえ腕力で止める。止めるのは一瞬でいい。一瞬止まった後は槍にも勢いが失われているから、後は横に引っ張りながら流してやると、槍の持ち主の体がこちらに向かって倒れ込んでくる。そこを一閃である。


『力技は避けろ、って言った私がこれだからなぁ』


 イェルケルがかわしている間に、レアが踏み出し三人を連続して仕留める。その速さはやはりイェルケルを越えるもので、単に身のこなしが軽いといった理由ではなく、鍛錬を積み重ねることで体がキレを増しているのが速さの主な要因である。

 何度も繰り返した動きなのだろう、剣を振りかぶる挙動なんてほとんど見えない。ただ振り出しているようにしか見えぬ斬撃だが、体重も剣の重さも乗っているため鎖帷子なら充分に切り裂ける。斬った後も剣は止まらない。僅かに沈み込んだ後、体が前に出ることで剣は後ろに下がりそれは、剣を引いたのと同じ効果を持つ。そして薙ぐ。次の敵までの距離が近いのなら、敵の体を斬り抜けた直後剣先が変化し、受けにまわした敵の槍を大きく上から回りこむようにして外し逆側より首を斬る。おそらく食らった敵は右から来た剣がどうして左から首を斬っているのかわからないまま死んだであろう。

 三つの槍が、先行したレアへと襲い掛かる。レアは内の一本を選んでそちらに突っ込むことで槍を外しつつ、急所には届かないので仕方なく槍の持ち手を切り落とす。この間にイェルケルはレアの前に進んで残る二人の前に飛び込む。跳躍、落下の勢いと共に渾身の一振り。同時に二人の首を斬る。きっちり斬りきれたので良かったと、ほっと安堵する。段々上手くいくかわからないことをやる機会が増えてきた。


『自覚無いけど、これって私の動きが鈍ってんだろうなぁ。二度目だと自分を見る余裕があるけど、一度目みたいにがむしゃらじゃないから、キツイ、苦しい、痛い、泣きたい。あーもう逃げ出したいなーもー』


 ふと、思いついたことがあってレアを誘う。


「レア! 壁に寄るぞ!」


 壁際ならば攻撃を一方封じることができる。レアはその指示に対し、一瞬不満げな顔をしたがすぐに何かを思いついたようで、強く頷き返してきた。

 二人は進路を斜めに曲げ、壁に、つまり大通りの端、建物の方へと寄っていく。

 敵兵士の顔が歪むのが見えた。イェルケルはその表情を見て作戦の成功を確信する。


『よし、これなら一方は壁でそっちからは敵が来ない。楽ができる!』


 完全に壁に寄ってしまっているわけではないが、壁側には多数の兵士が展開できないため、そちらからの攻撃はかなり薄くなっている。

 これなら、とこの戦い方に適した動きを見つけようとしだしたイェルケルは、今一予想したように楽にならないことに気付く。

 敵の攻撃が以前よりも激しくなっており、どうにも避けづらいのだ。


『これ、どういうことだ? いきなり攻勢が激しくなるなんて…………あ』


 どんどん壁際に寄っていくと、イェルケルにもわかったのだ。この作戦の致命的なまでの欠陥が。


『こっち側から来ないのはいいけど、こっち側に私が動けない』


 どっちもどっち、ではない。常に動き回ることで敵の陣形作成を阻害し続けてきたのだ。包囲なんてされて八方から同時攻撃をされたり、人壁を作られ矢で射かけられたら厳しい。

 その動きを制限された場合、イェルケル側は大きく回避能力が落ちることになるが、侯爵軍側はといえば少ない数で包囲はできるわ、片側壁なら矢だって撃てる状況をより立ち上げやすいだろう。

 完全に失策である。驚き慌てレアと共に壁際を離れようとしてレアに目を向ける。

 レアは完全に壁に寄りきってしまっている。しかも、十人近い人数がレアに殺到し、壁に押し付けるようにして槍を突き出している。

 壁で邪魔され、あれでは逃げ場が無い。


「レア!」


 思わず声を上げるイェルケル。だがレアはというと、上に跳んで槍をかわしたかと思うとすぐに壁を蹴って兵士たちの方へと飛び込んでいくではないか。

 虚を付かれた兵士たちの懐に入ったレアは、兵士たちをまとめて一気に殲滅する。


『おおっ! その手があったか!』


 イェルケルへと迫る兵士は五人。これを引きつれ壁に寄り、同じように壁を蹴って槍をかわし、イェルケルも兵士達へと肉薄して斬り伏せる。

 ちらとレアを見ると、彼女の目が言っていた。さすが王子、良い作戦、と。イェルケルは、穴掘って埋まりたいぐらい恥かしいのを堪えながら、どうだ上手くいっただろう、といった笑顔で返すのだった。






 汗が滴ってくるせいで、レアは目が痛くなり慌てて目の上を拭う。

 その一瞬は落ち着いてくれるが、少しするとまた汗が垂れてくる。汗の流れができてしまっているのだ。額から滑り落ちてくる汗の雫が、まつげを迂回し目の脇から流れ込んでくる。

 敵兵士たちはそんなレアの焦りに全く気付いていない。そう、レアは開戦以来最大の危機にあった。

 ただでさえ広い視界を確保するため、一定の時間で全周囲を見渡す動きを常にし続けなければならないというのに、このうえ視界自体が狭くなっては、如何なレアとて動きの精度が鈍らざるをえない。

 それに汗抜きでも、体の動きは重くなっており、今では気軽に跳ぶことも躊躇われる。ここに来てようやく、イェルケルの言った最低限の動きで殺せ、という言葉の意味がわかった。朝から始めてまだ昼も回っていないだろうに、もう体にガタが来ているなんてちょっと納得できそうにない。

 手汗もひどい。服の裾から流れ落ちる汗が手の甲に行ってくれればいいのに、何故か手の平に落ちてくる。ただでさえ落ち気味の握力にこれ以上負担をかけないでほしい、とレアは汗殿に願ってみるが全く聞き入れてくれる気配は無い。

 得意の二刀も使えない。足も泥沼に踏み入った時のように重い。それでも、まだレアは敵を斬れる。

 年老いた師匠が言っていた、戦場では何をさておき体力が重要だと。その言葉に従い自分でも馬鹿だとしか思えないような熾烈な訓練を自らに課してきた。それが、こうして今戦場の最中で活きてくれている。

 嬉しい。けど、もうそろそろいいんじゃないか、とレアはいい加減体止まってくれないかな、と考えている。

 痛くて苦しくて、目も見えづらくなっているし、もう体を動かすのは嫌なのだ。だから体が止まってくれれば、これ以上無理して動かす理由も無くなる。早く限界になってくれ。そう願いながらレアは剣を振るう。

 せめて、先にイェルケルが倒れてくれれば、とも思うがイェルケルもまるで止まる気配が無い。最初に比べれば動きは鈍いし、飛んだり跳ねたりも無くなったが、今は物静かな立ち回りで着実に死体を積み上げている。

 一瞬、イェルケルと目が合うレア。その時のイェルケルの視線と表情が、再びレアに熱を入れる。


『な、何あの目。がんばれよ、って、当たり前に、まだまだ先は長いぞ、って、そんな目で、私がずっとやれるのを、当たり前に、信じてる目だ』


 物凄く頭に来た。何故腹が立ったかなんて考えも及ばず、ただひたすらに頭に来たのだ。


『先に、死ぬのは王子だし。私は絶対に、王子の後だし』


 いっそ後ろから斬ってやろうかというぐらい頭に来たのだが、さすがにそういうズルはしない。溢れ返った怒りは全然懲りることを知らない侯爵軍の兵士たちにぶつける。


『鬱陶しい、鬱陶しい、鬱陶しい、いい加減尽きろ』


 内心で怒鳴りつけながら斬る。目の端が滲んでも、腕が震えて剣の狙いが少し逸れても、足が重くなりすぎて危うくつんのめりそうになっても、レアは剣を振り続けた。

 そして、遂にその時が来た。

 レアはその時がいつであったのか、結局最後までわからぬままであった。

 兵士たちが恐怖に耐えかね逃げ出し始めると、生き残った指揮官たちにはこれを押しとどめることができなかった。何せ、状況がわかっている指揮官こそが一番に逃げ出したかったのだから。

 三箇所で行われていた虐殺は、それぞれの距離が離れていることで完全に別個の敵として扱われていた。なのでどこの指揮官も、たった一人、もしくは二人組に、何をどうしようとも勝つことができず一方的に殺され続けてきたのだ。

 いつかは体力が尽きるはず、なんて願望は開戦から二時間が経過したところで誰もが投げ捨てていた。あんな激しい動きを二時間も続けてまるで動きが衰えないなんて、そんなもの人間であるはずがない、と彼ら兵士も指揮官も皆が人外判定を下していた。

 人の理から外れた存在を相手にいつまでも勇気を維持できるほど、彼らは兵士になりきれなかった。

 一箇所で逃亡が発生すると、逃亡の悲鳴は恐慌を招き、全軍へと広がっていく。

 レアがこの動きに気付けたのは、見渡す限りどこにも敵兵士が居なくなって、ようやくであった。

 敵は居ない。イェルケルの回りにも居ない。なら、少しでも体を休め呼吸を整える。

 レアは目で周囲を監視しつつ、体を休める。全身から蒸気でも吹き上がっているような暑苦しさがある。

 ゆっくりと、よたよたとした足取りでイェルケルが歩み寄ってくる。


「……レア、どうやら、終わった、みたいだ」


 終わった、と言われてもレアは頷けなかった。何せレアはまだ息をしているのだ。体も、痛いがまだ動くし充分殺せる。何より王子がまだ生きている。なら、レアにだってまだやれる、と思いレアはイェルケルを睨み付ける。


「ここじゃ、休めそうにないから、隠れ家、行こう」


 敵は居ない。なら探しに行かなければならない。そう考えたレアは、多分敵の居所がわかるのだろうイェルケルについていく。

 イェルケルの歩みは遅い。遅すぎて抜かしてしまうかも、と思っていたのだが、何故かちょうどいい速さであった。

 大通りを避け、イェルケルは脇道を迷わず進んでいく。途中、どこにも人の姿は見当たらない。不思議に思ったレアはイェルケルに訊ねた。


「王子。もしかして、逃げるの?」

「逃げる? なんで逃げなきゃならないんだ。勝ったから、帰るんだ」

「……勝った? 誰が何に?」

「私たちが、侯爵軍にだ。アイツらみんな、逃げていったんだからな」


 隠れ家が近づいてくる。レアは少し考えてからイェルケルに言った。


「嘘だ。私、きちんと数えてないけど、まだ、にひゃくごじゅうにん、殺して、ない」

「千人全部、殺せるわけないだろ。その前に、普通は、逃げる」

「……おおっ、じゃあ……もしかして、本当に……私たち、勝った?」

「うん、勝った」

「じゃあ寝る。寝ていいんだよね?」

「駄目だ。安全な、隠れ家まで我慢するっ」

「じゃ、じゃあ、隠れ家行ったら、寝ていい? もう、動かなくていい?」

「うん、そうしよう。寝転がって、当分は、一歩も動かないんだ」

「それいい、それがいい、すっごくいい、早く、行こう」


 隠れ家に辿り着くと、二人で一緒に扉を開く。岩でできてるのかと思うぐらい重い扉を開き中に入ると、入ってすぐのエントランスホールど真ん中に、二人は同時に倒れ込んだ。

 二人はこれまた同時に、寝転がったまま大きく息を吐くと、そのまましばらくの間無言で呼吸を整えていた。

 かなりの時間、二人の呼吸は乱れたままであったが、直に回数も落ち着き二人の表情も苦痛を耐えるものから穏やかな笑みへと変化していく。

 もぞもぞと、みじろぎするようにレアが動いた。


「ふわぁ……寝るって、気持ち良いね」

「あー、もう溶けちゃいそうだ。なんだろうなコレ。訓練の後なんて目じゃないぐらい気持ち良いよ」


 戦場の緊張から解放されたせい、なんてもっともらしい理由を付けることもできるのだろうが、イェルケルもレアも、そうやって深くは考えずただ心地よさのみを満喫することに。

 少しするとレアはその場で右にごろん、左にごろん、と転がり始める。


「んー、少し動くのもいー」


 そういうのもあるのか、とイェルケルも真似しようとしたところで、レアからそれまでとは違った声が聞こえてきた。


「あ、あれ? ちょっと、違う、かも。あ、痛い? え? い、いたっ、い、いたいたいたいた、あ、あーっ、あっ、あっ、あっ」


 段々声が不穏になってくる。


「おいどうしたレア」

「王子! おーじ! なんか、足! 痛い! あしっ! いったっ! いたたたたたたっ!」

「え? 足って足か?」


 言われてみれば、イェルケルも足に違和感があるような。

 どうなんだろう、と小刻みに動かして足の調子を見てみる。すると、じわじわと、イェルケルにも来た。


「あ、あー! これ? これだろ! あーっ! あーっ! あーっ! いったいのきた! これいったいって!」

「何これ、何これ、何これ、おうじ! おーじー! 何とかしてー! 足って言うか腿痛い! すっごい痛い!」

「わかる! それだよ腿だよ! あーっ! すっごいの来た! いたたたたたたた!」


 二人はその場で腿に手を添えながら喚き出す。そのあまりの痛さは、隠れ家の屋敷にスティナとアイリが戻ってきているのにも気付かぬほどで。

 蹲ったまま痛い痛い喚くイェルケルとレアを、スティナとアイリはとても可哀想なものを見る目で見下ろす。

 スティナが、心底嫌そうに二人に問うた。


「何、してるの二人共?」


 二人はその場でごろごろ転がりのたうちまわりながら叫んでいた。


「「ももー! ももー! ももー! ももー!」」


 とりあえず痛いってことだけは、きちんとスティナにもアイリにも伝わってはくれた。



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