024.登場人物総チンピラ化現象
レア・マルヤーナはアイリ・フォルシウスと組まされることに異存は無かった。
負けたばかりだ、悔しいのは当然ある。だが、同じくらいこのアイリという少女に興味がある。
レアは自分の小柄な体躯も、胸がやたらでかくなる女という性別も、本当にだいっきらいだった。もし百回生まれ変わる機会があったなら、百回とも大男に生まれたいと思うぐらい嫌いだ。
両親や使用人や領民たちが可愛い可愛い言ってくれるのも、それが悪意のあるものではないとわかってはいてもあまり嬉しくはなかった。レアはずっと、かっこいいもの、強いものに憧れていてそれになりたいと思っていたのだから。
強くはなった。
剣の才能がある、そう言われた時は本当に嬉しかった。レアに剣を教えてくれたおじいさんは、もう足腰もまともに立たない年だったが、女でチビのレアが相手でも真剣に教えてくれるので、言われたことは全部真面目にやった。
そして領内で最も強いと言われた剣士を素手で殴り倒したことで、レアは領地内でできる修業は終えたと考える。今のレアならばきっと剣で身を立てられる、そう信じやはり反対する両親を説得して騎士学校に入る。
そこでようやくレアは、両親や周りの皆がレアに才能があろうと剣を学ぶのを止めた理由を、本当の意味で理解できたのだ。
学校から追い出された後、すぐにオホトを殺しに行かなかったのは、護衛に止められる可能性を危惧したからだ。どんな護衛がいようと絶対に殺しきる、そんな自分になれるまで山にこもって鍛えようと。
気が狂うぐらいに鍛えた。だが、どんなにきつくてもオホトを殺せるというのならば我慢できた。いや、殺しに行ってアレを殺せずあの下品な笑い顔で見下されるのを想像すれば、どれだけ厳しい修業にも耐えられると思えた。
山に篭って半年。今ならあのダレンス教官にだって負けない。ならレアに殺せない奴なんて居ない。そう思っていたのだが、レアは負けた。完膚無きまでにかつ木っ端微塵に。
背丈は同じぐらい、つまりチビ。びっくりするぐらい可愛らしい女の子。だが、レアがこれまで見たこともない、こんなバケモノがいるなんて想像すらしたことのない強者である。
何をどうすれば人がこんなシロモノになり得るのだろう。レアは不思議そうに隣を歩くアイリを見つめる。
自分もそうだが、フードを目深に被った見るからに怪しい格好である。だが、昼日中の街中であるにもかかわらず、こんな怪しげな格好の者が他にも散見された。
顔を堂々と表に出している者の大半は、剣を腰に帯び簡易な鎧をまとった兵士のような者だ。ようなというのは、彼らの下品な大声や横柄そうな態度が、あまりにひどすぎてとても兵士には見えないせいだ。
アイリが、レアの視線に気付いて小声で言う。
「この街で今一番偉いのは、閲兵式に出る千人の兵士らしいな。ほれ、奴らの腰に下げている剣を見てみろ。中々に良き意匠であろう。それだけで金回りの良さがわかろうものよ」
「それは、気付かなかった。……何故意匠に凝る? どうせ折れるものだし、その分で予備を買った方がいい」
「あ奴らでは折れるほど使う前に自分が死ぬのであろうよ」
小さく噴き出すレア。ちなみに剣とは折れるよりも刃がめげる方が早いはずである。よほど膂力があるのでもなければ。
「違いない」
「であろう? よし、ちょうど昼食時であるし、食堂にでも入るか」
賑やかな店を探し中へ入ると、先ほど通りで見かけた偉そうな兵士もどきのような奴らが多数たむろしていた。
全部が全部あれだったなら即座に回れ右であったが、混んでいる店の半分はより貧相な衣服と剣を下げた者たちだったので、ちょうどいいかと二人は席につく。
二人は一番態度の大きいグループの側に座り、彼らの話に耳を傾ける。
「っぷはー! やっぱいいな昼間っから飲む酒ってのは!」
「この後に女もあるしな。いやはや、贅沢になったもんだ我ながら。侯爵さまさまだなおい」
「訓練はきちーけどな。その分良い目が見れるってもんだ。侯爵様ばんざーいってな」
「早めにこの街来た俺ら大勝利だったな。いやー、奴隷取引やってるって聞いた時ぁ背筋が凍ったもんだが、なんのなんの、侯爵様の権力の凄まじさよ。奴隷法なんざ知ったことかーって剛毅すぎるぜまったく」
「おう、まさにまさに。侯爵様こそ男の中の男ってな。くくっ、それに比べてこの間のあの女々しい男と来たら……ありゃひどかった。俺のいもうとをかえせーってか? 勢い込んでくるからどれほどかと思やてんで話にならねえただの農民でやんの」
「ぶははははは! あれな! 槍でも持ってんのかと思やただのクワだしよ! お前クワて! 俺危うく耕されるところだったっての!」
「あんなん当たるかアホ! 挙句剣で刺したら悲鳴あげて逃げようとしてんの! よえー! 弱すぎるぜおい! 定期的に来るよなあーいうの」
「そりゃお前、あんだけ強引にさらってりゃキレる奴もいんだろ。大変だねぇ、庶民って奴ぁ」
レアは野生動物の襲い来る気配を何度も受け止めてきたせいか、その者が臨戦態勢に入ったかどうかが、なんとなくだがわかるようになっていた。
というかアイリがやばい。
「ねえ、アイリ。怒ってる?」
「……いやいやいや。全然怒っておらぬし。私を怒らせたら大したものであるぞ? あんなクズ共の戯言に、この私が自制心を失うなぞ、あ、あああああってはならぬことであるしっ。後暴れたらスティナが怒るしっ」
「今更店出るのも不自然、もう少し我慢。話は私が聞くから、アイリはごはんに集中」
「う、うむ。べ、べべべつに怒ってはおらぬが、お主がそう言うのであれば仕方がない、そうしてやろう」
その後兵士から聞けた有益な情報は、閲兵式の後はしばらく街を出て領内を巡回するというそれまでに得ていた情報であった。
少なくとも一般の兵士たちはそう思っていると。レアとアイリもそろそろ食事を食べ終わるので、店から出るかと思った時、彼らが声を潜めて話をはじめた。
「……でもさあ、集まってる兵士、やばいの多くないか?」
「あー、わかる。噂じゃ他所追い出されたようなのが結構いるって……」
「噂じゃねーよ、俺見たし。軍規違反だかで国軍追い出されたのが何人か居たぜ。あいつら盗賊やってたって聞いたんだが」
「俺もそーいうの聞いたわ。つーかガルファクシとかモロそれじゃん。アイツ女子供を好んで殺すってマジかよおい」
「あんなん良く雇おうって気になれたよな。知ってるか? ガルファクシの奴、グレンマウザー将軍にも噛み付いたらしいぜ?」
「まじか!? 正気じゃねえよ絶対アイツ。でも侯爵様のお気に入りなんだろ?」
「てか侯爵様は強い奴が好きって話だしな。他にもガルファクシみたいな人間のクズぞろぞろ集めてるらしいぜ。おっかなくねえのかね?」
「そんなの集めて閲兵式って。まあ、おエライさんは言うほど来ないみたいだからいいんだろうけどさ」
おエライさんの来ない閲兵式になんの意味があるんだろう、と思うレアであったが、こいつらに問いただせるわけもない。
結局大した情報は無かったな、と思いつつ入り口付近で起こった賑やかさに気付き目を向ける。
「よーしお前ら、今日はここで昼飯だ。好きに食えよ、俺がおごってやる」
「おー! とか言ってガルファクシさん、金払う気なんざねえでしょうが!」
見上げんばかりの大男に続き、五人の男たちが店に入ってくる。
下品な笑い声、聞こえてくるクソみたいな会話、これ見よがしにぶら下げる装飾過多の剣。何もかもがアイリ、そしてレアの気に障る。
更に言うなればレアは大柄な男が嫌いである。大した訓練もしないで強く見えるのが頭に来る、つまり嫉妬である。
この一行が入ってみると、兵士でない者たちはもちろん、兵士たちですら嫌な顔を見せる。そういう連中なのだろうと、アイリにもレアにもすぐにわかった。
レアはアイリに声をかける。
「店を出よう」
「いっそ残ってみるのはどうか」
「絶対に、怒られる」
「であるなぁ……だが、だ。ここは目撃者を全て黙らせられるのであれば……」
「私は王子配下に入ったばかり。いきなり失態とか、勘弁してほしい」
「ぐぬぬ」
突然二人は会話を止め、座っていた椅子から左右に飛びのいた。
二人がそれまで座っていた席に、何やら液体がぶちまけられたのである。
「お? かわされた? え、マジ? 嘘すごくねこれ?」
呆気に取られているのは先ほど入ってきた男たちの内の一人で、入ってすぐのテーブルにあったビールを、勝手につかんでアイリたちへとコップごとぶちまけたのである。
まさかかわされるとは思っていなかった一行は、皆が驚きアイリとレアを見ている。
彼らはビールをぶっかけた後、笑いながらさっさと席を開けろと怒鳴るつもりであったのだ。もう一人の男が、ビールを投げ外した男を笑いながらまた別のテーブルのビールを勝手に奪う。
「へったくそ、俺にやらせてみろ。頭からきっちりいってやるよ」
そう言うと、残る面々も我も我もとビールを取りに動く。ビールを奪われたテーブルの者は何を言うでもなく顔を伏せたままだ。
ぼそぼそと、小声でアイリはレアに言った。
「……やるか」
「うん」
両者共もの凄い速さでキレた模様。
男たちがせーの、でビールをぶん投げた瞬間、アイリとレアは動いた。
フードの襟を押さえながら走るレアは、顔のすぐ横をビールが飛んでいくのも構わず正面の男の膝をまっすぐに蹴る。嫌な音と共に男の膝がひしゃげ、上体が崩れ落ちてくる。これにあわせてぴたりで足を振り上げ顎を蹴る。
アイリは少し派手だ。店内で高く跳躍し、先頭の男の顔面を蹴ると、空中でくるりと半回転し、後ろ回し蹴りにてもう一人を蹴り飛ばした。
あっという間に三人が倒れる。レアはちょうど届く位置にある椅子を片手で掴み、軽々と振り回すと真横から乱暴に男に叩き付ける。一撃で椅子が砕け男は昏倒する。
そこで、ようやく敵側も動きを見せる。ガルファクシと呼ばれた大男がやおらテーブルを持ち上げたのだ。
大きな体躯に相応しい腕力で、四人用の丸テーブルを持ち上げるとこれをアイリへと叩き付ける。アイリ、ふんと鼻を鳴らしながら後退しつつ、ちらとレアを見る。
フードで顔が見えぬままだが、その口元は微かに笑っているようにも見えた。
ガルファクシは次にレア目掛けてテーブルを振り回す。これをレアはその場から一切動かぬまま、裏拳の要領でテーブルを殴りつける。盛大な音と共にテーブルが砕けた。
観戦者の誰もがレアに当ってテーブルが砕けた、と思った。厳密にはそれで正しいが、レアがテーブルによって損傷を負っているかといえばまるっきりそんなことは無い。
にへらと笑ったガルファクシは、砕け散るテーブルの破片の中に、標的である小柄なフード、レアの姿が無いことに気付いた。
次の瞬間、ガルファクシの視界が真下にズレた。
床が抜けた? ガルファクシは咄嗟にそう思った。以前にガルファクシの巨体に床が耐えられないことがあったのだ。ちょうどその時も、今のように片膝をつくぐらいの高さで止まったのだ。
だがその時と違うのは、両足を襲う激痛だ。全く力が入らない。
姿を消していたレアが、目の前に立っていた。
ガルファクシは次に、もの凄い勢いで真後ろへと突き出された。引っ張られたのではない。そう見た者は勘違いしたが、ガルファクシにだけはわかった。胸の中央をとんでもない力で突き飛ばされたのだ。
勢い良く壁まで飛び、叩き付けられ意識を失いかける。ガルファクシの巨体のせいか、壁だけでなく天井まで派手に揺れ、埃がはらはらと落ちてきた。
レアはゆっくりとガルファクシのもとへと歩み寄る。ガルファクシは混乱していたが、どうやらこの小さいのにやられたらしいとわかる。
「て、てめぇ……」
そこから先は、壁に押し付けるように顔を殴られたので言えなかった。一度では済まない。二度、三度、四度、五度。回りの誰も、止めてくれる者はいない。
いやそれどころかこのケンカを見て皆がにやにや笑っているではないか。
「おおいどうしたよガルファクシ! そんな小せぇのにやられてんじゃねえよ!」
「何だよそりゃ、豪腕のガルファクシってなフカシかおい!」
「いいぞチビフード! 二度とでけえ口叩けねえよう徹底的にやっちまえー!」
「え? うっそー、ガルファクシさんって本当は弱かったのサイテー、もうガルファクシさんのファンやめます」
好き放題であるが、レアにやられているガルファクシからすれば、こいつはとんでもないバケモノだとわかっている。こんな強烈な拳はこれまで味わったこともない。
だがそれでもガルファクシは戦士である。恥をかかされたままでは絶対に終われない、皆に侮られるということがどういうことなのか、彼はよくわかっているのだ。
必死に強がりながらガルファクシは叫んだ。
「はっ! なんだそのへなちょこな拳は! 俺には全然きかねえぜ!」
レアのようなちびっこを相手にこんな台詞を吐いても失笑ものであるのだが、ガルファクシだけはこの拳が凄まじいもので強がりに価値があると思ってしまうのだ。
思わず拳を止めたレアに、更にガルファクシは言いつのる。
「笑わせんじゃねえ! 俺を黙らせたきゃきっちり殺すことだな! さもなきゃ……」
これまで食らったものなど遊びか、と思えるような無茶苦茶痛い拳が胸板に突き刺さる。胸板とか、殴られても大して痛くない場所なはずなのに、とんでもなく痛い。
というか何かやばげな音もしたし、喉の奥に嫌なものがせり上がってくる感覚がある。だが、引くに引けなくなっているのだ。
「ごふぉっ! ……くっ! 殺せ!」
「うん」
レアはすらりと剣を抜き、まっすぐに、ゆっくりと、ガルファクシの胸板に剣を刺し入れていく。
『あ、あれ? え? 何本当に刺したの? いやいやいやいや、何やってんのコイツ?』
ゆっくりゆっくりと剣を刺し入れるレア。暢気に歌まで歌っている。
「さっさるー♪ さっさるよけーんがさっさるー♪」
『いやささるじゃねーっしょ。やばいよこれ? 洒落になんねえよこれ?』
背中の辺りからコン、という音がした。
「すすむー♪ すすむよけーんがすすむー♪」
『だめでしょ進んじゃ。今そうとう刺さってないこれ? どーすんだよどーすんだよどーーーーすんだよおいっ!』
剣先が奥の壁に当ると、今度は上下に揺らしはじめた。
「ひらーくひーらけひらいて三つにー♪ ……そろそろ死んだ?」
「……まだ」
「あれ?」
「おい、これ、死んじゃうじゃん」
「うん」
「た、すけ、て」
「やだ」
ガルファクシの首ががくりと落ちるのを見ると、レアは剣を丁寧に抜き、次はどれかなと先ほど蹴飛ばした男に目を向ける。
囃し立てていた連中も、さすがに絶句する。もしかしてこのチビフードはヤバイ奴なのでは、と思うのだが、ガルファクシほどの大男、それも名の通った戦士を容易く屠ったこの者のやることに口を挟むこともできない。
だから彼らが動けたのは少し経ってから。レアがもう一人に狙いを定め、倒れ込んでいる彼に向かって、剣を刺さんとゆっくりこれを振り上げた瞬間だ。
同時に二種類の声が響いた。
「コイツやべえぞ! 逃げろ!」
「ざけんなこのチビぶっ殺せ!」
前者を叫んだ男たちは我先にと入り口に殺到し、後者に乗った数人のみは一気に襲い掛かろうとしてしかし、殺そうと動いた人数が少なすぎることに驚き足が止まる。
レアもぶっ殺せの声に反応して動いた者をちらりと見たが、こちらに突っ込んでくる気配が無いのを見て、倒れた男に目を戻す。
「お前も、死ぬ?」
「おゆるしくださいませ! 何卒! 何卒お慈悲を!」
「え? ……あっそう。もしかして他のも、殺さない方がいい?」
「ぜ、是非、そうしていただけると」
「ころせー、て言わないの?」
「いえいえいえいえ、言いませんとも」
「あのデッカイのは、言ったよ?」
「言いませんっ」
「言おうよー」
「お許しを!」
レアはアイリをちらと見る。アイリは小さく手を振った。
「やめておけ。まったく、下らん時を過ごしたわ」
そう言ってアイリは料理の代金をテーブルに置き、レアを促し店を出る。レアも特に逆らうでもなく剣を納めてこれに従った。
後ろからぎゃーぎゃーと騒がしい声が聞こえたが、アイリもレアもさして気にせずさっさかと歩いていく。
「なあレアよ。一つ、お主に相談がある」
「なに?」
「このような下らない、どうでもいいこと、わざわざ二人の耳に入れるまでもないと思わぬか」
勢い良く首を縦に振るレア。
「おもわぬ、おもわぬ」
「であろう。ならば、今日のこれは無かったことに」
「なかった、なかった。アイリは話せる」
「くっくっく、いやいやレアよ、お主も悪よのう」
その日の夜。フードのチビ二人が食堂で大暴れして兵士を殺した、と大騒ぎになっていたことがスティナの耳に入り、速攻でバレて滅茶苦茶怒られた。
この時レアは自らの正当性をこう主張したという。
「ビールをかけられそうになって、ケンカになった。そのうえで、殺せと言われたので殺した。私は、悪くない」
これっぱかしもスティナの怒りを収める助けにはならなかったのである。