211.エピローグ(中編)
カレリア国王アンセルミは、彼女の帰還を待ち望んでいた。というより待ち構えていたという方が正確か。
反乱軍に潜り込ませた調査員により彼女の帰還を知ると、その帰還路を推測し人を配し、彼女がカレリア国境を越えるなりすぐに接触させる。
もちろん強引な真似は禁物だ。相手に不快感を与えないようにしながらも、その思考を誘導し、極自然に自領地ではなく王都に来るよう仕向ける。
つまるところ。
「先に王都に立ち寄ってください。ご領地がこれ以上不利にならないよう」
ということである。彼女の主である領主、ヤロ・ハーヤネンのやらかしたことをきちんと一から全部説明してやれば、まっとうな頭を持つ者ならば彼がどれほど危ない橋を渡ったかを理解することができよう。もちろん彼女ことシルヴィ・イソラもそうだ。
青ざめた顔で了承し、シルヴィ・イソラはイジョラ魔法王国よりカレリア王都に帰還した。
そして、彼女を出迎えるはアンセルミ王の側近の一人、諜報担当のイスコ・サヴェラ男爵である。
アンセルミ王は一度直接話をしてみたい、と言っていたのだが、まさか第十五騎士団に匹敵する武力を有する戦士と対面させるわけにもいかず、サヴェラ男爵がこの任を負うこととなった。
だがいざ彼女を出迎えるとなった時、サヴェラ男爵は手元に来た急報に頭を抱える。
色々な状況を勘案し、そして、結局のところこのアンセルミ政権のあり方を考えてみれば、正直素直に全部話すという結論しか出てこないのである。
少し緊張気味のシルヴィ・イソラを前に、サヴェラ男爵は内心で覚悟を決めつつ話し出した。
「お帰りなさい、シルヴィ・イソラ。イジョラでの活躍は聞いております。ああ、それを咎めようというのではありません。少なくとも貴女は、貴女の立場でできることをした結果であるとこちらも認識しております」
「は、はいっ」
「それで、ですね。私は貴女に、非常に良くない話をしなければなりません。心を落ち着けて、聞いてください」
「はいっ」
「貴女の主である領主、ヤロ・ハーヤネンは亡くなりました」
「はいっ…………え?」
「予め誤解のないよう言っておきます。この件に王家も国も一切関わっておりません。彼が王家に対し失礼を働いたのは事実ですが、それも誤解から起こった出来事であり、ヤロ・ハーヤネン殿も既に謝罪を済ませ王家との間にわだかまりはなくなっております」
「え? ええ?」
「事件は、一週間前に起こりました」
「は、はいっ」
「王家に弓を引いたとみなされた彼は、随分と周囲の者から辛く当たられていたようで。王都に直接謝罪に来て、それで話は終わったはずだったのですが一部貴族が彼を前に、それを何度も揶揄したようです」
シルヴィの顔色はもう真っ青である。
「反乱軍鎮圧の際、シルヴィさん、貴女を使って抜け駆けした件のこともあり、随分と侮辱を受けたようで。それに耐えかねた彼は剣を抜いて決闘を申し出たのです。……よりにもよって元とはいえ騎士団団長をやっていた貴族相手に」
すがるような目でシルヴィはサヴェラ男爵を見ている。
「相手は何度も戦場に出ている元騎士団団長です。相手になるはずもなく、技量に差がありすぎることからあっさりと怪我も無く決着がつくと思われたのですが、どうも、その、彼、決着がついた後で、余程悔しかったのか背後から襲い掛かってしまったと。それで元騎士団団長も激怒し、一刀で斬り伏せられたそうです」
サヴェラ男爵はこのヒドイ話をどう彼女に伝えたものか途方に暮れたものであるが、どの道他者から耳に入るのだから、できるだけ正確に、全てを伝えることにしたのだ。
サヴェラ男爵の知る中では、国境警備の責任者が浮気相手に刺されて死んだ、に並ぶほどのブザマ話である。
逆にここまでヒドイ話ならば、なめられた王家が報復したなんて邪推もしないだろう、と思えてしまうぐらいに。
さて、彼女の反応は、とシルヴィを見ると、彼女は俯いたままで肩を震わせている。笑っているのか、とか本気で考えてしまうぐらいヒドイ話であるが、シルヴィから漏れた声はそんなふざけた調子では全くなく。
「りょ、領主さま、死んじゃったの?」
「え、ええ。既に遺体は領地へと送られております」
「ほんとに? じょ、冗談ならすぐ、そう言ってよ、ね。でないと私も、怒るよ。怒っちゃう、よ」
「人の死を冗談にするほど悪趣味ではありません」
「じゃ、じゃあ、本当に、領主さま、死んじゃった?」
「はい」
そこでシルヴィの言葉が止まる。少ししてから、ぼそりと言葉が零れた。
「……やだ……」
「え?」
そして一気に破裂した。
「やだああああああああ! 領主さま死んじゃやだああああああ! うわあああああああん! うわああああああああああん!」
凄い勢いで泣き出したのである。
様々な反応を予測していたサヴェラ男爵であるが、この、大声で泣き喚くという選択肢だけは、頭の片隅にも入っていなかった。
『えっ!? ちょっと!? ええっ!? こ、この娘! シルヴィ・イソラですよね!? 東イジョラ独立の英雄にして天馬の騎士! 幾千の敵兵を蹂躙する勝利の女神! 魔法をすら超える奇跡の戦士! シルヴィ・イソラさんですよね!?』
今も、うわーんと大声で泣き叫ぶ中で、こんな有様になった女性をどうしていいか、さしものサヴェラ男爵にもわからない。
大声に驚いた警備の者が部屋に入ってくるが、サヴェラ男爵は大丈夫だと言い聞かせ外に出させる。女性のこのような姿をあまり衆目に晒すものではない、と考えたのだが、サヴェラ男爵の知る女性はこんな大声で泣き喚いたりしない。
そもそも、シルヴィ・イソラはカレリア反乱軍との戦でも、その後のイジョラ軍との戦いにおいても、ヤロ・ハーヤネンからはとんでもない扱いを受けていたはずで。
一緒に従軍していた兵士たちからは、ヤロ・ハーヤネンが死んだと聞いても至極冷静な反応しか返ってこなかったのだ。
自分の主を殺されたと怒ることはあっても、本気で泣き叫ぶほどに悲しむなどと思ってもみなかった。
「あ、あの、シルヴィ、さん? シルヴィさんは、そのヤロ・ハーヤネンに対し、怒っていたのではないのですか? 随分とヒドイ命令を受けていたと聞いておりますが……」
「怒ってないもん! 領主さまごはんいっぱいくれたもん! たくさん食べておっきくなれーって言ってくれたんだもん! あったかい部屋もくれたもん! すぐ怒るから怖いけど、私、領主さまだいすきだもん! うわああああああああああああああん!」
結局、とても話をするような状態ではなくなってしまったので、シルヴィには一室を与えてそこで休ませて、サヴェラ男爵は一時撤退を決め込むのであった。
といった内容の話をサヴェラ男爵が上司であるアンセルミ王に話すと、同席したヴァリオと二人、両者ともに絶句してしまった。
どちらも黙ってしまったので、仕方なくサヴェラ男爵は続きを話す。
「次の日、彼女が落ち着くのを待って話をしたんですけどね。ヤロ・ハーヤネンとはなんやかやと一緒にいる時間が長かったせいか、彼女にとっての身内であると認識されているようで。いけすかない奴であろうとも、それが家族であれば大目に見る部分もある、といった感じでして」
真顔でアンセルミ王が問う。
「戦におけるヒドイ命令とは死と同義であろう? そんな目に遭った当人なのに、か?」
「彼女、身内認定出すとその辺が相当に甘くなるようでして。いやぁ、本当に参りました……まさか……泣くとは……」
それなりに冷静さを取り戻したヴァリオが呟く。
「女性というのは多かれ少なかれそういう部分があるのかもしれませんね。ウチの姪もそんな感じになったことありますよ。彼女五歳ですけどね」
「ですよねぇ。彼女のあの容貌で大好きなんて言われたら、当たり前にそういった意味に取りますけど……そっちも違うんだろうなぁ。どうなってるんだ、稀代の英雄を出迎え説得するって話だったはずなのに、小さな子供宥めるなんて話になっているではないか……」
ヴァリオが問う。
「で、説得の方は?」
首を横に振るサヴェラ男爵。
「国に帰る、だそうで。自分が留守してる間に、みんなが死んじゃったらもうヤダ、だとか……東イジョラは彼女をどうやって扱ってたんだか」
「元騎士団団長への報復は?」
「その辺は冷静、というか、領主さまがご迷惑をかけたんだから、謝りにいかないと、とかなんだとか……いやもうホント、私、彼女のこと理解できませんワリと本気で」
話をじっと聞いていたアンセルミ王は、彼なりに納得するものがあったようで何度か頷いた。
「彼女が第十五騎士団に合流しない理由、かもな。連中が大泣きするほど悲しい目に遭わされたら間違いなく動く。だが、どうもシルヴィ・イソラはそれ以前のこともそうだが、自分が我慢することで話をまとめようとする所があるのかもしれん。つまり、その尋常ならざる武勇以外は、案外に普通っぽいのではと」
ヴァリオが呆れたように言う。
「ならば尚のこと、変なのに憑りつかれる前にこちらで確保する必要があるでしょうに」
「周辺から攻めるが良かろう。地元の兵士たちならば、彼女程の武勇の持ち主なら王都で働く方が国のためにも彼女のためにもなると説得してもらえるのではないか?」
肩をすくめるサヴェラ男爵。
「確かに普通、ですが、そうですね、それがいいかもしれません。間違っても無理強いだけは絶対に選べませんから」
そして、はぁ、と息をつく。
「ヤロ・ハーヤネン配下の兵士は、かなり本気で彼を憎んでいましたよ。彼の手柄のためにすり潰されそうになり、しかも逃げようにも家族が人質になっているようなもので、そんな状態で戦場に放り込まれれば誰だって殺してやりたくもなります。そして、付き合いの長い彼らから見てもヤロ・ハーヤネンはそういうことをする人間だと思われていたということでしょう。彼の訃報を受けた者も、驚きはあっても悲しんでいる様子はなかったですし」
だから、と自嘲気味に続ける。
「シルヴィ・イソラもそうだと思ってたんですがね。こうまで見誤ったのは久しぶりですよ。我が身の未熟が身に沁みます」
馬鹿な奴、と漏らすのはアンセルミだ。
「生きてさえいれば、自分の死を本気で悲しみ泣いてくれる者がいる、と、知る機会もあったかもしれんのにな。本当に、愚かな男だ」
その後、シルヴィは帰郷を許され地元へと帰っていった。
再び王都に戻り、比較的自由に動ける立場の騎士の一人として、王直属となるのはもう少し先の話である。
いつもの執務室で、少し残念そうにアンセルミ王は呟く。
「イェルケルはもう行ったかな」
手元の書類を整理しながら、側近のヴァリオは顔を上げる。
「そういえば今日でしたか。帝国に行くそうで」
「というより、帝国のその先を見に行くと言っていたな。まあ、帝国はイジョラほど民に厳しい国でもない。アレの機嫌を損ねるようなことも少なかろうよ」
「帝国、帝国ですか。サヴェラ男爵からの報告、どう思いました?」
「セヴェリ王を殺したイェルケルたちを恐れているというアレか? どうだろうな、第十五騎士団、殿下商会、どちらの情報も錯綜していて連中じゃ整理しきらんだろう。そのうえで王を殺した何者かの居場所を探るなんてなったら、幾ら手があっても足りんぞ」
「とはいえ、不死の王を殺した者の居場所も目的もわからぬままでは恐ろしくて侵攻なんてできるわけがない、というのも理解できる話です」
「元々、帝国が侵攻を渋っていたのも王の存在あってのことだしな。イジョラもイジョラで変な形で安定してしまったようだし。まったく、世界情勢というものは、どうしてこう予測もつかない方向に動いてくれるんだか」
「イジョラと言えば、オスヴァルドの方は順調なのですか?」
「ああ、つい昨日報告があったよ。……東イジョラの連中、まるで葬式みたいな有様だとさ」
「そりゃ、まあ、耐性のない者にとって魔法は毒であり、イジョラの民の寿命が短いのはこのせいだ、なんて話をいきなり聞かされれば、そうもなりましょう」
「かといってすぐに魔法を手放すこともできない。もちろん公表することも無理だ。いずれ魔法抜きでも暮らしていけるようになるその時まで、秘密として首脳部が抱えていくしかない。耐性を付ける訓練というのも魔法使いでないのなら成果の個人差がひどいんだってな」
「他人事ながら、眩暈がしてくるような話ですね。南イジョラとの交易再開も目途は立ちそうですか?」
「向こうからの要望が強い。一度覚えた贅沢はなかなか捨てるというわけにもいかんようだ。そうそう、笑える話があるぞ。帝国、ウチとの交易を考えてるらしい」
「…………本気、ですか?」
「攻められないのなら商売した方がいい、だと。好き勝手言ってくれるよな」
「そういうがめつさは、陛下嫌いじゃなかったですよね」
「ははっ、まあな。直接ではなく迂回するぐらいの一工夫を忘れないのなら見逃してやるさ。どの道、連中の我慢もそう長くは続かんだろ。いつまでもイジョラが分裂していてくれるなんて思うほど楽観的でもないだろうしな」
そこでふと話題が途切れ、両者に沈黙が落ちる。
アンセルミは僅かに沈んだ表情で溢した。
「……イェルケルたちだがな、アイツら、自分でもわかっていたぞ」
「何をです?」
「個人の戦闘力で、アイツらが満足を得られるほどの力を持つには、それこそ魔法にでも頼らんかぎりもうそんな化け物にはお目にかかれんだろうとな」
「……かといって、軍隊とはもう何度も戦っていますね」
「イェルケルが言っていたよ。軍とはどこまでやれてどこからは無理というのもわかった、と。だから、もう軍とやってもそうは負けない。負ける前に逃げてまた戦うを繰り返せば、勝てない軍はいない、だとさ」
「つくづく、非常識な話ですね」
「軍隊でも勝てぬ、魔法でも勝てぬとなればもう、アレを殺すには知恵を巡らす他はない。そういう戦い方、いや、騙し合いのようなものをイェルケルは望んでいないだろう。もう、イェルケルの望む戦いでアイツらを超えるのはほぼ不可能だ。それを、アイツは寂しそうに語っていたよ」
アンセルミは旅立つイェルケルに言った。
世界がつまらなくなったらいつでも帰ってこい、その時はもっと別の楽しみ、生き方を教えてやるから、と。
帝国領をすら越えたその先は、人の領域以外が広がる魔境である。
しかし、そんな僻地、極地であっても、人の営みは育まれており、そこで生きる人たちは懸命にその日を暮らしているのだ。
人が集まることで単身では決して成し得ぬ力を発揮し、自然現象をすら乗り越えていくのが人間だ。
だが、それでも。
決して人の手には触れ得ぬ存在というものが、この世にはあるものなのだ。
第十五騎士団の四人は山の中腹まで来たところで、眼下の彼方に目的地の村を発見した。
付近に出る、とは聞いていたが、まさか、今正にその真っ最中であるとは思いもよらず。
「で、でんかー。あれ、何?」
「わからん。わからんっ。わからなすぎるっ」
「巨大な、トカゲ? いや、巨大というか、あれ、村の半分ほどもあろう。というか首が長すぎてとんでもない高さにまで届いておらんか?」
「誰よ、そんな化け物この世にいるはずがないとか言ったの。うんごめん私だ。居たわね。山みたいな巨体で、鋼の鱗に覆われてて、長い首が天を突き、そんでもって空飛ぶ羽までついてくるって」
首を何度も横に振るレア。
「あの巨体が、あんなちっちゃい羽で、飛べるわけないし」
「いやまああの巨体に比して小さいというだけで、実際は相当な大きさであろうが。というか、おい、じゃあ、もう一つの噂も……」
「あ、ヤバイわよあの動き。絶対、何かしでかす……」
四人が見下ろす先、目的地の百人ほどが暮らしているだろう村には、大きな大きな羽の生えたトカゲの化け物、竜が鎮座していたのである。
竜はその長い首を上へと伸ばしていたが、これを僅かに後ろにそらしたかと思うと、大きく口を開き、そして、噂話にあった通り、真下に向かって口から強烈な炎を噴き出したのだ。
ただの一撃で、村全てが炎に覆われる。その炎は竜の全身をも包み込むほどの勢いであった。
そして、炎は村に火を付けはしなかった。炎を噴き出す勢いでそこにあった建造物を軒並み消し飛ばしてしまったのだ。
砕けた破片がちろちろと火を残しているが、それ以外はもう全て黒、黒、真っ黒である。村があった痕跡は、その黒く焼け焦げた大地のみとなってしまっていた。
それで竜は満足したのか、一つ、二つと羽ばたく。
どう考えても身体に対して小さすぎるだろう羽でも、何故かその羽ばたきで竜の巨体は宙に浮きあがり、そして、あっという間に彼方へと飛んでいってしまった。
竜が飛ぶのと、村を襲った炎により生じた熱風がイェルケルたちのいる山の中腹まで届くのがほぼ同時であった。
熱い風にあおられながら、イェルケルは仲間三人の顔を見る。
帝国で多少なりと腕を振るっていた時にはまるで見られなかった、それはそれはもう嬉々とした表情をしていた。多分、イェルケルも同じ顔をしているだろう。
「こうでなくっちゃな。これでこそ、戦士をやってる甲斐があるってもんだ」
イェルケルの言葉に、スティナ、アイリ、レアの三人も嬉しそうに頷いた。




