表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
208/212

208.偉大なるかなイジョラの王(後編)


 研究室でもあったその部屋には、机があり椅子があり資料棚があり、十数名の研究者が過不足なくすごせるような広さがある。

 その部屋の机やらを全てセヴェリ王の触手がぶっ飛ばしてしまっているので、本来であれば二人が戦うに十分な広さである。だが、アイリの一歩の踏み込み距離やセヴェリ王の触手の巨大さを考えるに、二人の戦いにこの部屋は狭すぎた。

 部屋の床はもうそこら中が抉れ削り取られている。これはセヴェリ王の触手が床を叩いたせいもあるが、アイリの一歩の踏み出しに床が耐えられなかったというのもある。

 壁面もところどころがへこみ、あまつさえ穴が空いて隣室が見えてしまっている場所もあるのは、アイリが壁を走って触手をかわしたりしたせいだ。

 セヴェリ王は今ではもう、集中力が切れるだの疲れただの当たらないだのといった泣き言は言わない。

 研究者としての思慮深さは鳴りを潜め、前線に立ち蛮勇を振るう愚かしくも雄々しき王として武を示す。

 敵の動きを何手も先まで読み、追い込み追い詰め一発を当てる。


『それができぬから苦労しておるのだがな……』


 敵は信じられぬほどに狡猾だ。或いは戦い慣れしている。

 セヴェリ王の仕掛けや罠を、追い込む寸前でひらりとかわしてくる。

 だが最初の奇襲がそうであったように、当たればいけるのだ。今度は壁なり床なりに押し付け、飛んでいかないようにしながら何度も殴打しトドメを刺してやる、とセヴェリ王の触手は部屋中を伸び回る。

 そんなセヴェリ王の背筋が、全く前触れも無しにいきなり凍り付いた。


『っ!? なんだ!? 今、何かが……』


 それを感じ取れたのは長く生きてきた経験故か、はたまた彼にもまた武の素養があったせいか。

 セヴェリ王は対峙しているチビ女の気配の変化に気付き、攻めたてていた連撃を途中で中断する。

 チビ女ことアイリが、感心したように言った。


「ほう、なかなかどうして。その感覚は戦地にあってこそ磨かれるものとばかり思っていたが……」


 アイリの気配の変化に、セヴェリ王は気付いたのだ。

 アイリは微笑を浮かべている。このような状況での笑みであるのに、そこに全く嫌味を感じないのは当人の性質が表れているせいか。


「ようやく、慣れたぞ」


 その言葉の意味を、理解するのが恐ろしくてセヴェリ王は勢いをつけた特に強烈な一撃を突き込む。

 真正面よりアイリに向かって伸びる触手。先端部の太さを考えるにアイリからすれば壁が高速で動いてくるのと同義であろう。

 これに対し、両足を開き、身体を捻りながら半身になりつつ片腕を伸ばす。手の先は拳ではなく掌打の形。

 衝突の瞬間響いたのは、床が砕ける重苦しい音と、柔らかさをすら感じさせる破裂音であった。

 セヴェリ王の巨大な触手が、その半ばから膨れ上がり八方に向け炸裂したのだ。ちょうど半分の長さに千切れる形になった触手。これを真っ向より受け止め逆に砕いてみせるその妙技に驚いたのは驚いたのだが、セヴェリ王は攻撃の手は止めなかった。

 正面からの一撃をかわし、左右なり上下なりに飛び出してくるところを残る触手で叩き落とそうと構えていたのだが、足を止めたというのならそのまま触手の軌道を変化させ直接攻撃させるまで。

 が、一発目から既にそれまでとは全く違う手応えがかえってきた。

 斜め後方に向かって、触手が大きく弾かれるのだ。

 命中寸前、滑らされたような形でその巨大な質量が飛び込む方向を変えてしまう。セヴェリ王の顔についた目からこれを見ることはできないが、セヴェリ王の目は伸ばした六本の触手先端部にもついている。

 それが教えてくれた。アイリは巨大な触手を横から殴りつけることで受け流したのだ。

 そう、慣れた、の意味だ。

 アイリがわざわざ触手が最も威力を発揮する間合いに居続けた理由は、この攻撃に身体を慣れさせるためであったのだ。

 先端部が人間大の触手の連撃など、これまで食らうどころか想像すらしてこなかっただろう攻撃に、この短時間で慣れたというのだ。

 アイリからすれば、イジョラに来てから魔法なんていうデタラメな攻撃を何度も何度も何度ももらってきたのだから、こうした想像の埒外の攻撃をされること自体にも慣れてきていた、というところだろうが、そもそも多種多様な魔法攻撃に慣れた、というのがおかしいのである。

 触手はその巨大さ故、一度弾かれると容易に戻すことはできず、この隙間をするりと抜けられてしまうと対応が難しい。

 そして遂に、六本触手にしてから一度も許していなかった攻撃を受ける。もちろんセヴェリ王は不可視の盾、それもパニーラが用いるほどの強力なものを備えていたが、まるで薄い板きれか何かのように易々と斬り裂かれてしまった。


『ぐっ! のんびりと! 治している暇はないかっ!』


 セヴェリ王が魔法の流れに介入し怪我の治癒速度を上げさせると、完全に両断したはずの胴が斬れた側からくっついていく。


『にぎうっ!? こ、これ恐ろしく痛いからあまりやりたくなかったんだがな!』


 それだけでなく、設定してあった以上の治癒速度にもっていくには、セヴェリ王当人の魔法行使も必要となるため、触手使いが多少なりと鈍くなるのを嫌っていたのだ。

 周囲にまとわりつきながら、アイリの攻撃は続く。触手がうねり跳ねながらアイリを狙うも片手で簡単に受け流されてしまうため、攻撃を阻害することすらできない。

 何度も何度も何度も何度も斬られた。その都度高速治癒により怪我を治しながらなんとか振り払おうとするも、この間合いになってしまうと目で追うのがやっとである。

 仕方なくセヴェリ王は触手に自らの身体をぶん殴らせ、大きく飛ぶことでアイリから無理やり距離を取った。

 もちろん、とても痛い。

 殴られ飛び下がりながら触手で壁を作ってアイリの接近を防ぎにかかる。だが、果たせず。

 分厚い壁のようにアイリの前に横たわる触手を、アイリは手にした剣で二つに両断せしめた。


『明らかに! 剣の長さ足りてないだろうそれ!』


 だが、斬れたものは斬れたのである。セヴェリ王はなりふり構わず触手で幾重にも壁を作るが、その全てを斬り落とされた。慣れたとは、この触手の硬さを把握したということでもあった。

 もちろんこの触手も王自身であるからして、ほっとけば幾らでも再生する。だが、そんなもの待っている間にいったい何度斬られるというのか。

 などと考えている間にまた斬られた。

 何が小憎らしいかといえば、セヴェリ王が怪我を治すとなれば、アイリは怪我を治しにくい、傷口がより大きく損壊するような斬り方をしてくることだ。

 アイリは常によりよく殺せるようなやり方を模索し続けている。その進歩の速度は、敵対者の心をへし折るに十分なものであろう。

 だが、それでも、決して折れぬが王という存在だ。

 八十年の長きに渡り、多数の民に崇められ君臨し続けてきたのだ。彼らは王を神の如き絶対者であると妄信し、そんな彼らに進むべき道を指し示し続けてきた。

 イジョラという国が抱えた問題を、最後の最後にまでもつれたならばこれを解決するのはイジョラ王セヴェリであるのだ。それがどんなに困難であろうと、どれだけの犠牲を伴おうと、王は決断し道を進まねばならない。

 国を諦めるなんて選択肢は、王の身には決して許されぬのだ。

 そしてここで倒れることがそのまま国を諦めることに繋がってしまう以上、セヴェリ王は何処何処までも抗い、何度だって立ち上がらねばならないのだ。

 もう己の顔についた目では現状が全く認識できぬほどに斬り刻まれたセヴェリ王は、だが、その折れぬ心が次なる一手を導き出してくれた。


「むっ?」


 アイリは伸び来る触手に対し、受けるを選ぼうとして咄嗟に身をよじってこれをかわした。

 間合いが違う。それに最初の一撃で気付けたのは正に歴戦の証であろう。

 その後も多数の触手がアイリへと迫ってくるが、その全てで間合いが、速度が、攻めの呼吸が違う。

 いったいなんだと警戒し後退する。少し距離を離せばわかる。王の操る触手の本数が増えている。しかも、触手の太さ長さが全部違うのだ。


「なんと。……まだ、こんな手を残していたか」


 全て一律の長さ太さであったから、受けるための間の取り方も全て同様に行なうことができたのだ。ならば、触手の大きさを変えてやればいい。

 管理する側に絶大な負担がのしかかりもするが、王の窮地を救う一手だ。

 もちろんたった今思いついた戦い方であり、精度が甘い部分をアイリにつかれ懐に入られることもある。だが、工夫次第でアイリをすら後退せしめうる技だ。

 おかげで王はどうにか一進一退にまで持ち直すことができた。

 王は不死であるのだから、押し切られさえしなければ、最後に勝つのはセヴェリ王なのだ。






 アイリとて不死身ではない。その強烈無比な一撃を急所にもらえば絶命もしよう。

 だからその戦いは一方的にセヴェリ王にだけ危険のある恐ろしいものであるわけではない。なのに、アイリの顔の嬉しそうなことときたら。

 幾ら斬っても戦ってくれる。そのうえ、ただやられるだけのデクの棒ではなく、常に工夫と進歩を考える知恵と考え続けられる忍耐力を持ち合わせた稀有な戦士である。

 アイリの無尽蔵の体力に、単騎でこうまで付き合ってくれる敵というものにアイリは覚えがない。第十五騎士団の三人やシルヴィは味方であるからして、あれは本気で斬っていい敵ではない。

 いずれアイリの体力すら尽きてくるようになれば、切羽詰まった顔をしたり焦った顔なんてものも見せてくれるかもしれないが、今のところは昨今稀に見る上機嫌なのである。

 そんなアイリの最高の戦いに水を差したのは、地の底から響いてくるような、その声が怒っているというだけでアイリ・フォルシウスが恐怖を覚える声であった。


「あ~~、い~~、り~~」


 跳ねるように間合いから外れ、安全域まで後退する。

 そしてそこで声の主、スティナを確認する。頬が引きつっているスティナと、口をとがらせているイェルケルと、見るからに不満顔をしているレアが揃っていた。


「げ、もう来たか」

「げ、じゃないでしょ。いつまで経っても合流場所来ないからどうしたかと思えば、なーに一人で先におっぱじめちゃってるのよ」

「べ、別に私は抜け駆けしようとしていたわけではないぞっ。セヴェリ王の方からこちらに来たのだ。だ、だから、私は悪くないっ」


 いきなり戦いを止めたアイリに、セヴェリ王は頭に手を当て何度も頭を振ってから声をかける。


「おい、もうやらんのか?」

「し、しばし待たれい! 今話をつける故!」


 セヴェリ王はアイリから目を離して残る三人を無遠慮にじろじろと見る。


「ふん、貴様ら四人で、殿下商会ということか?」


 こういう時の代表者はイェルケルだ。その辺は残る三人も弁えている。


「ああ、殿下商会、ならびにカレリア第十五騎士団だ。ま、私たちがどこの出かはもうそちらでも調べがついてるんだろう?」

「カレリアにはどうも極稀にではあるが、とんでもないのが生まれてくるようだな。ドーグラス元帥しかり、アンセルミ王しかり。まあいい、ほれ、せっかく揃ったのならまとめてこい。そこのチビの剣ではどうやろうとも私を殺せぬのはいい加減わかったであろう?」


 アイリは冷笑で返す。


「抜かせ。そちらの攻撃も最初の不意打ち以外一度も当たっておらんではないか。そんなザマで私を殺そうなぞと片腹痛いわ」


 そしてセヴェリ王の放言に、カチンと来たのはアイリだけではなかったようである。

 レアが片眉をねじらせながら、肩を回す。


「怪我が治るのは、確かに見た。でもそれ本当に、いつまでも治り続けるの? 五体磨り潰して、試してやる」


 スティナも指を鳴らし殺意をまとう。


「何度殺しても勝手に治ってくれるなんて、最高のおもちゃじゃない。ねえ、私とも遊んでくれないかしら」


 イェルケルは比較的穏やかな様子ではあったが、もちろん見逃す気なぞ欠片もない。


「そう逸るなよ。ここは公平に、順番に、やるとしよう。ああ、悪いがセヴェリ王。貴方とアイリの戦い少し見させていただいたがね、我ら全員で掛からねばならないほどではなかったよ」


 イェルケルは人の悪そうな笑みを浮かべる。


「だから、何日戦い続けられるか試してやろうじゃないか。私たちは一人ずつ順に行くぞ。休憩は四交代で、一人が戦闘、二人が警戒、残る一人が就寝だ。そちらが永遠に戦い続けると豪語するのなら。いいだろう、付き合ってやろうじゃないか」


 スティナが手を挙げ発言する。水と食べ物は向こうにあった、と。そしてレアが言う。テオドル・シェルストレーム、パニーラ・ストークマン、と。その名を呼ばれた時、イェルケルとスティナの肩がびくっと揺れた。強いのとやったのだからお前らは後だと言われれば、二人は引き下がるしかない。これによりアイリの次はレアとなった。

 セヴェリ王は最初にアイリが言っていた言葉を思い出す。夜通しだろうと付き合ってもらうぞ、と。これはどうやら心底本気で言った言葉であったようで、しかも、それは殿下商会が共有する彼らにとっての当たり前の考えであるようだ。

 殺そうと工夫するのならわかる。殺せないのなら動きを封じようというのも理解できる。だが、殺せないのなら殺せるまで殺してみよう、という発想はどうすればそんな馬鹿なことが思いつけるのか。

 セヴェリ王の胸の内にじわじわと絶望が広がっていく。

 だが、それでも尚、我はイジョラ王なるぞ、と己を鼓舞し、彼らに立ち向かう覚悟を決める。

 数十人の近衛を壊滅させるような化け物を、野放しにしておくようなことはイジョラの王として断じて認められぬ。

 軍で滅ぼせず、儀式魔法も通じず、最強魔法使い達をすら乗り越えてくるというのなら、最後に出るのはイジョラ王だ。それがイジョラという国であり、イジョラ王セヴェリが信じるイジョラの王の姿なのだ。






 セヴェリがまだ王子であった頃。

 親である王の命に従いその実験に立ち会った。セヴェリは第二王子であったので王位継承はないだろう、と勝手に思っていた。

 だからと魔法実験の被験者にさせられるとは夢にも思っていなかったが。

 王は恐らく、そもそも王位を譲る気なぞなかったのだと思う。あれだけ熱心に不死の研究を進めさせていたのは、つまりはそういうことだったのだろう。

 対外的にも第二王子というものはそこそこ重要な地位にある者であるからして、そんな相手を消耗覚悟の実験に用いたというのが何よりの証だ。

 実験に必要であったのなら恐らく王太子すら躊躇なく消費したであろう。

 不死の魔法は王に最適化されているもので、血縁であるから比較的適合しやすいだろう、といったものがセヴェリが被験者に選ばれた理由だ。

 もちろん、不死化成功の確認が取れたならば、即座にセヴェリの不死は解除して、王のみが不死となる予定だったのだろう。

 当時のセヴェリはまだ若く、王族の義務や国を治めるといったことを軽く見ていた部分もあり、ただ自分の命を理不尽に奪うことが許せないという理由だけで、王の殺害を決意した。

 後々から考えるに、実に短慮で杜撰な計画であったが、幾つかの幸運が重なりセヴェリは見事王の暗殺に成功した。


「どうせ殺されるならと思ったのだが、やってみるもんだな」


 これがその時のセヴェリの偽らざる本音である。

 そうなってくると次に邪魔になるのは王太子だ。別段セヴェリは王になりたかったわけではないが、王太子が即位したら間違いなくセヴェリは断罪される。それを防ぐにはセヴェリ自身が王になるしかなかった。

 ただ死にたくないというだけで、気が付けば王位も不老不死もその手の内であった。

 誰もが羨む万人に一人の幸運、と皆が口にしていたが、当人からすれば、剣持って斬りかかられたらそりゃ逃げるし反撃もするだろう、程度の話であった。

 そのことが後ろめたくもあったのだろう。以後セヴェリはイジョラという国をより良き国にする為、必死に働くことで罪を贖おうとしていた。

 元より頭は良い方であったが、物事には適性というものがある。それを理解したのは、セヴェリが幾ら頭を捻ろうと、その適性のある者が淡々とこなす政務の方が効率的で優れていた時だ。

 泣きそうなぐらい悔しかったが、この時、人を使うということを覚えられたのはセヴェリとイジョラ魔法王国にとって幸運なことであったのだろう。

 実際に不死を試すことになったのは、即位して十年ほど経った頃だ。

 未曽有の国難、帝国の大侵攻を受けたのだ。これは更に奥のカレリアをすら標的とした史上にも例のない規模の軍であった。

 これも、本当にどうにもしようがなくなって、それでもと勝ち目もないまま必死に抗っていたらいつの間にかなんとかなっていた、といった感じである。

 そのぐらい追い詰められるでもなければ、自分目掛けて洪水の魔法使えなんて命令できないし、したところで部下たちも従わなかっただろう。

 この時、侍従としてセヴェリにくっついて回っていたのが、後の四大貴族であるエーリッキ・ヘイケラ公爵である。

 百年近い年を生きてきたが、一番の友を挙げろと言われれば真っ先に名前が思いつく、そんな相手だ。


「エーリッキの奴、また変な心配してないといいんだが……」


 ふと気が付くと、目の前の男の決して受けてはならぬ剛剣が見えた。

 戦闘中だ。

 だが、意識が連続しておらず、夢うつつの心地だけが頭に残っている。

 戦闘に集中しなければならないのだが、セヴェリの意識に引っかかるのは意味もない雑談ばかりだ。


「あらアイリ、もう起きたの?」

「もうではない。外には既に日が昇っているではないか」

「んー、そういえばそうね。さっき殿下と代わったばかりだから、まだ結構時間あるわよ」

「その分はレアが寝るだろうさ。いやもう、こっちが引くぐらい熟睡しておったぞあやつは」

「あの子、こういう時びっくりするぐらい度胸良いわよね。ヒュヴィンカーじゃ死体の山の中で平気で寝てたし……それで……だから……」


 女性の声が耳に快いのは事実だが、何故か今それを聞いてそのことを考えているのがもったいないと思えてしまった。

 だからセヴェリは、もっと重要なことを考えることにした。


『おいエーリッキ。次の研究が決まったぞ。ついてはだな、予算の方を、その……いや待て、だからな、今回はいつもの研究とはわけが違うぞっ。だーかーら、そのまたかみたいな顔はやーめーろー……』


 後は、もうわからなくなった。




 その異変に真っ先に気付いたのはアイリだ。

 交戦時間の長さというよりは、セヴェリ王が触手を用いる前の戦い方を知っており、戦い方の変遷を見てきたおかげであろう。


「おい、スティナ。あれ、セヴェリ王の意識無くなってないか?」

「え? そ、うかしら、ちょっと私じゃまだわからないわね。……殿下! 左袈裟!」


 スティナが叫ぶと、戦闘中であったイェルケルは即座に反応し、左よりの袈裟斬りを行う。これの受け方を見て、スティナもまた確信を得た。


「あら、本当だわ。へー、へーへーへー、本気で感心するわ。王様よねあの人。なのに、あんなザマになってもまだ戦っていられるなんて大したものじゃない」


 意識、というよりは思考能力が失われていると言うべきか。今の王は与えられた状況に対し、反射的に切り返すといった行為しかできてない。

 その膨大な量の与えられた状況の差に、それぞれ適切な対応を返してくるものだから遠目で見ているスティナですら即座には気付けなかったのだろう。

 アイリは身を翻す。


「レアを起こしてこよう」

「ええ、お願い。アンタが始めてから大体、二十時間近く? よくもまあ踏ん張ったものねえ」


 アイリが席を外し、スティナは大声でイェルケルに現状を伝えてやる。

 敵が反射でしか動いていないとわかれば話は簡単だ。イェルケルはこれまで見せていない動き、対応を見せてやればいい。

 四人がかりで二十時間も戦っていればほとんどの手の内を見せてしまっていそうなものだが、そこは一流たる所以か、まだまだ見せていない、もしくは大きく状況が動くでもなければ見せるつもりのなかった技が残っているのだ。

 それまでも結構な頻度で傷を負い、ついた傷が癒えきる前に次の傷を受けていたセヴェリ王であったが、こうなってくるともういかんともし難く。

 常に全身から大量の出血を強いられ、人の形を維持することすら困難になる。人の形に再生する前にコレを斬り砕かれてしまうという意味で。

 そして、レアが来て、少ししたところで唐突に終わりが来た。

 イェルケルが幾ら斬っても再生が行われず、そうなると瞬く間にソレは肉塊へと変わり果て、触手も、セヴェリ王であった肉たちも、ぴくりとも動かなくなった。

 全員の抱いた感想を、イェルケルが簡潔に述べた。


「終わっちゃった、かぁ」


 イェルケルは休憩場所と定めた場所に置いておいた、カヤーニ山頂で譲り受けた魔法の剣『トゥリヴオリの剣』を思い出す。


「悪いなじいさん。できるのなら、魔法抜きでやってみたかったんだ」


 あの妙に賑やかなじいさんが死者の国でぎゃんぎゃん喚いている様を想像し、思わず苦笑してしまうイェルケルだ。

 最後の最後、こっちの体力が尽きそうになったら使おうと思っていたのだが、その前に終わってしまったのならば仕方がない。

 部屋の入口には、この二十時間の間に王を救おうと突っ込んできた衛兵、そして生き残りの近衛の死体が転がっている。イジョラの偉大なる王の死出の道行きには、彼らが供をすることだろう。

 目的は果たした。

 王と近衛と戦いたかったのであって、後から来るかもしれない軍を相手にしたいわけではない。

 その必要も無いであろうし。


 だが、まだ終わってはいなかった。

 王の数十年積み重ねてきた想いがそうさせたのか、王都に染みついた呪われし魔力が導いたのか。

 魔力の過剰要求に悲鳴を上げた、王の不死を支える儀式の祭壇が割れ砕け、その供給が停止した。

 だが、先王の偏執的なまでの死への恐怖から作られた、危急の際に用いる予備の祭壇が遅れて起動したのだ。

 だがこちらはそれまでの祭壇とは違い、セヴェリ王への供給に最適化されていたものではなく、しかも現在、想定していなかったほどの過剰供給により王への魔力路が異常に膨れ上がってしまっていた。

 予備の祭壇はこの膨れ上がった魔力路をこそ適正量だと判断し、一度にそれだけの魔力を流し込む。

 結果。


「ちょっ! ちょっと何よそれ!? 殿下いったい何したんですか!」

「わ、私のせいか!? いや絶対に今までの積み重ねが原因で私だけのせいじゃないだろ!」

「二人共喚いてないでさっさと逃げるぞ! ってレアっ!?」

「つきあってー、らんないしー、にーげーろー」(←誰よりも先に部屋から脱出済)


 現在、王であった肉の塊が急激に膨張し増大していき、部屋の半ばを埋め尽くしてしまっている。しかもこの肉塊、まだまだ大きくなっていくのだ。というか巨大化の速度はどんどん早くなってすらいるようで。

 これがどこまで大きくなるものかもわからないが、それでこの部屋が潰れようと建物が崩れようと知ったことではないので、四人は一目散に離脱するのである。





 それは王都ケミの城壁上に隠れ潜み、状況の推移を観察していた者たちにも見えるほどであった。


 帝国より来た諜報員と戦士たちは、なんとかその目にすることができたスティナと近衛との戦いに、興奮冷めやらぬといったところだ。

 この戦いを観戦した後、あまりに都内が静かすぎるので恐る恐る調査をしたところ、スティナとの戦い以外にも何か所かで大規模な魔法戦闘の跡が見られた。

 まさか、本当に殿下商会が近衛を下したのか、と更なる調査を行なおうとしたのだが、さすがに慎重に事を運びすぎたせいか夜になってしまい、続きは翌日、となった。

 そしてそれを見たのだ。


 カレリアからの諜報員と戦士、そしてアルハンゲリスク戦士団の集団は、アイリが近衛を粉砕するところを、全て余す所なくその目にすることができた。


「サロモン、スレヴィ、そしてラーファエルが討たれるのも無理はない。これは……勝てぬ。敵近衛もとてつもない連中であったが、あの、金髪の少女は、あれは、なんという、なんたる戦士だ。ああ、あまりの感動に形容すべき言葉が見つからぬ」


 当たり前だが、殿下商会が第十五騎士団と彼らにはバレている。

 こちらもまた帝国諜報員同様、昼の間に近衛と殿下商会との戦いの跡を確認し、夜になって一度引き上げたのだ。

 王都が空同然になったのなら、この機会にもっと深く忍び込み調べるべきである、という意見と、殿下商会とイジョラ王がどうなったのかを目にするまでは帰れない、という意見が出て満場一致で翌朝から再調査となった。

 そんな彼らの足が止まったのは、城にソレが見えたからだ。

 肉の塊が、城から零れ落ちてきた。

 城の壁を砕いた後、肉塊は庭に落下しぐねぐねと蠢いている。

 城壁上なんて場所からコレが見えてしまうぐらい、ドデカイ肉塊が。


 こちらは反乱軍諜報部隊である。

 シルヴィという化け物がいるせいか、彼らは王都ケミの中に悠々と侵入を果たしている。

 朝一番で日が昇るなり街に入った一行は、ソレが完成していく様を遠目に確認することができた。

 巨大な肉塊は城の庭に落下した後、なんと上へと伸びていったのだ。

 それは徐々に形を整えていく。


「ごめん、ボクの理解越え過ぎ。魔法だからって、何してもいいと思ってるの?」


 肉の中に骨格が作られていき、骨を支えに肉が更に上へと伸びる。


「巨人は、見た。斬ったことすらある。だが、これは、幾らなんでも……」


 下から順に、足が作られ、腰が出来上がり、胴、そして腕がにょきっと伸びる。


「えーっと、聞いていいか。なんだってコイツ、服、着てるんだ?」


 何故か作られているのは肉体だけでなく、表皮を覆う衣服まで再現されている。


「シルヴィー! シー! ルー! ヴィー! なんあれねえなんなのよあれー!?」


 最終的には頭部も完成し、出来上がったソレは三十代前後の中年の姿に見えた。

 その目が睨む先には、城から脱出した四人の姿がある。

 シルヴィは見上げんばかりの巨人を観察し、告げた。


「あれ、きちんと敵を認識できるんだ。あの大きさでそれって、さすがにマズイんじゃないかなぁ……」


 巨人の大きさは、それこそ片手で人一人を握り潰せるぐらいの、とてつもない大きさであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ