207.偉大なるかなイジョラの王(前編)
王都を守る最大最後の壁、近衛を撃破した第十五騎士団。
残る強力な敵はイジョラ王セヴェリのみ。
通常ならば近衛に散々振り回された後でもあり、もう城に王は居ないと考えるべきだ。当然、脱出してしかるべきであろう。
強いだとかなんだとかは、一国の王が戦闘なんて危険を冒す理由にはならないのである。
ただそれが、不死身、となれば多少なりと話は変わってくるかもしれない。
不死が真実ならば戦闘が危険になりえないのだから。それでも意識を失い拉致されるといったこともあるかもしれない。
そういったものをイジョラ王セヴェリとその周辺の貴族たちがどう考えているのか、少なくとも第十五騎士団の四人には判断がつかなかった。
アイリが首を傾げながら言う。
「戦うのなら、近衛と一緒に来てしかるべきだったのでは?」
それにイェルケルが否やを唱える。
「王の立場で、近衛兵と一緒になって戦うってのは普通ありえないと思うんだが。近衛の意味がないだろう」
早々に思考を放棄することにしたスティナは、肩をすくめて言った。
「不死身の王様なんてシロモノ、どう扱っていいかなんてわかるわけないわよ。それより他にも残ってる研究員とかいるうちに、そいつらとっ捕まえて殺すなり王の居場所聞くなりした方が建設的じゃない?」
レアは大きく頷いた後で、ふと考え深げに顎に手を当てる。
「……うーん、私もその意見に賛成なんだけど……スティナの意見だしなぁ。絶対、何か見落としがある。ってことは私も見落としてる。なんだろー……きっと致命的なことだ、絶対そーだっ」
「れー! あー! 泣くわよ私! ほんっきで戦場ど真ん中で身も世もなく泣き崩れるわよー!」
既に王都における最大の戦力は撃破済であり、四人は余裕をもって行動ができている。
なので今度は自分たちから四人で手分けしてこの城を索敵していくことに。
近衛の中に突っ込んだ後、見たこともない魔法と熟達した連携とに翻弄され四人ばらばらに分断された挙げ句、集中攻撃を食らってレアなどは本気で死にかけているのだが、だからと行動が慎重になるということもないようで。
もっとも、これ以上の魔法研究をさせないためにイジョラの研究員をできるだけ始末するというのも目的ではあるので、手分けした方が効率的なのも確かである。
四人はそれぞれ目星をつけた場所へと、散っていった。
イジョラ王都ケミ。その城はといえば、政務を執り行なうための場所ではなく、主に魔法研究のための建屋として使われている。
政務のための施設はコウヴォラに集中しており、ケミは異常に魔力が強い土地であることから各種魔法研究に適しているのと、魔法研究の第一人者セヴェリ王がこの街から離れないのとで、ここには多数の研究施設が置かれていた。
アイリは当初は城として作られたであろう建物の中を走り移動する。
いかにも城っぽい造りの場所もあれば、明らかに後世になってから無理やりしつらえただろう場所も見受けられる。
その歪さが、イジョラという国そのものであるかのように思えて、少し気持ち悪いと思えた。
「おいっ! 何をしている! ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ!」
なんて怒鳴り声をアイリに向ける馬鹿がいた。
そちらに目を向けるとその男は、もう明らかにアイリを子供扱いしている風であった。
「いったい誰の子だ! ここは子供が下手に触れたら危ないものばかりなんだぞ! どうやって入った!」
男の怒鳴り声に引き寄せられたのか、奥の部屋からもう一人の男も出てくる。
「なんだよ、こっちは昨日から一睡もしてねえんだからぴーぴー喚くな。子供だかなんだかしらんが、衛兵にでも任せておけばいいだろう」
「その衛兵はみんな外だろうが!」
「は? なんで?」
「近衛が出撃してるって聞いてないのかお前は!?」
「え? なんで近衛が? 何か武術大会でもあったか?」
「貴様今朝の朝礼ぜんっぜん聞いとらんかったな! ついさっきも報告あったばかりだろうが!」
「しらねー。てかどーでもいー。早く終わらせて一刻も早く寝てーんだよ俺は」
アイリは軽く眩暈を覚えた。
どうやらコイツら危機感どころか、普通に、いつも通りに、この城の中で魔法研究を続けていたらしい。
アイリはこめかみを指で抑えながら問うた。
「……他にも、研究中の者はいるのか?」
「は!? いいからお前はもう帰れと言っている!」
「んあー、お前、ここどこだと思ってんだよ。ケミの城だぞ。ここで研究する以外他に何するってんだよ」
アイリはもう色々と説明するのが面倒になったので、さっさと話を進めることに。
さっきからぎゃーぎゃーと賑やかな男の前へと歩を進め、通りすがりに一刀で斬り伏せてやる。
そのうえでもう一人の男を見ると、その眠たそうな目が物凄い大きさに見開かれていた。
「お、おい、お前……」
「お前はどうやら聞いていなかったようだが、殿下商会だ。外の近衛は皆死んだぞ。次は貴様ら研究者の番だ」
研究ボケとでもいうべきか、大層世間知らずなこの男は、しかしさすがに、目の前で同僚が斬り殺されれば現状把握もできる程度にはまっとうであった。
「あー、その、だな。やっぱ俺、全然眠くねーわ。ついては真面目に研究進めるから。……見逃して、ってダメ?」
「遠慮するな、ゆっくりと休むがいい」
「強制かつ永続で?」
「うむ」
せめて痛くしないでくれ、との願いだけは聞いてやったアイリである。
研究室にいた全ての研究者を斬ったアイリは、さすがに呆れずにはいられなかった。
「あれだけの数の近衛が出張る事態であったというに、コイツらの危機感の無さはなんなんだいったい」
ふと、人の気配があったのでそちらを振り向く。
男がいた。多少なりと高価そうな服を着ているが、基本的にはたった今斬った研究者とさして変わらない恰好で、その癖妙に存在感というか圧迫感というかを感じさせる男である。
「……貴様ら、どれだけ魔法が嫌いなのだ」
研究者と聞いて想像できるような細身、というわけではない。それにその歩き方を見ればアイリには、その男が日々鍛錬を行なっているというのがわかる。
「私もこの国に来てそれなりに経つしな、便利な魔法はそれほど嫌いでもないぞ。ただ、この国には不愉快な魔法が多すぎる」
何よりも男がまとっている雰囲気だ。魔法使いの強さというものは、案外とその立ち居振る舞いに出てしまうもので。己が強いという自覚があればあるほど、その気配は強くなる。
アイリがこれまで見てきた魔法使いの中でも、とびきりの強そうな魔法使いである。そんな男が怒りに震えているのを見て、アイリはそんな彼を嘲笑う。
「近衛の残りか? まあなんでもいい。どうせ……」
と言った時には既にアイリは移動と、殺害を済ませていた。
「殺すしな」
男の背後に立つアイリがそう呟くと、男は張っていた不可視の盾ごと袈裟に斬られて血を噴き出していた。今の間合いは、魔法使いに不利でアイリに有利すぎるものであった。
その手応えから確実に内臓まで斬った確信を持つアイリはさっさと次に向かい歩を進めるが、その足が十歩進んだ所で止まった。
「何?」
致命傷を与えたはずの男から、倒れる気配がなかったのだ。振り向いた瞬間、アイリはその場から大きく跳躍していた。
アイリが居たはずの場所を、人間大の大きな炎が薙ぎ払った。
そして見えた光景に、さしものアイリも驚きを隠せない。
憎々し気にアイリを見る男の胸板は、斜めに深く斬り裂かれている。アイリがそうしたのだ。内臓も骨も断った手応えもあった。
だが、同時に切り裂かれた衣服の隙間から、傷口が治っていくところがアイリにも見えた。傷口が蠢き修復していく様は不気味としか形容しようがない。
そしてアイリは致命傷をすら治癒しうる魔法に、たった一つだけ心当たりがあった。
「……まさか、貴様、いや、貴方は。セヴェリ王、か?」
彼は苦痛に片眉をひねらせながら、嫌そうに己の傷口を見下ろし言った。
「殺されたのはいつ以来であろうかな。ああ、貴様は名乗らんでいいぞ。殿下商会のいけすかないチビとだけ覚えておいてやる。死者の国にて、貴様のせいで犠牲になった数多の研究者たちと失われた研究資料に詫びてこい」
空中に炎が浮いている。大きさはアイリ一人をすっぽりと包み込んでしまうほど。
これが真円から楕円に変わり、うねうねと伸縮を繰り返しながら宙に浮かんでいるのだ。
相手は王であるが、敵でもあるのなら口調に遠慮はないアイリだ。
「それは既に見た」
炎が広がりアイリを飲み込まんと動く。が、アイリは既にその場にはいない。
炎のせいでアイリの姿を見失ったセヴェリ王の左方より、飛び込んできたアイリが王の首を一刀で斬り落とす。
斬撃があまりに鋭すぎたため、剣を振って僅かの間は王の首はそのままであった。
「な、に?」
王の身でありながら戦闘訓練は行なっていたようだが、だからこそいきなり視界内から敵が消え失せるという事態に驚きを隠せなかった。
ぽろり、といった感じで王の首が前に落ちる。が、床に落ちきる前になんと、王は足でこれを蹴り上げる。
「よ、っと」
蹴った首は綺麗に胴の上に乗り、両手で向きを整えてやると、何事もなかったかのように王はアイリを見る。
「……もしかして貴様、本当に近衛を倒してきたのか? そんなに速く動ける者は私も初めて見たぞ」
一方のアイリであるが、こちらは攻め手を止めてしまい王を凝視している。
「いや、それ、そんな真似までできるほど首を落とされ慣れているのか?」
「だからっ、殺されたのはもう何十年以来だと言っているだろうが。別にこの程度、少し運動に慣れた者ならば誰でもできよう」
「いやさすがにそれは無理が……ああっ、そうか。魔法使いは目が二つだけではなかったな。なるほど、落ちた首についた目で見ていたわけではないということか」
落下していく頭部についた目で世界を見ながら、これを蹴り上げて元の位置に戻すと言った真似をしたとアイリは思っていたわけだ。
呆れた顔のセヴェリ王だ。
「どうしてわざわざそんな真似をせねばならん。貴様にはわからんだろうがな、首が落ちていく視界というものはとても気持ち悪いのだぞ。こう、身体が軽くなりすぎて世界が勢いよく回っていく感じは、何度やっても慣れそうにないわ」
だったら一度目できっちり死んでおけ、なんてことも思ったがこの王にそれを言っても意味のないことであろうとアイリは剣を構え直す。
炎の塊は相変わらず宙に浮いたまま。これが三つに分裂し、アイリの左右、そして後ろに回り込む。
だが宙に浮いた炎の動きよりも、アイリの方が動きは速いのだ。まるで床上を滑り進むような滑らかな動きで、あっという間に炎塊の包囲から抜け出すと、さしたる間も置かず王の眼前に駆けこんでいる。
「くっ!」
だが王もこれで三度目だ。身をよじりかわさんと反応するぐらいは間に合う。とはいえ、アイリの連撃をかわせる道理もないのだが。
四肢を斬り落とし、頸部を断ち、胴をまっ二つにしたうえで、トドメとばかりに斬り落とした首を蹴り飛ばし、窓の外に放り出す。
するとすぐに窓の外から声が聞こえた。
「無駄だ無駄だ馬鹿者が!」
再生の可能性を考慮し、王のバラバラ死体から一度距離を取ったアイリ。
王の死体はというと、各々の部位が宙に浮かび上がり人間の形にくっついていく。そして最後に窓の外からふよふよと首が飛んできて、胴の上にちょこんと乗っかった。
さしものアイリも、これは本格的に対王魔剣が必要か、と考えはじめた。だが、まだ試していないことも多数ある。これら全部を試してやろうと踏み出すアイリ。
それはまさしく、油断であった。
王の胴より、凄まじい速さで何かが飛び出してきたのだ。それがなんなのかアイリにはわからぬが、何せ大きすぎるものであり避けることも叶わぬ。
咄嗟に胴前で両腕を交差しこの巨大な何かを受けんとする。来た。
あまりに強烈すぎる衝撃。足で踏ん張るなんて真似すら許されず、その小柄な身体は容易く巨大な何かに掬い上げられる。
本来ならば跳ね飛ばされるべき場面であろうが、この巨大な物体の動きの速さ故に、命中したアイリの身体は跳ね飛ばされるではなく押し出されるといった形になった。
衝撃の真芯がアイリの胴中央、重心ど真ん中をぶちぬいてくれたせいで、アイリの身体は左右上下に逃げることもできず、ただただ後方へと押し出されていく。
後ろは、壁ではなく扉であった。
その巨大な何かは扉に激突するまでアイリを押し続けていたが、扉を開くではなく砕いて外に飛び出すとそこでアイリをようやく離した。
アイリの身体は、さながら投石機で飛ばされた岩のように、扉を出て廊下をまっすぐすっ飛んでいく。
恐るべきことに、アイリの身体は宙に浮いたままであるのだ。廊下は城のものらしいどこまでも長く続くものであるせいで、アイリの身体も壁なりなんなりにぶつかってくれることが無い。減速する何かがない。
アイリはどこまでも宙を飛び続ける。手を伸ばそうと足を伸ばそうと壁にも床にも届かない。
そう、この状態のアイリは、まだ意識を保つことができていた。
それこそ落下と遜色ない速さで空を吹っ飛びながらも、アイリは意識を保ったままで状況打破に思考を巡らせていたのだ。
『ぬうっ! 動けんっ!』
ぶっ飛ばされた打撃のせいか、高速ですっ飛んでいるせいか、アイリは狙ったように身体を動かすことができない。
視界は正面に固定されたまま、ぶち破った扉が見えるがその奥の部屋はもうよく見えない。
周囲の廊下の壁には王城らしいそれっぽい装飾がなされているようなのだが、高速で飛んでいるせいか醜く歪んで見える。
空中での姿勢制御にはそれなりに自信のあったアイリであるが、この速さはさすがに未経験だ。それも、下にではなく横に飛んでいくのはなんというか落下するのとは全く違った感覚である。
『後ろだけではなく、変な方向にも引っ張られている感覚がある。えいくそっ、さすがの私もこの速さで後ろが見えぬまますっ飛んでいくのは恐ろしいわっ』
いつ何かが激突するか構えることもできないのは、怖いもの知らずのアイリをもってしてもおっかないことであるようだ。
そして、遂に状況に変化が訪れる。
アイリの飛行高度が徐々に徐々に落ちていき、アイリの身体が床に接触する。
『っ!?』
これもまた凄まじい衝撃だ。
真下からスティナに蹴り飛ばされたようなものである。だが、後方へと引っ張られる力は全く衰えておらず、床との接触によりその部位が僅かに引っ張られ、結果としてアイリの身体は勢いよく回り始めた。
床との接触により跳ねた身体が、二度目の着地を果たす。更に回転は激しくなっていく。さしものアイリも、こうまで回られると自分の位置方向を把握するのは困難だ。
腹筋全開で身体を無理やり丸め、どこから襲ってくるかわからぬ衝撃に備えることしかできない。
全く予想できない部位を次々とどやされるのはアイリからすれば滅多にない経験である。痛くなるであろう部位に予め力を込めることができないので、同じ衝撃の程度でも普段よりもずっと痛い。
視界の隅がぼやけてきているのにもアイリは気付かず、ふと、目の前を走る赤い線に気付いた。
ぐるぐると回っているようで、上下左右に波打っているようで、見えたり見えなかったりとしていて、いったい何かと思ったところで気付いた。アイリがどこかしらからか出血していて、噴き出る血の筋が回転することで奇妙な線に見えていたのだ。
面白い見え方をするものだ、なんて呑気な感想を持てたのもほんの一瞬のことである。
三度、四度、五度、と床を跳ねると、六度目からはもう跳ねるではなく転がるに変化している。
床との累積接地面積が増えていっているおかげで、速度は急激に低下しはじめている。そのおかげで回転する最中でも、アイリは転がり行く先を見極めることができた。
『窓だと!? そういえばここ何階であったか!?』
両開きで床まで届くほどの大きなガラス窓だ。いやこれは、テラスへの出入り口か。
と思ったらこの窓だか扉だかに突っ込んでいた。
そのまま大きく外へと飛び出そうとした時、アイリは両手を伸ばした。
片手ではなく両手であったのはきちんと狙いを定めていたからで、テラスの手すりをがっちりと両手で掴んだ。
速度が落ちたとはいえその勢いはまだまだ健在であり、アイリの身体は外に大きく引っ張られるもアイリの膂力がより勝り、また手すりもどうにかアイリの体重を支えきってくれたので、アイリはこの掴んだ手を支点にぐるりと半回転し、テラスの外側に両足裏を叩き付ける。
砕けはしなかったが、間違いなくへこんだ。アイリの踏ん張る両足に凄まじい荷重がかかるが、堪えて、堪えて、堪えて、そして解き放つ。
力強く蹴り出すと今度は逆に建物の内へと向かって身体が半回転する。その勢いを殺さず手を離し、屋内へと飛び込んだ。
「はっ、ははっ、はははははははははっ! はーっはっはっはっはっはっはっは!」
絶好調に高笑いしながら、アイリは来た道を駆け戻っていく。
殺しても死なない、アイリにすら防ぎきれぬ反撃、そして威力はこの通りだ。
こんなに面白い敵に出会えたのはスティナ以来である。
「さすがはイジョラの王よ! こうでなくては! こうでなくてはなあ!」
どんどんと走る速度を上げていく。最高速にまで持っていってしまうとアイリにすら制御が難しい速度になるのだが、それも構わず気分の盛り上がるままに全速で駆ける。
最早アイリの目には、砕けた扉のその先にあるモノしか見えていない。
アレを殺す。それ以外何一つ目に入らず、アイリは一直線にセヴェリ王の下へと。
その速さで部屋の内に飛び込んだのだから、即死を確信していたセヴェリ王にこれに反応しろというのはあまりに酷というものであろう。
声すら出せず、何が起きたのかもわからぬままに、セヴェリ王は壁へと叩きつけられていた。
壁に激突した衝撃でようやく、己の身体が斜めに両断されていることに気付けたほどだ。そして、それをなしたチビ女は、とてもとても嬉しそうに王を見ていた。
「いいぞ! 何度でも殺してやろう! 何度でも相手になってやろう! だからっ!」
敵を前に歓喜の表情を見せるソレを全く理解できず、セヴェリ王は輝くような美しさを持つその笑みにもまるで魅力を感じられない。
ただただ、狂気を宿している、としか見ることができなかった。
「貴様も! 最後の最後まで私に付き合うがいい! 日が暮れた程度で終わると思うなよ! 夜通しだろうと付き合ってもらうぞ!」
日が暮れるも何も、そもそもまだ日は昇り切っていなかったはずだ。この言葉は極度の興奮故のものであると信じたかったセヴェリ王であるが、このチビの喜色に満ちた目からは誇張や虚飾といった気配を感じ取ることができなかった。
セヴェリ王の衣服は、上半身が完全にはだけてしまっている。
というのも、アイリをぶっ飛ばしたシロモノ、太さが人の身体ほどもある巨大な触手が六本も胴から飛び出しているからである。
人の身体の太さがあるモノが人の身体から六本も出ることができるのかという疑問に対しては、人の身体から出た時はまだ細く、先へと伸びるにつれ太くなっていくといった答えがかえってくる。
その場合今度はそんな先っぽばかりデカイものをどうやって振り回すという話になるのだが、四本を攻撃に用い振り回す一方で、残る二本は後方へと伸びていて上手いこと重心を整えられているらしい。
熟練の技が必要そうな戦い方であるが、セヴェリ王はこの魔法に長けているようで攻撃が破綻する気配はない。
アイリは、この六本の巨大触手が飛び出してからはまだ一度もセヴェリ王を斬ることができないでいた。
炎の魔法はもう使っていない。王の必死な形相といい、これこそが彼の必殺の得意魔法なのであろう。
アイリは自身の背丈より太い触手が、己目掛けてびたんびたんと打ち付けられるのを、走って逃げ続けている。
相手が大きすぎるのと、アイリを彼方まで吹っ飛ばした威力を考えるに、下手な受けは行なうべきではない。その上で、それだけの威力を持ちながら、触手の動きは恐ろしく速い。
また鞭などと違いその全てに神経と筋肉が詰まり詰まっているようで、惰性慣性に流されるだけではなく、時折不自然極まりない形で動きを変化させてくる。
大木ほどもあろう巨大な触手が四本、縦横無尽に暴れまわる様はもう人と人との戦いには見えず。
放つセヴェリ王も全てをかわし逃げ回るアイリも、人の世を離れた神話に語られる戦いそのものに思える。
現状、一方的に攻撃をし続けているセヴェリ王であったが、その内心はとてもとても優位に戦いを進めている者の思考ではなかった。
『なんっ! だコイツは! なんなんだコイツはっ! これだけやってどーして当たらんのだ! この魔法使えるの私だけだぞ!? なのに最初の一発目からもうまるで見たことがあるかのように最適な動きをしてきおった! しかもしかもっ! この魔法は触手が大きすぎて死角ができてしまうという欠点! あっさりと見抜いて利用するなぞとどーいう目をしておるのだ! いいだろう、百歩譲って事前に私の調査を済ませ近衛なりから上手いこと私の魔法を聞き知りえていたとしよう。だがっ! だからと普通かわせるか!? 魔法も使っておらんし貴様の目は顔に二つあるだけではないのか!? なーのにどーして後ろからやら側面からの明らかな死角よりの攻撃に反応できるのだ! お前の頭の中いったいどーなってるのか一度開いて私に見せてみろー!』
歴代の近衛ですら、王の攻撃を凌げる者なぞほとんどいなかったのだ。それを、初見で、こうまで完璧に対応されてはさしものセヴェリ王も冷静さを保つことは困難であった。
セヴェリ王はただの一撃でいいから入ってくれれば、そこから連撃にて仕留められると信じていた。なのでどうにかして一発を入れてやろうとあの手この手を試していたが、その全てが通じない。
イジョラ王にしかありえないその長い人生の中で積み上げてきた戦い方の引き出しを、あっちこっちから引きずり出しては試してみるのだが、何をどうやっても全部が全部危なげなく回避されてしまう。
『いっそ心の中が読まれているとでもいうのであればこの動きもわかる。だが、こちらの動きを見てから判断し反応し全てをかわされたなんて話、ありえんにも程があろう! 貴様絶対人間じゃないだろ! いいかげん死者の国から逃げ回るなと、冥府の神より送り込まれた使徒だとでもいうのか貴様は!』
確かにその類稀な麗しい容貌は、神の使徒だと言われてもわかる話だ。
だがそんな見た目で近衛の猛者共よりずっと強いなんて言われても、納得なんて絶対に得られないだろうが。
セヴェリ王は自身の集中力が切れ始めているのを自覚する。
彼の立場を考えれば、いつまでも狼藉者の相手をさせられているというのは本来ありえないのだから、戦闘という行為に慣れぬのも無理はない。戦闘訓練と戦闘とはやはり似て非なるものなのである。
『近衛が、来ない? 衛兵も来ないだと? いったい何が……』
いや、来た。近衛が一人。王も彼の顔は見知っている。今年の近衛合格者で一番年若い男だ。
「陛下!? おのれ! もうこんな所まで来ておったか! 陛下! 陛下っ! 今すぐお逃げください! 近衛は最早私を含め五人も残っておりません! 急ぎコウヴォラへ脱出を!」
セヴェリ王が聞いていたのは、敵四人組の分断に成功しこれを各個撃破すべく近衛全隊が展開中、というところまでだ。
その後いったい何が起こったというのか。近衛は戦闘中だとしても、他にも衛兵がいたはずだがそちらからの報告もなかった。
それにセヴェリ王はこの男の戦闘力も知っている。コイツでは、絶対にこのチビの足止めはできない。
「貴様は戦闘に加わるな! 報告を続けろ! いったい何が起きたのか!」
王は彼を守るように動きながら、彼からの報告を受ける。アイリもコイツらの好きにさせてやる謂れはないのでこの男を報告前に殺そうとしたが、王の魔法は触手のみではなかった。
ここぞと多種多様な魔法を乱発され、さしものアイリも攻めあぐねてしまう。
この間に王は報告を聞き終えた。近衛が壊滅したという聞きたくもない報告をだ。
王都ケミの防衛体制は、百人にも満たない近衛達のみを頼りとしたものである。
それが全て失われたとなれば、既に王都は陥落したに等しい。イジョラ国民たちは貴族も含め、王ならば近衛全てより勝る、たった一人で軍をすら駆逐する最強の魔法使いであると信じているが、そんな馬鹿げた真似がたった一人でできるはずがない。
たとえ不死の身体を持とうともできることとできないことはあるのだ。
『……いや、まあ、近衛を四人で全滅させるというのも、本来できないことであるはずなのだがなー』
どうやらイジョラ王国に、未曽有の危機が訪れているようだ。
ヒト人形工房、カヤーニ研究所、どちらも強力無比な戦力がこれを守っていたはず。それらをたった四人で打倒してきた殿下商会。その力を、セヴェリ王はようやく認識し、理解したのだ。
王の心に炎が灯る。
『そうか、今は、戦時であったか。反乱軍が幾ら粋がろうと、所詮は持てぬ者の足掻きであろう。だがコイツらは、魔法を使えずとも持てる者であったか。我ら魔法使いと同じ、人ならざる力を持ちし者であったか』
王は全ての報告を聞くと、近衛の若い男に告げる。
「よし! ならばここは私に任せよ! お前はこれよりコウヴォラに向かい! 王都の現状を正確に伝えてまいれ! 向こうにはエーリッキとエルヴァスティ侯爵がおる。話を聞けば必要な措置がなんなのかは己で判断するであろうよ。くくっ、さすがのあの二人も、この状況では揉めている余裕もあるまいて」
「し、しかしっ! 王を置いてなど……」
「黙れ! 我が命に逆らうか! いいからさっさと行け! この殿下商会なる怨敵は! 私がきっちり葬っておいてやるわ!」
そう言ってにやりと笑うと、近衛の男はその笑みに感激したかのように震え、身を正して礼をした後、アイリの攻撃範囲から外れた方向へ駆け出した。
アイリ、特に手は出さず。
男が走り去るのを見送った後、セヴェリ王はアイリに問うた。
「何故見逃した?」
「その前の貴様の台詞が引っ掛かってな。我らを、殺すだと? 王たる身が戦士に身をやつすと?」
「そうだ、私は王だ。イジョラの王は、他国の王とは違うのだ。最後の最後は己が身一つで敵を全て討ち滅ぼすのがイジョラの王である。それができぬ者にイジョラの王は名乗れぬ」
魔法の存在が、こうまで王のあり方を歪めてしまっていた。
莫大な予算と労力を王個人の力に注ぎ込む。王の不死を維持するために、イジョラ王国がどれほどの資金と人員を浪費しているか。
そうまでして王の力を引き上げるのは、王国が追い込まれ追い詰められたその時に、王個人の力にて危機を脱することを期待されているからだ。
魔法はそれを可能とすると民も貴族も信じたからだ。いやさ、そうすることこそが、最も効率的に国を守る手段であると考えたからだ。
「イジョラを背負いしこの身体。貴様如きが打ち破れるものならばやってみせい!」
だが、そんな言葉でアイリ・フォルシウスが気圧されるはずもない。
「おおっ! それはつまり! イジョラ一国と差し向いで戦えるということか! 願ってもないことよ! 鍛えに鍛えし我が力! 国一つ相手に通用するか試してくれるわ!」
結論として、どちらも頭の中はあまりまっとうではないようであった。




