206.イジョラの近衛隊
その時、イェルケルを遠巻きに包囲していた近衛の数は十二人であった。
彼らは決してイェルケルの間合いに入ってこない。その視界内にいることすら極力避けるよう動いている。
そのうえでも敵を攻撃できるのが魔法の良い所である。イェルケルの攻撃の機会は、極稀にほんの数秒建物の陰より姿を現す時だけで。もちろんそれも敵は承知しており、これを討ち取るような隙は容易に見いだせない。
敵の魔法は多彩なもので、これらに都度対応しているイェルケルの神経の方が先に参ってしまいそうだ。
『ジリ貧か? いや、もう少し慣れればいけるかな。体力勝負に持ち込めれば、この程度の人数ならば……』
近衛十二人相手に持久戦をして勝てるとイェルケルは本気で思っている。
相手の思惑は、イェルケル一人ならば持久戦に持ち込めば勝てる、と思ってのことであろう。これを真っ向から叩き潰してやるのも悪くはない。
だがイェルケルは、決して踏み込んではこず、安全距離を保ちながらじわりじわりと攻めてくるコイツらが、少々気に食わなかった。
寸前に潔すぎる敵と戦ったせいか、はたまたこれまでに戦った雄々しくも清々しい敵たちとの戦いを思い出したか。いずれ、イェルケルはこういった戦い方をあまり好まなかった。
なので、危険を冒してでも連中の裏をかくことに決めた。
こういったその場その場で基準がブレるような判断をしてしまう所が、イェルケルの良くない所ではあろう。
だが逆に、こういった部分が他者からは先読みがしづらいと言われる所でもある。主にこれを言ってくるのは、手合わせの回数が最も多いレアであるが。
『そう言うレアだって、しょっちゅう思いつきでやること変えるくせに』
なんてイェルケルが口を尖らせ反論するのもよくあることである。
つまり、二人揃ってまだまだ未熟なのだ。
イェルケルは敵の包囲に対し、敵兵の撃破をすっぱりと諦める。
その代わり、一瞬の差し足でこの包囲をすり抜けることを考えた。作り上げられた強固な壁を、一度打ち込み崩せぬと見るやその場を離れる。
そしてずっと先まで進んだ後で、強引にさっきの場所まで戻っていく。この時が一番キツイ。敵はそうさせぬよう厚く布陣を整えているのだから。
降り注ぐ魔法の雨霰を顔を引きつらせながら無理やり突破する。
『ちょ、ちょっと無理、あったか?』
ちょっとどころではなかったが、幸い、それまで比較的狙い通りにイェルケルが進んでいたこともあり、近衛はこの急な逆撃に対応が僅かにではあったが遅れてくれていた。
なのでどうにかこうにか敵の狙いを外して逆行を成功させる。
とはいえ敵もすぐに包囲を整え直してくるあたり、イジョラ屈指の魔法使いたちだけはある。そして逆行するということは、それまでに魔法使い達が作ってきた障害もまだ残っているところを通り抜けるということでもある。イェルケルを追い込むのに、よりやりやすくなっているのだ。
馬鹿な真似を、なんて気配が感じられたがイェルケルは無視。ただ一点、先程崩そうとして崩せなかった、いや、崩せたけど崩さなかった大きな大きな壁を目指す。
敢えてそうしたのは、次の一撃で一気に吹っ飛ばすため。
『さーて、上手くやれるかどうか』
アイリが得意な、深く重心を沈めながらの超強打。
これを見た時のヴァロとエルノの顔は見物だった。似たような技を使うだけに、アイリのその技術の高さが誰よりもよく理解できたのだろう。
何度も練習したが十回やって十回確実に成功させるのは未だに無理。だが、ここ一番で外すような真似は絶対にしない。なればこそここまで生き残れてきたのだ。
強く踏み出したイェルケルの前足が、踏み固められた地面を貫き、扇状に割り砕く。
突き出した左の手の平は大きく開かれていて、打突ではなく、掌打により衝撃を重視している。
そして命中。手応えは十分。
イェルケルが撃ち込んだ箇所から、八方に向かって亀裂が走る。そして球状に膨れる。そこで、アイリならば貫通する方向に衝撃が抜け壁に人が通り抜ける程度の穴が空くところだが、イェルケルの未熟な技術では狙った通りのことが起こってはくれなかった。
壁全体が、衝撃に崩れ砕けたのだ。
大きな壁だ。建造物でいうのなら三階建てほどはあろう高さと、家一軒分はあろう幅。この巨大な壁が、イェルケルの一撃で全て砕け崩れ弾けたのである。
『うわっ! ちょっ! やっば! 失敗したっ!』
でも、降り注ぐ瓦礫自体にはそれほど重さは感じなかったので、イェルケルは一気にこの崩れる壁を抜けてその先へと走って抜けていった。
もちろん、近衛たちは失敗しただなんて欠片も思ってないのだが。
「おい待てっ! いったい何が起きた!? え!? あれどういう理屈だよ! 壁を一点殴ったら壁全部が崩れたぞ!」
「すっげ! 崩れるっつーか破裂してっぞあれ! この目で見ても全く理解できねえ! どうしてあれだけの動きであんなことが起こるんだよ!?」
「なんつー魔法臭い動きだ! なのにあれ魔法反応全くなかっただろ! アイツ生かしてひっ捕らえてどうやったか聞き出してえ!」
「アホなこと言ってないでさっさと追えええええええ! 俺たちだけ逃げられたとか他の連中に顔向けできねえぞ!」
吹き飛んだ壁の瓦礫を煙幕に、イェルケルは近衛たちを振り切りにかかった。
アイリ、スティナ、イェルケルの三人には、それぞれ十数人の近衛が分断と包囲に動いていた。
では、残るレアはどうか。
『……あー、うん、これ、つまり……』
天空より無数の氷塊が降り注ぐ。
ただの一発でももらってしまえばレアの人生はそれだけで終わってしまうだろう、速度と重量を備えた凶器である。
とても一飛びでは越えられぬ範囲にそんなもん雨のように降らされて、いったいどうやってかわせというのか。氷塊が大地に激突すると、重くるしい衝撃音と氷塊が砕ける嫌な音が響く。
片腕のみだ。右の剣を頭上で振るって命中する氷塊全てを受け流す。
残る左の手はというと、こちらは側面から襲い来る鉄矢の対応に追われている。
足はもちろん走りっぱなし。動いているからこそ、上と左方の二方向からのみの攻撃で済んでいるのだ。敵はもう数えるのも馬鹿馬鹿しくなるぐらいの数が、あちらこちらに配置されていてそれら全てが有機的に連携を取り攻撃を仕掛けてくる。
その数三十。イジョラ最高峰の戦士である近衛が三十人、レア一人を仕留めるために全力を尽くしているのだ。
分断し、戦力を集中させて各個に撃破する。極めて一般的で普遍的な戦い方である。
何故レアなのかといえば、イェルケルは唯一の男でかつ一行の主であると思われたことから除外され、スティナは背がそれなりに高く身体が大きいからと除外され、残るはチビが二人のみ。
アイリではなくレアをまず最初に潰すとしたのは、これは判断すべき材料に欠けていたので、指揮を執っている者の勘であった。
『遂に、ここが、私の死の場所ってことかー』
攻撃を避けるので精一杯だ。とてもではないが包囲を抜けるだのといった動きをしている余裕がない。それどころか、現在どれだけの数がレアを包囲しているのか、それすら把握できないでいる。
つまり、いつレアが認識していない魔法使いがレアの死角より反応しきれぬ魔法を撃ってくるかわからない状態だ。
それでも尚、撃たれた後からの反応でここまでぎりっぎりではあったがかわし続けてきていた。
しかしそれもいつまでもそうできるわけでもない。いつか不運が重なりレアの回避運動は破綻するだろう。
当たれば一撃必殺。そんな強烈な魔法が絶えることなくレアへと襲い掛かる。
常の戦ではありえぬ頻度で死がレアの首元をかすめていく。全力運動を常に続けていなければすぐに終わる。だが、いかなレアとてそんな真似をいつまでも続けられるものか。
この調子では、まず間違いなくレアの体力が先に尽きる。兵士を使った軍隊では仮令数万を揃えようと決してありえぬ攻勢圧力であり、レア・マルヤーナがはっきりと死を意識するほどの絶望的な戦況であるのだ。
氷塊の雨を抜けると、三筋の炎の鞭が伸びてきた。縦横を問わず立体的にうねり曲がりながら、レアの三方より飛び掛かってくる。
そのうねり方を見ればわかる。これは相当操作精度の高い術だ。ぎりぎりでかわすなんて真似をしたら、炎の鞭は空中で易々とその軌道を変えレアを飲み込んでしまうだろう。
そのうえで、先程から決して止むことのない鉄矢の攻撃があるのだ。炎の鞭の隙間を縫うように、或いは炎の鞭そのものを突き破りながら、鉄矢はレアに向かって正確に飛んでくる。
『コイツらっ! 絶対! ゆーるーさーん! 人が反撃できないからって好き放題してっ!』
たとえ負けるとしても一人二人は絶対に殺してやる、と犠牲者を探して駆けずり回る。それまで絶対に死んでなるものかと。
そんなレアの断固たる決意をあざ笑うかのように、近衛の攻勢は激しさを増していく。
鉄矢はレアの隙を縫うようにして何度でも飛んでくる、炎の鞭は払い落とすこともできず延々どこまでも追ってくる、人の背丈ほどもある長大な鉄杭が飛来して、頭上より雨のように氷矢が降り注ぎ、投網の如く広がった粘性の高い炎が覆いかぶさり、すぐ足元の大地より巨大な壁がそそり立ち、見るからに毒々しい色の飛礫が飛んでくる、視認することもできず音のみを頼りにかわすしかない風の刃、発射の瞬間を見切り損なえばそこで終わりな雷光、奇怪な軌道を飛び回る青銅の円盤、視界を遮る土砂交じりの竜巻、凡そイジョラにあるありとあらゆる魔法がレアへと襲い掛かってきた。
もうレアにも怒るだのなんだのしている余裕はない。敵がどこから撃ってくるか見つけ、何が飛んでくるか見極め、何がなんでもその全てをかわす。それしかできない。考えることすらもうほとんどできないほどに回避作業を強要されている。
僅かに残ったレアの理性が、このままでは回避しえぬ空間に誘い込まれて全てが終わると言っている。
建造物が林立する場所だ。射角だけでなく視界も遮ってくれるこうしたものが必要だ。王都ケミは貴族用大邸宅と付随する広大な庭空間が多く、それぞれを繋ぐ街路も馬鹿みたいに広いせいでレアの希望には全く沿っていない。
それでも中央部に行けば、そこには官庁や研究施設が集中しているせいか障害となってくれそうな建物も見える。
アレを目指してどうにか堪える。敵がレアの動きに慣れる前に、レアの動きの癖を見切る前に、なんとしてでもあの場所に辿り着かなければならない。
全周囲を殺意と魔法に覆われた現在の状況は、さしものレアも未経験の世界だ。
火が猛り、水が踊り、風が斬りつけ、大地が裂ける。雑多な金属がレアの周囲を自由自在に飛び回り、その全てがレアを殺すべく動いている。
『悪夢かっ』
たとえイジョラに住んでいる魔法使いであろうとも、こんな風景を夢に見られるほど想像力豊かな者はおるまい。
やっている近衛の連中からして、たった一人を相手にここまで攻撃魔法を集中させるなど、想像だにしていなかった事だ。
もちろん練習も無しであるが、ぶっつけ本番でレアに全く付け入る隙を与えぬ見事な連携をこなしてみせるのだから、イジョラ最高峰の魔法使い、近衛の名は伊達ではない。
近衛は全員が理解している。相手はあくまで魔法を使わぬ戦士であり、投擲はあれど魔法を用いた遠距離攻撃は行なえない。
その得意とする所は近接しての剣撃であり、ならばその間合いに絶対に入らなければ近衛側の優位は動かないのだ。
彼らも別段近接が苦手ではないが、圧倒的優位な間合いがあるというのならそれで戦うのが当たり前なのである。
レアは持ちうる全ての手練手管を駆使しながら、騙し誤魔化ししつつ攻勢を凌ぎ続ける。
そして、なんとか中央部、研究棟の一つにまで辿り着くことができたのだ。
『後、少しっ』
この塀を越えた先まで行けば、そこには頑丈そうな石造りの建物があり、これならば魔法を防ぐ盾にも視線を遮る遮蔽にもなってくれよう。
塀を越えるは許してもらえない。なら、と塀を砕いて穴を開けその内へと転がりこむ。
「あ……」
飛び込んだ先には、数十人の兵士がいた。
建物までは、後この広場になっている空間を抜ければいい。そんな場所に、魔法によって強化された兵士たちが、子供のような小柄な戦士たちが、魔法で作られた土塊の人形たちが、ずらりと並んでいたのだ。
レアの狙いは読まれていた。この場に誘われたのはレアの方であったのだ。
集まっている兵は皆、失われても良い兵士たち。彼らが雲霞の如く襲い掛かりレアの動きを封じ、同時に巻き込むを恐れず魔法を叩き込むつもりだろう。
もうレアの身体はこの広場に飛び出してしまっている。戻れない。そして、集まった兵士たちが一斉に襲い掛かってきた。
『死ん、だ』
その頭上から何度も何度も聞いた声が。
「レア! 受け取れ!」
声の主はもう見るまでもない、こんなにも聞こえて嬉しい男の声など、父親かイェルケル以外にありえない。
「殿下!」
イェルケルはレアが目指す建物に既に入り込んでいるようだ。三階の窓から外に身を乗り出し、抱えていた大きな箱をこちらに向けてぶちまけていた。
空から、陽光を浴びてきらきらと輝く無数の剣が降り注ぐ。
「殿下エライっ! 大好きっ!」
敵兵士が一斉に襲い掛かってくる。同時に、周囲に配置されていた魔法使いの魔法も。
だが、兵士たちによる足止めはかわせる。降り注ぐ剣さえあれば、レアの秘術、百剣ならば。
兵が足止めにならないのなら、襲い来る魔法もまた脅威たりえぬ。むしろ数多の兵を遮蔽にレアの位置を隠してやればその命中精度はより落ちる。
これまでで一番の魔法嵐がレアの周囲を吹き荒れる。だが、やはり、それでも、全ての魔法をレアは避けかわし飛び越えていく。
また三階の窓よりイェルケルが飛び降りる。
その予想外の挙動はもちろん、安全圏にいるはずの敵近衛を狙ったもので。
近衛による一斉攻撃の間に、レアは十六人の兵を討ち、イェルケルは五人の近衛を斬り倒した。
それでも、イェルケルを追っていた近衛も含めまだ四十人近くいる。だが、レアにもう不安はない。
「殿下! いつも通りっ!」
「ああ! そちらは少し手を抜けよ!」
それだけでどう動くかの打ち合わせは済んでしまう。
当たり前だ。レアがこれまで何度イェルケルと手合わせをしてきたか。イェルケルの剣を抜き放つ動きだけでその日の調子が見えるほどに、レアはイェルケルの戦いを熟知していた。
もちろんイェルケルもそうだ。第十五騎士団は皆とても仲が良いしどの組み合わせであろうと連携が可能だが、その中でもイェルケルとレアの組み合わせは、見ているスティナやアイリが気持ち悪いと思わず口にしてしまうぐらい息が合ったものである。
実力が似通っていて、お互いを強烈に意識している同士。そんな二人が毎日毎日顔を突き合わせて一緒に鍛錬しているのだから、お互いの手の内なぞ細かな癖まで全て筒抜けなのである。
この研究棟を戦場に、イェルケルとレアはたった二人で近衛四十人弱を迎え撃つ。
スティナの剣が近衛の腹部に突き刺さる。近衛は腹部を魔法により硬化していたが、スティナの剣を止めることはできなかった。
「てめえも道連れだ!」
口から血を吐きながら怒鳴る近衛。腹部の硬化をより進行させ、刺さった剣を抜けないようにする。
スティナと近衛の頭上には、空を覆うほどの巨大な岩が迫っている。既にスティナの周囲全てが影で真っ暗になるほどに、巨岩は接近していた。
剣を捨てればさっさと逃げられる。だが、特に焦った様子も見せずスティナは力任せに刺さった剣を引き抜く。
「あいにくとまだ私、最速見せてないのよね」
スティナの姿がその場から一瞬で消え失せた、そう錯覚するほどの急加速。巨石の落下範囲からあっという間に外れたスティナの背後から、巨石落着の衝撃と土煙が舞い上がる。
三階建ての建物を二つ巻き込んで、ただの一撃で圧し潰してみせた強力無比な攻撃も、当たらなければ意味がない。
土煙が収まった頃、スティナはようやく近衛全ての始末が終わったと息を吐く。
「あー、手っ強かった~。ちょっと見積もり甘すぎたかしら……」
近寄ってくる気配。そして声。
「スティナ!」
「アイリ、ね」
僅かに落胆しながらそちらを見るスティナ。アイリもまた相手がスティナであったことに落胆しているように見えた。
スティナは確認のために問う。
「殿下とレアは?」
アイリは首を横に振る。アイリもまた近衛を始末した後、大きな魔法が見えたこちらに来たのだと言う。
二人は不安気な顔のまま、遠く離れた場所で聞こえた大きな魔法音の方に向かうことにした。
アイリがぼそりと呟いた。
「……強かったな、近衛は」
「ええ」
第十五騎士団を殺せるぐらいに強かった。アイリとスティナですら危うい場面があったのだ。イェルケルとレアはより危ない橋を渡らされていることだろう。
最悪の想像をしながら道を駆ける。研究棟が立ち並ぶ辺り、幅の広い街路は研究棟群を抜ければその先の城へと続いている。
その道ど真ん中で、イェルケルは偉そうに腕を組み、レアは花が咲いたような笑みで手を振っている。
「おそいおっそーい! もー! あの程度の敵に、いつまでかかってるかなー!」
「もしかして苦戦したか? まあ、それも已む無しな敵だった。が、先に片付け終えたのは私たちのようだな」
どちらもアイリスティナの二人より先に片を付けたのが嬉しくて仕方がないらしい。
心配させられた上でこれかと、二人共がむっとした顔になると、それがまた嬉しいのかイェルケルとレアは顔を見合わせ大いに笑うのだった。




