203.王都決戦、開始
「アイツら、よっぽどイジョラが気に食わなかったようだな」
ひどく疲れた顔で、カレリア王アンセルミは執務室の席に座りながらため息をついた。
王への報告を終えた側近ヴァリオは、彼にしては珍しくアンセルミ同様呆れたというか、困ったというか、そんな顔である。
「それよりも、反乱軍が勝ってしまったことの方が問題です。どーするんですか、対帝国戦略。かんっぜんに破綻しましたよコレ」
「言うなっ、本気で泣けてきた」
帝国のような強大な国がイジョラを相手に無理攻めを避けるのは、以前の戦であったように超常的な出来事により戦そのものを壊すような真似をされてしまうからだ。
なのでいざイジョラを攻めようとしても、その損害がまるで読めず戦略の立てようがない、という将軍泣かせの国であるのだ。
今回、南方より侵攻した帝国軍をイジョラが撃退した例なぞは正にこれである。これまでイジョラで観測できたどんな魔法よりも強力な魔法により、ただの一撃で軍首脳部が消し飛んだそうな。対魔法戦術を十分に備えているはずの帝国軍が、だ。
つまり、何が出てくるかわかったものではないので、下手に手が出せないということだ。
ただそれは、イジョラに魔法という他国にはない特殊極まりない手段が存在するからで、もし仮に反乱軍がその勢力を増し、まかり間違ってイジョラを制してしまったとしても、そこにある魔法はイジョラ魔法王国であった頃のそれとは比べるべくもない劣化したものであろう。
それでは帝国に対する抑止力たりえない。
ヴァリオが苦々しい顔で続ける。
「反乱軍が存在しイジョラの領地の一部なりとを切り取った、そういう話ならばまだ良かったのですが、このままではイジョラ魔法王国の存続すら危ういでしょう。イジョラが弱いのか反乱軍が強いのか、困ったものです」
「この報告、誇張は無し、だったな。全戦力の五割以上を損耗していながら尚戦い続け敵を撃退したってもう、これ本当に洗脳の魔法使ってないのか? ターヴィ元帥にも聞かせたが、あの顔相当驚いていたぞ」
「両軍共に、逃げ出す兵士はほとんど居なかったそうですよ。逃げた、もしくは逃げようとしたのは皆魔法使いばかりだそうで。戦場がどんな有様になっていたのか、想像するのも恐ろしいですね」
はぁ、と深く深くため息をついた後、嫌々ながら言葉を発するアンセルミ。
「迎撃準備、前倒しで始めるしかないな。イジョラが帝国に滅ぼされる、それは想定の範疇ではあったが反乱軍なんてものがここまでの勢いで出張ってきては、その予定がとんでもなく早まってしまうだろう。……金、足りるかな」
「南方都市国家群の制圧は順調に行きそうですし、海を隔てた先との交易に期待するとしましょう。事前調査の結果はかなり良好なものでしたし」
「海の向こうじゃワインにえらい高値がついてるらしいな。ははっ、連中にカレリアの高級ワイン卸してやったらいったい幾ら出してくれるんだろうな」
「いいですねぇ、西はロクでもない話ばかりですが、南には実に夢のある話が多い。海の向こうの国にも、半年先も見えない馬鹿と取引するより我らと取引した方がよっぽど良い目が見られると教えてやりましょう」
海の向こうに一大消費地を見込み更なる増産体制に入る、なんて景気の良い話をしつつ、西側の切ない現実から目を背けるアンセルミとヴァリオ。
ひとしきり夢の話をした後で、話題はイジョラ国内に急遽作られた諜報機関の話にうつる。
これには最後までアンセルミは反対していたので、ヴァリオの口調も多少なりと慎重なものになる。
「はっきり言ってまだまだですね。機密云々なんて段階ではなく、街の噂話を集めた、公表された内容を迅速に送る、その程度です。イェルケル殿下からの情報に頼りっきりですよ」
「あれもなぁ、イジョラで起こる重大事件のほとんどに自ら絡みに行ってるからなぁ。そりゃ情報も集まるだろ」
「自分で起こしてる事件もありますしね。あれだけやらかして四人の中に一人も死者が出ていないというのが本当信じられませんよ」
そういえば、とアンセルミは含み笑う。
「例のシルヴィ・イソラだったか。あれもイジョラにいるんだってな」
「第十五騎士団の持つ個人戦闘能力に同じく個人で対抗し得る唯一の存在、でしたな。イジョラであっさりと英雄になってる辺り、その評価も誤りではなかったということでしょう。そういった人外の英傑が揃って国の外に出ていったことを、惜しむべきか喜ぶべきか悩ましいところですな」
「今更カレリアの中じゃ、あの武勇も活かし所はない。暴れて回りたいというのなら外に行くのが正解だ」
「それがわかっていていまだにイェルケル殿下を国に呼び戻そうとしているのはいかがなものかと」
「……アイツなら軍務以外だってこなせるさ」
「向き不向きを無視するのはどうでしょうな。それに、陛下も殿下からの手紙見ているでしょう。あの楽しそうな文面ときたら。毎回毎回戻ってこいなんて書くの、申し訳なくなってきませんか?」
「ん? ちょっと待て。お前、私の手紙読んでいるのか?」
「陛下が何を書くかなんて、読むまでもありませんとも。あの四人は現状こそが最善であると喜んでいるのですから、下手な横槍はやめるべきでしょうに」
「そうは言うが、戦ばかりでは気の休まる時もあるまい。そういう時にだな、安心して休める場所があれば……」
「当人たちはそれを望んではおりませんよ。それこそ、殿下があの三人の誰かと子供を作るでもしなければ、そういった平穏な日々といったものには目も向けないでしょうな」
「うーむ。イェルケルとあの三人の子か……人間が出てくるかさえ疑わしいな」
「陛下って時々、誰もが思っていても口に出さないようなこと平気で言いますよね。第十五騎士団ができてそれなりに経ちますが、そういった話が一切出てこないということは、イェルケル殿下本気で彼女たちに手を出していないようですね」
「当人やってないと言っていただろうに、疑っていたのか」
「当然でしょう。正直、あまりにも歪すぎる集団だと思いますよ」
「アレに常識を当てはめる非常識さを考えろ。これは思考停止とかではなく、連中が所有する武力が非常識すぎるのだから、連中自身のあり方もまた常識の範疇にはおれぬということだ」
「そんな非常識軍団に法を適用する至難を考えれば、やはり国外で好きにやっていてもらうのが一番ですな。偶の里帰りぐらいでしたら大目に見ないでもないのですが」
「どーしてこう、いらん血縁はどんだけ嫌がっても側に残るというのに、近くに居てほしい者はそうできないのか」
ヴァリオが何度言ってもアンセルミはイェルケルに対し好意的であることをやめようとしない。国を管理運営するといった観点から言えば害悪でしかない相手でもだ。
このアンセルミを相手にそこまでの好意を勝ち取れる、そんな人格であるということが、どこに行っても誰かしらがあの暴力集団の味方になっているという報告の理由ではないだろうか。だからこそ、彼らは生きながらえているのではないだろうか。そう思えてならないヴァリオであった。
敵は国一つを背負う男。
敗色濃厚の国にあって、数多の貴族平民がその男さえ健在ならば幾らでも盛り返すことができると信じられている者。
圧倒的多数の帝国軍を、強大な魔法と不死身の身体で撃退した伝説的な魔法使い。
そんな男に挑もうというのだ。殿下商会の四人が平静ではいられないのも無理は無かろう。しかもそこにはイジョラ最高峰の魔法使いである近衛が多数居るという。
相手にとって不足なし。殿下商会が四人揃っていながらそう言える相手など、そうはお目にかかれない。
それでも、城がまだ遠くに見えるぐらいの所を歩いている時は、四人共特に普段と変わった様子はなかった。
レアは付近の景色を見て、うんざり顔をしている。
「ホント、ひっどい土地」
草木すら生えない有様には、アイリもまた眉を顰めている。
「強すぎる魔法の影響らしいが、よくもまあこんな土地に住もうという気になるものだ」
じっと観察を続けていたスティナは、肩をすくめている。
「ここ、ちょっと凄いわよ。獣はおろか虫すらいない。ラノメ山にあった毒の出るくぼ地も確かこんな感じだったわよね」
ぎょっとした顔のイェルケルだ。
「おいおい、勘弁してくれよ」
「毒の正体が魔法だってんなら私たちには影響ないと思うんですけどね。気味が悪いのは、まあ、どうしようもないかなと」
「カヤーニの山も相当魔法が強い土地らしかったが、山頂が不毛な土地なのと平地が不毛な土地なのとでは、なんというかこう、恐ろしさが違うよな」
レアはずっと先にあるケミの王城を眺めながら嫌そうに言う。
「元々こういう土地に城を建てたのか、城ができたからこういう土地になったのか。どっちにしても、ロクでもない話」
怖い怖い、と肩をすくめるイェルケル。
四人はそんな話をしながら道を歩いていたのだが、城が目視できるようになって少しして、アイリが不満げに漏らす。
「……戦時であるのだし、とうにこちらに気付いていように、全く反応がないというのはどういうことなのだ?」
レアが馬鹿にしたように笑う。
「案外、本気で気付いてないのかも」
窘めるようにスティナが。
「魔法を侮っちゃダメよ。連中、嘘か本当か未来を予知したりもできるらしいんだから」
「……え? それ冗談じゃなくて?」
「私たちの居場所を魔法で見つけたりもしたじゃない。あの魔法は命懸けだからそう何度もできないらしいけど、魔法使いってのは私たちの常識が通じない連中なのよ」
不意に、先頭を歩いていたイェルケルの足が止まる。すぐに後に続いていた三人も止まった。
イェルケルはこの気配に覚えがある。
肌にぬめつくような、雨季に外を出歩いた時のようなじめっとした感覚だ。
それが、ある一線を越えた瞬間、それまでまるでそんな気配もなかったのが突然、そう感じられるようになったのだ。
イェルケルだけではなく残る三人も感じ取れるものがあったようで、四人はお互い顔を見合わせる。
「でんか、何か知ってるって顔してる」
「魔法が濃い、って言われてたカヤーニ山頂の洞窟とすごく似てる。ははっ、何か、こう、盛り上がってきたって感じしないか?」
魔法使いの本拠地、そんな言葉がしっくりとくる、空気の色すら違うと思える不気味な気配。
それを、イェルケルは笑顔で迎え入れる。イェルケルがこれにより戦闘時の精神へと早々に切り替わってしまったのを見て、残る三人もまた不穏で剣呑で殺伐とした戦の呼吸へと変化していく。
「いいですな、実に良い演出をしてくれるものです」
「どうしてでしょうね、痛いのも苦しいのも面倒なのも悲しいのも、全部大嫌いなのになんでかどうしてか、それが戦となると俄然楽しくなってくるんですから」
「きょーおもこーろそー、たっくさんこーろそー、どいつもこいつもやっつざっきだー」
四人は期待に満ちた目で城を眺めながら歩を進める。
城門前に至るまでも四人はたわいもない雑談を止めなかったが、その内容は随分と血生臭いものへと変わっている。
そしていつ来るかいつ来るかと待ち構えていたイジョラの近衛が、遂に四人の前に姿を現した。
彼ら四人の魔法使いたちは城門を出たところで、横一列に並びイェルケルたちを待ち構えていた。
そしてイェルケルが一足の距離からほんの少し離れた場所で足を止めると、彼らはその距離の意味を理解しているのかにやりと笑い、そして口を開いた。
「よく来たな殿下商会! 我が名は迅雷のエーメル! 陛下の下で近衛北方衛士長を務めておる!」
周囲には他に気配なし。いや、城壁の上に多数の人の気配がある。だがそれだけだ。今、イェルケルたちがこの四人に向かって突っ込んだなら、この四人は四人のみでイェルケルたちと白兵戦を行わなければならない。
イェルケルも名乗りを返す。
「殿下商会、同時にカレリアは第十五騎士団団長、イェルケルだ。来訪の目的、聞きたいか?」
「いいや、それには及ばぬ。今更お互い、交渉も何もなかろう」
「その通りだ。こうして初対面の相手にもわかっていてもらえることがあるというのは、なんというかくすぐったいような嬉しさがあるな」
とても友好的なイェルケルの返しに、エーメルは破顔する。
「ははは、決戦を前に、随分と余裕のある男だな。しかし、やはりカレリアの出であったか。彼の地には貴様らのような戦士が多数いるというのか?」
「多数も居てくれたんならあっちで戦ってたさ」
やはり大きく笑うエーメル。大男であり強面でもあるが、笑うと妙に愛嬌のある顔をした男である。
「本来であれば、王都ケミの近衛総出で出迎えねばならぬところなのだが、此度はどうしてもと駄々をこねてな、まずは我ら四人のみにて、貴様らの相手をさせていただく」
「いいのか? 戦をしようというのだから卑怯だのなんだのと見当はずれなことを言うつもりはないぞ」
「我ながら愚かしいとも思うのだがな。たった四人でこの王都ケミにまで乗り込んでくるような勇者に対しこれを多数で圧し殺すような戦い方を、我ら四人は是とするような生き方をしてこなかったのだ。何度も何度も考えたがどうしても納得がいかぬ。これは最早勝てる勝てない、強い弱いといった話ではないのだ」
まるで自分のことのように、イェルケルは自嘲気味に呟いた。
「それは、確かに、度し難い話だな」
「だろう? まあ笑い飛ばしてくれて一向に構わぬよ。だが、この先に進みたくば我らを屍にせねばならぬぞ」
「笑わないよ。笑わず、殺すさ。この先に進むのはお前たち四人を全員殺してからだ。一騎打ちが四つ、相手は好きに選ぶがいい」
「おおっ! そう言ってくれるか! ならばっ! いざっ!」
イェルケルたち四人がお互い距離を取るように動くと、呼応するように近衛の四人も広がっていく。
誰が誰と戦うか、はっきりとしたところでイェルケルは剣を抜いた。
「来い」
「応よ!」
これが、イェルケルたちが殿下商会として戦う最後の戦の、幕開けであった。




