002.二人の女騎士
アイリが剣を振るう。ただそれだけで、兵士の一人が受けた盾ごと千切り斬られた。
その兵士は決してまともな体ではできぬ姿勢で我が身の惨状を見下ろしながら、これが現実だと受け入れられずきょとんとした顔のまま事切れた。
ほぼ同時に逆側より襲い掛かってきた兵士の剣撃は、アイリの左手が剣の平を引っぱたいて軌道を逸らし、返す裏拳が兵士の胸板に打ち付けられる。
身長差からそこにしか届かぬのであるが、胸甲を胴半ばまでへこましながら兵士は大きく後ろに殴り飛ばされる。
イェルケルは、こうまで圧倒的な戦闘力を見たことが無い。
速さも力も、そもそも人間としての能力が違いすぎる。
アイリが王子の守り手に回れば、スティナは攻めに回る。
スティナの動きは速すぎる。特に腕から先、剣先に至っては距離がありながら挙動が見えない。
それらは元々動きが速いからというのもあろうが、極めて卓越した剣捌きによるところが大きいだろう。
スティナの剣先は、吸い寄せられるように兵士たちの急所へと伸びていき、鎧の隙間をすり抜けるように、或いはこじあけるようにして突き刺さる。
イェルケルもまた剣を学ぶが故にわかる、惚れ惚れするような剣技だ。
アイリが三人、スティナが五人ほど斬ると、二人の動きががらりと変わった。
スティナの剣から洗練された動きが失われ、荒々しい剛剣へと切り替わる。
当れば当った部位が千切れる。ならば細かな狙いなぞ必要なく、鎧越しであろうと剣越しであろうと、剣を叩き付け砕くのみだ。
アイリの方は逆に膂力に任せた戦い方を控え、目にも留まらぬ足捌きから生じる俊敏な荷重移動により、驚くほど素早く強い剣撃を打ち放ってくる。
その狙いは精妙無比。一撃目で鎧を弾き飛ばすと二撃目で確実に急所を貫く。これではどんな重装甲も意味が無い。
イェルケルは二人がわざわざ戦い方を変える理由を見抜いた。
二人は実戦で戦い方を試しているのだ。まるで初めて買ってもらった剣の切れ味を試すかの如く浮かれながら。
イェルケルは部屋の中の敵を二人に任せると、自分は部屋の入り口側に動く。アイリが驚いた顔をしていたが、イェルケルが自分は大丈夫だと言ってやると彼女も嬉々として攻め手に回る。
部屋の入り口で待ち構えていると、兵士たちが数人部屋に駆け込んでくる。これを次々入り口にて屠る。
最初に居た三十人の兵士と比べれば装備も薄く技も拙く、イェルケルの技量ならば一人一刀で充分だ。
「報告に来た伝令か」
扉を閉め切って鍵でもかけておきたいところだが、扉は、恐らくはアイリが殴ったか蹴ったかしたせいで、外れてしまったままだ。
一気に十人以上に押し切りにこられたら入り口を押さえるのは無理だろう、とイェルケルはより早く撤収できるよう兵士退治に参加しようとする。
残る敵兵士は二人。そしてまるで別の生き物になったように青ざめている領主。
アイリが剣についた血を払いながら問う。
「どうされます殿下?」
「領主は私が。彼もカレリア貴族だ。せめても王族の手で葬ってやろう」
呆れ顔のスティナ。
「随分とお優しいことで」
これに対し、いたずらっぽく微笑むイェルケル。
「恨みを晴らそうというつもりも、少しはあるのだがね」
そこら中から血臭漂う修羅場の最中での王子の冗談に、スティナは目を丸くした後、口を開いて笑い出す。
「あ、あっはははは。正直ですわね殿下」
スティナはアイリと視線を交わすと、二人は同時に動き一刀で兵士を一人ずつ切り倒す。
領主は這い蹲るようにして命乞いをしていたが、イェルケルは生まれて初めて命を狙われ死をも覚悟した直後である事もあり、どうあっても彼を許す気にはなれなかった。
半笑いの顔で、まさか本当に殺す気ではあるまい、と溢した領主の首を、イェルケルは一刀で斬り飛ばした。
床を転がる領主の首、これがイェルケルが斬った敵兵士の体に当ると、敵兵士はそのことで意識が戻ったようだ。どうやらイェルケルの斬り方が甘かったようで彼はまだ生きていたのだ。
苦痛を堪えながら立ち上がる兵士は、周囲に自分しか生きている者が居ないことと、首のみになった主を見て、絶望的な現状を把握する。
口惜しげに、イェルケル、アイリ、スティナの三人を睨みつけ、兵士は言った。
「くっ、殺せ!」
この言葉に、アイリは満面の笑みで応えた。
「良かろう!」
「「え?」」
問い返すイェルケルとスティナの声を他所に、アイリは言葉通り、一刀でその兵士の首を刎ね飛ばした。
「見事! それでこそカレリアの兵よ! 主への忠義、まっこと天晴れであった!」
もう逆らうこともできないだろうし、別に殺さなくても、とか思っていたイェルケルとスティナは、多少の思考停止と共に同時に言葉を発した。
「「アッハイ」」
「ありがとう、おかげで死なずに済んだ。本当はもう少し色々話したいこともあるのだが、今はともかくこの城を脱出しよう」
イェルケルの言葉に、はい、と元気良く返事したアイリは部屋の入り口から外を窺う。
「殿下、既に兵が取り囲んでおります。突入を渋っているのは……領主の安否がかかっているからでしょう」
スティナは部屋の窓際に向かう。
「ん、厩舎はあそこで……城門は開いてる。うん、完璧ね。殿下、脱出路が決まりました」
スティナが招くままに窓際に向かうイェルケル。
「そうか、しかしここは確か三階だったし、窓からの脱出は無理が……」
「大丈夫ですよ。殿下も鍛えてらっしゃるみたいですし、最悪足でも折ったら二人で抱えて行ってあげますから」
「え? いや、だから三階から飛び降りたら普通に死ぬのでは……」
特に城の三階は他の建物のそれよりずっと高くできているもので。
アイリも窓際に駆けてくる。
「急ぐぞスティナ、外の連中も痺れを切らしてきた。殿下、行きますぞ」
スティナとアイリが同時に両開きの窓を開き、身を乗り出す。まずは大丈夫であることを示すつもりか、アイリは僅かな躊躇も見せず平然と窓より飛び降りる。
「おいっ!」
思わず声が出るイェルケル。上から見る高さは、下から見上げるそれより遥かに恐ろしく思える。下に居る人の大きさなど、ここから見ると手の平ほども無い。
アイリは着地と同時に地面を転がり、一回転で綺麗に立ち上がる。そこに困難を乗り越えた達成感も苦痛を堪える表情もなく、すぐに続くよう促しながら手を振っているのみだ。
イェルケルは窓に足をかけ窓枠に掴まっているスティナと顔を見合わせる。
スティナがにっこりと微笑んだことで、イェルケルは覚悟を決めた。
アイリがそうしたように着地と同時に転がろう、そう決めて飛んだのだが、予想外に長い浮遊感に一瞬自らの位置を見失ってしまう。
せめても足から着地したが、その後崩れるように後ろに倒れ、背中を強かに打ちつけてしまう。
慌ててアイリが助け起こすと、スティナが飛び降りてくるのが見えた。
スティナは窓枠の下端を掴んだまま飛び降り、窓枠にぶら下がって両腕のみで一度全体重を支えた後に手を離し、次は壁面のでっぱり部に片足を乗せて減速し、くるりと横に回って今度は逆の足で別のでっぱり部に足を乗せ更に減速。
着地は綺麗に音も無く、であった。
アイリがイェルケルを助け起こし、スティナが聞く。
「大丈夫ですか?」
「ぜんっぜん問題ない」
女の子を前にした男には見栄というものがあるのである。
それでも痛い思いをしただけはあったようで、三階から飛び降りるのは兵士たちにとっても予想外だったらしく、飛び降りた中庭には僅かな兵士しかいない。
三人は厩舎に向かって一気に駆け抜け、馬を奪うと開いていた正門からさっさと出ていってしまうのであった。
辺境では一般的な農民用の家で、四部屋を有する平屋建ての建物。この家の持ち主一家四人は、現在部屋の隅で固まって震えていた。
彼らの前で見張り役として椅子に腰掛けるイェルケルは、ひどく怯えた彼らの表情を見ると心底から情けない気分にさせられてしまう。
「……他に手はなかったものか」
イェルケルの呟きが聞こえたのか、隣の厨房から返事がかえってきた。
申し訳無さそうにアイリが。
「わ、私も同意見なのですが……その、スティナが……」
同じく厨房に居るスティナはまるで悪びれていない。
「本来、逃走中という私たちの立場を考えれば当然殺しておくべきなのです。それを殿下が露骨に嫌そうな顔をするから、仕方なく生かしておいてやってるのですよ」
部屋の隅の四人は、もうどうにもしようが無いぐらい怯え震えてしまっている。
あまりに惨いので、この話題を引っ張るのは止めることにしたイェルケル。
しかしこのままではまるで盗賊だ、と何か手はないものかと考えを巡らせ、そして妙案を思いついた。
「そうだ、これだ。これを受け取ってくれ」
イェルケルは懐より銀貨を一枚取り出し、彼らに渡す。
「滞在費だと思ってくれ。我らは断じて盗賊などではないのだから、受け取ったものに対する正当な対価は払うぞ」
即座に厨房からスティナの返事が。
「何をしようと拒否を許さない段階で盗賊以外の何者でもないと思うのですが」
「わっ、私は王族であり騎士でもあるのだぞ! そ、それがこのような不名誉な真似を……それもよりにもよってカレリアの領民に対してだな」
やはり即座に厨房から返事が。今度はアイリである。
「殿下。こーいう時のスティナは概ね正しいうえに、口論するとものすごーく悲しい気分にさせられますので、その……」
色々と言いたいことはあるが、確かに今は緊急時ということも理解しているので自重するイェルケル。
しばらくすると、厨房から二人が山程の料理を持って戻ってくる。
十人分はあろうかという食事を、次々机の上に並べ、三人はこの農家に押し込んだ目的である食事を取る。
二人は料理に際し、この家にあったエプロンを借りていた。
調理の際の汚れを気にしたのではなく、逆に服の汚れが料理に付くのを嫌ったのだ。長袖も肘上までまくりあげている。
そのまま食べればいいのだろうが、二人は何故か食事の前にエプロンを外す。習慣なのかもしれない。
スティナは手慣れた所作でするりと後ろの紐を外し、小さく身震いしながらエプロンを引っ張る。
まずは仰け反り、次に上体を僅かにかがめながらそうするスティナの、腰つきが奇妙なほどに艶かしい。
家事を行う母から、愛を紡ぐ女へと切り替わる瞬間とでも言うべきか。
アイリからはそういった色気のようなものは全く感じられない。
同じくエプロンを外すのだが、こちらは横着して紐を解かぬまま頭の上にエプロンを引っ張って抜こうとする。
顔の横に紐がひっかかり、んー、と引っ張り上げると、髪が乱れ落ちる音と共に一気にすっぽ抜けた。
その瞬間、えへー、とばかりに、にっこり笑うアイリ。
そして、思わずそんな二人を凝視してしまうイェルケル。やはり彼も見目麗しいものには惹かれるのである。
イェルケルはそんな恥ずかしい自分に気付いて視線を逸らし、食事を口にする。
蒸かした芋だ。上にバターがつけてあるこれが、妙に口当たりが良く、ひょいひょいいけてしまう。
「これは二人が作ったのか? なんとも、芋が実に芋っぽく……ああ、なんというか、そう、美味しいぞ」
アイリが嬉しそうに答える。
「ええ、スティナの料理は最高です。いわゆる高級食材を用いたものはそこそこですが、こういった素朴な素材を使わせると、実に見事に調理してみせます」
褒められても特に感慨も無いのか、スティナはつまらなそうにサラダをつまむ。
「貧乏性なんですよ。せっかくの食材なんだから、少しでもマシなものにと思ってしまうのです。高い食材は特に手間をかけなくてもおいしいですしね」
そしてこの話題は好きではないらしく、すぐに別の話題を振るスティナ。
「で、この後のルートだけどどうします?」
イェルケルからの即答が無いのを確認すると、アイリが候補を挙げ、スティナが丁寧につっこむ。
「街道一直線、は愚考の極みだな。どの街道を通るにしても」
「そりゃねえ、辺境って常駐の兵だけで千は居るって話だし。じゃあ山越え?」
「川下りはどうだ? 夜間にエーレ川を一気に下ればかなりの距離が稼げるだろう」
「川岸から火矢射掛けられたら詰むわよ」
二人は同時に嘆息する。
「ならばルディエット山を越えるしかあるまい。問題は途中の渓谷だが、運任せの部分が出るのは仕方なかろう」
「他のルートよりはマシよね。そうそう、一つ聞き忘れてたわ。殿下、よろしいですか?」
イェルケルはひたすら芋を食べながら二人の相談を聞きに回っていたのだが、話を振られたのなら答えるに吝かではない。
「ああ、構わないよ」
「そもそも何故あの蛙親父は殿下を? 正式に使者として来た殿下に手を出す意味がわからないわけじゃないでしょうに」
「か、蛙って……私にも彼が叛いた理由はわからんよ。ただ現状で辺境が叛くには相応の後ろ盾が必要だろう。王都から離れた地域同士は繋がりが強いとも聞くし、ここだけの話ではないのかもしれないな」
アイリは豆のスープを満面の笑みで飲み干した後で、話に加わる。
「今である理由はあるのですかな? 私は殿下が何を視察に来たのかすら聞かされておらんのですが」
「地方領主が所有できる武具の量に制限があるのは知っているか? それを確認に来たのだよ」
イェルケルの話を聞いてスティナは得心したらしく、うんざり顔であった。
「……殿下、こんなことを言ってはなんですが、もしかして宰相閣下に疎まれてはおりませんか?」
「宰相閣下に? 私がか? いや、確かに私の兄に当る方だが、現在王家には私の兄弟姉妹だけでも三十人以上居るのだぞ。母の身分も低い私のことなぞ覚えてすらおるまい」
「でもですね、殿下を生贄に捧げたとすれば納得はいくんですよ。本来、地方領主の武具監察なんて滅多に行われません」
「そうなのか?」
「律儀に武具所有制限を守っていると規模の大きい盗賊団などが出た場合、対応できなくなる恐れがあります。その時は王都に援軍要請をすればいいとなっていますが、そんな面目を失うような真似、断じて認められるはずがありませんから、各地の領主は自前でそれなりの兵も装備も揃えているものなのです」
「…………にもかかわらず私が派遣されたと。叛く準備が整っていた彼らを挑発する……いや、準備が整う前に行動させるためか?」
ワインを豪快に流し込みながら肩をすくめるスティナ。
「細かい部分はなんとも。ですが、それならば私とアイリが派遣されたのも理解できます。私たちが消えれば喜ぶ人にも心当たりはありますし」
「恨みでも買っているのか?」
「そんなところです」
スティナは投げやりにベーコンをほおばる。
「潜在敵の炙り出し兼余った王族の口減らしってところでしょうか。さすがは宰相閣下、無駄の無い手を打ちますね」
スティナの言葉に、まだ納得のいかぬイェルケルは、フォークを豆にさそうとして失敗して豆が皿の端っこにまで飛んでしまい、もう一度挑戦中である。
「しかし、何度も言うが宰相閣下には疎まれるどころかロクに会話を交わした記憶すらないのだぞ。恨まれるような真似をした覚えも……」
そこでふと思い出す。
「……あー、例えば、元帥に恨まれてたりしたら、こういう目に遭うこともありえるかー。うん、ありえるなー、はははははー」
焼いた肉の塊に塩をふっていたアイリが、驚きのあまり勢い良くイェルケルの方に首を向ける。
「殿下は元帥閣下に恨まれていると? それは、また剛毅な……宰相閣下と権勢を二分する方ですぞ」
「うん、あの方のお孫さんをな、騎士学校の試合で完膚なきまでに叩きのめした。ソイツの捨て台詞が『このままで済むと思うなよ!』だったんだが、まさか元帥閣下がそんな程度のことで口出してくるなんて思わんしなぁ」
つい先日、元帥に対し感謝のあまり涙を流しかけたイェルケルだが、そんな無垢な過去の自分を殴り飛ばしてやりたくなる。
更に、元帥の孫である所のヘルゲの態度が妙であった理由も合点がいった。アレは間違いなくイェルケルがハメられることを知っていたのだろう。
ヘルゲに対しては腹が立つのと同時に、少し気味が悪くもなる。ここまでするか、というのがイェルケルの率直な感想であった。
三人はかなりの速さで食事を消費していくが、その最中、表から声が聞こえてきた。
「おい! 誰か! 誰かおらぬか!」
アイリとスティナが同時に部屋の隅の四人、の中の父をじろっと睨む。
緊張した様子でアイリ。
「誰だ?」
父はどもり震えながらも必死に口を開く。
「は、ははっ、あの口調は、へ、兵士の方ではないかと」
スティナが席を立つ。
「アイリ」
「わかっておる」
アイリもこれに続き、二人は家の入り口に向かっていった。
扉を開く音と、大きなものが落ちた音。何かを引きずる音と、二人の声。
「……しかし、ここの兵の弱さは尋常ではないな。これが元とはいえ栄えあるカレリア兵であると思うと気分が悪い」
「そう? どこもこんなものでしょ。あの城の兵士たちだってお話にならなかったし」
「あれが一番気に食わぬ。あのような弱卒が辺境領主直属の兵士だと? 笑わせるのも大概にしろ」
「アンタは軍に夢見すぎなのよ。大体……」
部屋に戻った二人は、それぞれ一人ずつ、首が明後日の方を向いた兵士を引きずっていた。四人家族の怯えが頂点に達するも、二人は全く気にならないらしく、部屋に適当に転がした後席について食事を続ける。
イェルケルはさすがにこれは見て見ぬフリはできず、一言告げる。
「もう少し彼らに配慮してはどうだ?」
アイリはきょとんとしている。どうやら死体を部屋に放る行為に彼らが怯えるとは思っていなかったらしい。
スティナは人の悪そうな顔で笑い、言った。
「わかりましたわ殿下。ねえ、農民さん。兵士の身ぐるみは貴方たちで剥いでいいわよ。私たちそこまでお金には困ってないし」
「もう強盗そのものだよなその発想!?」
ともあれ、つつがなく食事は終わり、この付近で馬のある場所を一家に訊ねた後、三人は家を後にする。
最後にイェルケルは、本当に申し訳なさそうにしながら彼らに追加でもう一枚銀貨を渡していた。