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199.お前等、戦の直前だって事忘れてんだろ


 その戦いに用いられる技術や能力はもう観戦者たる兵士たち、いやさその指揮官である者たちにすら想像もつかぬ高いものとなっていた。

 だが、ほぼ同格で拮抗している二者がこれをぶつけあっていれば、いずれが優位であるかは自然と見えてくるもののようで。

 時間が経つにつれ、イェルケルの剣がテオドルのそれを圧倒してきているのが誰の目にも明らかになってきた。

 もちろん反乱軍側はイジョラに多大な損害を与えた殿下商会の主、イェルケルに感情移入してこれを見ているので、誰しもが勢い込んだ様子だ。

 反対にイジョラ軍側は、悪名高いテオドルとはいえこちらもイジョラを代表する優れた魔法使いであり、自然と彼を応援しながら見守っている。

 不思議なことに、どちらの陣営も声は出さない。

 殿下商会も、テオドル・シェルストレームも、どちらの陣営にとってもあまりにもおっかない相手である、というのがこの辺りは影響していよう。勢いのままに大声を張り上げ、両者の機嫌を損ねるのを恐れたのだ。

 だが、それ以外にも、人間離れしたその攻防に見入ってしまっているというのもある。

 背筋の凍るような鋭い剣撃を、どちらも恐れる気もなく踏み込みながら避け、切っ先が肌をかすめるも怯える所はない。

 イェルケルの足から、テオドルの肩から、それぞれの抱える出血はかなりのもので、どちらも出血箇所周辺はドス黒く変色してしまっている。

 出血量が大きくなっていけば、遠からず動きが鈍ってくる。現状押し負け気味の中、どうにか均衡を維持しているテオドルとしては、その予想される変化はあまり好ましいものであるとは思えなかった。

 全神経をイェルケルの挙動に向けながら、テオドルはそう考え、そして静かに、最後の一線を越える決断を下した。

 テオドルは、以前にパニーラとした会話を思い出した。


「お前さ、なんだって強化魔法なんて使ってんだ? 調整一つ失敗しただけで、寿命が十年削れるようなシロモノだろ」

「俺が失敗なんてするか。コイツが一番俺と相性がいいんだよ」


 魔法との相性だけではなく、テオドルの戦い方、生き方を考えればこの魔法がテオドルに最も相応しい魔法であるのは間違いない。それでも、一言言わずにはおれぬパニーラだ。


「ただでさえ戦場行けば死にかけるってのに、わざわざ魔法使ってまで死ぬ確率上げようって感覚が俺には理解できねえ。幾ら褒美もらおうと手柄立てようと、死んじまったらそれまでじゃねえか。兵士稼業ってな、その見極めができねえ奴から死んでいくんだぜ」


 こう言ってきたパニーラに対し、テオドルは全てを口にしてしまうのが何故か妙に気恥ずかしく、その場は適当なことを言って誤魔化していた。


『俺にはなあ、おめーみたいに史上最高の魔法の才なんてもんはねえんだよ。それでも、上に行きたいってんならそりゃ、無理の一つもしねえとよ』


 テオドルが他者を圧倒することができてきたのは偏に、誰もが立ち止まるだろう場所であっても進み続けてきたからだ。少なくともテオドルはそう思っている。

 テオドルは魔法の制御をじわりじわりと緩めていく。

 最初に来たのは筋肉だ。みちりという音は、苦痛を伴うものであったしこの微かな音が聞こえたならばこれまでのテオドルならば即座に魔法の使用を制止してきた。

 だが今日はここから更に先へ行く。

 次に、脚部と腕部を中心に、中の骨を短刀で削り取っているかのような激痛が襲う。

 あまりの痛さに、期せずして身体が跳ねてしまい、その予想外な挙動にイェルケルは驚き反応が遅れてくれた。おかげで苦痛で鈍った速さを誤魔化すことができた。

 彼が悔しそうな顔をしているのは、明白な隙を見逃してしまったせいだろう。

 テオドルは苦痛があるのは知っていた。予想より遥かにその苦痛がきつかったせいで危うく負けそうになったが。

 これはイジョラという国が基礎魔法研究により、各種強化魔法を人体に用いた際の使用例を多数ためこんでいたおかげだ。もちろんこの主要研究機関はカヤーニ研究所である。

 ただカヤーニで集めた莫大な量の実験結果をもってしても、最終的には個人差がありどこまでやれば大丈夫、という結論は出せない。なのでテオドルは手探りで自らの限界を見極めねばならない。

 イェルケルの剣に対抗しながら全身の苦痛を堪え、身体を調整し、そしてやりすぎてしまわないように魔法の力を精緻に操る。

 気が遠くなるような作業だ。

 それまでとは比べ物にならないほど、精神が消耗していく。それは身体の疲労として表れ、イェルケルの疲労と比してテオドルの疲労は誰が見ても明らかなほど激しいものであった。

 テオドルは不利な戦況を自覚する。


『堪えろ、堪えろ、意地でも耐えろっ。つーかこのボケ! 有利になってんだから少しぐらい大味に動きやがれ!』


 対するイェルケルは、優位に立ったというのにまるで動きが変わらない。いやむしろ、より堅実な動きをするようになった。

 確かにこうなってくるとイェルケルは勝利するために博打は必要ない。だが、優位に立ったならば逆に一息に決めねば、もし一手でも誤ってしまえばこれまで積み上げた優位も失われてしまうやもしれないだろうに。

 残念なことに少なくともイェルケルは、そんな焦りとは無縁であるようだ。

 長期戦だ。我慢と忍耐と気合と根性と、なんかそういったもの全部引きずり出して時間を稼がなければならない。

 そう、考えた直後のことだ。


『あ』


 テオドルの視界から、イェルケルの剣が消えてなくなった。

 防戦に比重を傾ける、そういった気配を見た瞬間にイェルケルは奇襲に動いたのだ。

 戦闘慣れなんて言葉では言い表せない、恐るべき嗅覚。よほどこういった厳しい戦況を経験しているのか、こんな不意打ちにもテオドルがイェルケルから奇襲の気配を感じ取ることはできなかった。

 空白は一瞬。すぐにイェルケルの剣の在り処は知れるも、受けは間に合わない。腕一本。くれてやれば止められるが、腕を失えば出血でより不利になる。そもそも、片腕になってしまえばもうテオドルではイェルケルの剣を止める術は失われてしまう。

 体勢は悪い。剣をただ立てただけの形で、それこそイェルケルの剛剣を、剣を持つ腕力のみで受け止めなければならない。

 鈍い衝突音。幸いどちらの剣も折れなかった。

 イェルケルは苦い表情だ。完全に虚を突いたと確信できる一撃であったのだが、予想すらしなかったほどのテオドルの膂力により強引に剣を防がれたのだから。

 すぐにテオドルが横薙ぎに一閃。

 イェルケル、剣を横に寝かせてこの軌跡より外しつつ、自らは大きく後ろに仰け反ってこれをかわす。

 テオドルの剣は止まらない。

 イェルケルは受けるではなく、その全てを避けるべく動く。剣筋を完全に見切れていないのか、かわしざまの攻撃は無し。

 突然の攻守入れ替えに、観戦者は皆戸惑うばかりだが、この理由を察したのはイジョラ軍側隊長、つまり、魔法使いたちである。


「おい、あれ」

「間違いない。やりやがったぞ、テオドル・シェルストレーム」

「信じられん、アイツ、怖くないのか?」

「負けたら死ぬ。だが、あれじゃ勝っても死ぬだろう。それでも……」


 魔法使いたちは、テオドルが越えてはならぬ一線を越えてしまったと理解していた。これ以上やったら元には戻れぬ、そんな所まで身体強化を進めてしまったと、遠目にもわかるほどそうしてしまったのだ。

 年若い魔法使いが首を何度も横に振りながら問う。


「そんな真似、できるものなのか? 自分に魔法が効くよう魔法抵抗を意図的に弱めるって、ただでさえ恐ろしい行為なのに、確実に死ぬところまでそれを我慢し続けるなんて、本当にできるものなのか?」

「俺にもお前にもできない。けど、できるからこそのテオドル・シェルストレームだって言われりゃ、理解はできんが納得はできるかもな」


 テオドルの名は恐怖と嫌悪の対象だ。その名を聞けば誰しもが眉を顰める、そんな悪名である。

 だが今、たった一人で反乱軍の怪物を、イジョラ史にすら残るほどの凶悪犯罪者殿下商会と、未来を捨ててまで戦う姿を見て、とても無感動ではいられない。

 馬に乗ったままじっと観戦していた魔法使いが、遂に堪えきれず声を張り上げた。


「やれ! 勝てよテオドル! そこまでやったんだ絶対に負けるなよお前! お前なら! 絶対勝てるぞ!」


 この一言が呼び声となって、魔法使いたちは一斉にテオドルに声援を送り始める。


「負けるなー! いいぞ! 押してる押してる! そのままいけ!」

「勝てるぞテオドル! お前なら殿下商会なんて目じゃねえ!」

「頑張れよ! 頑張れば絶対勝てるぞ! コウヴォラ一の悪党がこんな所で負けるわけねえんだからよ!」

「やっちまえ! 後のことは俺らが全部やるからお前はただそいつをぶっ殺しちまえ!」


 魔法使いたちが声を出すと、兵士たちもまた彼らに続く。

 開戦前の一騎打ちに名指しされ、雄々しくも単身これに立ち向かい、敵の人間離れした動きにも食らいついていき、遂に攻勢に転じたのだ。

 上の者が許すというのなら、彼らもまたその雄姿を称えてやりたい、少しでも支えになってやりたいと思っていたのだ。

 イジョラ軍前衛部隊のほとんどの人間が、テオドルに向けありったけの声を届けんとする。

 まるで音の津波だ。それは戦闘中の二人を突き抜け、対陣する反乱軍側にすら届くもので。

 だが反乱軍側からの声はない。

 皆、殿下商会の名は知っているが、それを友軍であると考えるにはあまりに従軍期間が短すぎた。むしろ指揮官級の人間は皆、勝手な真似をしやがって、と苦々しく思っていたほどだ。

 彼らが声を出さないのだから、兵士たちも気後れしてしまう。これがシルヴィであったのなら上が何を言おうと皆声を限りに叫んでいるだろうが、イェルケルの顔も名も、彼らは皆よくしらないのだ。

 実に対照的な両軍の姿に、レアはというと怒るではなく含み笑っている。


「ぷぷぷっ、でんか、人気ないっ」


 シルヴィは申し訳なさそうな顔である。


「んー、私、みんなに言ってこようか? これじゃあまりに寂しすぎるし……」

「いらないいらない。私たち殿下商会は、きっとこの方がいい、私はそう思う」

「そういうこと言ってるから、イジョラじゃ歴史に残る犯罪者扱いなんじゃないかなぁ」

「救国の騎士とか言われるより、マシかな」

「むー、いじわるっ」


 シルヴィはレアに時々漏らしているが、勝利の女神とか言われて持て囃されるのはどうにも気恥ずかしいらしい。それで士気が上がるならと我慢していはいるのだが。

 少し拗ねてるシルヴィを宥めながら、レアは横目にイェルケルの動きを見る。

 かなり集中できているし、身体のキレも悪くない。

 それでも押し切れない、押し返されているのは、単純に敵が強いのだろう。

 ただの力自慢、速さ自慢であったならとうに決着はついていよう。そうでないのは敵がイェルケルとこれだけの時間打ち合える技量の持ち主である証だ。

 距離がありすぎてここからでは細かな技のやりとりは見えないが、イェルケルの剣を受け、弾けているだけで十分に高い技量が窺えよう。


『しかも、上段は全部流すかかわしてる。あれ、危ないんだよねぇ』


 テオドルとやら、その上段のおっかなさはよくわかるよ、とレアは内心で呟いた。





 テオドルの肩からの出血は、戦闘中隙を見て行なったテオドルの治療の魔法によりとうに止まっている。なのにイェルケルの足からの出血は続いたまま。

 しかも、戦闘開始直後と比べて、テオドルの速さも力も、驚くほどに上がっている。


『あー、くっそ、しんどいっ』


 表面上は淡々と剣を振るっているイェルケルであったが、心の内はもう泣き言だらけである。

 戦ってる最中に強さが変わっていくとか意味がわからない。こうして直接戦っていればわかる。手を抜いていたのではなく、強さ自体が変化しているのだ。

 当人も変化したその速さなり力なりに振り回されている部分も見てとれて、イェルケルとしてはもう、普通の人間を相手に戦うやり方ではマズイと考えた。


『見切るのは諦める。こっちが破綻する前に攻めきって勝つ』


 テオドルの、受けたら間違いなく剣ごと砕かれるだろう袈裟の一閃を下がってかわしながら、剣を片手握りにまっすぐ突き出す。

 反応速度が、下手をすればイェルケルより速いテオドルは、これを見てから避けた。

 テオドルが切り返しの一撃を見舞う前に、イェルケルの二撃目がテオドルの首元に伸びる。ここから先はイェルケルも予想はしていない、テオドルが動くに合わせて瞬間瞬間の判断で攻勢を持続させる。攻め手を誤れば返し技で窮地に陥る、いやさそのまま斬られることもあろう。それでも、そんなあぶなっかしい選択が必要であるとイェルケルは考えたのだ。

 テオドルの振り上げる剣の上に、小さく飛んで片足を乗せ、折りたたんだ肘をその顔面へ。剣を引きながら下がるテオドルに、イェルケルは剣より降りつつ真横から一撃。

 イェルケルの剣をテオドルの剣が受け止める。瞬間、ぬめりといった形でイェルケルの剣がひん曲がり、這い寄るようにテオドルの顔目掛けて伸びる。

 これを避けるテオドルは明らかに加速した。その挙動に驚きはあれど攻め手は休めないイェルケル。

 蛇のようにうねっていた剣がイェルケルの手の内より消える。

 次の瞬間には、テオドルの左腿を狙ってこの剣が振り下ろされている。まるで手品だ、変幻自在とは正にこのこと。

 尋常ではないほどに硬い肉を斬る、がその先は無理。イェルケルの技量をもってしても斬れぬ硬質な、骨が邪魔をした。

 と、強引にテオドルが攻撃を差し込んできた。

 イェルケルの真正面より巨大な拳が迫る。


『でかっ!』


 あまりの迫力に、ではない。本当に大きい。そのせいで距離感を見誤りそうになり大いに焦るイェルケル。

 そしてこの巨大な拳と腕に隠され、もう一本の腕がイェルケルに迫る。

 見えない。だが、その手には剣が握られているという確信がイェルケルにはあった。


『ここ!』


 全身を捻り込みながら、両手持ちに握った剣を下段から掬い上げるように振り上げる。テオドルの剣がイェルケルに迫るも、これが加速しきる前にイェルケルの剣がテオドルの剣を捉える。


『まずっ!』


 剣を砕くつもりであったイェルケルであったが、あまりに強く速くそうしすぎたせいで、テオドルの剣が綺麗に斬れ過ぎてしまった。

 イェルケルの左腕を、テオドルの根元から刀身が断たれた剣がかすめる。綺麗に斬れ過ぎたせいで切れ味は抜群だ。

 そして、深手二つ目。

 足の出血に加え、同等のけがを左腕にも負ってしまう。しかも、ズボンがはち切れんばかりに膨らんだテオドルの右足が、イェルケルの腹部へと伸びている。避ける余裕はない。

 まるで腹が破裂したかのようで。

 アイリの加減し損ねた拳をもらった時が、ちょうどこんな感じだった。腹から下の全ての感覚が失われており、下半身が千切れたかと恐怖に震える。

 が、イェルケルの下半身は持ち主の感覚が失われている中でも正常に機能してくれたようで、空中を吹っ飛ばされたイェルケルは感覚がないままに綺麗に大地に着地する。

 足の感覚を確認している暇はない。テオドルが来る、とイェルケルは上半身のみで迎撃するべく身体を捻ろうとして、止まった。


「なんだ?」


 テオドルの追撃はなかった。

 蹴飛ばした足を大地につき、気持ち俯き加減にテオドルはこちらを見ている。

 そこで改めてテオドルの全身を確認する。

 イェルケルより僅かに小さいぐらいだったテオドルは、今やイェルケルが見上げるほどの大男になっており、上半身を覆っていた衣服は破れ、ズボンもまた腿より下が千切れてしまっている。

 そのテオドルの表情を見て、予測は付いたがイェルケルは彼に尋ねる。


「どうした?」

「もう、動けねえんだよクソッタレ」

「強化し過ぎたってことか」

「そんなところだ。さっさとやれよ」


 イェルケルの攻勢に対応するため都度強化を重ねていったテオドルは、遂に自身の限界を超えてしまった。

 ゆっくりと歩を進めるイェルケル。

 テオドルは、パニーラがしつこく聞いてきた時のことを思い出していた。


『なあ、お前はどうして……』

『俺はよ、兵士に、戦士になりてえんだよ。戦士の望みなんざ決まってるだろ。金よりも、女よりも、栄誉よりも、今日の勝利が欲しいんだよ。俺は、今日、敵に勝ちてえんだ』


 ぴくりとも動けぬテオドルの眼前に立ち、イェルケルは笑う。


「楽しかったぜ」

「俺は楽しくねえっ、ムカつくだけだ、クソっ」


 イェルケルは声を上げて笑い、剣を振り上げる。


「じゃあな、テオドル」

「おう、お前は達者でやれや」


 それが、イジョラを震撼させた最凶の無法者、テオドル・シェルストレームの最期の言葉であった。


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