197.イェルケルのいたずら
イジョラ魔法王国軍は反乱軍三万に対し、同数の三万の兵を用意し撃退に出撃する。
通常の軍事行動ならばこの選択は責められてしかるべきものであるが、イジョラ軍には魔法があるのだ。しかも主力軍が出るとなれば一騎当千の魔法使いも多数揃っている。
同数ならば目をつむってても勝てる、と考えたのはあながち間違いでもなかろう。
だが、反乱軍将軍はこんなイジョラの動きを読んでいた。魔法使いとしての矜持から、間違っても反乱軍以上の数を用意することはあるまいと。
これはイジョラ軍の司令官やこれを差配したイジョラ四大貴族たちが愚かだという話ではなく、イジョラの魔法使いが魔法も使えぬ反乱軍如きにより以上の数を集めるなぞ恥ずべきものだ、という考えが根強くあるせいだ。
四大貴族は他イジョラ貴族から十分な権威を認められてはいるが、イジョラ貴族の常識的考えを覆すようなことを言えば当然非難は受けるのだ。
むしろ同数を出せたことに、反乱軍将軍は驚きと侮りがたさを覚えたものだ。
そして一度出撃してしまえば、勝利するまで後退はできない。これ以上の権威の失墜は彼らには認められない。
それがわかっている反乱軍将軍は、イジョラ軍が出撃するなり大量の援軍を呼び寄せた。その数、四万。
距離的な問題で、イジョラ軍が反乱軍先鋒部隊に対し各個撃破を仕掛けることもできず、イジョラ軍が開戦予定地付近にまで来た頃には、反乱軍は七万もの大軍になっていたのである。
この件の、最も信じられぬ点がどこなのかを殿下商会の二人、イェルケルとレアは正確に把握していた。
その理由が知りたくてイェルケルはシルヴィに訊ねた。
「補給、どうしてるんだ?」
すぐにレアも続く。
「あとあとっ、反乱軍ってどう考えても寄せ集めでしょ。それが、どうしてこんなまっとうな行軍、できてるの? ていうか七万の農民兵? そもそもまとまって行動させるのも難しくない?」
三万の軍を維持するだけでもとんでもない話だというのに、それが一気に倍以上に増えた。
しかもこの軍、各地から集まってきた義勇兵の集まりだ。通常の軍隊のように小隊指揮官も揃えられまい。その状態で下手に軍を動かしたりしたら、それこそ行軍するだけで軍が離散しかねない。
これに対し、シルヴィは我が事のように自慢げに語った。
「ふふーん、ウチにはね、すっごい頭の良い人いっぱいいるから大丈夫だよー」
全然説明になっていないので詳しい話をさせると、どうも反乱軍の将軍やその周囲にいる参謀のような役割をこなしている連中が、とんでもなく頭が良い連中らしい。
イェルケルも何度か話をしているが、確かに、彼らからは知識や経験や教養といった面では劣っているものの、アンセルミ国王やその側近たちから感じる頭の良さと同質のものを感じた。
反乱軍がなんとか回っているのは、そうした極端に頭の回転の速いのが一番上に立って指揮しているのが大きい、とシルヴィは言う。
軍にしても、運輸にしても、商売にしても、統治にしても、そういった特異な人間がその筋の専門家を引っ張り込んでなんとかこなしているのだ。
そんなのでどうにかなるものなのか、とイェルケルとレアは首をかしげるが、この辺はイジョラならではの事情というものがある。
元々、イジョラの統治者たちはその差配そのものを平民にぶん投げることが多かったのだ。魔法があるのだから、たとえそうしても平民に逆らわれることなどない。
貴族を騙そうとしても、その気配があったなら魔法で嘘をつけないようにされ尋問されればあっという間にバレてしまうので、それはとても危険度の高い行為となる。
そういったことから、いざ平民が反乱を起こした時、統治に必要な知識や経験、技能を平民側が持っているのだから、問題なくこれが行えるのだ。これは軍隊にも同じことが言える。小隊、中隊指揮官がこなすべき仕事を貴族の代わりにやっていた平民兵は多かったのである。
シルヴィは笑う。
「頭の回転の速さだけは、向こうと戦える域にある。経験とか知識とか足りないものも一杯あるけど、向こうは向こうで自由にならない味方がこっちよりもずっと多いんだから、戦えないわけじゃない、だって」
その後に続くシルヴィの、反乱軍の天才たちはこんなにすごいんだぞ話を感心しながら聞いているレアとは違い、イェルケルは少し考え深げに頬をなでる。
『これなら、私が無茶しないでも勝ちの目はある、かな。なら……』
レアとシルヴィに見えない方を向きながら、イェルケルは一人ほくそ笑むのであった。
イェルケルは反乱軍の諜報担当者と何度かの話し合いの場を持つ。もちろん、レアとシルヴィには内緒で。
この辺、内緒の会合といったものにとても慣れた相手であったので、イェルケル側が色々と抜けていても会話相手が上手いこと助けてくれた。
「居場所の特定は無理ですが、標的が陣中にいるのは確認されております。他に優秀と言われる魔法使いの情報に関しては……」
そう言って彼が告げてきたのは、イェルケルも以前に調べてあったイジョラの有名どころだ。さすがに決戦ともなれば勇名を馳せた者たちは皆出張ってきている。
諜報員が調べてある情報には、彼ら魔法使いの用いる魔法の詳細までがあった。
これさえあればツールサスの連中との戦いももっと楽だったのに、とぼやくようにこれらに目を通す。
これまでに遭遇した近衛のような化け物がいるわいるわ。魔法王国の名は伊達ではない、とよくわかる内容だ。だが、その中でも一人、パニーラ・ストークマンの記述だけはあまりにも他と隔絶しすぎていた。
「……おい、この、空から雨のように雷が降ってくるって……」
「はい。共に従軍した者曰く、雷が多すぎて、視界が全て真っ白になってしまうほどだと。他にも溶岩の魔法なんかは雪山で使って一軍丸々全てを飲み込んだことまであるとか……」
多分この雷の魔法、イェルケルが以前遭遇した時、彼女が使おうとした魔法だ。そう考えると背筋が寒くなる。
雪山で溶岩を流すのは、溶岩隣接部分の雪を蒸発させながら流れ込んでくるらしく、最終的に山の半ばが高熱を帯びた蒸気に包まれ、兵士は喉の奥まで焼かれて皆死んだそうな。
「なんでコイツだけこんなにヒドイんだ」
「イジョラ史に残るほどの大魔法使いですから。なんでも本来数十人がかりで儀式まで行なってようやく使える魔法を単身で易々と行使してくるそうで」
「それはつまり、儀式さえ行なえれば他の魔法使いもこういった真似ができると?」
「はい。なので儀式の気配があったら即座に逃げるか、もしくは攻め潰すでもしないといけません。とはいえ魔法の脅威度は距離に比例すると言われていますので、儀式開始から発動までの時間が長く、手間のかかる大規模儀式と戦とはあまり相性はよくないのが救いですね」
例外は自然を利用した魔法か、とイェルケルが呟くと諜報担当者は苦笑いである。反乱軍は進軍路選定に際して、かつて帝国軍が駆逐された『洪水』の魔法をとても警戒していた。
ただ幸いなことに、このパニーラが南部に向かったという情報も入っている。恐らくは南部の帝国軍への対応に向かったと思われる。
そしてこのパニーラ以上の脅威と言われている、イジョラ魔法王国国王セヴェリである。
何せ不死身である。首を斬っても胴をまっ二つにしても復活するらしい。それを見たのかと問うと、年に一度王都に招かれた魔法使いたちがこれを見せられるらしい。
また超一流の魔法使いとしても知られており、イジョラではこの王一人で軍と対峙しても勝利し得ると信じられている。
イェルケルは眉根を寄せる。
「これ、君たちはどうするつもりなんだ?」
「セヴェリ王の不死に関しては、幾つか有名な推論があります。曰く、王都周辺から出たらその不死性が失われるというものです」
公式記録の中で王が王都を出たという記録はないし、非公式でも諜報員が調べた限りにおいてそういった事例があったという話はない。
この推論の根拠は、以前帝国軍を撃退した時、洪水の魔法を用いるだけならば別の場所でも機会があったはずなのに、何故わざわざ王都に攻め込ませたのか、というものだ。
王自らが囮になって敵を引きつけ、洪水の魔法にて自身ごと敵を流し殺すという、一度聞いただけでは何を言っているのかまったくわからない作戦であったが、何をやっても死なない王が魔法をそこらにばらまきながら敵軍に突っ込んで暴れまわるといったことを延々し続けていたのである。
そうやって敵の足を止めた所に、儀式魔法にて洪水を起こし、戦闘中の王ごと濁流に飲み込ませるという、詳しく聞いてもやっぱり意味のわからない作戦であった。
殿下商会、というか第十五騎士団が存在する遥か以前に、敵軍に向かって単身突っ込んでいって勝つなんて話があったのだから、この世は侮れない。
とはいえ、そうできるのがわかっていたのなら、こんな国の半ばを帝国に蹂躙される前にそうしろ、という話で。そうしなかったのには、その後も王が一切王都の外に出ようとしなかったことからも、何かしらの理由があるのではないか、と考えるのは不自然でもなんでもない。
「で、そんな王に対して君らは?」
「王都への街道を全て封鎖し干上がらせます。それで王が飢えて死ぬかはわかりませんが、王以外の全てが死ねば攻略もそれほど難しくはなくなるでしょう」
「そこまでやらなきゃ勝てないか」
「そこまで行けるかどうかも不確定ですけどね。すぐ後に、最大の損耗を強いられるだろう戦が待ち構えていますので」
「……やっぱり、消耗覚悟か」
「将軍は、最悪七万全てを磨り潰してでも敵魔法使いの殲滅を狙うと思われます。戦力の回復速度はその後でもこちらが上でしょう。魔法使いはそう容易く補充のきく存在ではありませんので」
こういうことを平然と言えるのが天才の恐ろしい所だ、とイェルケルは思う。諜報担当者も苦い顔であるが、元より苦戦は想定の内であり、予想される莫大な損害にも怯えている様子はない。
調子が良くて忘れそうになっていたが、元々魔法使いの国で平民が反乱を起こすというのはそういったものであるのだ。
開戦直前までイジョラ軍をあっちこっちと引きずりまわした後で、反乱軍七万は三万のイジョラ軍と対峙する。
イェルケル達殿下商会とシルヴィは、強大な魔法使いが出てきた時のための予備兵士、である。連絡が不通になる可能性も考慮に入れ、本陣に共に控える形だ。
だが、先鋒部隊に前進命令が出る直前、そこにイェルケルの姿はなかった。
イェルケルは馬に乗り、前衛部隊の更に前に居たのだ。
前衛部隊の隊長が何を言うよりも早く、前進の命令が出る前に単身で進んでいってしまった。
とても自然に、気負いがあるでもなく、気合いを入れているでもなく、ふらりと散歩にでも出るような様子が、開戦前のぴりぴりとした軍の中にあってはあまりに異質すぎて、誰しもがその行為を咎めそこなってしまった。
兵たちがぼそぼそと、いいのかあれ? いやわかんねえよ、まずいんじゃね? でもすげぇ普通の顔してたぜ、なんて話し合っている。
イェルケルは悠然と馬を進める。位置は、ちょうど両軍の中間になるような場所で。
ここならばどちらにも声は届くな、と満足気に頷いた後、大きく息を吸い込み、叫んだ。
「テオドル! テオドル・シェルストレーム! 出てこいテオドル・シェルストレーム!」
その大音量は、イジョラ軍、反乱軍双方の前衛部隊に轟いて聞こえた。
「殿下商会のイェルケルだ! 首の傷の借り! 返しにきてやったぞ! 一騎打ちに応じる度胸があるのなら出てこいテオドル・シェルストレーム!」
反乱軍よりイジョラ軍の方が反応が大きかった。兵士も指揮官も、その声に驚きざわつく。
コウヴォラで悪事の限りを尽くした無法者、外道の代名詞とまで言われた男が、テオドル・シェルストレームである。その名を、当人に聞こえるやもしれぬ場所にて憎々し気に呼ぶなぞ正気の沙汰ではない、と誰しもが思ったのだ。
しかも単身でコウヴォラに数多ある暴力勢力の全てと渡り合ってきたような怪物を相手に、一騎打ちを申し込むなど、よほどの命知らずであろう。
居るのはわかっているのだから、さっさと奴を呼んでこい、なんて怒鳴られた彼らは、一応、とばかりにこれを本陣にまで伝えに走らせた。
言いたいことを言い終えたイェルケルはじっとその場で待つ。
イェルケルの馬鹿騒ぎに、レアかシルヴィが気付いて止めにくるまでに奴がくればイェルケルの勝ちだ。
反乱軍側からも、イジョラ軍側からも、イェルケルをじっと見つめる視線を感じる。視線なんてものを感じ取ることができるなんて知ったのは、戦場に出てしばらくしてからだ。
そして今では、その軍が動くつもりなのかもなんとなくわかる。軍が動く前の気配のようなものを、感じ取れるようになっていた。
微かに声が聞こえた。遠くだ。そこで、でんかいた! なんて声がした。とっ捕まえてしばき倒す、そんな意図が感じ取れる声だ。
残念、時間切れか、と思ったところで、もう一つ声と気配が。これはイジョラ軍側から。
「おおおっ! 本当にいるじゃねえか! おい! お前! お前が殿下商会って本当か! てかあん時の熊なのか!?」
イェルケルは本当に嬉しそうに笑った。そして、後方よりこちらに向かってくる二人にもよく聞こえるように言ってやる。
「ああそうだとも! 待っていたぞテオドル・シェルストレーム! 今度こそ名乗ってやる! 私は殿下商会のイェルケルだ! さあ! あの時の続きをやろう!」
テオドルもまた馬に乗っており、喜び勇んでこれを走らせる。
「そうか! そうかそうかそうかそうか! さいっこうだなお前っ! 俺もだ! 俺もこの首の借り! 返してやりたくて仕方がなかったんだよ!」
ある程度の距離まで駆け寄ると、馬から飛び降りるテオドル。
テオドルがそうするとイェルケルもまた馬からひらりと飛び降りた。
「そうだろうそうだろう! お前とはこういう所では絶対気が合うと思っていたんだ!」
イェルケルの後背からは、やりやがったなあんにゃろー、的視線をひしひしと感じるも、こうなってしまっては止めるも何もあるまい。
アイリもスティナも居ない。レアだけならば隙を見て抜け駆けも可能だとイェルケルは踏んでいたのだ。
テオドルが敵陣にいることも諜報員に聞いて確認してあった。後は、呼びかけに応じてくれるかだけだ。戦が始まってしまっては、もう出会えるかどうかは完全に運任せになってしまうし、確実に勝負ができるのは今この時だけなのだ。
そしてきっちりコイツに勝つことができれば、イェルケルの抜け駆けは反乱軍にとってとても良い効果をもたらすだろう。
「はははっ! いいな! 気が合う奴との会話ってな話が早くていい! しかもソイツが全力で叩っ斬っていい敵だってんだから言うことねえや!」
テオドルは駆け寄りながら剣を抜く。それはイェルケルもだ。
待ちきれない。今すぐ、コイツを、ぶった斬ってやりたい。二人は獣のように獰猛に、或いは子供のようにはしゃいだ顔で、笑っていた。
「「いくぞ!」」
反乱軍本陣にて、反乱軍将軍は報告を受けてすっとんでいった二人を見送りつつ、小さくだが嘆息する。
「あの人たちには大一番前の緊張とかはないのか?」
この一戦に反乱の成否がかかっていると言っても過言ではない。しかも敵味方合わせて十万の大戦である。
だというのに、平然と自分の思うがままに動き回るというのだから、怒るより先にそのクソ度胸に呆れてしまう。
しかもこの大戦の対陣最中に堂々と単騎進み出て一騎打ちを仕掛けるとか、たとえ考え付いたとしても普通はおっかなくてやれないだろうに。
「テオドル・シェルストレームに勝てるというのか? 一対一で? いや確かに殿下商会の悪名はあの男に匹敵するとは思うが……誰か、どちらが勝つか、予想できる奴はいるか?」
もちろん返事はない。将軍も期待はしていない。
「殿下商会が勝ったならその勢いで攻撃を始めろ。もし負けたとしても、勇気を称えて攻め掛かれ。せめても接戦してくれればこちらに優位に働くだろう」
そのぐらいは期待したいところだ、と苦々しく漏らす。
負けるぐらいなら一騎打ちなど無視して攻めかかればいいのだが、それをやると今度は殿下商会がへそを曲げかねない。
将軍は、シルヴィは精鋭魔法使い以上の重大な戦力である、と認識していた。
それこそ近衛を単身で撃破できるほどの戦闘力があると見ている。魔法も無しにそんな真似をしてのける化け物が、シルヴィ以外にも後二人もいるのだ。
そんな英傑を、テオドル・シェルストレームにぶつけられるのならそれほど悪い話でもない、と考え直す。
恐らく、殿下が敗れたならレアという少女が次に挑んでくれよう。一騎打ちに応じてくれるというのなら、テオドルのような精鋭魔法使いを討ち取る好機となろう。
そんな機会が緒戦から巡ってきてくれたのなら、良い流れだと考えてもいい。更にこれに勝てれば、対魔法使い戦に最も必要な戦意の高揚にも繋がろう。
「一騎打ちが始まったとしても、敵が止まってくれる保証はない。警戒を怠るなよ」
将軍は、イェルケル、レアの二人までならばテオドル相手に磨り潰しても目を瞑るつもりである。
その意図を伝えた配下にシルヴィとレアの後を追わせる。
彼の頭にあるのは、戦に勝つ方法ではない。
いかに効率的に敵魔法使いを、こちらの兵士を殺しながら潰していくか、であった。
彼は情けを知らぬわけでも、取り立てて冷酷な人間でもない。
その必要があると考え付き、決断したことに殉じられる者であるというだけであった。