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無双系女騎士、なのでくっころは無い  作者: 赤木一広(和)
第十一章 カヤーニ牢獄
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187.カヤーニ襲撃の幕引き


 イェルケルはイジョラに来てから、王族というしがらみより解放され、自分が生きたかった生き方をするようになっていた。

 法は必要だ、秩序も大切だ、そして多くの民を率い守ることこそが王族たる者の役目であり使命だとイェルケルは考えていた。だが、それだけでは救いきれぬものがある。

 どれほど緻密に法を整えようと、どれほど頑強な秩序を作り上げようと、人の悪意はそれらを飛び越え、人を傷つけずにはおれぬものだ。

 だが、力があれば。悪意を持つもの以上の力さえあれば、悪意にも、殺意にすら抗し得る。許せないものを許さないでもいい、納得できぬものを納得しなくてもいいのだ。イェルケルが暴力を肯定するのはこのためだ。理不尽な暴力に対抗する手段で、イェルケルはこれ以上に有効な手を知らなかった。

 この話をアンセルミ王にした時、彼は即座に問い返してきた。


「では、お前がその理不尽な暴力を振るう側になっていないかどうか、それを誰がどういった基準で判別するのだ?」

「基準を定めるからズルをする奴が出るんじゃないですか。その時その時で、見て、聞いて、考えて、結論を出すのがいいんじゃないかなって」


 アンセルミはイェルケルの表情を見て、この男が高邁な理想だの後ろめたさの言い訳だのといったものを語っているのではなく、ただ自分の望む生き方を語っているのだと理解する。

 統治者としてではなく、あくまで個人として許せぬ暴力に抗っていくのが望みなのだ。相手が反乱軍だろうと、侯爵様だろうと、隣国の軍隊だろうと、血の繋がった一族であろうと、個人の規模で、己の判断のみでこれを決していきたいのだ。

 無茶苦茶な話だ、とアンセルミは思ったが、ふと、そこで一つ気になっていたことの理由に思い至った。

 第十五騎士団は、実はその殺害基準が時と場合によって曖昧な部分がある。その理由は正にこれなのではないかと。個人の判断で殺す殺さないを定める、四人の集団なのだ。ならば当然四人の間でも差異は生じよう。そこで四人の間に齟齬が生じないのは、お互いに対する信頼感があるからか。

 冷静になって考えれば考えるほどヒドイ連中である。たとえ国の王であろうと暗殺しうるほどの技量を持つ者たちがこうやって動きまわるのだから、その危険度はかつてアンセルミが対応に苦慮した色ボケ先王や老害元帥より勝っていよう。

 だが、イェルケルたち第十五騎士団を知る者は、アンセルミを含む皆がどこか好意的に彼らを見ているように思える。

 誰にもどうにも対処できない暴力を手にしたイェルケルたちがここまで積み上げてきたものを、周囲はどう見ているのか。

 武も政治も知らぬ民たちからは尚武の国カレリアが誇る勇士として語られ、兵士たちからは武の極みにある尊敬すべき武人として語られ、軍の指揮官たちからは古今稀に見る武勲を挙げながら栄達を望まぬ謙虚さと始末に負えぬ暴威の持ち主として語られ、文官たちからは大いに役には立つが計算も予測も立たぬ問題児として語られている。

 総じて、即座に誅すべしという話はない。あれだけ殺して殺して殺して回った傍若無人な輩への評価としては破格のものであろう。彼らは、カレリアという国から嫌われてはいないのだ。

 そんなカレリア人たちの反応を、アンセルミなりに一言にまとめてイェルケルに言ってやった。


「みんな、かっこいい奴が好きなんだろうよ」


 万夫不当、一騎当千、百戦錬磨の四人の戦士が、たった四人のみで数多の暴力集団を蹴散らしていくのだ。こんな痛快な話はそうそうなかろう。

 怖い、だけでは陰口までは防げないものなのだ。もちろん陰口を叩く連中もいるが、カレリアにて第十五騎士団と言えばやはり皆、憧れの目を向けるのである。

 アンセルミの言葉に、イェルケルは不思議そうに問い返す。


「陛下はそれでいいんですか?」

「いいわけないだろうがっ! そーいうのは王たる私が一番認めちゃならんやつだ!」

「あはは、やっぱりそうですよね」

「笑いごとか、まったく……『陛下』としてはそうなるが、兄としてならば、私もまた多少なりと好意的に見ることもできるさ。……いや、兄として見るのなら、そんな心配掛けるようなことするなと言いたいな」


 イェルケルはとても嬉しそうに笑う。


「ああ、そういうの、すっごく久しぶりです。うん、血の繋がった相手にそうやって本気で気遣ってもらえるのって、なんというか格別なものがありますね」


 それがわかってるんならこっちのことも気遣え、とアンセルミに怒られたイェルケルだが、それでもイェルケルは嬉しそうに笑ったままであった。

 アンセルミは考える。カレリア史上にも類を見ないほどの高みにまで己を鍛え上げたイェルケルだ。つまり前例が無いのだから、ここまで強大な武力を個人所有した者がどう生きるべきかなんてものに、適切な答えなんて出せはしないだろう。

 法ではなく人間が、良心に従ってこの大いなる武力を振るうのだ。おっかないなんてものではないが、だからと国の完全な管理下に置けるかと言われればそれも難しいだろう。国、イェルケル、双方にとって好ましくない結末になりそうである。


『その辺がわかっていて、国を出るなんて言ってるんだろうな、コイツは。しかも、わざわざ嫌な奴が多そうな国を選んで行くというんだから、武力をこれでもかと振り回す気満々なわけだ』


 イェルケルたちとて、戦場にあってはいつ死んでもおかしくはない。だからこそ戦場に出ているのだとしたら、それはとてもやるせないことだと思うのだ。

 ただそういったアンセルミの感傷も、武人であるイェルケルからすればズレたものであるのかもしれない。骨の髄まで統治者であるアンセルミには、最前線にて槍を振るう者の心持ちを完全に理解することはできないだろう。


「イジョラでの仕事が一段落したら、絶対に国に戻ってこいよ。お前の話、今から楽しみでしょうがないんだからな」


 だからせめても、そうできる間ぐらいはきちんと兄弟していようと思うのだ。






 囚人たち全てを守りきることはできない。

 カヤーニの城壁とその上に陣取る魔法使いたちを見て、殿下商会の四人はすぐにそれを理解した。

 アイリの誘導により、囚人たちが城門に至るまでに被るだろう損害を減らすことはできた。走っている目標に対して射撃魔法の命中度は落ちる。

 もちろん減らす、であって無くす、にはならない。

 それでも、とアイリが全力で駄々をこね城壁上に突っ込んだことで、更に損害を減らすことはできただろうが、やはり全てを守りきることはできないのだ。

 スティナとレアが先行し、予め城門を突破しつつ城門前の敵を排除しておく。これもまた囚人たちの損害を減らす、少しでも長く生き延びらせるための工夫であるが、この二人はそもそも全員死ぬだろうという予測の下動いている。たとえ城門を突破できようと街を落とすまで持ち堪えるのは無理であろうと。

 そしてイェルケルだ。

 突進する囚人集団の一番前にいるのは、魔法攻撃はここを狙ってくるものが多いからだ。

 ハチサンニを中心に先頭集団になっている十数人は全てイェルケルが守り切っている。

 だが、いかにイェルケルとはいえ、外敵からは守れても囚人の限界ばかりはどうしようもない。

 共に走る内の一人が、つんのめって倒れた。走るイェルケルの背後で起こったことだが、目こそ向けてはいないものの注意はそちらにも向けられていたので、その音でそれと気づけた。


「おいっ!」


 走りながら振り向くイェルケル。足を止めれば狙い撃ちされるのだから走り続けなければならない。

 うつ伏せに倒れた男は、首を起こしすがるような目でイェルケルを見ている。

 彼に何か言ってやろうとしたイェルケルの側でまた人の倒れる音が。

 最初の男も次の男も、偶々転んだのではない。もう走ることができなくなったため転倒したのだ。

 ばたばたと脱落していく囚人たちに、イェルケルは思わず叫んだ。


「私はっ! イェルケルだ! 私の名はイェルケルだ! この名を覚えておけ! お前たちが倒れようと必ずやその恨みを晴らす! 無念を忘れぬ者の名だ! 限界ならば倒れてもいい! 死者の国に招かれれば断ることはできまい! だが! この世での恨みつらみは私が晴らしておいてやる! だからお前たちは何一つ後を心配する必要はないぞ!」


 イェルケルの大声は先頭集団だけではなく、より後方の集団にも聞こえていた。

 既にそちらでも脱落者が出ているが、彼らは倒れた後、声も出ぬ喉を振り絞り、彼らの復讐を受け継ぐ者の名を告げる。

 城門前に至るまでに、囚人たちの実に三分の一が失われた。

 実際に魔法の直撃をもらった者は二十人にも満たない。残りは身体に限界が来て息絶えたのだ。

 零れた雫のように点々と、城門への道に倒れ伏す彼らは、大地に倒れてからその命が尽きるまで、ぼそぼそと、祈るように、イェルケルの名を呟く。何度も何度も何度でも、そうできる限り呼び続け、そして死者の国へと旅立っていった。

 城門周辺の敵は既にスティナとレアによって排除が完了している。ここへと囚人たちが飛び込んでいく。

 そして、ここが終着と定め走っていた者の大多数は、城門を潜った所で足を止め膝から崩れ落ちた。

 ハチサンニはまだまだと走り続けていたが、その先導についてこれる者はもう五十人もいない。門を潜りきって街中に入った頃には、三十人をすら切っていた。

 ここで先導にスティナとレアも加わる。イェルケルとハチサンニの二人が先頭であったのだが、この二人が加わったことで少し余裕ができた。

 そしてその余裕が、きっと良くなかったのだろう。

 遂に、ハチサンニの足が、進むのを止めてしまった。





 いきなり人の独房に入ってきた男がいた。

 ハチサンニは破裂の報告が遅かったという相変わらず意味の分からない理由で独房に入れられていた。恐らく実験途中で検体が死んでしまい研究が止まってしまったことに対する八つ当たりだろう。

 その独房に、こんな牢獄にはあまりに不似合いな色男が入ってきた。身なりの良さといい、育ちの良さそうな顔立ちといい、見るからに貴族である。

 ただ、その目が少し気になった。

 ハチサンニは看守も貴族も囚人も見てきたが、そのどれとも違う目をしていた。

 思わず見入ってしまいそうになり、すぐに我に返って観察を行なう。相手は貴族だ、見誤れば命に係わる。

 だが、ハチサンニの目から見てもその男は、何を考えているのか全く読めなかった。

 男はハチサンニの側に座る。独房の床に、だ。貴族が、小汚くじめっとした牢屋の床に、厭う様子もなく平然と座ってみせたのだ。

 幾らハチサンニが座っているからといって、そうできる貴族なんて見たこともない。平民の看守ですら嫌がるだろうに。

 そして口を開く。


「……少し、寒いか?」


 あろうことか、こちらを気遣うような表情までしてみせている。いったい何事なのか、混乱する頭はさておきハチサンニは即座に返す。


「こんなもんだろ」


 とりあえず、今ハチサンニにわかっているのは、この男がハチサンニに歩み寄ろうとしていることだけだ。その証拠に男は懐からパンを差し出してきた。

 お貴族様がわざわざ囚人にこうまでするような用事があるのだ。それはいったいどんな無理難題であろうか。

 十中八九死ぬ。きっとそんな話だろうと少々やさぐれながら、パンを食べ終えたハチサンニはぶっきらぼうに用件を問うた。




 ハチサンニは聞かれたことには正直に答えてやった。

 その時の相手の反応を見て、ハチサンニは『殿下』と名乗るふざけた男の性質を理解した。

 まず、人が良い。隠し事が苦手で、非道な行為を嫌う。ついでに言うならばとても聞き上手だ。

 好奇心も旺盛なようなので、ハチサンニはカヤーニの囚人ならではの話をたくさん聞かせてやった。反応が一々正直で、話をしていて実に楽しい相手だ。

 更に、イジョラの貴族らしからぬ所が多々ある。

 ハチサンニが殿下という男の正体を掴みかねていると、名残惜しいが、とお世辞まで言いながらその男は話を切り上げ独房を出ていった。

 少しして、ハチサンニのもとにこの男が再び顔を出してきた。言われるがままに独房を出た後、囚人のための区画をすら出てしまう。そこでハチサンニはあってはならぬ物を見た。

 死体だ。看守たちの死体が転がっているのだ。

 更に驚くべきことに、魔法使いの死体さえそこにはあった。それこそこれほどの数を殺したのなら、カヤーニ牢獄は制圧できてしまっているのでは、と思えるほどに。

 驚き死体の理由を問うハチサンニに、殿下という男は笑って言った。


「ああ、私はこのカヤーニ牢獄を襲撃に来たんだ。状況は理解したか? なら、後で囚人たちをまとめておいてくれ。この後どういうことになるにせよ、私たちが君たちに危害を加えるつもりはないから安心してくれ」


 ヒドイ冗談だったが、もっとヒドイことにこれは一言一句全てが冗談ではなかった。




 ハチサンニは人を見るのは得意だ。

 だからこそ見えてしまう。この殿下とかいう男、本当に変だ。

 気の良い男なのは確かだが、それだけでは断じてない。不遇な人間を見て不憫だと思う感性を持ちながら、平気な顔でばっさばっさと人を斬っていけるところはハチサンニには全く理解の及ばぬものだ。

 というか、隠れていた魔法使いを当たり前の顔でぶった斬ったのを見た時は、滅多にないことではあるがハチサンニは本気でビビっていた。


『と、とんでもなく速ぇ。なんだコイツ、なんだって魔法使いが魔法使いを殺すんだよ』


 その後、退避しそこねた魔法使いが数人、殿下に奇襲を仕掛けてきたのを易々と返り討ちにするのを見て、ハチサンニはようやく殿下という男が取っている態度の理由を思い知った。


『……なる、ほど。こんだけ強きゃ、お人良しだろうと甘ちゃんだろうと、コイツをどうこうできる奴なんざいやしねえってことか』


 ハチサンニは具体的に殿下がどれぐらい強いのか問うてみたところ、数千の軍に突っ込んでもどうにか生きて戻ってこられる程度、と返ってきたことで、幾つかの思考すべき事柄を放棄することに決めた。

 殿下が他の逃げ出した看守や魔法使いを探しに行く間に、ハチサンニは牢獄に残された囚人たちに状況の説明をしに向かう。

 みんなすぐには信じてくんねえだろうなー、とか思いながら。




 城門を潜った。

 もう結構前から、殿下、ではなくイェルケルの顔を見ていない。

 声は聞こえているが、ハチサンニの視界には入ってこないのだ。何せハチサンニの目にはもう、真正面がほんの少ししか見えていないのだから。

 足元すら見えぬまま、著しく狭くなった視界のままで、いつ息の根が止まってもおかしくないような苦しさの中、走り続けていたのだ。

 後ろから皆がついてくる。それを煽った責任というものがあるのだから、ハチサンニは誰よりも遠くまで走らなければならない。

 その狭まり切った視界の先に、女の尻が見えた。

 ハチサンニの意識は一気に弛緩する。


『おまっ、尻ってなんだよ。末期に見る幻覚が女の尻って俺どんだけ飢えてんだ。しかもすっげぇいい尻、あんないい尻見たことねえ』


 ものすごい面白いものを見て大笑いしたつもりのハチサンニだったが、実際には僅かに口の端が上がる程度だ。そして同時に、ハチサンニの足は止まっていた。

 耳元からやかましいがなる声が聞こえる。

 顔も動かせないからそれが誰かを確認することはできないが、そこにいるのは絶対にイェルケルだろうとハチサンニは確信していた。


「おい……しっかり、……まだ……」


 その声の情けないこと。

 魔法使いだって簡単に殺してみせる豪の者とはとても思えない声だ。

 イェルケルと会ってからたった一日二日だ。本名を知ったのさえほんの少し前の話で。ハチサンニの本名に至っては伝えてすらいない。

 なのに、年来の友人であるかのように心配し、動揺してくれている。こんなお人良しじゃ、人生生きていくのは随分と大変だろうに、と苦笑するハチサンニ。

 そんなイェルケルの声がハチサンニの耳に届く。


「後は任せろ! 私がやってやる! お前を貶めた連中を、あの、クッソ野郎共どいつもこいつも! 私がぶっ殺してやるからな!」


 小汚い言葉が全く似合ってないぞ、と心の内で笑った後、ハチサンニは声にならぬ遺言を残した。


『お前の気持ちはありがたくもらっとくよ。だから、あんま無理すんなよ、イェルケル』


 自分が生きた証を、どんなものでもいいから残したいと願って始めた死の行進であるが、その最期の時、ハチサンニは恨みも心残りも全部がどうでも良くなっていて、ただただこの気の良い兄ちゃんの、張り切り過ぎてる声を心配しながら逝ったのである。





 カヤーニの街襲撃事件の結果、この街より魔法使いは一掃されてしまった。

 迎撃に出た魔法使いたちはそのほとんどが戦死し、避難が遅れた魔法使いもこの後を追った。カヤーニにはかなりの数の魔法使いが在住していたが、窮地を理解せず呑気に構えていた者のみが死んだという話だ。

 襲撃者の数の少なさのおかげで、戦闘に出向いた者以外の魔法使いはほとんどが脱出に成功している。ただ、高位の魔法使いは軒並み殺し尽くされている辺り、殿下商会と呼ばれる連中の非常識なあり方が知れよう。

 魔法使いが全て失われたカヤーニの街であるが、それで無法地帯とならなかったのは、残った平民たちによる自治がすぐさま始まったせいだ。

 この戦いで兵士も相当数失われていたのだが、殿下商会は平民による自治を阻害するつもりはないようで、そちらへの妨害行為は無く刃を向けさえしなければ生き残った兵士たちの活動も許されており、その少数でどうにか治安を維持していた。

 カヤーニの街で最も権威ある人物、裁判所所長は、生きたままレアによって捕らえられ、生き残った囚人の前に引きずり出されていた。

 彼は裁判所所長らしい、理路整然とした言葉で抗議した。


「私はイジョラの法に従って判決を下したに過ぎない。そこに私心はなく、君たちがもしこれに納得がいかぬというのなら、定められた法にこそ異議を申し立てるべきではないのか?」


 彼の前に立つ、生き残りの囚人は答えた。


「俺は、あそこの実験のせいでもう死ぬらしい。だから、あそこに入れと言ったてめえも死ね」


 理屈にまるで合わぬ囚人の言葉により、所長は剣を何度も突き立てられ死亡した。

 結局、死の行進に参加して生き残った囚人は、たったの五人だけであった。

 この五人と、カヤーニ牢獄に残った十五人の合計二十人は、反乱軍が身元を引き受けることになった。

 そのほとんどが一年以内に死亡したが、三名のみ、それ以後も生き延びることができた。

 この内の一人はカレリアに研究のためと引き取られていった者で、彼こそがこの二十人の中で最も長生きした者となった。

 驚くべきことに、イジョラ平民の平均寿命を大きく上回る五十歳まで生きた彼は、その生涯の間にカヤーニ牢獄での出来事と、カヤーニの街へと向かった死の行進について本にまとめ上げた。

 普通の平民でしかなかった彼が本を書くなんて真似ができるようになるぐらい、カレリアで優遇を受けていたという話である。


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