185.咎人の行進
囚人たちによる魔法使いたちの処刑が終わるまで、半日ほどかかってしまった。そしてその後は、看守用の食事と酒で宴会である。
牢獄に収容されてから、酒なんて誰一人飲んだことがないのだ。つい先ほどの魔法使いの処刑を肴に、それはそれはもう皆大盛り上がりである。
ちょうど宴会が始まった頃に、カヤーニ研究所へ行っていたアイリとレアもこちらに合流した。
二人もまたスティナの怪我だらけの様を見て相当に驚いていたが、アイリなどはかなり悔しがってもいた。まだ見ぬ強敵との戦いを誰よりも望むなど、魂の雄々しさでは殿下商会随一のアイリである。
イェルケルたちも、色々と先の無い囚人たちの宴会を邪魔するほど無粋でもなく、彼らが大騒ぎしている間に、レアは牢獄の、アイリは研究所の残された書類を調べ、イェルケルは囚人たちへの聞き取りと彼らへの対応を受け持ち、残るスティナはふらりと外へ。
一番適当な動きをしているように見えるスティナであるが、こういう時のスティナは大抵どう動くかのアテがあるもので。
今回もまた半日ほど経って戻ったスティナは、反乱軍の斥候を一人引き連れて戻ってきた。
イェルケルたちが牢獄を襲撃するという話を聞いたのだから、当然反乱軍は人を配してその推移を確認するだろうと考えていたスティナは、牢獄周辺でここらを監視できる場所を探してきたのである。
スティナ曰く、居るのがわかっていながら一発で居場所を見つけられなかったのだから、なかなかどうして反乱軍も大したものだ、だそうだが、見つけられた方からすれば、魔法使いを相手に命懸けで鍛えた隠密術を容易く見破られてしまっているのだ。彼はもう苦笑する他ないといった顔をしていた。
反乱軍の斥候は数人で来ていて、囚人たちの今後の扱いに関しては反乱軍に任せたいという旨は既にスティナより伝えてあり、ここに来た一人以外はカヤーニの街にこの報せを持ち帰っている。
反乱軍の男は、自分の目でカヤーニ牢獄の惨状を確かめた後、首を何度も横に振りながら言った。
「ははっ、これが、殿下商会、ですか。我らが天馬の騎士すら恐れる、人の世の理より外れた……う、美しき戦士たち、ですね」
最後のところで、もしかしたら聞かれているかもと思いへたれた台詞を付け加える。もちろん、聞かれているのだが。
イェルケルは男が戻ってくるのが見えたので声を掛けに来たのだが、相当に怯えさせてしまっていると思い、極力優しく接してあげるよう心掛ける。
イェルケルは腹の内で、もう反乱軍と共にあると決めているのだから。
できるだけ懇切丁寧に山頂研究室やカヤーニ牢獄、研究所で起こった出来事を説明し、現在の囚人たちの置かれた状況を伝える。
内容は非常識極まりないものばかりであったのに、男は少なくとも表面的には驚きや猜疑心をイェルケルに見せることはなかった。もうそれだけでイェルケルの彼への評価は結構なものになっている。
男は真面目くさった顔で言う。
「殿下殿、もしよろしければ、ですが、今後の活動予定をお伺いしても?」
殿下どの、という呼び方はイェルケルも初めてである。今更ながらに、アホな名前にしたもんだよなぁ、などと考えながらイェルケルは答える。
「反乱軍との合流、は、嫌だったりするか?」
「それ……は、こちらとしましてはありがたいお話ですが……よろしいので?」
「……正直に言うと、私が想定していたよりもずっと、この国はひどすぎた。どれを殺しどれを生かすか、その判断を他人に委ねたくはないから私たちは単独でやってきたが……こうまでどこもかしこもに殺すしかないようなのが転がっていては、わざわざこうして別に動く意味がないと思えてしまってね。それに、君たちの方もそろそろ戦力集中しなきゃならなくなるんじゃないか?」
「はい、ヘイケラ公爵を中心とした大規模討伐軍が編成されております。……我が軍の指揮系統に入ってくださると?」
「はっはっは、それは無理だ。というか君たちじゃ私たちは使いこなせないよ。シルヴィ、見たんだろ? 彼女を上手く使える将軍は反乱軍にいるのかい?」
困った顔で頬をかく男。通常、軍に合流するとなれば指揮系統の一本化は必須であるのだろうが、この殿下商会は、通常のくくりに入れていいものか男にも判断がつかないのだ。
「ま、その辺の話し合いは今ここで君としても仕方がないだろう。そちらに赴いた時、直接反乱軍の指揮官殿と話すことにするよ」
不用意なことも言えないので、男は黙したまま頷く。
そういった言葉一つの重みを、王族としての教育を受けているイェルケルも理解してはいるが、立場の強さが違いすぎるためイェルケル側はその辺さして気にはしていない。
いつの世も、大いなる武力を有する者は極めて優位な立ち位置を得ることができるものだ。
そんな調子で情報交換を行い、今後の動きを詰めていく。囚人たちは、短い余生を少しでも幸福に過ごせるよう反乱軍がその占領地において面倒を見る、という反乱軍側に一切利点の無い話でまとまっている。これもまた、反乱軍による殿下商会への懐柔策の一環である。この男が独断で進めている話だが、反乱軍本部から出ている指令は万難を排し殿下商会との和解を成立させよとのことであるし、囚人数百人を一年面倒見るぐらいならば許容できると判断していた。
話し合いがある程度進み、内容が雑談めいた話になってきた時、二人のもとに少し困った顔のスティナが顔を出してきた。
「ん? どうした?」
「それが、ハチサンニが殿下に話があると……」
「何か問題か?」
「その、どうもハチサンニはカヤーニの街に乗り込みたい、らしくて」
「は?」
牢獄内の会議室。
そこに集まるは囚人たちの中から五人と、彼らの代表であるハチサンニ。そしてイェルケル率いる殿下商会の四人に反乱軍の男、である。
まずはイェルケルから囚人たちに報告を。
反乱軍と連絡がついたこと、囚人たちの身柄は彼らに任せられそうだということを伝えると、ハチサンニたちの表情が明るくなる。これを確認したうえで、イェルケルは言った。
「そういう訳だから、自暴自棄になることはない。さっきやった宴会を毎日やるのはさすがに無理だろうが、囚人生活とは比べ物にならない穏やかな暮らしを送ることができるぞ」
ハチサンニは少し考えてから、ゆっくりと口を開く。
「確かに自暴自棄という部分がないわけでもない。でもな、俺は考えたんだよ。いや、ずっと考えていたっていうべきか。なあ、殿下よお。この俺は、いったいなんのために生きてきたんだと思う?」
思いも寄らぬ話にイェルケルは咄嗟に言葉を返せない。
「ガキの頃からケンカしてきて、街の馬鹿共集めて粋がって、挙げ句気に食わない奴ら半殺しにして牢にぶちこまれ、やっと出れると思ったら残り寿命は一年もないと来た。なあ、こんな間抜けな俺の人生に、意味なんてもんがあると思うか? ありゃしねえよ、俺は無駄に生まれて無為に生きて、意味もなくくたばっちまうんだ。そいつはきっと、最期に少しばかりまっとうな生活ができたからって変わりゃしねえのさ」
そんなことはない、なんて言葉を欲しているわけでもないのだろう。イェルケルはじっとハチサンニを見つめる。
「ムカツくだろ、腹立つだろ、頭に来るだろ、許せねえだろそんなの。だったらさ、一言でいい、言ってやんなきゃよお。人間、言葉にしなきゃなーんにも伝わりゃしねえんだ。だから俺は言ってやろうと思ったのさ。俺をこんな所にぶちこんで寿命まで削り取ってくれやがった奴らによ、ふざけんなクッソ野郎、ってな」
だってよ、考えてもみろ、と繋げるハチサンニからは悲壮感なぞ感じられない。牢で話をしていた時のように、面白おかしい話をするように言葉に抑揚をつけ、聞く者の意識を引き寄せるような話し方をする。
「連中、俺たちがムカツいてることすら知らねえんだぜ。それどころかきっと、ムカツいたところでどうせ何もできやしねえ、文句を言うこともできねえと思ってる。お前、ぶっ殺されてえのかと。ああ、いや、さすがにぶっ殺すのは無理か。それでも、だ。なめられっぱなしで死ななきゃなんねえのは、どうにも我慢ならねえ」
ハチサンニもまたまっすぐにイェルケルを見つめる。
「魔法使い相手にさ、喧嘩始めた連中いるんだろ。すげぇじゃねえか。勝ってるか負けてるかは知らねえけどさ、魔法も使えない俺たちみたいなのが魔法使いに挑んだってだけですげぇと思うぜ。すげぇかっこいいよ」
イェルケルは反乱軍の男に目配せする。彼はその意を察してくれたのか、カヤーニの街の警備状況をハチサンニに説明する。
万単位の人口が住む街だ、治安維持目的だけでも結構な数の衛兵がいる。そのうえ多数の魔法使いも住んでおり、何より、この街には街全体を覆う大きな城壁がある。
カヤーニ牢獄、研究所、山頂研究室襲撃の報は既にカヤーニの街に届いていることだろう。魔法という超常の手段を持つイジョラの公共機関を相手に、敵を逃がさなければそれだけで情報を封じられる、なんてことはないのだ。
なので警戒中であろうカヤーニの街に怪しげな者が踏み込もうとすれば、文句を言うどころか、近寄ることすらできないであろうと。
イェルケルは、申し訳なさそうにしながらも、さすがにそれは認められないとキツイ口調を心掛けながら言った。
「死ぬぞ、絶対に」
なのに、ハチサンニは小さく噴き出した後苦笑した。
「それはもう聞いたよ」
ハチサンニはこれを単身で行なうつもりだったようだが、話を聞いた囚人のほとんどが同行を申し出た。
とても嫌そうな顔で、皆は残れと説得していたハチサンニであったが、魔法使いに文句を言いに行こうぜ、と盛り上がってしまった連中には全く通じてくれなかった。
イェルケルは、ああまで見事に囚人たちをまとめあげていたハチサンニの思わぬ失策に、悪いとは思ったが笑ってしまった。
アイリはハチサンニの説得を見ながら、感心したように呟く。
「大した男ですな、あのハチサンニという男は」
「……ああ、そうだな。囚人たちが、こんな訳のわからん状況の中でも不安に揺れたりしないのはきっと、アイツが居るからなんだろうな」
「外にいれば、きっと一角の人物となっていたでしょうな。ああいう、当たり前にいるだけで人が集まってくるような男は、どんな仕事を任せてもどうにかしてしまうものですから。つくづく……」
「惜しいか?」
「ええ。今からでもなんとかならぬものかと思ってしまうほどに」
「言うなよ。私なんかもう、惜しくなかったとしても失われてほしくないと思ってるんだから」
大仰に嘆息して見せるアイリ。
「殿下はそういう所が……情に流されすぎるのは決して褒められたことではありませんよ」
「私は、友達を作るのが得意なんだ。仕方がないだろう」
死のうと生きようとどうでもいいと思える相手を友達とは呼ばない。誰とでも友達と呼べるまで親しくなれるわけではないが、気の合う奴とはあっという間に年来の友のように親しくなってしまう。もちろん、そうなると情も湧くというもので。
結局囚人たちに逆に説得されてみんなで一緒に街に行くことになり、ちょっと不貞腐れているハチサンニを見ながら、イェルケルは不思議そうな顔をした。
「あれが今から死ぬって奴の顔か? アイツ、なんだかんだと最後まで生き延びてそうな、ふてぶてしいしぶとそーな顔してないか?」
アイリはイェルケルを傷つけることのないように、できるだけ自然な顔で、笑いながら同意してやった。
街にはほとんど全ての囚人が向かうことになった。残るのは十五人ほどで彼らは、みんなどうかしてるぜ、と呆れていた。
また二人の囚人が、昨日の宴会の後、就寝して、そのまま二度と目を覚ますことは無かった。これはただでさえ魔法で身体の造りがおかしくなっているところに酒なんてもの流し込んだのが原因であるのだが、幸か不幸かそれに気付ける者はここにはいなかった。
そして囚人たちは牢獄を出発する。出発まで、全員が意気揚々と、威勢の良いことを言っていた。
数百人がそうするのだから大層な騒ぎだったのだが、いざ牢獄を出ると、彼らはバカ騒ぎを止め、黙々と歩く事に専念しだす。
牢獄からカヤーニの街まで、イェルケルたちならばそれこそ走ってしまえば一日で往復できるほどであるのだが、囚人たちはそうはいかない。
予定では丸二日かけて歩いていくことになっており、食料や寝床代わりにする敷物は二台の馬車に乗せ、それぞれスティナとレアが御者をしている。
イェルケルは列の先頭でハチサンニと共にあり、最後尾にはアイリがつく。
道中もさぞ騒々しいのだろうと思っていたイェルケルたちは肩透かしをくらった気分であった。
だが囚人たちが無言であった理由は、移動を始めて半日ほど経つとその理由が知れた。
囚人たちは半日歩いただけで、皆疲れ切った顔をしていた。そう、彼らにとって二日間の移動とは、大きな負担となる行為であったのだ。
まさかここまで体力がないとは思ってもみなかったイェルケルは大いに驚くも、ハチサンニも、そして囚人たちも、自分たちの状態はよくわかっていたようで、苦しそうにしながらも泣き言も文句も口にはしなかった。
それでも、一日目の距離はどうにか稼ぐことができた。
囚人たちは疲労困憊の様子で道端に座り込み、殿下商会の四人が食事を配るのを受け取り、これを無理やりに腹に流し込むと敷物を身体に被せて地面の上に寝転んで寝てしまう。
翌朝、目を覚まさないのが五人いた。
二日目はもっとひどかった。
朝に移動を始めて、午前中のうちに数人が脱落していった。
「あ、ははっ、悪い、俺、休んでいくから……先、行ってて、くれよな」
そう言って座り込む彼の顔を見た最後尾のアイリは、彼に言葉を掛けようとして思い留まる。
彼は、ただ歩いていただけなのに、まるで腹部を剣で両断してやった兵士のような、土気色の顔色でアイリを見上げていた。
まさか、と気になったアイリが最後尾から少しずつ前へと進んでいき、歩く囚人たちの顔を見て回る。
『っ!?』
出発の時の瑞々しい顔はどこへやら。囚人たちの顔つきはまるで幽鬼のようで、死相を浮かべたまま何かに取り憑かれたかのように歩き続ける。
ここに来てようやくアイリは悟った。
魔法使いによる実験とやらの影響は、それこそほんの一日、歩き続けた程度で死を覚悟せねばならなくなるほどであるのだと。
だが囚人たちは誰もが死を目前に控えた地獄のような苦しみにも、文句も言わず苦痛も訴えぬまま。
まるでそれのみが己が存在意義であるかの如く、一歩、また一歩と歩を進める。
二日目午後になると、脱落の仕方ももう声を掛けて腰を落とす、なんて感じですらなくなってきた。
その場にぱたり、と倒れたまま、誰もこれを助け起こすこともせず。できず。アイリはそうやって倒れた者の側に寄って小さく一言を告げる。
「先に行くぞ」
三人目の倒れた男から、掠れた声が返ってきた。
「……俺の、分、……たの、む……」
「ああ、任せておけ」
彼は安心したのか表情を緩めた。そして一瞬、とても幸福であるかのような顔になり、息絶えた。
以前にアイリは聞いたことがある。どんな苦しい死に様でも、最期の瞬間のみは、その苦痛から解放され痛みのない世界を取り戻すと。
随分と都合の良い妄想だ、とその時は断じたものであったが、彼のこんな姿を見てしまうと、それが真実かどうかではなく、どうかそうであってほしい、と思ってしまう。
アイリはその後もばらばらと脱落していく囚人たちを看取りながら、列の先頭にいるだろうイェルケルを想う。
『殿下は、お優しい方だからな……これは、キツイだろうに……』