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無双系女騎士、なのでくっころは無い  作者: 赤木一広(和)
第十一章 カヤーニ牢獄
181/212

181.カヤーニ研究所襲撃事件


 アイリ・フォルシウスはここの戦士たちの戦い方が、以前に襲撃したヒト人形工房の子供兵たちに似ていると思った。

 年はずっと上だ。青年だったり中年だったりはするが子供は居ない。だが、その人間離れした身体能力とこれを活かす戦い方を叩き込まれているようで、その動きは精鋭兵と呼ぶに相応しいものであると思えた。


『魔法で強化した兵に対する訓練を共有しているのだろうな。こういう所は実に効率的で素晴らしいとも思うのだが……』


 実際に刃を交えてみたアイリの所感としては、強化される能力に個人差があるせいで訓練とその成果も大きくバラつきが生じており、そのうえ彼らの戦闘力にはどうも上限があるようだ。

 戦闘力の上限は、自分で思考しない、そういった在り方が染みついているのが原因とアイリは見ている。


『魔法の強化による副作用は他にもありそうだが、さて、だが、コイツらの抱える決定的な弱点を考えれば、業腹ではあるが子供たちの方がより魔法で戦士にしたてるのは相応しい、ということか』


 ヒト人形工房作の子供たちの方が、明らかに強い。子供たちと違って大人は魔法による改造を受けた者であっても人間らしさのようなものが残っており、あの子供たちのような自分の命に一切執着しないような戦い方はできない。

 ただここの大人たちの方が、小賢しくはある。

 魔法により得られた特徴を活かし、一方的に自分だけが攻撃できるような戦い方をしようとするのだ。特に動きの速い者にその傾向が強い。膂力のある者は、長物を使うことが多い。その尋常ならざる腕力を、通常では振り回せぬような長物を振り回すことに用いるのだ。とりあえず屋内でそうするのは止めた方がいいとアイリは思った。

 戦いの中、アイリは敵の動きから敵指揮官の考えを読み取る。

 単騎で暴れまわることの多い殿下商会であるからして、戦況の判断は自分の頭でしなければならない。なのでおのずとそういった物も見えてくるようになる。

 また単騎で軍を叩き潰すような化け物を相手にした経験のある指揮官なぞそういないことから、敵部隊の対応もそれほど精度の高いものにはならない。

 カレリアで敵対した軍と比して、魔法がある分イジョラは多少なりとマシではあったが、それにしたところで彼らが想定している魔法使い程度では、アイリを抑えることなぞできようもない。

 とはいえ必要は発明の母である。

 戦力では押し切れず、通路に追い込んでの射撃魔法も通じず、進退窮まった敵指揮官はそれでも状況を投げたりしなかった。

 まず、足止め兵を置き、彼らが戦っている間に通路の前後を魔法による土壁にて塞ぐ。

 アイリ、側面の壁を鉄拳にて粉砕しそちらに抜けようとするもなしえず。アイリが拳を叩き込んだ壁は壁いっぱいにヒビが走るも崩れることはなかった。


『なんと、後ろから補強したか』


 屋内であるという、視界が利かず周囲を障害物が覆っている環境を活用し、アイリを物理的に閉じ込めにかかったのだ。

 アイリが壁をぶち抜けることは既にあちらも見ている。それでも抜ききれぬほどの壁を作り上げに掛かっているのだろう。

 研究所という場所柄、魔法使いは多いが彼らに戦闘経験はない。そんな魔法使いであってもこれならばアイリに対し効果的な攻撃が可能となる。


『見事、実に見事な戦いぶりよ。だが、それならばより効果的に運用するには……』


 アイリは呼吸数を落とし、五感を研ぎ澄ませる。

 通路の端、上方の隅にそれは居た。アイリが殴って砕いた壁の欠片を拾ってこれを投げる。

 ぶちゅり、と音がして何かが潰れた。

 魔法を使って遠くを見るには、目になる何かを用意しておかなければならない。

 この閉鎖された通路の中を見たければ、通路の内にそういった何かを置いておかなければならないのだ。虫では駄目だとアイリは聞いている。見え方が変すぎて役に立たないらしい。

 この状況ならば小さな動物、と見たアイリは通路内に何故かいたネズミを潰したのだ。


『これで私がどちらに掘り進んでいるかは音で判断するより他なくなったと。さて、私が掘る、いやさ砕くより早く壁を作ることができるかな』


 閉じ込められた状況にありながら、アイリはこれを危機であるなどと欠片も思っていないようであった。





「クッソ! なんて嫌な敵だ!」


 アートス・ウトリオ副所長が思わず怒鳴ってしまったのは、通路内に隠しておいた目となるネズミを潰されてしまったせいだ。

 絶対に見つからない自信があった。それほど小さくかつ保護色になるようなネズミを選んだのだが、全く通用しなかった。彼の側にいた所員は、奴は犬か何かかと言っていた。アートスもそう思ったが犬並みの嗅覚があるなんてなったら対処がより面倒になる。その所員は馬鹿にするよう笑いながら言っていたのだが、アートスはとても笑う気にはなれなかった。

 そんな所員も笑えない報告が上がってきたのは、その直後である。


「ほ、報告します! 獄卒隊! ぜ、全滅しました!」

「なんだと!?」


 仮の指揮所となっているその談話室は、食堂も併設されており最も多くの所員を収容できる場所である。カヤーニ研究所全体で何かを行なう必要がある時は、この場所を使うことになっている。広いのと位置的な理由からだ。

 ここに集まっているのは研究員の中でも特に身分の高い、もしくは地位の高い者たちである。ほとんどが高位貴族であるが、幾人かは研究員としての成果のみで低級貴族ながら彼らと並んで立つ猛者もいる。

 もちろん高位貴族であるからとそれだけでこの場に居られるわけではない。彼らは皆特に優れた研究者でもあった。

 故に知能も高く、獄卒隊が全滅したということの意味を、この場にいる全ての者が理解している。

 騒然となる室内。これを手を上げてアートスが収める。


「確認はしたのか?」

「は、はいっ! シュルヴェステル様と同行した魔法使いがしかと」

「わからんな。シュルヴェステル様はどうした。一緒ではなかったのか?」

「そ、それがその……報告では、ですが、先に獄卒隊を戦わせたのですが、これがあっという間に全て殺され、驚いたシュルヴェステル様は、その、逃げて、しまったと……」

「はあ!? ば、馬鹿なことを言うな! あの方はここの警備に関する……最高責任者で……」


 自分で言ってて、ありえるとか思ってしまったアートスの言葉尻が弱弱しくなっていく。

 首を振るアートス。


「待て待て。そこまでなのか? ムネデカは獄卒隊を瞬く間に殺し、見ていたシュルヴェステル様が勝ち目無しと逃げ出すほどであったと」

「……そう、聞いております」

「その同行した魔法使いは……ああ、そうか、さっさと逃げたか」


 報告者は申し訳なさそうに答える。


「はい……その、お止めする間もなく……」

「お前の立場では文句も言えまい」


 アートスはちらっと周囲を見渡す。特に頭の回転の速い奴らは、そろりそろりと出口に向かっているのが見えた。

 どうやら噂の殿下商会は、アートスの想定を遥かに上回る戦力を有していたようだ。

 そしてこれは皆には伏せてあるが、アートスのもとには山頂研究室よりの報告も届いている。

 あちらの近衛も全滅。最早勝機は失われたと言っていい。

 嘆息し、そして腹をくくる。


「よし! わかった! 諸君! 聞いての通りだ! 現状ではあのムネデカの侵攻を防ぐ手段は最早ない! これより所内の魔法使い全てに退去命令を下す! カヤーニ研究所の名を汚さぬ整然とした退去を期待する!」


 状況を把握していたこの場にいた魔法使いは即座に走り出した。幾人かいたまだ危機感を持っていない間抜けが驚いた顔で彼らを見た後、慌ててその後を追って走り出す。

 逃げ出し始めた魔法使いたち、ただの一人も周りを気に掛ける様子はない。いっそ清々しいほどに自身の生命保持のみを考えて走っている。

 あっという間に広い部屋に集まっていた魔法使いたちがいなくなり、残るは指示を下したアートスと、護衛に置いてあった魔法を施した囚人たち五人、雑務を担当する囚人十人、そしてアートスも驚いたが魔法使いが一人だけ残っていた。


「どうした、逃げないのか?」

「……アートス様はどうされるのですか?」


 彼もまた他人を案じるような人間でないのをアートスはよく知っている。

 苦笑するアートス。


「私は残るよ。君には悪いが、私には私だけの安全な逃走路がある、ということはないよ」


 他の連中には知らせず自分だけが安全な逃走路を確保しているかもしれない、と彼は思ったのだろうとアートスは予想したのだが、彼は笑って返してきた。


「ああ、やっぱりそうですか。まあそれならそれでいいです。その時は連中を囮にしようと思ってましたので」


 では、と彼は手を振り逃げ出していった連中とは正反対の方向へ悠々と歩いて出ていった。


「……大したタマだな。ありゃ生き残れば出世するぞ」


 さて、と肩を回すアートス。


「全く可愛くない部下たちのため、きっと向こうで踏ん張ってるあんにゃろのため、もう少し頑張るとするかね」


 結局、アートス・ウトリオが殺されたのはこの研究所ではほとんど最後の方となった。

 魔法使いを全て逃がした彼は、残った囚人と魔法改造を施した者たちでアイリとレアの足止めを試みたが、その目論見はただの一つも成功することがなく、その理不尽なほどに強大な力に為す術もなく叩き潰されるのである。





 壁の向こうより重くのしかかるような振動音が聞こえなくなった。

 アイリは手を止めて大きく抉りへこんだ壁面に耳を付ける。やはり音はない。この壁の向こうからも、それ以外からの音さえも。


『諦めたか? 案外早かったな。建物全てを土で埋め尽くすぐらいはやってくれると思っていたのだが……』


 両手の平を壁に押し付けるように突き出す。掌底打と呼ばれる打ち方で、特に衝撃が伝わりやすい。これをアイリが用いると、壁面一杯に円形の衝撃が広がり、半円形に壁が抉れてしまうのだ。

 このやり方、衝撃は八方へと飛び散っていき天井にも伝わってしまうため、間違っても地面を掘るなんてことはできない。天井が崩れる恐れがあるからだ。今この場ならば、少なくともアイリの頭上に堆積した土なんてものはなく天井があるだけなので幾ら打ってもそれほど問題はないが。

 程なくして壁はぶちぬけ部屋へと出る。

 後ろを振り返ると、結構な距離を掘り進んでいたことがわかる。アイリがこちらに向かっていることはわかっていただろうに、歓迎の兵は無し。周囲にも人の気配はまるでない。

 掘り進んだ距離と、建物に突入してからこれまでの移動を頭の中で組み立てる。すると大体の今の自分の位置がわかる。

 この建物の造りは概ね頭に入っている。なのでアイリは敵の姿が全く見えない今の状態を、敵が逃げを打ったと仮定することにし逃走阻止に動く。

 正門から入ってきたのだから、敵が逃げるは裏門側。そう踏んでアイリは壁をぶち抜きながら一直線にそちらへと進んでいく。

 壁をぶちぬいて進みながらアイリは機嫌良さそうに呟く。


「どれだけ壊しても、心も懐も痛まぬというのはなかなかに気分が良いものだな」


 殴ってみたり、蹴ってみたり、背中を体当たりのように叩きつけてみたりしながら壁を崩していると、飛び出した通路に大柄な男の姿を認める。

 大男は肩で息をしていて、かなり疲れているようだ。体躯はなかなかに立派なものであるのだが、アイリの姿を見るなり驚き怯えた顔をしていた。

 アイリはこれを見て、肝の小さい男だと思ったものだが、走っている通路の先の壁が崩れて人が飛び出してくるのを見れば、そりゃ誰だって驚くであろうに。

 大男はアイリの顔をじっと見て、安堵したように漏らす。


「なんだ、ムネナシの方か……」


 アイリの額に青筋一つ。これまで迎撃に出てきていた連中は、皆必死な表情で怒鳴っていた。ムネナシが来た、ムネナシが止まらない、ふざけんなムネナシ等々。

 さすがにそろそろ怒ってもいいよな、などと眉根を寄せ考えていると大男こと牢獄将シュルヴェステルはアイリに問うてきた。


「おい貴様、一つ聞いてやる。お前はもう一人の胸のデカイ方よりも強いのか?」


 青筋二つ目。アイリはつい先日レアに屈辱の一敗を喫したばかりである。一敗のみではあれど、この問いに即答するのを躊躇してしまうのはアイリらしいと言えばらしいであろう。

 シュルヴェステルはそれを別の意味に取ったのか、ふふんと鼻で笑う。


「なんだアレより弱いのか。おい、その程度なら見逃してやるからとっととこの俺の前から消え失せろ。俺はこれでも忙しい身で……」


 三つ目の青筋は、行動と共にであった。

 アイリの姿が突如シュルヴェステルの視界から消えてなくなる。その動きが見えたわけではないが、シュルヴェステルとて腕に覚えのある元近衛だ。そのシュルヴェステルの目を誤魔化す動きは限られているし、すぐにそれに思い至るぐらいはできる。

 そしてアイリの動きが間違っても逃走を選んだなんて動きではないことも。


「チッ! 面倒を……」


 その場から迷わず走り出すシュルヴェステル。アイリは壁の穴を抜けて元の部屋に戻ったのだ。恐らくはシュルヴェステルの居る場所の真横から壁をぶちぬいて飛び出すために。

 足音を忍ばせ気配を隠しつつ、大急ぎでこの場を離れる。その巨体に似合わぬ身の軽さである。またここまで全速力で逃げてきたはずなのに、少し休んだだけでまたそうするだけの体力もある。元近衛は伊達ではない。

 が、走り逃げるシュルヴェステルの真横の壁が轟音と共に吹き飛んだ。


『馬鹿な!? 視界も通らぬというに我が隠形を見破ったと!』


 両腕を上げ顔を庇いながら飛び散ってくる瓦礫を防ぐ。そうしながら突っ込んでくるだろう小柄な女の影を探す。いない。

 だがその場に居続けるのは危険極まりない。瓦礫の全てを浴びきる前にその場から飛び退く。右よりぐるっと視界を回す。いない。一周見たのにいない。

 こちらの動く視界に合わせて動き、死角に位置し続ける隠形がある。これを防ぐために、素早く左を見る。


『っ!?』


 微かに視界の端に見えたもののせいで、シュルヴェステルは身動きが取れなくなった。

 あまりに近くに、あまりにありえぬものが見えた。

 全身の感覚とこれまで培ってきた常識が言っている。ありえない、これは幻であると。だが、それこそが罠であるとシュルヴェステルは知っている。近衛を務めたこともあるシュルヴェステルは、人の常識なぞ容易く凌駕する存在があると知っているのだ。

 その確信が真実であったと理解できるひやりとした気配が頭頂に触れる。

 ああ、やはり、とシュルヴェステルは、己が肩に見えた人間の足が、先程のムネナシのものであると認める。

 肩の上に、足が乗っているのだ。片足のみで、視界の関係からそれ以外が見えない。シュルヴェステルの意識は認めてもその全身は未だにこの事実を認めてない。何故なら、シュルヴェステルの肩に人一人分の重みなどまるで感じられないからだ。

 声が聞こえた。


「私がアレより弱いかどうかはさておき、貴様より強いかは明快であろう。そうは思わぬか?」


 声は頭上から聞こえる。考えている時間はあまりない。シュルヴェステルは意識を集中させ、思考に全精力を集中する。すると、昔の思い出がよみがえってきた。無敵だと思っていた若かりし頃、近衛に入隊が決まった人生で最も輝いていた時期、近衛を務めている間に何度も味わった強烈無比な挫折の数々。


『ってこれが今際の際に昔を思い出すという奴かあああああ! そんなもんより前向きな解決策を考えろ俺の頭ああああああ!』


 つまるところ、表層的な部分はさておき、シュルヴェステルの脳はしっかりと理解していたということだ。


「死者の国では、私が行くまでにせいぜいその失礼な口の利き方を直しておくのだな」


 己が命は、コレに見つかった時点でとうに尽きていたと。





 アートス副所長より許可が出たことで、カヤーニ研究所の魔法使いたちは一斉にこの施設よりの逃亡を図っていた。

 面白いことに、皆が同じ方に向かって進むのだ。敵は少数、二人のみ。それがわかっているのだから皆でバラけて逃げれば生存率もより上がるのだろうが、誰一人最短の逃走路以外を選ぼうとしないのである。

 結果、多数の魔法使いが押し合いへし合いしながら通路を走ることとなる。人数が多ければ心強いといった理由もあるのだろう。

 魔法使いたちは皆面倒そうに愚痴を漏らしながら走っている。


「意味わかんねえよ、なんで俺らが逃げなきゃなんねえの?」

「怠慢だよな、警備に幾ら金払ってると思ってんだよ。管理者だれよ」

「アートスさんだろ。だからあの人残ったってか。けっ、若造の分際で偉そうにしてたくせによ、いざとなったらこのザマだ。話になんねえよな」

「俺の研究成果、誰が保証してくれんだこれ? ヒト人形工房って確か燃やされたんだろ? 幾らなんでも俺の燃やされたらキレるぜ俺ぁよぉ」

「これだから魔法を知らない凡俗はやってらんねえよな。研究の価値ってもんをよ、偉大さってもんをよ、全く理解できねえド低能ばかりだ。たまんねえよ」

「近衛はどうしたよ。日頃偉そうにしてんだからこういう時役に立てよな。次はもう連中に予算回すのやめようぜ、これじゃ意味ねえだろ」

「あー、頭の悪い奴ら全部、今すぐこの世から消えてくんねーかなー」


 アイリはこの行列の最後尾につく。声もなく倒れていく魔法使いたち。後ろで倒れる音は聞こえていように、逃げる魔法使いたちは後ろを振り返りもしない。

 十人斬ったところで、ようやく振り返る者が出てきた。


「おい、なんだよ誰かコケたか……」


 そんな比較的人情味のある彼は優先的に殺された。

 二十人を斬ったところで、ようやくこの集団は背後より迫る死神の存在に気付いた。

 そこからはもうヒドイ大混乱だ。少しでも自分が助かるため、すぐ後ろの者を蹴り飛ばしたり突飛ばしたりして時間を稼ごうとする。

 アイリは、淡々と敵を処理しながらこの集団を後方よりじわりじわりと削り取っていく。逃げる魔法使い全員が、一度は後ろを振り返って通路に点々と倒れる死体を見て慌てふためき必死の逃亡を図るも、振り切ることはできない。

 内の一人が、通路をまっすぐ進むのを積もり積もった疲労から諦め、通路横の扉を開いて中に飛び込む。

 アイリは半開きになった扉を通りすがりに蹴り飛ばす。扉がうなりを上げて中に飛んでいったのを見て、逃げる魔法使いたちは部屋に逃げ込むのは駄目だと諦める。

 だが、分かれ道に来ると今度は大丈夫だろうと、外に出る道と建物内に逃げ込む道とを選ぶ者とに分かれた。

 ここで半数ずつに分かれるなんて真似が出来ればまだ生存の目もあったかもしれないのだが、建物内を逃げ続ける形になる通路にはほんの数名しか向かわなかったため、アイリは追いついた男の腰のベルトを掴んでこれをぶん投げる。

 彼らもまた魔法使いだ。不可視の壁を作り出すぐらいはどうにかできたのだが、飛んできた人間はその速度のせいで岩石の如き威力を持っており、魔法の壁をぶちぬき彼らの全身は千切れ飛んでしまった。

 或いは、これだけの数の魔法使いがいたのだからもっと他にやりようもあっただろう。だが、彼らは研究員であって戦士ではない。このような恐ろしき存在が間近にあっては、冷静沈着に判断を下すこともできず。

 結局、研究所の建物を出るまではどうにかできたものの、最後の一人が殺されたのは裏庭を半ばほどまで行った場所で、裏門にたどり着けた者すらいないのであった。




 彼は自分の判断に自信を持ってはいた。だが、己が命がかかっているとなれば緊張もしよう。

 全員が裏門に殺到する中、その魔法使いは賊が侵入してきた表門の方へと向かっていた。

 殿下商会、その総数は四人だ。だが、今回襲撃してきたのはたったの二人。その二人だけでカヤーニ研究所はもうどうにもしようがないほどに追い込まれてしまっている。

 殿下商会が来るのに備えていたというのにだ。それほどの戦力を有しているのだから、殿下商会四人の内二人がこちらに、残る二人はカヤーニ牢獄、もしくは山頂研究室へ行っている、と考えるのは妥当なものと思えたのだ。

 ならば既に蹴散らした後である正門には逆に来ないだろう、そんな読みのもと、彼は慎重に見つからないように移動しながら正門を目指していた。

 ムネナシ、ムネデカ、両者を最後に見失った場所を考え、彼らの侵攻先を読み、これを外しながら建物から外に出る。

 物陰を伝い、カヤーニ研究所を覆う壁に沿って移動する。被験者の逃亡を防ぐための高い壁が今日ほど憎らしく思えたことはない。

 そして正門。

 物陰を伝ってはきたものの、正門前だけは身を隠す場所が無い。ここから一気に正門を抜け外にまで駆け抜けるしかない。

 男は意を決して物陰を飛び出す。そして走る。全身をありったけの力を振り絞った不可視の盾で覆いながら、後ろも見ずに正門へと駆け抜ける。

 幸い正門は開きっぱなし。というか、鍵が砕けて半開きになったままだ。鍵の頑強さと正門の重さを知っている男は、襲撃者の恐るべき破壊力に恐れおののきながら走る。

 そして正門を、抜ける。


「あ、あれ」


 男は転んでいた。

 背中から強く突き飛ばされた男は地面を転がっていた。驚き慌てながら立ち上がって走ろうとするも、足に力が入らない。いや、足だけではない、地面について支えとしようとした腕もまた動かない。

 建物の窓から飛んできた短剣がその原因であることに、男は最後まで気付けなかった。

 きっとそうする者がいる、そう思っていたレアが建物内を移動しながらも窓から正門が見える場所を通った時はそちらに目を向けるようにしていたせいで、運悪くその瞬間にぶつかってしまったことが死亡の原因であることも、わからぬままであった。


 最終的に、殿下商会によるカヤーニ研究所襲撃事件の生存者は二十二人であった。殿下商会の大暴れを見てしまったせいで怯え竦み、部屋の中に隠れ潜んで震えていたせいで見つけられずに済んだ魔法使いが三人と、命令を与えるのを忘れられていた囚人が十九人のみであった。


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