176.山頂研究室
木々も生えぬ禿山。しかしところどころに隆起した岩肌がその視界を阻害する。
例えば、魔法で空高くよりこれを見下ろすことができれば監視網の作成も容易いのだろうが、風も強く気温も低いこの山の空を飛ぶような鳥はほとんどおらず。よって鳥を使い魔としなければならない魔法による上空よりの視点確保は著しく困難である。
代わりにこの山には侵入者を察知する魔法が各所に仕掛けられており、そもそもこんな僻地に乗り込んでくるような馬鹿もいないため、これで十分である、と言われている。それでも警戒を怠らないのは、ここにある研究成果は王の不死に関するものであるためだ。
この監視の魔法を堂々と走破しながら、殿下商会の四人は山を駆け上がっていく。
イェルケルは走りながらも不安げな顔だ。
「監視の魔法が山頂の研究室に届いて、そこから山頂の警備が動き出す前に研究室にたどり着けばいい、か。本当に大丈夫なのかこれ?」
同じく不安そうな顔をしているのはアイリである。
「魔法に引っかかっているのかどうか、こちらからでは全くわかりませんからな。はっきりと変化が生じてくれないのはどうにも気持ちが悪いものです」
スティナは念を押すように言う。
「マズそうだったら即逃げる。忘れちゃダメですよ、特にアイリ。……ああ、殿下もね。…………うん、レアもそうかも。つまり全員ね。ホントどうしてこう、血の気の多いのばっか集まったんだか」
レアが走りながら抗議する。
「誰がどう考えても、一番血の気の多いのはスティナだし。次点でアイリ。でんかもアイリに並ぶぐらい、ヒドイかもしんない」
待て、と口を挟むイェルケル。
「一番あぶなっかしいのは誰がどう見てもレアだろう。その後にスティナ、アイリと続くと思うが」
アイリが渋い顔のままで言う。
「血の気の多さという観点でしたら殿下が一番かと……レアもスティナも大差無いと言われれば確かにそうかもしれませんが」
びっくりするぐらい全員の意見が違う。共通しているのは、全員が自分が一番冷静だと思っていることぐらいか。
四人共なんと言っていいものやらわからず、無言の時が少し続く。
そしてスティナが口を開いた。
「……とりあえず、この件は今回の戦いが終わってからということで」
これを追及しあったらとても面倒なことになりそうなので、残る三人もスティナの意見に頷くのである。
そうこうしている間に、山はより険しさを増していく。
正規の道を通らぬのだから当たり前だが、四人は起伏の激しい山肌を走り続けているのだ。時に飛び上がり、時に岩を蹴り、時に崖をすら走り登って険しい山を踏破する。
イェルケルは思い出す。
スティナとアイリと出会ったすぐ後、ラノメの山中をイェルケルはひーこら言いながら崖をよじ登っていた。
あれから人の体力には限界などないことを知り、徹底的に基礎体力を鍛えた結果、今ではこうしてスティナやアイリに遅れることなく並んで走ることができるようになった。
『……まだまだ先は遠いが、それでも。そうだな、こうして進歩を実感できるのは嬉しいものだ』
そんな感慨にふけりながら山を駆け上る。日々の鍛錬ではこうして山を登ったり下りたりして鍛えているので、山を走ることにはむしろ慣れている。
いつもの山道とは違う景色が、少し新鮮で楽しいなんて思うぐらいには余裕があった。
この襲撃の前に、反乱軍の諜報員から連絡があった。
彼らはとても優秀で、カヤーニの街に近衛が二人いることも把握済であり、この二人に協力要請が行き山頂研究室に配属になったことまで突き止めたのだ。
諜報員はそんな危険な二人が山頂研究室配備になったことで、カヤーニ牢獄は比較的マシであることと、襲撃に時間をかければ近衛二人が山頂より救援に来ることを教えに来たのだ。
山頂研究室はその立地の関係上、多数の兵を配備することが難しいことからこうした配備になったらしい。
これを聞いた殿下商会の反応は、彼の予想とは正反対のものであったが。
そんな優れた戦士と邪魔が入らず戦えるとは実に素晴らしい話だ、といった内容のことを殿下商会四人が四人共のたもうたそうな。
唯一の文句は、元近衛も含めて三人しかいないことであった。一人余るではないか、と本気で言われた時は諜報員も返答に困ったものである。
結局諜報員は殿下商会がこれまで挙げてきた武名を考え、彼らならば近衛が相手であろうと倒しきる武力があるので逆にこれを好機と受け取った、と脳内にて自分に言い聞かせることにした。
殿下商会の作戦開始にあたって、諜報員は協力を申し出るもこれはイェルケルが断った。
反乱軍に対し最早隔意はないが、だからと反乱軍の一員として動くつもりもない。あまり借りも貸しも作る気はないということである。
殿下商会の持つ武力の異常さは、まっとうな指揮系統の下に置くべきものではないとイェルケルは考えている。
その力を使うにあたって適所のみの運用に留め頼りきることのなかったカレリアのターヴィ将軍は、彼もまたある種の異常者であったのだろう。そうでなければ、イェルケルたち殿下商会を戦に用いれば必ず誰もが、その武に頼りきりになるであろう。そんな状態はイェルケルたちの望ましい形ではない。
そんな余計なことを色々と考えながら、イェルケルは山中の道無き道を駆け上っていった。
火、の意味の名を持つ男、トゥリは山頂研究室の屋内は案外に過ごしやすいことに驚いていた。
「外はひどい寒さだってのに、中は随分とあったかいんだな」
外が寒いのはここが山頂付近であるからで当たり前と言えば当たり前なのだが、この屋内は上着を脱いでしまってもいいぐらいに暖かくなっている。
部屋の奥から空の意味の名を持つ男、タイヴァスが部屋に入ってきた。
「なんでも地下深くへと掘った穴から、凄まじい熱風が噴き上がってきているらしいぞ。それを建物内で循環するよう細工したらしい。研究者ってのは自分の研究のことしか頭にないような連中だが、そんな奴らにもここの寒さは堪えたようだな」
そう言っているタイヴァスは、上着を三枚重ね着していてもう見るからにもっこもこの姿である。
トゥリは呆れ顔だ。
「ここは十分暖かいだろうに。お前、どんだけ寒いの苦手なんだよ」
「これは外に行くための準備だ。ちと気になることがあってな、上から警備状況を見ておこうと思ったのよ」
「ああ、なるほどな。相変わらずマメだねお前は。……数揃えて来ると思うか?」
「反乱軍と全く関わり合いがない、と考えるのはあまりに危機感が無さすぎるだろう。ならば、そういう場合も想定しておくべきだろうな」
「ここで王の不死を研究しているという話は有名だしな。王自身がまるで隠す気ないってところで、ここを攻めても意味がないとわかってもらえそうなもんだが」
「それは貴族間での話だ。魔法の技術的な話は平民には理解できんだろうよ。……あの剣を前に、どうにもしようがなくて歯噛みする反乱軍ってのは見てみたくはあるかもな」
「そこまで攻めこませるつもりはねえよ。おい、お前いい加減行ったらどうだ? 屋内でそんな恰好してるもんだから、汗がすげぇことになってるぞ」
「それがなぁ、外、寒いからなぁ。ちょっと勇気とか覚悟とかが……な」
「いいからとっとと行け。やっぱり寒いのだめなんじゃねえか」
嫌だ嫌だ、と言いながらタイヴァスは屋外へと。
トゥリは暖かい屋内にて幾つかの報告書類を仕上げている。鍛錬をしたくもあるのだが、わざわざ上にクソが付くぐらい寒い場所でそうしようとも思えず、これ幸いと溜まっていた書類を片付けることにしたのだ。
現役の近衛という立場は、何かと融通の利くありがたい地位である。だが、付随する義務と比較してみて、ワリの良い仕事であるかどうかは難しいところだ。少なくともトゥリはそう思っている。
それでも近衛に留まっているのは、すぐ近くにイジョラ最高峰の戦士たちがいるという環境が自分の力を引き上げるに適していると思っているからだ。近衛を辞めればすぐにでも、驚くほど好待遇の仕事につけるというのにわざわざ近衛に残ろうなんて連中は皆、そんな奴らばかりである。
しばらくあまり得意ではない書類仕事を進めていると、部屋の外が妙に賑やかになってくる。
「なんだ?」
トゥリの声に応えるかのように、つい先ほど部屋を出たはずのタイヴァスが勢いよく駆け込んできた。
「敵だ! 急げトゥリ!」
すぐに席より立ち上がり、タイヴァスと並び外へと歩き出すトゥリは、歩きながらタイヴァスに問う。
「何があった?」
「すげぇのが居た。山を、走って登ってきやがるんだ」
「馬か?」
「人だ。四人。あれが殿下商会だってんなら、さんざ流れていた突拍子もない話も納得だ。すげぇぞ、獣より速く山を駆け上ってきやがる。地面が斜めってようと垂直に切り立ってようと全く意に介さない。平地を馬が走るみたいな速さで突っ込んできやがる。あれじゃ警報もクソもない。俺が偶々上にいたから見つけられたが、そうでなきゃ確実に奇襲食らってた。信じられるか? 用意してあった警報が鳴るのを聞いてから対応してちゃ間に合わなかったんだぞ」
常のタイヴァスからは考えられぬほど饒舌になっている。余程衝撃的な光景であったのだろう。
確かめるようにトゥリ。
「強いんだな」
「あれで弱かったら暴れるぞ俺は。気を付けろよ、あんな走り方のできる化け物が戦いでどんな動きしやがるのか見当もつかない」
「俺も見ておけばよかったな。カンガストゥスは?」
「もう出ている。裏は残った兵で固める。表は俺たち三人だけだ」
口笛を吹くトゥリ。
「思い切ったねえ。だが、いいな、お前やっぱこういう所がすげぇ良い。さあ、きっちり殺してやるとしようぜ」
「ああ、良い戦になりそうだ」
彼らは近衛だ。兵士であるがそれ以上に、戦士であるのだ。紛れの少ない状況で、どちらがより優れているかを比べ合う。そんな戦いをこそ望む。
実際、近衛と戦えるような魔法使い同士の戦いにおいては、平民の兵なぞ居ても邪魔なだけだ。無駄に被害を増やさぬ為にも、近衛が戦う時は周囲より兵を離すことが多い。
魔法使いは、平民を魔法に巻き込むことを躊躇しないよう、そう教えられている。魔法使いとはいえ人間であるからして、味方の兵を巻き込む魔法を放つのに躊躇する者は多い。いざという時そんな馬鹿な真似をせぬよう、日常より平民を魔法で巻き込む訓練をしているのだ。
その訓練のせいで、魔法使いは平民を巻き込んで魔法を撃つのが良い、と勘違いする馬鹿も時折現れるが、通常はそんな訓練を積んだとてその必要性がないのならばわざわざ兵を無駄に損耗しようとは思わない。
わかりやすく堂々と、研究所入口前にトゥリ、タイヴァス、カンガストゥスの三人が並んで立つ。
一息に襲い掛かってくる、そんなことも予想していた三人だったが、襲撃者である四人組は彼ら三人の前で全員がぴたりと足を止めた。
先頭の男、イェルケルが口を開く。
「……一応、聞くぞ。君ら三人が近衛と元近衛で間違いないな?」
トゥリは少し驚いた顔をする。
「随分と耳が早いな。お前らが殿下商会か?」
「ああ。近衛が三人、だけか。もしかして、結構警戒されてるのか?」
トゥリは肩をすくめる。
「随分ととぼけた奴だな。弱いフリでもしたかったのか?」
「違う違うそうじゃない。ウチは、ほら、さ、見た目からして、その、あんまり強そうじゃないもんだから。警戒されてるってのに慣れてないんだよ」
イェルケルの言葉に噴き出したのはカンガストゥスだ。
「それは、余程見る目の無い者とばかり戦っていたのだろうな。お前たちは四人共が、こんなにも美味そうだというに」
とても嫌そうな顔をしたイェルケルを見て、タイヴァスがカンガストゥスを窘める。
「一応、な。相手女ばっかなんだから、言葉は選ぼうや。悪いな兄ちゃん。コイツ腕は確かなんだがそれ以外が色々と問題だらけな奴でな。……で、四対三で、まとめてやるかい?」
「いいや、一対一を三つ。……でないと後ろの三人に私がどやされる。クジで負けた私は一人で先に施設に向かうことになっているんだ」
呆れ顔のトゥリ。
「それを堂々と口にする奴があるか。ただ、そうだな、お前ら、確かにヤバそうなんだよな……よし、わかった。お前はいいぜ、先に行って。ただし、残る三人はここで俺たちと楽しい楽しい戦の時間だ」
いいのかねえ、とタイヴァス。そうこなくては、とカンガストゥス。そして、にやりと笑うイェルケル。
「殿下商会の三戦士。いずれ劣らぬ達人揃いだ。お前たちも戦士ならばこの三人と戦って得られる物は数多あろうが、ただ一つ、命だけは間違いなく失われると知れ」
イェルケルの言葉の後、スティナ、アイリ、レアの三人はそれぞれ移動を始める。面白いもので、誰が誰と戦うかは、なんとはなしに自然に決まってしまうのだ。
スティナはトゥリと、アイリはカンガストゥスと、レアはタイヴァスと、空気だか歩調だかが合ったのか、三組はそれぞれ距離を空けて、対峙する。
そしてイェルケルが言葉を残し走り出すと、それが開戦の合図となった。
「三人共、私抜きで戦うって言ったの君たちなんだからな、間違ってもこんな所で殺されたりするんじゃないぞ」