174.諜報あれこれ
スティナ・アルムグレーンは、カヤーニという街が事前調査で想像していたものよりずっと面白い街であると知った。
貴族邸宅が多数ある街でありながら、平民の商人が多数出入りしており、彼らが何を取引しているかといえば裁判所で売りに出されている奴隷を買いに来ているのだ。
その奴隷取引の規模もイジョラ最大であり、裁判所のある牢獄側の街としか思っていなかったスティナは、予想外の賑やかさに少し浮かれながら街を歩いていた。もちろん顔はフードで隠しながらだが。
『さすがにこの街には王族なんて居ないでしょうし』
前回、街中でアルト王子を半殺しにしたのはかなり当人にとってやらかしちゃった事案である模様。
他国の王族どころか自国のすらもぶっ殺しておいて何を今更ではあるが、それとわかって敵対するのではなく、通りすがりの喧嘩がそのまま戦争にまで発展するようなものの切っ掛けになってしまったのは、スティナにとってとても不本意なことであった。
『幾らなんでもチンピラの喧嘩の延長で戦争する気にはなれないわよ』
他所からどう見えるかはさておき、当人にとってはそういうものらしい。今まであったチンピラ風味な戦争は全てスティナにとっては普通の戦争であったようだ。
スティナは街をぶらつきながら、ふと気になった屋敷や建物には躊躇なく潜入し、住民の話を聞いたり保管されている資料を見たりして気になった疑問を解消していく。
そうして街がどうやって回っているのかを調べていくのがスティナのやり方である。
幾つもの街をそうやって調べたスティナは、貴族の数が一定数以上いる街は、逆に貴族による無法が収まる傾向にあると知っている。
その社会に偉い人間が自分だけ、というのが最も貴族が腐り易い環境であるという話だ。自分に近い立場の者の目が側にある時は、案外無茶な真似はしなくなるもののようで。
そもそも構造的に一定数虐げられる人間ができてしまうという部分に目を瞑れば、きちんと仕事をしている平民にとっては比較的住みやすい街なのではないだろうか、とスティナは思うのだ。
その虐げられているだろう人間、犯罪者として連れてこられた平民に関しても、最初に思っていたよりはヒドイことにはなっていないのだろうか、とスティナは予想する。
犯罪者がヒドイ目に遭うのは自業自得で、そこに関してスティナは一切同情するつもりはない。この街に来る前に考えていたのは、犯罪を起こしたでもない人間がここに連れてこられているのでは、ということだ。
ましてやここのカヤーニ牢獄は、同じ建物の中に魔法研究所が併設されているのだ。わざわざ牢獄の側に建てた魔法研究所が、囚人を使っていないわけがない。そんな牢獄に無実の人間が連れてこられるというのはスティナにとっても、今回の目的地をここに定めたイェルケルにとっても許しがたいことであった。
裁判所の方にはアイリが行っているが、スティナはほとんどの人間が本当に罪を犯した者たちだろうと予想する。
国の規模と牢獄の数とを考えるに、あまりに牢獄が少なすぎる。カレリアと違い囚人を消費しているとしても、だ。現状、無理をしてまで囚人を増やす必要性はないのだろう。奴隷売買で売り飛ばされる人間がいることからもそれは明らかだ。
イジョラの悪事を暴いてくれるわ、と意気揚々と出ていったアイリを思い出し、スティナはくくくと笑いながら少し寄り道をすることにした。
行く先は裁判所。そこでアイリは裁判資料を忍び込んで盗み見ているはず。
建物をぐるっと見渡し、アイリならどこから忍び込んでどこから出てくるのかの当たりをつけ、出て来るだろう場所で待ち構える。
「おかえり、どうだった?」
とても楽しそうにそう声を掛けると、アイリは仏頂面を隠そうともせず答える。
「……そのにやけ顔には覚えがあるぞ。人を笑い者にしようと待ち構えている時の顔だ。さてはスティナ貴様、ここの裁判所が案外まともに機能していると知っておったな」
「はっずれー。知ってたんじゃなくてさっき調べたのよ。んで、アンタがどんな顔してるか見てみたくなって……くくっ、予想通りの顔してくれてて嬉しいわよっ」
「悪趣味め」
「はいはい、そういうこと言わない。種明かし、してほしいでしょ」
「ふん、いいだろう、話を聞いてやる。歩きながらだ」
偉そうにそう言うアイリの横にスティナも並んで歩きだす。
スティナの推論を説明してやるとアイリもすぐに納得してくれた。ここは無慈悲暴虐なイジョラ貴族の支配する悪徳の街ではなく、国の定めた法に則った形をきちんと踏襲したどこの国にもあるまっとうな順法の街なのだ。
この時点ではスティナもアイリも、かつてカレリアのアジルバの街で見た悲惨な奴隷たちを思い出せば、このカヤーニの街は十分まっとうであると思えたのだ。
反乱軍カヤーニ支部と殿下商会とで、すぐに話し合いの場が設けられた。
この話し合いに、殿下商会はイェルケルとレアの二人で臨む。
その話を聞いた時レアがすぐに思ったように、イェルケルもシルヴィがいるとなれば反乱軍と揉める気は全くなくなっている。
お互いこれ以上無為に敵対するのはやめよう、という話にも快く応じるイェルケルだ。
反乱軍でここら一帯の諜報のまとめ役をやっている男がこの話し合いに来たのだが、彼はイェルケルに問う。
「君たちの目的を聞いてもいいか? 話を聞く限り、まるで君たちはたった四人でイジョラに反旗を翻しているようにも見えるのだが」
基本的にレアは、イェルケルがいる場ではあまり余計なことは言わない。イェルケルを上位者として認めているのはもちろんだが、面倒な話し合いとかはイェルケルに丸投げしたいのである。
「そんな大層な話じゃない。ただ、ここには、気に食わないものが多すぎるだけだ。南部は居心地が良かったし比較的腹の立つシロモノは少なかったからこそかもしれないが、それ以外の地域はどうにも見ていられなくてな」
何かの比喩表現だろうか、とまとめ役の男はイェルケルを見返す。イェルケルは更に話の続きがあるでもなく反乱軍の男を見ている。
つまり、今の発言がイェルケルがイジョラで暴れている理由、目的の全てであると、少なくとも開示できるものはそうであるということだ。
なんと答えたものか戸惑いながらまとめ役の男は言う。
「そ、それはなんとも。で、では、今後も、その、君たちの気に食わない奴らを殺していく、という事でいいのか?」
口にしてから、それはまるで傍若無人な犯罪者のあり様のようで、まとめ役の男は言葉選びを失敗したかとイェルケルの表情を見るのだが、イェルケルはといえば邪気の無い笑みを見せた。
「ああ、そんなところだ」
内心でどれだけドン引いていようと表に出さないでいられるだけの心構えはしてあった。人間きちんと覚悟を決めて臨めば、大抵のことには動じずに済むものだ、とまとめ役の男は話題を変えにかかる。
「それでカヤーニに来たということは、もしかして君たちはイジョラ王セヴェリにすら手を出すつもりなのか?」
「ん? それはどういう意味だ?」
「セヴァリ王は不死だ。決して死なぬ王の不死を破る術を求めてこの街に来たのではないのか?」
イェルケルの目が驚きに見開かれる。
「そんな手があるのか?」
「……知ってて来たのではないのか。ここ数年、カヤーニの魔法研究所ではイジョラ王の不死を破る術を求めて研究を続けているという話を我々は掴んでいる」
「本当か? それは……凄いな、そんな方法があるのか。ん? いや待て。何故イジョラの公的機関がわざわざ王の不死を破る魔法など研究しているのだ」
まとめ役の男は少し困った顔をする。
「そこはまだ我々にもはっきりとした情報はない。その、一応、研究者の幾人かから聞き出した話があるのだが、我々にも理解が難しくてな」
「どういうものだ?」
「セヴェリ王の不死の魔法をより不死にするべく、不死を破る術を破る魔法を研究している、だそうだ」
怪訝そうな顔でイェルケル。
「何?」
「だから、セヴェリ王の不死度を上げるために現在の不死を破る術を用意し、これを更に破る不死を研究しようという話、らしい」
「……すまん、私が愚かなのか話の意味がわからない。不死度? セヴェリ王の不死には度数があるのか? 気持ち不死とか、やや不死気味とか、今日はかなり不死だぜおっしゃーとか」
「我々も魔法使いではない。彼らの価値観や判断基準はいまだにわからぬ部分もある。ただ、その話から推測するに……」
「ああ、セヴェリ王の不死には条件がある、ということか」
「そして、条件が判明せぬままに挑めば、本当に、噂の通りに、決して死なぬなどという神の如き存在になるということだ」
少し考えこむイェルケル。
「魔法研究所ということは、王の不死を魔法で破る手段を研究しているのか? それでは私たちには手を出せないが」
「……それが、な。どうも武器を作っているらしい。カヤーニ山の山頂にある研究所分室に保管されているそうだ」
「いや、幾らなんでもそれは……」
「言いたいことはわかる。だがな、研究自体は反乱軍が動き出す前から行なわれていたもので、我々に対する罠だとするには時系列がおかしいことになる。そもそも、イジョラの魔法使いが罠を用意するほど我ら平民を恐れるものか」
あまりに都合の良すぎる話だ。いっそこの反乱軍の男すら疑わしく思えてきたイェルケルだが、彼らはシルヴィとの関係をイェルケルたちに証明するため、シルヴィとイェルケルたちしか知らぬはずの話を口にしてきた。
である以上、少なくとも彼らの側にシルヴィがいることだけは間違いがない。あのシルヴィならば魔法で操られるなんてこともありえない。
しかも、その後イェルケルが疑問に思ったことに対する彼らの返答がより判断を難しくした。
「なあ、君たち反乱軍が、そんなに昔から準備をしていたというのに私は違和感があるのだが。この街に反乱軍の諜報の手が伸びていて、あまつさえ研究所の研究内容をすら把握できるほどの諜報力がある組織を維持している。それは、とても不自然なことだと思わないか?」
「我々がどういった組織であるか、どのように活動しているのかを明かすつもりはない。知らなければ漏らす危険もないだろう。もちろん我々もそちらの背後関係を知ろうとは思わない。イジョラに多数ある反乱軍同士は、そうやってお互いを守りあってやってきているんだ」
魔法使いが魔法を使えば、秘していた内容も確かな証拠として明るみに出てしまう。それらへの彼らなりの対策であろう。
実際は、彼らは厳密には反乱軍ではない。
イジョラには以前から、平民同士のための諜報組織が存在していたのだ。
イジョラで長生きしようと思ったならば、上位者たる魔法使いがいかに動くかを知ることが肝要である。
これらを知り、平民たちの間でこの情報を共有することで、平民たちは平民たちなりにイジョラでの自らの権益を守ろうとしていたのだ。
農村部はともかく、都市部の平民は魔法使いに仕える、または魔法使いと取引するといった人間も多く、そのためには十分な教育が必須だ。
またイジョラの魔法使いたちは、様々な仕事を平民に押し付けることを効率的な行動と思っており、それは当然平民たちの教育水準の向上や自ら統治をおこなえるような人物の育成に力を入れるといったことにも繋がっている。
これが例えば他所の国であったなら、こういった行為は自らの権力を平民に奪われかねない愚行となるのだが、イジョラでは統治能力の有無は権力者になるための絶対の基準ではないのだ。
故に、諜報なんて真似ができるほどの極めて優れた平民が多数輩出されることとなったのである。
そうした都市部の平民たちが中心となっている諜報組織とイジョラ農民たちがどうやって繋がったか。
それはこの諜報組織が、他国によるイジョラに対する諜報と極めて相性が良いことを考えれば、おのずとその理由も見えてこよう。
ただ、この諜報組織は平民たちによるもので、彼らは知識階級でありながらも自分たちが魔法を使えぬ平民であるという意識が強い。そして都市部においても貴族の最近の横暴は度を越している。
国中の貴族が金に困っているのだ。これを解決するためにまず平民に苦労を押し付けるというのならば、その矛先は当然農村だけではなく都市部にも向かう。それは農村に向かうよりもより近くであるが故により強烈な形で。
農村部反乱軍と都市諜報部は、いざ連携を取り始めればお互い反目する部分もあるにはあるが、それ以上に強烈な仲間意識が芽生えた。共に、貴族の横暴に、圧政に、耐え続けてきた者同士として。
特に東部反乱軍がイジョラより領土をぶん捕ってからは、都市諜報部は率先して必要な情報を反乱軍に流すようになってきた。いやさ、己もまた反乱軍であると、覚悟を決めて動くようになったのだ。
イェルケルが彼らに不自然さを感じるのも当然だが、彼らが存在するのにもイジョラ特有の理由があったのだ。
そしてイェルケルは、騙されることを恐れない。
言葉だけでは信用できぬ事柄は、自分たちの目で確認すればよいのだ。イェルケルたちにはそうできるだけの力がある。
「わかった。他にも、疑われるかもしれないから言っていないこととかないか? 君たちの言葉が正しいか否か、私たちには私たちにしかない手法で確認することができる。その内容が真実であるとの確信があるのなら、変な疑いはかけないから是非教えてほしい」
そう言ってイェルケルはレアに合図を送る。レアはどうしようかと考えた後、これでいいや、と動いた。
「んなっ!?」
この場には反乱軍諜報部の男が護衛込みで五人いた。その全員が、諜報なんて活動に従事しているにもかかわらず思わず声を出してしまう。
レアはその場で垂直に飛び上がったのだ。
そして空中で半回転。身体を入れ替え、頭が下に、足が上になる形に。そのままレアの足は天井に吸い寄せられ、レアは天井に着地する。
天井に逆さまになって立ちながら、驚愕の表情の彼らを見て愉快そうに笑い手を振るレア。それでもまだ、レアはこの世の法則に逆らうかのように、まるで魔法のように天井から逆さに生えたままで。
充分に脅かした、と思ったレアはひらりと舞い降り、何事もなかったかのようにイェルケルの後ろに控える。
「これ、魔法じゃないぞ。君たちも諜報を行っているのなら私たちの戦いの話は聞いているだろう? 魔法も使わず魔法使いを殺してきた理由の一端でも、理解してもらえたかな」
まとめ役の男は絞り出すように声を出す。
「一端、か。ああ、なるほど、イジョラの連中がしつこく何度も魔法は使っていないと口にしていた理由がよおおおおおおおくわかった。くっそ、我々にはアンタらが魔法を使ってるかどうか判別する術はないんだぞ」
「安心してくれ、私にだってないよ。こういう技術がこちらにはある。悪いが、君たちにだって諜報じゃ負ける気しないよ」
「安心なぞできるかっ。……というかいつから諜報は体術を自慢する場になったのか……」
そんな言葉を口にしながらも、彼にもレアの技はただ凄い技、というわけではないことも理解している。
跳躍の時、天井に足をついた時、そしてふわりと落下した時、その全てで全く物音を立てていなかったのだ。この技をもって夜中に忍び込まれたら、防ぐ手段はそれこそ密封以外にありえない。
その後、幾つかの情報交換を済ませると今回の話し合いはお開きとなる。
まとめ役の男は、イェルケルたちと別れた後で、護衛の一人に問うた。
「で、どうだった?」
その男はまとめ役の男の知る最も強い戦士である。また技量を見抜く術に長けており、今回はその戦士を見る目を期待して同行を願ったのだ。
「……俺に見える動きを見る限りでは、そうだな、せいぜい俺が五人もいればあの二人も仕留められる、その程度だ」
「それは……」
「だがな、俺が十倍になろうとも、あの天井裏に逆さに立つ技などできん。申し訳ないが、あの二人の技量は俺如きでは見抜くことはできんと俺は結論付けた。あそこまで完璧にあの程度の戦士を演じられるということは、よほど戦士としての動きを理として理解しているということだろう。それは最早、俺には理解すらおぼつかぬ領域だ。なあ、一つ、機会があればでいいんだが頼みを聞いてくれないか」
「なんだ?」
「あの人たちが戦うところを、剣を振るうところを是非見たい。その機会がありそうならば絶対に俺に声を掛けてくれ。頼むぞ、忘れるなよ、忘れたら一生恨むぞ、わかってるな」
彼の勢いに若干引き気味になりながらも、まとめ役の男は彼とは別の見方であの二人を見ていた。
敵地に忍び込み工作を行なう、これは本来捕らえられる前提で、捨て身で行なわなければならない行為だったはずだ。それがあれほどの体術があるのなら、十分に成功を期待できる、いざという時の一手ではなく常に打てる手として用いることができよう。
まとめ役の男は誰に言うともなくしみじみと呟いた。
「そうか、武術の道とは、極めれば隠密術にも通じるものなのだな」
「おいこら、気持ちはわかるが気を確かに保て。お前ハタ目には全くそう見えないが、めっちゃくちゃ動揺してるだろ。馬鹿野郎、お前が動揺してることにビビってこっちが正気に戻っちまったじゃねえか」