171.鮮烈、アルト王子死す
アルト王子は、コウヴォラの街から逃げ出すように出陣する。
ヒト人形工房失墜の件でセヴェリ王が激怒しているため、セヴェリ王の手足である近衛の手が届く場所にいては命が危ないのだ。ほとぼりが冷めるまでは地方で活動するしかない。
またそれを抜きにしても、権威と利権を失ったアルト王子は早急にこれを取り戻す必要がある。まさか味方である他四大貴族からこれらを奪うわけにもいかないのだから、後はもう反乱軍からぶん捕るしかない。
元々四大貴族の話し合いにより反乱軍対策はエルヴァスティ侯爵が引き受ける形であったのだが、アルト王子は侯爵に多大な譲歩をしたうえでこの権利を譲ってもらい、今こうして出兵にまでこぎつけたのだ。
出陣時のアルト王子は、もう不機嫌だのといった状態を通り越し、精神の均衡が失われているような有様であった。
だが、アルト王子がそんなヒドイ状態であっても派閥というものは偉大であり、周辺の人間たちの根回しにより対外的には何一つ問題がないよう整えられての出兵である。
東部反乱軍の予想だにしない膨張は、アルト王子以外の四大貴族の危機感も煽っているようで、エルヴァスティ侯爵以外はアルト王子に援軍の派遣を決定している。
出陣後、行軍開始十日目。
アルト王子は死んだ。
軍内に潜入していた反乱軍兵士が決死の暗殺にてアルト王子を刺殺したのだ。他にも数十人の兵士が潜入していたようで、彼らもまた軍首脳の暗殺を目論んでいたが、魔法使いの持つ不可視の盾により防がれ失敗に終わる。アルト王子のみが不可視の盾を展開することもできぬまま殺されたのだ。
だがこれが反乱軍にとって思わぬ結果に繋がる。アルト王子軍は、アルト王子という馬鹿な上役を失ったおかげでようやく軍としての動きができるようになったのだ。
半分以下に落ちていた行軍速度も常の軍隊のそれへと戻り、指揮系統も一本化が果たされた。
そうした状態でアルト王子軍対、迎撃に出撃していた反乱軍との最初の衝突が起こる。
結果は引き分け。どちらも痛撃を与えることもないまま後退し陣を張る。
アルト王子軍側は、まさか反乱軍が砦を出てこんなところにまで突出してくるとは思っておらず、反乱軍側もまた暗殺に成功しそのうえで奇襲も成ったというのにまるで崩れぬアルト王子軍を攻めきれなかった。
反乱軍がイジョラの正規軍とこうして張り合えたのには、カレリアより来た傭兵たちの働きが大きい。戦力としてだけではなく、実戦に即した軍略というものを彼等から学んだ反乱軍が、暴徒の群ではなく軍隊として機能し始めたのだ。
大きな湿地帯を挟んで対峙する両軍。
戦意は明らかに反乱軍の方が上だ。これにより、魔法という絶対的な優位を持つアルト王子軍との互角の戦いを成立させている反乱軍であったが、何故かそこに、砦陥落の英雄、天馬の騎士シルヴィの姿はなかった。
反乱軍にも少数ながらも騎馬隊というものがある。
馬牧場で働いていた者を中心に編成された部隊で、馬術には長けるものの、馬に乗って戦うといったことにはこれっぽっちも慣れていない、騎馬隊としては素人同然の集団。
これを隊長のシルヴィ・イソラは一月でそれなりに見られる部隊へと育て上げた。
そんな彼らを率い、シルヴィは崖上から眼下を行く軍を見下ろす。
これはヘイケラ公爵の派遣した援軍だ。
シルヴィはこれをじっと見る。
この軍には変な兵がいた。背が高いだけではなく横幅も大きい、持ち運びにも苦労するだろう大盾と長い槍を持つ兵。
通常、魔法戦士に代表される魔法により身体を変化させた兵士は、何日ももたないので戦闘開始直前に魔法を施すものだが、この兵士は行軍の最中に既に魔法による強化を受けている。
シルヴィはむむー、と考えこむ。あれだけ大きな身体に頑丈そうな盾を持っているのなら、騎馬突撃を真正面から止めることもできるだろう。
部下の兵たちに実戦勘を教えるために、眼下の軍への突入を考えていたシルヴィだったが、ああいった兵がいてはこちらもそれなりの損害を覚悟しなければならない。
そしてシルヴィはそんな覚悟はしたくないのである。
「ん。予定へんこー。私だけで行くから、みんなは合流予定地点行っててー」
この隊の副長に当たる男が、色々と諦めた顔で言う。
「……了解。てかよー、アンタにこれ言っても仕方ないんだろうけど……本気で、俺たちだけであの軍に突っ込むつもりだったのか?」
「うん。でも、あのおっきい兵士。あれマズイねー。せっかく乗馬上手くなったみんなが死んじゃったらヤだから、今日はお留守番だよー」
「おれたちさー、ごじゅーにんしかいねーんだけど。敵さんあれ、千人超えてね?」
「そうだね。ほらほら、言ったでしょ。敵の数だけじゃなくて布陣と地形と兵士をよく見て、って。あのおっきい兵士がいなければ、みんなだけでも突破だけならできると思うよ。判断一つ間違ったら全員死んじゃうけど」
副長はこれ以上の抗弁を諦めた。基本的にシルヴィは誇張表現というものをしない。できると言えば本当にできると思っているし、できないと言えばそれは絶対に無理なことなのだ。
そのシルヴィが一人で行くというのだから、それは勝算あってのものなのだろう。
副長と同じく色々言いたそうになってる部下たちを連れ、彼らはこの場を去る。そしてシルヴィ一人が残った。
シルヴィは自らが乗り込んでいる馬を見下ろし、にへらと笑う。
「んー、久しぶりに、全力で行けるね。ねえ、あそこに飛び込んだら、私たち、死んじゃうかな?」
語り掛けられた馬は小さく嘶く。神と吾輩を殺せる者なぞこの世におらん、なんて言葉が聞こえたわけでもなかろうが、シルヴィは馬も十分にやる気だと知る。
シルヴィは自分は騎乗した状態が最も強力であると自負しているが、この状態で戦場へと乗り込んだ経験は意外に少ない。
どこかの騎士団やら商会やらとは違って、そこかしこに喧嘩を売って回るような真似をシルヴィはしないのだ。売られた喧嘩に関してはその限りではないものの、シルヴィは喧嘩を売られてもそれが言葉であるうちは強烈な反撃などは控える常識人なのだから。
シルヴィは、武の鍛錬を積んだ人間なら誰しもが思うこと、己が武の証明を、己自身に示してみせたいのだ。まだ、もっと、自分はやれるのではないか、それを己が身をもって確かめてみたかったのだ。
だからこうして、単騎で軍へと挑むなんて選択が彼女には存在してしまう。誰よりも自分自身に、己が強さを証明するために。
今、シルヴィは彼女自身が鍛えた愛馬を伴っており、戦場は城攻めなんてものではなく野戦。言うことはない、最高の状況だ。
シルヴィ・イソラは、農民で、心優しい少女で、呑気で穏やかで天然で子供言葉が抜けなくて、そして、それら以上に、戦士であった。
「じゃ、行くよっ!」
王女という立場でありながら軍を率いる稀有な能力の持ち主、クッカ王女はこれまでの行軍で既に今回の従軍を承知したこと、後悔していた。
そもそも野宿というのがありえない。陣幕を張ってはいるが居住性は最悪で、虫は出るわ食事はマズイわ暑いわ寒いわ、しかも声が漏れてしまうので同行させている恋人を連れ込むこともできない。
ヘイケラ公爵が、箔を付ける戦闘としてはこれ以上は望めないというぐらいの好条件だと言っていたので将の一人として従軍に納得したのだが、戦場につく前にあまりの不快さに投げ出してしまいそうになっている。
だが、確かに悪くはないのだ。敵は予想以上に数を増やしたとはいえ魔法も使えない農民ばかり。こちらは魔法使いを多数擁する正規軍だ。まともにぶつかれば戦にもならないだろう。
クッカ王女が誰よりも気に入らない女、パニーラ・ストークマンはこれまで派閥といったものとあまり関わってこなかった。
だが、カレリアでの敗戦を経て、今では完全にエルヴァスティ侯爵陣営の一員として行動している。
今後パニーラはエルヴァスティ侯爵陣営最強の女将軍として売り出していくのだろう。ならば、ヘイケラ公爵陣営唯一の女将軍としてクッカ王女が負けるわけにはいかない。
美しさではアニタ王女には敵わない。それはクッカ王女には認めがたいことであるが、どうにもしようのない事実である。だが、あんな知能の低い女に負けるのはクッカ王女の自尊心が許さない。故に軍事なのだ。
己が一番でなければ納得できない。そういった人間であるクッカ王女は、いずれはアルト王子のように四大派閥の一つを自らの物にせんと野望を燃やす。
そしてクッカ王女は、ソレと出会った。
「なんだ……あれは」
たった一騎で、千の軍に挑んでくる馬鹿がいた。
物凄く長い槍を真横に構え、片手で手綱を握り、僅かに腰を浮かせ、とても楽しそうに笑いながら。
背筋がぞくりと冷えた。ただ馬を走らせるという行為が、ああも美しく、恐ろしいと思えたのは生まれて初めての経験だ。
「おい、アイツ誰だ? すげぇ美人だけど」
そんな呑気な声が聞こえてきた。クッカ王女はその馬鹿を怒鳴りつけてやりたかった。
あの構え、走り方、視線の先、どこを見ても、アレはこれからこちらに攻め込まんとする敵の動きであろうに。
だが怒鳴れない。怖いのだ。アレに今の自分の位置を知らせるような真似が、怖くてできないのだ。
そうこうしている間に、アレを魔法で仕留める絶好の好機、接敵までの距離を一気に詰められてしまう。
女の槍が薙ぎ払われると、最前衛の兵士がまとめて三人吹っ飛んだ。
「て、敵だああああああ!!」
そう叫んだのは前衛部隊の小隊長の一人だが。その彼は人波を飛び越えてきたその女に突き殺された。
クッカ王女は、声を出したらやっぱりああなるのか、と生唾を飲み込む。
女は人の群、それも武器を備えた軍隊のど真ん中に馬で突っ込んできたというのに、まるでその速度が落ちない。
人の塊、その隙間をすり抜け時に飛び越え、正に無人の野を行くが如くといった風だ。
各隊の隊長は何をやっているのか、迎撃は命じていないのか、とそちらを見るが、彼らは命じている。迎え撃て、進ませるな、止めろと。
だが兵士たちがこれに従っているようには見えない。ありえない。魔法使いの命令に兵士が逆らえるはずがないのに。
『……ああ、そうか。兵士たちは命令通り動こうと、止めようとしてるのか。そうできないだけで』
見ただけではクッカ王女にもわからぬ、何かをあの女がしているのだろう。
端で見ている分には兵士たちには十分に迎撃する余地があるように見える。だが、クッカ王女はじっと兵士の表情を見る。そして気付いた。兵士にはあの女が突っ込んでくるのが見えていない。
女はデタラメに走り回っているのではないのだ。大きく右方に走ったと思えば、今度は左方へと動きを変え、弧を描くかと思えばまっすぐ直線に走る。その予想だにせぬ動きに、指揮官である小隊長たちの指示が追いついていないのだ。
指揮官の指示が無ければ人の群に埋もれている兵士たちには、あの馬の位置を知ることができない。できる距離まで来た時には、もはや兵士の対応は間に合わぬ。
結果があれだ。
好き放題に軍の中を走り回られ、小隊隊長たちを中心に次々と討ち取られていく。
こんな時であるが、クッカ王女は一つ新たに理解できたことがあった。それはイジョラ軍において魔法使いが兵に大声で直接指示を出すのは極力避けるべきとされている。
それは敵に魔法使いの位置が見つからないようにする工夫であったのだが、その必要性をクッカ王女は実体験として理解できたのだ。
軍の半ばまで突っ込まれたところで、ようやく魔法使いが動き出した。
味方の兵を巻き込むからと、躊躇しないような訓練をイジョラの魔法使いは受けている。
だから流れ魔法は一切気にせず魔法使いは女に向かって魔法を放つ。
女は少しむっとしたような顔をしていた。
『あれは多分、魔法を撃ってくるのが遅いと怒っているのだろう』
降り注ぐ炎の魔法、飛礫の魔法、氷矢の魔法等々、魔法の束を槍の一閃のみで弾き飛ばす。
その動作に余裕が見てとれる。だが、魔法を撃たれた瞬間に凄まじい速さで動いたようにも見えたのはいったい何か、と考えとある魔法に思い至る。
『雷の魔法とかの高速射撃魔法を警戒した? あんな高位魔法使える者なぞそうそういないだろうに』
それでも備えるその隙の無さに、クッカ王女は胸の内に燃え上がる炎を感じる。
騎馬が跳ねるに合わせ背中に流れる後ろ髪が波立ち揺れる。その髪の根本には、どれだけ見ても飽きが来ない愛らしい顔がある。
馬と一体になったかのように、馬の足先から女の手の先端までが繋がり大きな流れを作り出す。手にした槍は魔法の強化もないのに、兵の金属鎧を易々と千切り、或いは鎧ごと兵を持ち上げ投げ飛ばす。
矢継ぎ早に襲い来る魔法は女を捉えることはできず、最初の一撃こそ槍で弾いていたがその後はそもそも当たりすらしない。
圧倒的暴力を誇る兵士の塊、魔法使いたちをあざ笑うかのようにその最中を駆け抜けていく。
その雄々しき威容は、クッカ王女が夢に見た英雄の姿そのもので。
あまりに馬鹿げた、子供の夢想のような、後の世に語り継がれるだろう、物語の中にしかいないはずの、偉大なる英雄であった。
クッカ王女の心中に、抑えようのない激情が吹き荒れる。
アレは、あの場所には、王の娘たる自分こそが相応しい。なのに何故あの女なのだ、何故にパニーラのような下賤な者が称賛と喝采を浴びるのか。アレらは全部、クッカ王女のものであるというのに。
「殺せ! あの者を決して生かして返すな! 馬から引きずり降ろしありったけの槍を突き立て殺せ!」
そう叫びながらクッカ王女は自らも魔法を放つ。
それはにっくきパニーラのそれに酷似した魔法で、自身が手にした槍を投げ放ち魔法にて操るといったもので。
使い勝手は圧倒的にパニーラの魔法の方が上で、そんな所もクッカ王女は気に食わないと思っている。
魔法の効果で軌道を変化させたにもかかわらず、こちらを見もせず簡単に必殺の魔法をかわしたあの女も、クッカ王女は心底気に食わなかった。
シルヴィは、五割増しの長さで柄の先である石突にも刃をつけた両穂の槍を手にしていた。
まずこの槍、長すぎてまともな人間では扱えない。長い分折れやすくなってしまうので、柄の太さも並みの槍よりずっと太い。それでいて両方の先に槍の刃がついている。
これを扱うには技量云々だけではどうしようもない、圧倒的な膂力が必要となる。これらの仕様は全て馬上にて軽快に槍を振るうためのものだ。
通常槍は馬の右側に持ち、右側の敵のみを突き殺せるようになっている。だがこの槍は、右側の敵を刺した後、穂先を大きく馬の頭上を越えさせなくても反対側の穂先を用いれば左側の敵を突けるようになっているのだ。
槍を脇に抱える形を取りたい時は、馬の頭上ではなく自らの頭上を柄が通るようにして構える。あまりに特殊すぎて、シルヴィがこれを発注した時は鍛冶屋に正気を疑われたものである。
またこの槍を用いた場合、馬上槍の戦い方とは異なる馬の斜め前ではなくより左右側にいる敵を狙うことになる。そういった諸々の特殊性を踏まえたうえでもシルヴィは、馬上にてよりたくさんの敵を殺すにこの武器が良いと判断したのだ。
槍はそれ自体に意思でもあるかのように、シルヴィの周囲をくるくるとよく動き、普通の馬上槍では決して狙えぬ敵を刺し、並みの馬上槍では決して出せぬ殺害速度を見せる。
シルヴィの想定する戦場とは、馬にて駆け寄りながら前方の敵を倒すものではなく、前後左右全て敵という敵軍ど真ん中にて、できる限り早く多くの敵を倒すものであるのだ。
この縦横無尽に弧を描く両穂の槍に加え、シルヴィの馬である。
どんな訓練をすればこんなにも高く飛び上がることができるのか。人の背など軽く一跳びで越えていく跳躍力は、イジョラのどんな馬にもなしえぬ特徴だ。
また敵中に飛び込んで尚怯えぬ胆力、兵士の数人程度なら弾き飛ばしたとて速度も落とさぬ馬力、他生物を寄せ付けぬ圧倒的速力、そして何より、急転換を苦も無く行う尋常ならざる脚部の頑強さ。
これを馬という生物に規定してしまうことに、誰しもが大きな抵抗を感じるだろう。これが馬ならば、これまで見てきた馬らしきものはいったいなんだったのかと。
人間にはとても扱えぬ槍、馬という種から明らかに逸脱している乗馬、この二つを操るは天馬の騎士、シルヴィ・イソラだ。
「おー! やっと出たー!」
シルヴィの進む先に、巨体の兵士が立ちはだかる。
魔法により変化を加えられていながら命を長らえている、魔法による強化のみをその身に宿した強靭な戦士、すなわち魔法戦士である。
こちらもまた彼らでもなくば持てぬような巨大な盾を前面にかざし、馬の突進を真っ向から止める構えだ。これをやられたら騎馬突撃は止められてしまうからと、シルヴィが部隊での突撃を諦めたというシロモノ。
後ろ足を伸ばし踏ん張り、全体重を前に掛け肩で後ろより大盾を押し込む。
横一線に並んだ戦士達は盾の隙間よりシルヴィを睨む。これまでの暴風の如き大暴れを見て尚、かかってこいと。俺たちが止めてやると睨み付ける。
シルヴィはこれに対し、真っ向より挑みかかる。馬もシルヴィの命に従い一切足を緩めず。
馬の速度にも、その体重にも、決して負けぬ剛力の持ち主がこの魔法戦士たちだ。魔法による変化のせいで戦う以外のことを最早成し得ぬ存在となった今、己が唯一の存在意義を懸けシルヴィたちへと挑む。
寸前での方向転換もありうる。だが、その一線を越えてしまえばもうそれすら間に合わぬ。そんな距離を、今、抜けた。
魔法戦士たちは一斉に、受け止めることに全身全霊を傾ける。それを見てから、シルヴィは動いた。
馬の首を両腕で抱えたまま、シルヴィは馬上より前方へと、左方より回り込むように飛び出したのだ。
馬の首を起点にぐるりと回って馬の前方に身体が飛び出すと、シルヴィは両足で魔法戦士の盾を蹴り飛ばす。馬の突進にすら耐えきる強固頑強な盾だ。これを支えにシルヴィは馬の突進速度を強引に抑え込む。
いや抑えるだけではない、右方へと力がそれるように押し込んでやると、衝突以外ありえなかった馬の進路が垂直方向に変化する。シルヴィはこれに合わせてずらりと並んだ盾を走り出した。
馬は並んだ盾と水平に走る。シルヴィはそんな馬の首を両腕で抱えたまま前方に突き出された足で盾上を走る。
『なんだと!?』
魔法戦士たちの驚愕、その反応よりもシルヴィと馬が盾が並ぶ列の端へと辿り着くのが先だ。
ここでシルヴィは盾の内側に足首を引っ掛け、馬の首を全力で引き込む。
ここで盾を手放すなんて応用の利いた動きができればよかったのだろうが、端に立つ魔法戦士は盾を奪われてなるものかと必死に堪える。そのせいで、シルヴィが馬の身体を内側へと引っ張り込むに充分な土台となってしまった。
端まで行った馬は、シルヴィに引き寄せられ構えた盾の内側にその首が向かう。シルヴィは既に、馬の上へと戻っていた。
現在の位置取りは、まっすぐ盾を構え並んだ魔法戦士たちと、その盾の内側へと入り込み馬首を彼らへと向けたシルヴィたち、である。
「いっけーーーーー!!」
シルヴィの陽気を通り越し能天気にすら聞こえる声に合わせ馬が飛び込んでいく。盾が大きすぎることと横にぎっちりと並んでいたせいで大盾をシルヴィに向けることもできぬ魔法戦士たちは、面白いように次々と刈り取られていく。
こうして、無敵の盾とクッカ王女が信じていた魔法戦士隊の防衛線は、瞬く間に蹂躙されてしまう。
シルヴィの目は次なる獲物へと向けられる。
さっきから妙にこそこそと、後ろに下がろう下がろうと動きながらもずーっとシルヴィを見ている目。
『しかも女の人が鎧着てた。珍しいこともあるもんだね』
自分のことを棚に上げて、シルヴィはその珍しい女騎士のことを考える。
その側にいる戦士たちの仕草や動きを見れば、彼女がその集団で最も地位の高い者であるとわかる。わかってしまうような立ち居振る舞いなのだ。間違いなく貴族とその従者であろう。
にひひーと、とても戦場にいるとは思えぬいたずらっこのような笑い方でシルヴィはその女騎士を見る。向こうはそれに気付いたようで、隠れながらなんて真似も投げ捨て堂々と馬を駆って逃げ出した。
「逃っがさなっいよー」
彼女が逃げるのを誰も止めない。それどころか逃げるのを援護に入るのだから、彼女がこの軍においてかなり高い地位にいるというのはほぼ確定だろう。
シルヴィは降り注ぐ魔法をすり抜け、お逃げください愛しき人よ、とか叫ぶ男を蹴飛ばして女騎士の騎馬に並ぶ。
一瞬、殺すかどうか迷ったが、生きて連れて帰った方が色々良さそうだと考え直し、シルヴィは槍を持たぬ手で彼女をひっつかみ背後に背負う。
彼女の首を持ってお互い背中同士が重なり合うような背負い方であるので、彼女は苦しそうであったが、下手に動き回られるのも面倒なのでそうやって抱えたままで馬を走らせる。
そのまま軍中を突破せんとするシルヴィに対し、軍が両翼で挟み込むように伸びることでぎりぎりまでシルヴィに追いすがってきたが、結局、背負った女騎士に対し大きな魔法を使えぬということでシルヴィを止めることはできなかった。
そして一度距離が離れてしまえばもう、どんな馬でもシルヴィに追いつくことはできない。
こうしてヘイケラ公爵派の援軍千は、たった一騎に散々にしてやられた挙げ句、主将であるクッカ王女をさらわれるという大失態を晒すことになったのだ。