017.アジルバの街
アジルバの街は王都から馬で三日程の場所にある。付近を治める領主はこの街に住んでおり、またこの土地が肥沃な土地であることもあってアジルバの街は領地の中心地として昔から栄えていた。
主要な交易路からは外れた場所にあるが、国でも有数の大商人がこの都市にいるおかげか、都市の規模に比して商取引は活発な方である。
そう聞いていたイェルケルは、騎乗してこの領地に入ったのだがそこで違和感を覚えた。
見渡す限りの大農園。そんなものは耕すに適した土地であるのならどこでも見られるものなのだが、そこで働く人々が少し奇妙に思えたのだ。
最初こそその違和感の理由がわからなかったイェルケルであるが、丸一日この領地を進んだ後、馬に乗って自分の後に続く二人の騎士、スティナとアイリを見てようやく違和感の正体がわかった。
「なあ、スティナ、この領地では、女が畑に出ていないのではないか?」
少し驚いた顔でスティナ。
「あら。良く気付きましたね殿下」
「一日かかったがな。なんだこれ? ウチの領地なんて男も女も一斉に畑に出ないと、とてもではないが作業は終わらないぞ。よほど人に余裕があるということか? いや、にしては……」
「街に着いたら説明しますわ。後、予め言っておきますね。この街、いや、領地全部ですわね。ほんっとに胸くそ悪くなるようなことばかりですので、どうか覚悟を決めてください」
見ればわかる。というより見た上でわかるべきだ、と言うスティナの言葉によりイェルケルはこの領地に関する最低限の知識しか教えてもらっていない。
なのにこんなことを言われたなら、嫌でも警戒してしまうだろう。イェルケルは油断無く周囲に気を配りながらアジルバの街の城門へと。
アジルバの街は高い城壁に囲まれており、その外側にぐるりと囲むように農地が広がっている。
それ自体はさして珍しくもないものだったが、城門から中へ入る時、まず最初に引っかかることがあった。
イェルケルがその疑問を口にする。
「何だ? 何故こんなに出入り口が混んでいる? いや、入る方はそれほどでもないな。出る方か、やたら兵士たちの手際が悪くないか?」
スティナが淡々とした口調で声を落として言った。
「住人が間違っても逃げ出さないように、外に出る時は家族の誰かが城壁内にいることを証明しなければならないんですよ」
「……な、に? え? いや、何故にそこまでして外に出るのを制限しなければならないんだ? というか逃げる? 中で疫病でも流行っているのか?」
「そうしなければ逃げ出すようなモノが、この中にあるのですよ。とはいえ殿下は問題ないですので、気にしないで大丈夫です。私とアイリは……」
そう言うと顔をすっぽりと覆うフードを被るスティナ。アイリもまたスティナに倣ってフードをかぶり顔を完全に隠してしまう。
スティナはやはりぼそぼそと小声で言った。
「兵士とのやりとりは殿下に任せますので。私たちは口を開けませんから、お願いしますね」
急に言うな、とも思ったが、その程度なら特にどうということもない。
妙に居丈高な兵士が身分を問うと、イェルケルは予め用意しておいた言葉、旅の騎士であると告げる。すると兵士は少し怯えた顔になった。
兵士に見せた騎士の証、国の紋章の入った印を見せると兵士はより怯えた顔でかしこまり、イェルケルの機嫌を損ねないよう余計なことは何一つ言わず門を通してくれた。もちろん従者二人が顔を隠していても文句も言わない。
こんなんでいいのか、と思いながらイェルケルは門を抜け街中に入る。
さていったい如何な地獄絵図かと身構えていたイェルケルだが、街の景観自体はそれほど奇妙なものでもなく、どこにでもある普通の町並みに見える。
また大体どこの街でも宿への行き方は一緒であり、惰性でそのまま主道を進んでいてもほとんどの場合で問題なく宿を見つけられる。
宿は以前にここに来たことがあるらしいスティナのお勧めに従い、旅の豪商が泊まるような高級宿に腰を落ち着ける。
宿に荷物と馬を預けた後、アイリの案内でイェルケルは街の探索へと向かう。スティナは単独でやることがあるらしいので別行動だ。
イェルケルとアイリの二人。アイリは相変わらずフードを深くかぶったまま。
「なあ、そろそろこの街のこと、教えてもらえないか?」
「ですな。まずは奴隷商の所にでも行きましょうか」
「奴隷? この街の近くに炭鉱なんてあったか?」
アイリはこれに答えず、イェルケルをアジルバの街の商人街へと案内する。
この時点で、イェルケルはもう嫌な予感しかしなかった。
「おい……アイリ。奴隷取引は国が全て管理していて、王都の奴隷市場もしくは特別に許された専用区で、それも専門の役人のみが取引できるはずだが……」
「そうですな。間違っても商人街に商品として並べるようなものは、あってはなりません。そう、法で決まっております」
そう言いながらアイリは、商人街のど真ん中に建つ大きな建物を指差した。
もうまるっきり隠す気もなく、堂々とその建物には『奴隷各種あります』と書かれていた。
ついでに言うと、その周辺には奴隷関連商品の店がずらりと並んでおり『奴隷まっしぐら、最強の奴隷食品を今』だの『安全対策の新たな地平を切り開く、新超硬張足鎖』だの『貴方だけの奴隷を、奴隷用化粧セット 注:一度した化粧は二度と落ちません』等々の看板が。
「おいっ」
つっこみきれぬイェルケルを他所に、アイリはさっさと奴隷商らしき建物へと。慌ててこれに続くイェルケル。
アイリが入ったのは高級奴隷を扱う建物のようで、この建物に入るなり良い香りがほんのりと漂ってきた。
女娼、男娼、共に結構なシロモノがずらりと。
ちなみに入ってすぐの所で見られるものは、素人さんにもわかりやすい美しさを持つものがメインらしい。
肩が震えだしたイェルケルに、アイリは小声で呟く。
「顔には出さぬよう。事情は外にて説明します」
「……わかった」
それだけ答えた後、イェルケルは無言のまま建物の中を歩く。少しすると商人らしき者がイェルケルの側に。
「いらっしゃいませ。どのようなモノをご希望で?」
イェルケルは吐き気を堪えながら言う。
「友人に珍しい商品を取り扱う店があると聞いてきた。具体的な商品は見るまで秘密と言われていたのだが、いや、さすがに驚いたよ」
商人は破顔する。
「でしょうとも。なんともイタズラ好きなご友人をお持ちで。もちろんこれらはご領主様のお許しを得てのもの。ご心配には及びませぬぞ」
「それ、は、ありがたいな。だが、入手し持ち帰った後で国の法に従えと取り上げられてはかなわん」
「ふふっ、その懸念もごもっともで。ですが、奴隷法にはこうもあります。法施行前に入手した奴隷に関しては法の適用外であると。売買契約書には、施行前まで遡った日付を書かせていただきます」
「良くもまあ、そんな上手い手を考えつくものだ」
「それが商人というものでして。さて、今日はまずはご様子見ということにされては? いきなり買っていただけるのもありがたいですが、いずれ長く使うものですから、じっくりと吟味されてはいかがかと」
「ふふっ、親切な顔をして懐へと、か。まあいい、お前の策に乗ってやろう。他の商品を見せてみろ」
「はは、ではこちらへ……」
一通り商品の説明を受けた後、入り口まで送ってくれた商人に礼を言ってこの建物を後にする。
完全に商人街から出たところで、ようやくイェルケルは顔に貼り付けていた笑顔の仮面を崩した。
「……や、やっぱりこれやるの疲れる」
「お見事でしたぞ殿下。さすがに王家の一員なだけあって、表面を取り繕うのは見事の一言でした」
「こーいうのは役になりきるのが一番だ。傭兵の装束でお忍びを誤魔化す貴族、といった演技だったんだが、どうだ? 結構イケてたと思うんだが」
「おおっ、まさに、まさにそれでしたな。こういうのはスティナが得意なのですが、殿下も負けておりませんなぁ」
「アイリは?」
「……そもそも、私の容貌で交渉事は……」
「うんごめんホント悪かった」
アイリなぞ誰がどう見ても成人すらしていない小娘にしか見えぬ。そんな者にまともな交渉など不可能であろう。
微妙にへこんだアイリもすぐに気を取り直し、説明をはじめる。
「という訳でして。この繁盛っぷりを見ても、随分と根が深いのがおわかりでしょう?」
「まあ、な。ここの領主の名は?」
「バルトサール侯爵」
ああ、とすぐにイェルケルはぴんと来た。
バルトサール侯爵はスティナを愛妾に迎えようと狙っていた貴族で、つい先頃もイェルケルたちを罠にかけ、スティナとアイリの騎士叙勲を取り消すよう言ってきたのだ。
そのせいでイェルケルたち三人は配下の傭兵に見限られ、たった三人で三千の兵に突っ込むハメになった。
アイリはふんと鼻を鳴らした後、苛立たしげに言う。
「あまりに侯爵がしつこいので、敵の弱みを見つけ逆撃してやろうとスティナと忍び込み色々と調べてやったのですが、如何に悪事の証拠を集めようとも騎士見習いの我々では到底太刀打ちできぬ相手だとわかっただけでした」
証言能力に差がありすぎる。侯爵の一言と騎士見習いのそれとでは発言の重みが違うのだ。この両者が相反することを口にしたのなら、優先されるのは当然侯爵の方であろう。
奴隷法は内戦が終わった後、二年前に施行されたものでまだ国中に行き渡っているとは言い難い。
元々は奴隷取引が犯罪の温床になっていたため、これを厳しく制限し管理することで犯罪率低下を目指したもので。内戦で強力な権限を手にした宰相アンセルミが国内の反対を押し切り施行された。
今は言うなれば過渡期であり、以前からあった奴隷により成り立っていた幾つかのものが、穏やかに消滅していくまでの繋ぎとして、バルトサール侯爵のこの事業は見逃されている部分もある。
実際奴隷取引を大きく制限した結果、大地主や娼館が安定した労働力の供給を断たれ窮地に陥っていたので、バルトサール侯爵の事業はこういった者たちに広く支持されており、彼の権限をより強くする一因となっていた。
国が定めた奴隷の売却先が炭鉱と水夫に制限されていることもこれに拍車をかけているだろう。
アイリは顔を隠したフードを引っ張りながら言う。
「今この領地では、まっとうな見た目の娘はほとんど人買いの餌食になっております。ふざけた話ですが、農村部では特例として嫁の共有が認められています。数が減った女で、効率良く子を産むのが目的、だそうで。そもそも農村から娘が激減したのは、領主の政策で次々奴隷として引き取られているせいだというのに」
イェルケルは言葉も無い。さすがにここまでの事態は考えもしなかった。
国中で激減した娼婦を、この領地一つで穴埋めようというのだからこうもなろう。国の政策としては、そもそも供給を減らすことで娼婦の数を減らす、ということであったのだが、減らぬ需要に対しバルトザールが横穴を空けて供給しているようなものだ。
もちろんそんな程度で埋まる穴ではなくある程度娼婦は減少傾向にあるが、それは国が期待しているほどではない。
イェルケルは、呆気に取られた様子で溢す。
「なんだ、これ」
「……殿下、そろそろ宿に引き上げましょう。これ以上見ると、歯止めが利かなくなります」
「歯止め? 何を言っている? 奴隷の身に落とされた娘たちは、膨らんだ借金が返せないだの、育てきれぬ口減らしだのと、家族側の事情ではなく、領主の都合で連れてこられたのであろう? それは、れっきとして誘拐ではないか。なあ、アイリ。何故、それに、歯止めを利かせねばならないんだ? カレリアの民を、不条理に、理不尽に、踏みにじられているというのに、何故この私が止められねばならないんだ?」
イェルケルは身を翻し、商人街へと足を向ける。大慌てでこれを追うアイリ。
「お待ちください、激情に任せたとて物事は解決いたしませぬ。元よりこの状況を解決せんと我らはここに来たのですから、ここは一先ず宿に帰りスティナと相談を……」
「わかってる。わかってるさ。私だって頭に来たからと剣を振り回すような子供じゃない。だが、だがな、アイリ。君は一つ、私にまだ見せていないものがあるな。あの、大きな建物の更に奥にあった横長の建物。あそこにも、奴隷を売っていると看板があったな。あれが、あれこそが私が見るべき、この街の最底辺なのではないのか?」
「いけません。あれは、殿下が見るべきものではないのです。これ以上は踏み込むべきではありません。何卒、何卒お聞き入れくださいませ」
「……ダメだ。全てを知ったうえで、私は判断すべきなんだ」
イェルケルは止めるアイリに構わず、商人街へと戻り、高級奴隷を売る建物を通り過ぎ、更に奥の、低級の奴隷を扱う建物へと足を踏み入れた。
アンセルミ宰相の執務室。ここで宰相はいつものように椅子に腰掛け、側近であるヴァリオの報告を聞いていた。
これといって目新しいものもなく。ただ、先の辺境領をめぐるサルナーレ戦争の後始末のせいで多少ではあるが業務は増えていた。
中央集権を進めるアンセルミにとって、今回のサルナーレ戦争の予期せぬ結果は、実に有利に働いた。
戦争に参加する予定だった各領主や騎士団に対し、予定通りの土地を分配はしたのだが、全く働いていない彼等にそれを配るのに相応の理由を必要とした。つまり、彼等はアンセルミに対し幾つもの利権を譲らねばならなかったのだ。
本来ならば戦での消耗がそれに当るはずだったのだが、戦は全てイェルケルが一人で終わらせてしまい、そのうえ褒美もほとんど受け取らぬと来た。
なので各領主や騎士団団長はイェルケルに文句も言えず、ただアンセルミ一人がほくほく顔なのである。
そんなアンセルミは、上機嫌でヴァリオに言った。
「イェルケルの奴にはしばらく仕事を振らんでやれ。大きな戦の後であるしゆっくりと休ませてやりたいからな。それにしばらくは出資者や団員集めをせねばならんだろうし……」
アンセルミの上機嫌に、ヴァリオも深く同意を示す。
「そうですね。当人にそのつもりがあったかは不明ですが、おかげで随分と楽ができました。もしよろしければ一人、文官でも回してやってはどうでしょうか?」
「おお、それは良い。騎士団の実務に慣れた者が良かろう。アレも残る二人の騎士も、挨拶回りなどは不慣れであろうしな」
「褒賞金もありますし、すぐに動く必要もありませんでしょうから、その文官にじっくりと騎士団とはどのようなものかを教え込んでもらうがよろしいでしょう」
「うむうむ。文官一人ではまるで足りぬ武勲ではあるし、もっと色をつけてやるか。誰か、アヤツの後見ができそうな者はおらんか」
「では……」
色々と相談したアンセルミとヴァリオは、まずは急ぎ文官を送ってやることにした。
その文官が、翌日なんとも言えぬ表情で王宮に戻ってきた。
曰く、イェルケルも残る騎士二人も仕事に出かけており、イェルケルの屋敷の使用人が第十五騎士団の仮事務所を預かるのみであったと。
これを聞いたアンセルミは、仕事という名の休養旅行か、と笑って不在を許し、文官にも三人が戻るまではゆっくり休暇でも取れと言ってやる。
後で、油断した自分を殴り飛ばしたくなるとも知らず。
あの三人が、休む気なんてさらさら無く、さっさと次の敵へ向かってしまっていることも知らずに。