167.晴れ時々夜
レア・マルヤーナは、隠れ家としている屋敷の食堂にてテーブルの前に座り、お行儀の悪いことに目の前の皿をフォークで、ちんちんと鳴らす。
テーブルの反対側に座るイェルケルは、とても居心地悪そうに顔を背けていた。
「でー、んー、かー?」
「……はい」
「これは、何かなー? 確か、食事ぐらい私も作れる、って言って厨房私からぶんどったの、でんかだったよねー?」
「え、いやそれはどっちかっていうと、君が嫌そうにしてたから……」
「でえええ、んんんん、かああああ?」
「はいっ」
「それで、これは、いったいなんなのかな? このとりあえず干し肉をお湯にひたしてほっとけば味も出るだろー、的庶民風味出がらしスープはー、なー、にー、かー、なー」
「いや、その、野外活動の時、私がいつも、食べてる食事、かな」
「ふーんふーんふーん、ここは屋敷で、厨房もあるのに、野外活動とおんなじごはん食べるんだー。へーへーへー、でんかの料理人は、そーんな手抜きばーっかしてたんだーへーへーへー」
勢いよくちんちんちんと皿をフォークで鳴らすレア。大層行際悪い行為だが、イェルケルはこれを咎められる立場にない。
しばらくねちねちと嫌味を言われた後、しょうがないなあ、とレアが厨房に立ち、その日の昼食を作る。
外食でもできれば良かったのだが、今はあまり油断をするべきではない、ということでできるだけ隠れ家で過ごすようにしている。
四人組で旅に出て長いが、これまではなんやかやと自炊が必要な場面ではスティナとアイリがこれを担当していたので、こうしてこの二人が料理をする機会はなかった。今日とて、アイリの帰りが予定より大幅に遅いせいでこうなったのだ。
いたたまれないので、イェルケルもレアに並んで厨房に入り、料理の手伝いをする。
レアがあれやれこれやれと指示し、イェルケルは言われるがままに指示に従う。
そして料理の最中、レアはとても今更なことをイェルケルに問うた。
「そもそも、ふつーは王子様って、自分で食事作ったりしないんじゃないの?」
「……そうなんだよなぁ。だけどほら、アイリもスティナも見た目簡単そうに作ってたし、私でもいけそうかなーって」
「それで、あの野外食?」
「いや、一応、それっぽく作ったのは別にあるんだが、その……味が……」
「あー、うん、食材を無駄にするのはやめましょー」
「はい、ごめんなさい。そういえばレアの料理って初めてだけど、よく作るのか?」
「ううん」
「え?」
料理が終わり、食卓に並べられたものを見て、イェルケルとレアは揃って渋い顔をしていた。
「ねえでんか。やっぱりさ、今度から食事は外で取ろう。もしくは二人が戻るのを待つべき、そうすべき」
「そうだな……いや、でもこれ、うん、私が作るよりずっとマシだぞ」
「……ぜんっぜん嬉しくない褒め言葉ありがとー」
果てしないまでに微妙、といった味の食事をもしゃもしゃ食べながら、イェルケルとレアの二人は集めた情報の確認を行なう。
当たり前であるが、殿下商会への手配が各街へと回っている。だが、その手配書の人相の部分はそれぞれの髪と目の色と、男一人に女三人という性別と、全員美男美女、とかいうかなり大雑把なものであった。
この人相書きを受け取った役人たちは真っ先に街の娼館を調べたとか。
ただ、いるはずの攻撃部隊の動きが全く伝わってこない。
五百の兵と十人の魔法使いを叩いたのだから、より以上の軍が動くというのが常識的な判断というものだ。だがそういった話は少なくともこのヒュヴィンカーの街では聞かれない。
軍は武力として用いるだけではなく、広域の捜索にも有用だ。本気で戦うつもりなら当然軍が動くものと想定していたのにアテが外れた。
マズ飯を完食したイェルケルはレアに問う。
「暗殺部隊、だと思うか?」
「イジョラの魔法は、まだわかってないのも多い。でも暗殺部隊なら、別の手段でこちらの居場所を特定できなきゃ意味ない。それも魔法で、って言われたらお手上げだけど」
「居場所の特定ができるんなら、それこそ大軍で取り囲めばいい話じゃないか?」
「うん。正直、私たち殿下商会が、隠れながら国中で嫌がらせ続けたら、対処する手ない、と思う。少なくとも私は、要衝に罠を張って待ち構えるぐらいしか、思いつかない」
「だからって諦めるわけにもいかない。どうしようもない、そう思ったんならもっと必死になって動いてるはずなんだよなぁ。山で五百を迎え撃った時は、びっくりするぐらい敵の反応も対応も速かったのに、その後はぴたりと止まったまま。ヒト人形工房襲撃の後もまるで動きなしだ。これをどう受け取ったもんだか」
「気味悪い。できるだけ早く、こちらから更なる攻勢に出た方がいい、かも」
「要衝に罠張って待ち構える、はどうする?」
「……ん~~~。魔法に罠張って待ち構えられるのって、結構怖いしなぁ」
「おっかなびっくり攻めるしかないってことか。……しかしアイリは遅いな。何かあったか?」
「んー、アイリもスティナもそうだけど、何かあったか、じゃなくて何かやらかしたか、をまず気にしなきゃならないよね」
「そうなんだよなぁ……もう少し待って、それでも戻ってこなかったら私かレアか、どちらかが様子見に行くとするか」
なら、とレアは椅子からぴょんと飛び降り、イェルケルの側へと歩いていき、拳を握ってイェルケルの脇腹を突く。
「それまで、やる?」
「やる!」
そう言うとイェルケルは椅子に座ったままレアの両肩を両手で掴み、腰と足を使って跳ねるように飛び上がる。
レアの肩を支点にその頭上を半回転しながら飛び越え、逆側に着地するとそのまま軽快な足取りで外へと向かう。
こちらもまた行儀の悪いことこの上ない真似であるが、お行儀で文句を言うアイリがいないので気楽なものである。
「行くぞレア!」
「むっふっふー、やる気を見せたところで、そう簡単に勝ちは譲らないしっ」
すぐにレアもイェルケルを追う。
年頃の男性が同じく年頃の女性の身体にこうも簡単に触れるというのは、通常はありえないしあってはならぬことであろう。
だが、訓練の中で女性の顔だろうと王族だろうと殴るわ蹴るわぶん投げるわしている間柄である。どこに触れようと何を今更というもので。
どうしようもない急所以外ならば、全く意識せずに触れ合うような付き合いになっている。
なっている、と受け取るか、なってしまっている、と受け取るかは人それぞれであろうが、少なくともこの四人は現状をとても好意的に受け止めているようであった。
白が買い物から戻ってくると、子供たちは歓声を上げてこれを出迎える。
本当に良かったのか、と白は窺うようにアイリを見るが、笑って返してやると白もまた嬉しそうに料理を始める。
アイリは白を待っている間に他の子供たちの名前も聞いた。
皆、ネズミだとか屋根だとか、そこらにあるものの名前を適当に持ってきたような名前であった。
子供たちの会話を聞いていればわかる。
この子らは、以前にカレリア王都にてアイリが叩き潰した神殿にいた連中と大差ない。
あそこには神父という教え導く存在がいたおかげで、ああして大規模な犯罪組織になっていたが、もし神父のような存在がいなかったなら、ここのように縄張りを追い出され食事もロクに取れないような生活を送っていたかもしれない。
もしここにあの神父のような存在がいたならば、この街であの神殿がそうであったような大きな犯罪組織が作り上げられ、この子供たちもその一員として胸糞の悪くなるような行為に手を染めていただろう。
ただ巡り合わせが悪かっただけで、彼らは今こうして被害者の立場にあるのだ。
無邪気に食事にありつけた幸運を喜ぶ子供たちを見て、自然と笑みを象る自分の顔。理屈に合わない自らの行動を嫌悪する内心。
『……私はいったい、何がしたいんであろうな』
まだ、ヒト人形工房で斬った子供たちの顔を、なんとなくではあるが覚えている。
十人の子供たちに、それらが似てるかどうか当てはめようとして、その行動の不毛さに気付き頭を振る。
子供たちがわいわいと食事を取っている場所から少し外れて一人でいるアイリに、子供の一人が手を振って声を掛けてくる。
「おーい、金ねーちゃんも一緒に食おうぜー」
子供たちからすれば、アイリの名前はその目立つ髪の色である金だそうだ。
驚いた最年長の子が彼を止める。
「ばっ、おまっ、あの人絶対あれ貴族だぞ」
「えー? 貴族が俺らに声かけてくれるわけねーじゃん。なー、金ねーちゃんって貴族じゃないよなー?」
まだ子供であるからこそ、アイリの並々ならぬ容姿の整いっぷりにも憶するところがないのだろう。
肩をすくめるアイリ。
「ああ、私は商人をやっておる」
「ほらー! なあなあ金ねーちゃんさー、どーすればそんなぽんと銀貨出せるぐらい稼げるのか教えてくれよー!」
どれ、と立ち上がり子供たちの輪の中に入るアイリ。
「よかろう。ならば貴様らに、商売のなんたるかを教えてやろうではないか」
やったー、と騒ぐ子供たちにアイリは、即座に使える簡単な金稼ぎの方法と、長期的にじっくりと腰を据え稼ぐ方法を教える。
どちらも合法的な方法で、上手く運用できれば、これを用いた成功体験を元に学習できれば、もしかしたらこんな生活から抜け出せるかもしれない、そんな方法をアイリは教えたつもりだ。
それはきっと、千人の子供にこれを教えても成功者は一人出るか出ないかな、か細い可能性であるのだろうがアイリはそれでも、子供たちがそうなれるよう祈らずにはいられなかった。
アイリにできることなんて、その程度しかないのだから。
ふと、アイリは思いついてしまったことがあり、嫌々ながらこれを試してみる。
自分の頭の中で、この子供たちが許せぬ所業を働いたと想定し、全員を、今すぐ立ち上がって斬り伏せられるかどうか。
目を閉じ頭の中だけで、全員を問題なく斬り倒したアイリは、ゆっくりと目を開くと一瞬、アイリが脳裏に浮かべていた血塗れの子供たちと、笑い食事をとる子供たちとが重なって見えた。
『まったく、今日は本当にどうかしている。……よもや、私がこうまで影響を受けていようとは。この世には自ら経験せねばわからぬことのなんと多きことか』
更にもう一枚、銀貨を渡してアイリは神殿を立ち去った。
最後にアイリが、せいぜい稼げよ、と声を掛けると、子供たち全員が一斉に、任せろ、と返してきたのにはくすりと来た。
全然笑える気分ではないのに、面白いものを見れば笑いは出るものだと、これもまたアイリはこうして経験して初めてわかったのであった。
気持ちよく殴り合いを堪能したイェルケルとレアは、屋敷の庭に寝転がって休んでいた。
無手での戦いの難点は決着がつきにくいことである。よほど良い所に入らぬ限り、痛いけど堪えて殴り返すことはできてしまうのだ。
なので痛くて止めるなんてことはなく、両者の体力が尽きるまで殴り合い続けることになる。
疲れたーと青空を見上げて寝転がるイェルケルとレア。搾り取るように体力を使い果たして寝転がる時間は、何物にも代えがたいほど心地よいものだ。
降り注ぐ陽光の下、敵中ど真ん中にいるとはとても思えぬ寛いだ様子の二人。
いい加減疲れも取れ、そろそろ屋敷に戻るかと考えたイェルケルは、二度、瞬きをした。
「んー、目、疲れたかな」
レアは身を起こして左右を見渡す。
「あれ? うん、見間違い、じゃない」
イェルケルもすぐに半身を起こす。
「煙? でも匂いもないな」
「霧、とも違う。変なもの。ってことは」
二人は同時に飛び起き周囲に警戒の目を向ける。
まだ、他の人間はこれに気付けていないだろう。だがイェルケルもレアもすぐにそれとわかった。
距離感が僅かにずれたのだ。それは、微かにだが視界を阻害する何かのせいである。
うっすらと、何かが漂っている。毒の可能性を考えたイェルケルが首の動きのみで屋敷の屋根の上への移動を伝えると、レアは頷き二人はすぐにその場を離れる。
屋敷の壁を蹴ってあっという間に屋根の上へと。だが、そこにもうっすらと漂う何かはあった。いや、屋根の上から遠くを見れるようになればはっきりとする。
黒い霧だ。それが全周囲に見える。
言葉もないまま、イェルケルとレアは同時に逆方向へと飛ぶ。
隠れ家の屋敷を離れ、屋根から屋根へと飛び移りながら移動し、この黒い霧がどこまで広がっているものかを確認する。
家五軒分程移動したが、霧の果ては見えない。イェルケルが屋敷の屋根に戻るとレアもまた戻ってきていた。両者はどちらも首を横に振る。
そうこうしている間に黒い霧は濃さを増していく。
この頃になってくるとイェルケルたち以外にもこの霧に気付く者が出てきた。
逃げるかどうか、判断に迷っている間に黒い霧は一気に濃さを増していく。もう昼の暗さではない。
まるでいきなり夜になってしまったかのようで。黒い霧越しに見える太陽は、そこだけ白く輝く月に見えてくる。
そして聞こえてくる。
声だ。
ずっと遠くから聞こえてくる雄叫びのような声。
空は更に暗くなる。それでも強い太陽の光は霧を突き抜け白い輝きをもたらしていたが、今ではもう太陽の縁が見えぬ程薄ぼんやりとした光になっている。
声が一際大きく聞こえる。
空が歪んだ。
波打ち歪み、のたうちまわる蛇のように空が折れ曲がる。
頭上いっぱい、見上げる限りの空全体が、大きく歪んでいる。黒と薄い黒と濃い黒とがまるで断末魔の声を上げる獣のように、節操なく脈絡なく空の形を変えていく。
さしものレアも、この壮大にすぎる光景にはへらず口すら叩けない。
「魔法って、すっごい」
「この不吉としかいいようのない空見て、出た言葉がそれか君はっ」
「いやだって、空だよ、空。空全部変えるとか、意味がわかんないよ何これ」
「……ああ、うん、それは心底同意する。この世の終わりだろ、この空っぷりはどう考えても」
不意に、すぐ近くから声が聞こえた。
先程聞こえた雄叫びに近い声だが、それはもっとずっと近く、場所を特定できるほどの距離であった。
屋根の上から見下ろすと、一人の男が家から飛び出してきていた。
両腕で頭を押さえ苦悶の顔で獣の雄叫びを挙げている。人間の口は獣の雄叫びを上げるようにはできていない。だが問題はない。この男の頭部はもう、狼のそれへと変化していたのだから。
男の後ろから女が必死にその背をさすっているが、男の変化は止まらない。
全身が狼へと変化していくが、それはあくまで狼に似た何かだ。人の倍はあろう巨躯、二足歩行のためかより大きくなっている後ろ足、そして何より、知性を感じさせる表情と所作。
程なくして男の背を泣きながらさすっていた女もまた悲鳴を上げ、二足歩行の巨大な狼へと変化していく。
既に、雄叫びも悲鳴もそこら中から聞こえてくるようになっている。
家から道路へと飛び出してきた街の人間たちは、次々と狼に変わっていく。
最初の狼が、試すように自らの腕を家の壁へと振るう。
イェルケル、レア、共に目を細める。
腕を振る速さ、そして家の壁を削り取るその膂力、共に人間の域を遥かに超えている。そしてそのうえで、知性も残しているようだ。獣の本能のみで襲われるよりも、知性を持ち工夫し戦う相手の方が、少なくともイェルケルとレアにとっては恐ろしい相手となる。
人間から獣へと変化することには苦痛が伴うようだが、獣に変化しきってしまった者に苦痛はないようだ。そして獣の姿になったということに、戸惑ったり驚いたり嫌がったりしている様子もない。
外見だけではなく精神にも何かしらの影響を及ぼす術であるようだ。
引きつった顔でレアが問う。
「これ、魔法、だよね」
「お、おう」
「なら、多分私たちには、効かない、よね?」
「そう願いたいな。昔から男らしい姿に憧れはあったが、あれはさすがに行き過ぎだ」
「確かに見た目はでんかより強そうだけど、でんかがアレになったら、でんかのご飯は全部エサって呼ぶことにする」
二人並んで屋根の上でそんな話をしていると、道路に出ている狼たちに動きがあった。
少し特徴的な雄叫びの後、彼らは一斉に、何かに指示されたかのように動く。
屋根の上のイェルケルとレアの方に向かって、皆が一斉に振り向いたのだ。
「「あ」」




