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165.ヒト人形工房(後編)


 レアの考えている通り。イェルケルは隠密活動の定石が全く通用しないことに、冷や汗の掻き通しであった。


『子供兵が逃げないようにするための仕掛けが、ぜーんぶ私の隠密活動阻害に働いてきてるっ!』


 普通なら天井に張り付くのを防止する仕掛けなんて用意したりしない。

 身体能力が異常な相手と常に接しているせいか、職員たちも、またこの施設の仕掛けも、そういった相手を制するためのもので満ちているのだ。

 それでも子供兵の身体能力とイェルケルのそれとでは比較にならぬ差があるので、どうにか職員たちの上を行くことはできているが、全くそういった警戒をしていないこれまでの潜入先と比べれば、その難度は格段に上がっているだろう。

 せめてもありがたいのは、屋内だというのにそこら中に魔法で作られたらしい照明があるおかげで、まるで昼間の外のように明るくなっていることか。


『くっそー! レアの奴これわかってて煽ったな! 帰ったら覚えてろよー!』


 文句を言いつつも誰にも見つからぬまま潜入を果たし、奥へと進んでいけるのだから何やかやとイェルケルもこういったことは苦手ではないのだろう。

 それなりに時間はかかったが、イェルケルは目的地である地下資料室へと辿り着いた。

 そこはカレリアの王城にある資料室と似た造りになっていた。ただ城のものよりも簡素で飾り気がなく、だが、凄まじい量の本が大部屋狭しと棚に並べられていた。

 この部屋の入り口を抜けた時点でイェルケルが身を隠す必要性が失われたので、ここからは堂々と姿を現している。

 誰何の声を無視し、資料室への侵入を阻止せんとする子供兵を蹴散らしながら、イェルケルは資料室の棚にある資料を手に取る。

 適当にめくっていくと、専門用語がずらずらと並んでいて至極読み難いが、それは魔法を使える十歳児の実験記録であった。

 ほんの数ページ読んだだけで吐き気がしたので読むのをやめた。そういう内容の本だ。

 イェルケルの侵入に気付き、即座に対応できる子供兵は全て殺した後だ。研究員は恐れ怯えながらイェルケルを遠巻きに見ている。

 そんな彼らにも見えるように、イェルケルは手にした本を宙に投げ、一呼吸でどこまでいけるか、と高速で剣を振るう。

 アイリの技を真似てみたが、柔らかい紙が相手でも練習無しでは五回斬るのがやっとであった。

 まあこんなものか、と肩をすくめるイェルケルに対し、その意図が明確になったことで研究員たちは大いに驚き慌て出す。

 命知らずの、或いは危機感がない、研究員が思わずといった風で声を掛けてきた。


「き、君! どんな目的があってここに来たのかは知らないが! それは貴重で重要な書類なんだ! 破ったりしてはいけない!」


 イェルケルにしては珍しく、初対面の相手ながら侮蔑の目で彼を見る。


「……私にとっては重要なものではない」

「ば、馬鹿を言うな! 君がどこの者であれ! これはイジョラ全体の宝とも呼ぶべき財産だぞ! 何十年にも渡って研究してきた先人たちの苦労の結晶であって……」


 イェルケルは苛立ちに任せ、この言葉を吐く彼に向かって大きく踏み込む。

 そして、彼の隣に居た男を斬り、その後ろに居た男を斬り、彼一人だけ残して言った。


「で? これがイジョラの、なんだって?」


 彼はその場にへたり込む。

 そして信じられぬといった顔でイェルケルを見上げた。


「ど、どうして、こんなことを……政争だというのならば、ここの書類には手を付けるべきではないだろう。ここの書類は誰が上に立とうとも、必ずやイジョラの未来に役立つもので……」


 へたり込んだ男をそのままに、イェルケルは別の場所に固まって震えている研究員へと襲い掛かり、こちらもあっという間に皆殺しに。ついでに入口より突入してきた子供兵十人を蹴散らした後で、また研究員のもとへと戻ってきた。


「それで?」

「き、君は……イジョラの人間では、ない、のか?」

「お前の主張がそれで終わりなら、そろそろここに火をつけたいんだが」

「待て! 待ってくれ! それは取り返しのつかないことになる! ヒト人形工房が稼働してからもう数十年になる! その全てがこの資料室に収まっているんだ! たくさんの優秀な研究員たちが! その生涯を懸けて研究してきたものが! この資料たちなんだ!」


 熱く語る研究員の言葉に、イェルケルは静かに語ってやる。


「私は、君たち魔法使いがどういった意図で何をしていようと、そもそもさして興味はない。あるのは、この実験で人としての生き方を奪われた命たちへの憐憫と、貴様らへの怒りだけだ」


 イェルケルの発言は、貴族魔法使いの視点ではなく、平民としてのそれだ。

 これまでただの一度も魔法を使っていないことといい、研究員はイェルケルを魔法を使えぬ平民であると理解した。


「な、なんと……だ、だが! 失われた命を惜しむというのなら尚のこと!」


 その言葉で、イェルケルの怒りは沸点に達した。


「その命を無駄にせぬためにも! 得られた研究結果は守るべきであろう! これは未来へと繋がる魔法技術の礎となるものだぞ!」


 イェルケルにも、技術というものが蓄積されていくものだという認識はある。

 何年も何十年も積み重ねていって初めて届く頂きというものがある、技術とはそうした気の遠くなるような研究と実践との先にあるものだと理解している。

 だがこの一言は、少なくともイェルケルにとっては決して許せるものではなかった。

 やおら立ち上がると、イェルケルは研究員から少し離れた場所に移動し、その場に低く腰を落として構える。

 いったい何をするつもりなのか、研究員が見守る中、イェルケルは真下の床目掛けて拳を振り下ろした。

 部屋中に響く、ズン、という重苦しい音。だが、それだけだ。

 何のつもりか理解できぬ研究員に対し、イェルケルはというと手応えを感じたのか僅かに表情が緩む。

 そしてイェルケルは同じ場所に、二度、三度と拳を叩き込み始める。

 三度までは研究員も焦ることはなかった。

 だが四度目からは明らかに音が変化していき、七度目にはもう、イェルケルが何をするつもりなのか理解し青ざめ、そして、十一度目に、イェルケルはその目的を達成する。

 地下二階にある隠し資料室への扉は魔法によって極めて堅固に塞がれている。そうできるとイェルケルは聞いていた。

 だったら、扉ではなく天井を崩してやればいい。地下二階にある資料室は、地下一階の資料室の真下にあるのだから、この床をぶちぬけばその下は地下二階資料室であろう。

 予想以上に崩れすぎたせいで危うく落ちそうになってしまったが、飛びのいたイェルケルは空いた穴より下を覗き込む。

 それほど天井は高くないようで、これならいいか、とイェルケルはできた大穴の中に、次々と棚にあった紙の資料を投げ込んでいく。

 その行動の意味がわからぬ研究員は問う。


「な、なんの、つもりだ?」

「火種」


 簡潔に述べたイェルケルは、石を使って火を起こす。もちろん起こした火は資料につけてきちんと火を燃やしてから、穴の下に溜まった書類目掛けてこれを投げ入れる。


「あ、失敗した」


 落下距離がありすぎたのと火が小さすぎたせいで、途中で火が消えてしまった。

 大口を開けて驚く研究員を他所に、イェルケルは再度火を起こし直す。

 研究員は大慌てで止めに入る。


「や、止めてくれ! 頼むやめてくれ! この研究には人生を! 命を賭した者すらいるのだ! どうか! 資料だけはどうか! 我らが生きた証を燃やさないでくれ!」


 ふと、怒りを忘れ冷静に戻れたイェルケルはこの研究員の顔を見る。

 本当に必死だ。

 いつ殺されてもおかしくない相手に、こうまで意見するなどと勇気もあるのだろう。その勇気がなんのために発揮されているかといえば、この研究資料を守るためだ。彼は今、自らの保身など頭の片隅にも残っていないだろう。

 自身もそうだが、研究に従事してきた先人たちの努力を守りたい一心なのだろう。誠実で、一途で、勇敢な良い青年なのだと思えた。

 ただ一点、被験者たちを同じ人間だと思っていないという点を除けば。

 改めて火を起こしたイェルケルは、今度は一度消えても大丈夫なようにたくさんの資料に火をつけ大きな火を作ってから、その一部を下へと落とす。

 そして笑顔で彼に言った。


「私にもわかるよ。君たちが実験ですり潰してきた命たちはきっとこう言うだろうさ。『お前らの役に立つぐらいなら、生きた証ごと全部燃やされた方がマシだ』ってね」


 実際どうかはイェルケルにもわからない。だが、どの道燃やすのは決定事項なのである。

 火を落とすと、今度こそきちんと下の資料に火がついてくれた。

 これが燃え広がるまでもう少し時間がかかりそうなので、この間にイェルケルは上の資料室に火をつける準備を始める。

 ついでに聞いてみた。


「よし、じゃあこっちにも火をつけるけど、手伝ってもらっていいか?」

「ばっ! 馬鹿なことを!」

「そっか、じゃあここまでだ。君の勇気だけは、私も評価していいと思っているよ」


 彼を斬り、イェルケルは断続的に飛び込んでくる子供兵を斬りながら、資料室への放火を済ませる。

 これらの資料が、彼ほどの青年が一命を投げ打って守らんとする程貴重な資料だと言うことを理解して尚、イェルケルの心は晴れがましい気持ちで一杯であった。






 イジョラ王都ケミにて。

 エーリッキ・ヘイケラ公爵は本当に久しぶりに、憤怒に震えるイジョラ王セヴェリの姿を見た。


「……エーリッキ。アルトを殺すぞ、文句は言うなよ」

「お待ちください。どうかそれだけは、それだけは何卒……」

「ふざけるな! ヒト人形工房だぞ! それが! 建物ごと全て焼けただと!? 資料も何もかも失われただと! あれにどれほどの歴史が! どれほどの研究が! どれほどの叡智が! どれほどの未来が! 込められていたかわかっているのか貴様は!」

「もちろんでございます。私もまた魔法に携わる者。この度の出来事、イジョラ建国以来の大惨事と認識しております」

「そうだろうそうだろう良しアルトを殺そう」

「お待ちください。真に憎むべきはこれを為した犯人、アルト王子もまた被害者でありますれば……」

「私はアレを責任者に任命したのだぞ! そんな寝言で逃げられるわけがなかろうが! 犯人を罰するのと警備責任者を罰するのとは全く別の話だ!」


 セヴェリ王は道理の通らぬ相手ではない。こういう時、つくづくヘイケラ公爵はそう思う。

 政治に興味はないが、責任の所在がどこにあるのかなどは誰に言われずとも理解はしているのだ。


「アルト王子は極めて貴重な、王の血を引きながらにして四大貴族の主流でもある男子なのです。今激情に任せて処断するのではなく、今しばらく、時を置いてから冷静な心で判断すべきでしょう。その時改めて処刑するというのであれば、私も反対はいたしません」


 王に向かって、お前は冷静じゃないなんて言葉を抜かす臣下を前にしながら、しかし激怒している王は彼に八つ当たりをするようなことはしない。


「……むむむむう、他ならぬお主が言うのであれば、もしかしたら私は冷静ではないのかもしれん……ぐぐぐぐぐ、アルトめ。時間が経ったところであの馬鹿を許せる気がまるでせんが、まあいい、とりあえずその件は今は保留だ」


 言質は取れたので、ヘイケラ公爵はこれ以上この話題を引っ張るのを避け、別の話を振る。


「アルト王子の差し向けた五百の兵と十の魔法使い、十人のヒト人形を退けた四人の暴徒、殿下商会なる連中が此度の犯人と目されております」

「何者だ?」

「まだ不明です。元は南部の都市で無頼を気取っていた集団らしいですが、その頃からとかく異常な戦闘力を保持していたようです」

「四人でヒト人形工房を潰したとなれば、それも当然だろう。それほどの魔法の使い手だ、生まれはすぐにわかるものではないのか?」

「申し訳ありません。それが現状では全く該当者が出てこないもので……」


 考え込むセヴェリ王。


「お前が調べられぬというのならば、そもそも貴族ではない、か? ……ヒト人形工房からの脱走者、という線はどうだ?」

「……申し訳ありません。それを調べるにも……」

「ヒト人形工房は既にないか。資料をあそこに集中したのが裏目に出たな。はあああああぁぁぁぁ」


 深い深いため息をつくセヴェリ王。


「いかん。ここ数年なかったぐらいの痛手だ。こちらにも資料はあるが、それでも復旧なぞ到底覚束ぬ……っと、そうだ、南部と言ったな。エーリッキ、お前エルヴァスティ侯爵の領域での調査で無茶はしとらんだろうな」

「もちろんでございます。これらは侯爵よりの情報でもありますし」

「そうかそうか、アレは実に優れた男だ。間違っても変な真似はするでないぞ。お前のことだ、一大事だからと関わった周辺の平民皆殺しにする勢いで調べかねんからな」

「……陛下がそうおっしゃるのでしたら」

「おっしゃるのでしたら、ではない。何度言わせるつもりだ。平民を扱うのならこれまで私が見てきた中でもあの男が一番だ。あの才能は代替えが利かぬ。アレが全力を振るえる環境を整えてやれと言っておるだろうが」

「もちろん、陛下のおっしゃるように、アレには四大貴族の一角としての立ち位置を許しております」

「そういう意味ではないと……ああもう、ほんと、エーリッキはアイツが嫌いなのだな。いいか、この際嫌いでもなんでも構わぬが、あの男の領域に乗り込んで憲兵大暴れなんて真似は絶対にするなよ。お前が下手な真似をせんでも、あの男ならばできる限りの調査を当たり前にこなしてくる。それ以上の情報はお前がどれだけ暴れようと出てはこぬ。もしくは出てきたとしても、利益と損害とが割に合わぬ。そういった計算をあの男は決して見誤らぬだろう」

「カレリアとの戦では得意の計算も通じぬようでしたが」

「それはお前もだろうが。というかいい歳して拗ねるな。いいか、その四人組には四大貴族で協力して事に当たれよ。近衛の兵でも、たった四人でヒト人形工房を潰すなぞできる者は限られているのだ。下手な対応をすればお前らでも簡単に殺されかねんぞ。ああ、アルトは死んでもいいが」

「承知しました。反乱軍のことを考えればあまり大仰にしたくはないのが本音ですが、いっそ、国中で戦時体制への移行を宣言なされますか? それならば全ての貴族が兵や魔法使いを動かす大義名分が得られますが」


 とても不審げな細い目でセヴェリ王はヘイケラ公爵を見る。


「おーまーえーはー、戦時体制における経済制限でエルヴァスティ侯爵に嫌がらせしたいだけだろーがー。人を試すような真似をするでない」

「試しているわけではありません。陛下に政治に戻っていただきたいだけですよ。私が愚かならば陛下も戻らざるを得ないでしょう?」

「こ、こやつめ……はっははは。久しぶりに直接人を殴りたくなったわ」


 そんな下らない話を交えつつも、真面目な話もきちんと進める二人だ。

 この四人組に対する対応をどうするかに関して、王の権限でなくば下せない幾つかの命令を出した後、ヘイケラ公爵は確認のために告げる。


「では、その四人組は一級犯罪者として認定し、対策をする担当者にはその権限を……」

「いや、一級の上を作れ」

「一級に、上ですか?」

「広域攻撃魔法は一級でも許可されておらんだろう。使わせろ。特級儀式魔法も許す、使え」


 他にも、とても犯罪捜査のためとは思えぬ様々な権限を許可することに。まるで戦争でもするかのような備えであるが、イジョラの領地内にあって王子の差し向けた軍を潰し、ヒト人形工房を全滅させる戦力を相手に、王はこれが必要であると判断したのだ。

 イジョラ建国以来なかった、特級犯罪者という新たな項目が、殿下商会のためだけに作られたのだ。

 ちなみにどこかの魔女さんがコウヴォラの街中でぶっぱなした溶岩の魔法は、まごうことなき広域攻撃魔法である。これは通常、戦争相手以外には決して使ってはならない魔法とされている。エルヴァスティ侯爵はこれを誤魔化すのにかなりの経済的損失を被った模様。


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