164.ヒト人形工房(前編)
ヒト人形工房とは、理想の人間を作り出す場所である。
そしてこの場合の理想とは依頼者の理想であって、全ての人間にとっての理想でもなく、ましてや作り上げられる当人の理想なんてものではない。
だがこの技術、様々な局面で有用な人間を作り出すことができるもので需要も大きく、研究はかなりの予算を投じて続けられてきた。
今では他所の国に自らの国の王族と偽り婚姻相手として差し出すほどに、完成度の高いものが作られるようになっている。こちらは諸事情により即座にバレたが。しかもそれを公表されたため、今後イジョラと婚姻を結ぼうなんて国は出ないだろうが。
王の手からは離れたが、この研究機関が重要であることは間違いがない。また警備体制は、ここで作られた様々な実験体がいるため、わざわざ別途人員を配置する必要がない。
ヒト人形工房の研究員が主張するには、戦力だけでいうのなら魔法使い数百人分に匹敵する、だそうだ。
そんな恐るべき場所の入り口に、殿下商会の四人は到着した。
その建物を見た率直な感想を、レアが口にする。
「ものすっごく大きい、牢獄って感じ」
建物はかなり大きなものだ。そしてそれを覆うように、全周囲を高い高い壁がぐるっと取り囲んでいる。
壁の一角には巨大な鉄扉が二つ並んでいる。素直にそのまま見れば、この鉄扉は両開きで左右に開く形なのだろう。だが、あまりに巨大で、人の背の倍はあろう高さの鉄扉である。そんなものをどうやって開くのか。ここが、魔法研究機関であることを考えれば答えは一つである。
鉄扉の側には小屋が立っており、この建物に入るにはここで番をしている人間に声を掛けなければならない。
レアが身を翻すと、イェルケルが答える。
「じゃ、私先行く」
「ああ、そっちはよろしく頼む」
レアが姿を消したのと、小屋にいる人間がこちらに気付いたのがほぼ同時。
イェルケルが何を言うまでもなく、アイリとスティナは並んで鉄扉の前へと進む。
先のレアもそうだが、アイリもスティナも、いつもつけているフードはとっている。つまり、どこに出しても目を引いて仕方がない美貌が顕になっているということだ。
殿下商会にとって今はもう、そういう段階に入ったという認識なのであろう。
小屋にいる人間がスティナとアイリの美しさに驚き、しかし職務を果たそうと近寄ろうとしている。
イェルケルは後方より声を掛けた。
「スティナ、アイリ。やれ」
「「はっ!」」
答える二人の背中からしてもう嬉しそうだ。
二人は並んで巨大な鉄扉の前に立つと、これを同時に蹴り飛ばした。
扉は縦に倒れた。蝶番は横にあり、扉は横に開くような造りになっていたのだが、横の蝶番が砕け、扉はまっすぐ前へと勢いよく倒れる。
実はこの扉の後ろ側には、この鉄扉に相応しい大きな閂がかけられていて左右に開くにはこれを抜かなければならなかったのだが、左右の蝶番部を砕き外されては意味がない。
その重量に相応しい盛大な音と共に鉄扉は倒れる。小屋にいた門番は、言葉もなくこれを見守るのみ。或いはここの門番をやっているからこそ、この中にいる人ならざる戦闘力を見知っているが故に、決して近づいてはならない存在というものを知っているため動けないのかもしれない。
だが門扉の内の者たちはそうはいかない。
盛大な音と共に倒れる鉄扉。これを踏みしだき我が物顔で侵入してくる美女が二人。どちらも既に抜いているのだから、その目的が何であるかはさておき害意は疑いようもない。
相手が女だから、若いからと侮らないのは、この施設に従事する者たちならではかもしれない。
この迎撃を命じられ動き出すのも、若い、若すぎる子供たちであるのだから。
まず飛び出してきたのは三人。鉄扉を倒して侵入した者に対し対応するのがたった三人であるという事実が、この三人が精鋭に相応しい実力をここの者たちに認められているという何よりの証であろう。
スティナ、アイリ、足取りは変わらず。
二人は横に並び、建物の正面入り口目指してまっすぐに歩くのみ。
そして三人との接敵の瞬間。何が起こったのかこれを理解できた者はスティナとアイリの二人のみ。食らった三人の子供兵にすら、何が起こったのかを知ることはできなかった。
ただ結果として、歩くだけの二人はまるでその歩みを止めぬまま、飛び込んだ三人が弾き飛ばされ、斬り殺されたという事実が残る。
ただの一瞬たりとも足止め叶わず。しかし敵戦力の査定には役立った。
この敵、侮るべからず。そうした認識を見ていた職員たち全員が共有する。
「三番牢開け!」
「所長の許可は後からでいい! 授業中のガキ共も使うぞ!」
「地下実験室から出せる奴引っ張ってこい! いや! 出せないっつっても一級は全部無理やりでも出させろ!」
「三級の魔法系集めろ! 近接戦じゃ無理だ! 魔法で止めるしかない!」
職員たちの対応速度はかなりのものだ。よほど戦闘に慣れているとしか思えない。
たった一瞬、三人との交錯のみを見て、見ていた職員全員が己の為すべきことを把握し弁え、危地を理解し全力で対応に動く。まるで戦時の城塞のようである。
外の小屋の人員の腑抜けっぷりと、中の対応の迅速さの対比は、この施設がどこに向けて作られているかを如実に表していよう。
この巨大な鉄扉も全周囲を覆う高い壁も、全ては内より外に出んとする存在を警戒し作られたものなのである。
三人の特攻の間に、魔法組第一弾の配置が終わる。
「撃て!」
合図と共に七発の魔法がスティナとアイリへと放たれる。
二人は、特に焦った様子もなく、そう、ゆらり、とでもいうような動きで両者の位置を入れ替える。
たったそれだけだ。それだけの動きで、七発の魔法は全て空を切り、二人の背後へとすり抜けていく。
すぐに次弾を放つ。だが、またしても二人は位置を入れ替える。魔法は当たらない。
合図を出した研究員は、驚きのあまり三発目の魔法指示を出した後、標的ではなく射手である子供の方をじっと見る。
いつも通りだ。無感情な瞳で敵を見据え魔法を放つ子供兵たちに妙なところは見られない。だが、放たれた魔法はやはり全弾敵を捉えることはなかった。
スティナとアイリは敢えてゆっくりと移動していた。
射撃の魔法は絶対に当たらないと、連中の意識に植え付けるためだ。
建物の中に入るまでに、最終的に魔法の撃ち手は二十人にまで増えたが、誰一人、かすらせるどころか、あの二人が位置を入れ替わる動き以外の動きをさせることすらできなかった。
そして建物の中では今やったような一方的な射撃を撃ち続けるのは難しい。となれば接近戦を挑むしかない。
人間、それしか選択肢がないとなると逆に、それこそが最善の選択肢であると信じたくなるようで。
「射撃魔法は通じん! 近接組を出せ! 建物の中なら不意打ちも容易だ!」
建物の中では逃げ場が制限される。故にこそ配置を間違えなければ遠距離魔法が強いだろうと構えていた者たちもいたが、外と全く同じように全てかすりすらしないので、射撃は牽制に留め本命は近接へと切り替える。
アイリは笑う。スティナは肩をすくめる。
「素直に逃げればよいものを」
「そうできないから戦うんでしょ」
建物内の通路は人が七人横に並んで歩けるほどに広い。
その通路を前後から挟むように子供兵達が襲い来る。
さすがにここでは、山中でやってやったような戦い方はできないアイリも、子供兵を殺すことに表面的には動揺している様子は見られない。これはスティナもそうだ。
だが、どちらも機嫌はあまりよろしくないらしく、その表情は不穏なものとなっている。
とはいえやることも動きも常の戦とそう変わらない。今回は多少、派手に動くよう意識はしているが。
わざとらしいほどにゆっくりと歩いているのもそのせいだ。そして、敵を斬るのではなく、殴り倒すようにして殺しているのもそのためだ。
その剣閃はほとんどの者には見えない。だから二人へと飛び掛かった子供兵が、見えない何かに弾き飛ばされたようにしか見えないのだ。
そうして飛んだ子供兵は、壁を突き破って外に投げ出され、通路脇の部屋の内へと叩き込まれる。
死体が通路に積みあがって攻めてこられない、なんてことにならないような注意だ。そうなってしまうほど、殺すつもりでいるのだ、二人は。
襲い来る子供兵は、様々な者がいる。
天井や壁を這い進む者、手足が異常に長い者、獣のように四足歩行する者もいるし、一部の筋肉のみが異常隆起している者もいた。
これもまた工夫であろう。特異な形状に相応しい独特の戦い方により、所謂初見殺しを仕掛け続けているというわけだ。
それら全てを、圧倒的な実力差にて捻じ伏せる。
だが、彼らも引くつもりはないのか、次々と新手を繰り出す。
通路の先から、通路いっぱいに広がるほどの鉄の壁を持ち出してきた者がいた。これを五人で抱え、逃げ道がないように塞ぎながらこの鉄の壁を押し出しにかかるのだ。
同時に通路の反対側からは、巨大な鉄槌を振り回しながら迫る巨躯の男が。
前にはアイリが、後ろにはスティナが。示し合わせたでもないのに二人は同時ににやりと笑う。
「甘いわ!」
「ぬるい」
アイリの蹴りが鉄壁のど真ん中に炸裂すると、押している五人ごと、鉄壁は強く蹴り飛ばされ、壁面を削り取りながら通路の端まで吹っ飛んでいく。
またスティナへと迫っていた鉄槌は、スティナが半歩踏み出しその表面をなでてやると、鉄槌はくるりと進路を変え、持ち手の巨躯の男の上半身に命中し粉砕した。
これには自信があったのだろう、工房側はせめても時間稼ぎぐらいはできると思っていたのか、すぐには次の手が打てず、通路に奇妙な間が空いてしまう。
スティナが意地悪そうな顔で言う。
「あら、もう終わり? ならいいの? 私たち、地下二階、隠し階段の先にある資料室、焼き払いに来たのよ?」
遠間に二人を包囲している研究員たちの表情が激変した。
ヒト人形工房の資料室には、施設稼働からこれまでのありとあらゆる実験結果が集められている。この研究資料こそがこれまでの工房の成果そのものだと言ってもいい。
特に重要な書類、資料たちは、もしもの時の為に地下一階資料室の更に下、隠し階段の先に保管されているのだ。
ある一定以上の立場の者なら誰でも知っていることでもあるが、外部の者にこれが漏れるというのはほぼ考えられない。よしんば漏れたとしても、すぐに漏れ先がわかるほどここは閉鎖的な場所である。
スティナの言葉に馬鹿正直に反応して、即座に資料を移動するなんて話には絶対にならない。だが、その選択も考慮せねばならない状況であり、幾人かの職員は大慌てで上司のもとへと駆けていく。
そして残された職員たちはもう目の色を変えてこの侵入者に対する。これまで自分たちが長きにわたって積み上げてきたものを、その価値も分からぬ者が燃やすと笑っているのだ。これを許すことなぞ断じてできぬ、と子供兵を死地に追いやっていくのであった。
レアはこの施設の裏門に回っている。ここは表門と裏門の二か所からしか出ることができない。表門から乗り込んだのなら、心情的に逃げ出すなら裏門からだろう。
スティナとアイリが突入してから随分と時間が経っている。相変わらず建物の中は騒然としたままであるが、騒がしいは騒がしいなりに落ち着いてきた気もする。或いはあの二人が面倒なのを殺し尽くしたか。
第一陣はそんな時にやってきた。
建物を囲む大きな壁の上から見ているレアの眼下には、やってやったぜ顔をしている男が一人と、その従者が二人、紙の資料を両手に持って裏門へと駆けてきていた。
「ざ、ざまあ見ろ! 俺の研究を認めねえからこういうことになるんだよ! 俺みたいな天才を! 顎でこき使って下らない自尊心を満たそうなんて下衆共にはお似合いの最期だな!」
うわぁ、といった顔でレア。
「うん、まあ、こういうのが来る場所に、待ち構えてたんだけど。でも、これは、うわぁ……」
何やらほざいているが、施設全体の窮地に、一番偉い人間でもないというのに真っ先に逃げ出すような者の人間性には、当たり前だが期待なぞできぬものだ。
裏門の開閉を行う職員が詰めている小屋へと向かったこの男は、小屋に入る直前、頭上から降ってきたレアに首をへし折られ絶命した。
ほぼ同時に残る二人の従者の首も蹴り折って、レアは三人の身体をずるずると小屋の中へと引きずっていく。
小屋の中の職員は既に全員死亡しており、ここはただの死体置き場となっていた。
最初の一人が出たということは、そろそろ他にも現れる頃だろう、とレアは小屋側に待機場所を変える。
案の定来るわ来るわ。
「聞いてねえし! こんなの聞いてねえし! 俺研究しに来たんだし! 他の研究所からも招かれたことのある俺が死ぬとかありえねえし! というわけでお前ら足止め乙!」
ごきり、ぺいっ。
「パパが! パパがどうにかしてくれる! お、俺はお前らとは身分も何もかもが違うってのに! どうして誰も! 俺を助けないんだよ!」
ごきり、ぺいっ。
「おいっ、本当に大丈夫なんだろうな? ここ見捨てて逃げたなんてなったら陛下絶対お許しにならないぞ」
「ばーか、何のために資料持ってきたと思ってんだよ。ぎりぎりまで戦ったけど、資料を守るため仕方なく逃げたって言や……」
ごきごきり、ぺぺいっ。
「やってやった! 遂にやってやったぞあのクソ野郎! はははっ! 馬鹿が! 上に取り入って俺の頭越そうなんざ許されるものかよ! アイツのあの信じられないって顔! さいっこうの死に顔だったなぎゃーっはっはっは!」
こきん、ぺいっ。
基本的に、誰よりも先に逃げるようなのはまあこういうのばかりであろう。一番殺したくなるようなのをきっちり殺しておくためにも、逃げ道を密かに塞いでおくのは重要なのである。
そんな要領の良い下衆共を殺していると、ようやっと本命が来てくれた。
人数は十人ほど。中央を歩く男が周囲の男に問い掛けながら急ぎ足でこちらに来る。
「資料の避難は?」
「指示済です」
「地下二階への魔法施錠は?」
「指示済です」
「援軍要請は?」
「魔法にて半時間前に。ですが、来援まで持ちこたえるのは無理でしょう」
「後始末は?」
「そのための人員を我々の後に脱出させ、施設周辺で待機させます」
「数は?」
「三級六人です」
「多い、半数はこちらの護衛に回せ」
「はっ、直ちに」
見ると十人の内二人は子供兵だ。
中央を歩く男は、一度だけ足を止めて建物を振り返る。
その顔はレアからは見えなかったが、声は無念さに震えていた。
「馬鹿者、共が。この工房がどれほどの価値を持つか、その程度もわからぬ愚か者共が政争の種になぞしおって。覚えておけよ、この恨み、決して忘れぬぞ」
「私はすぐ忘れるけどね」
この男の真後ろに位置したレアは、そのままでは身長差から手が届かないので、ぴょんと軽快に飛び上がり男の背後より頭頂を掴み、真後ろに引っ張って首をへし折った。
着地と同時に左右の敵を連続して拳で打ち抜く。どちらも不可視の盾があるのを前提でレアは拳を放っており、反応すらできなかった二人の研究員はレアの拳に胴を抉り取られることになった。
「ありゃりゃ」
わざわざ出血しないように素手でやっているというのにこのザマである。ぶちぬいた胴からは噴水のように血潮が噴き出している。
むっとしたレアは残る九人も瞬く間に殺していく。子供兵も、研究員も、殺す時間は大して変わらなかった。
全員殺した後で、レアは大急ぎで小屋の中にこの死体を放り込みにかかるが、次の者が出てくる前に血痕をどうにかするのは無理があった。
『あーあ、楽するのはここまでかー。でもま、所長っぽいのやったしいいか』
そしてレアは今頃内部に潜入しているイェルケルを思い、笑う。
潜入任務ほとんどやってないよねー、とレアが煽ったら、いやできるし、むしろ一番上手いし、と言ってきたのでやらせることになったのだ。
「この施設、あの子供兵がいるってだけで、普通の隠密とか絶対無理。今頃でんかが苦労してるかと思うと、うぷぷっ」
本当に楽しそうにレアは笑っていた。後でイェルケルからの、こんなはずじゃなかった話を聞くのが今から楽しみでならないレアである。