016.なあ、騎士団って、一体何する所なんだ?
騎士学校での仕事は、騎士学校教師ダレンスにとってはそれほど負担となるものではない。
今年五十五になるダレンスは、既に戦士としての絶頂期は過ぎ去って久しい。それでもその全身は鍛えぬかれた鋼のようであり、カレリア中を探しても彼の剣を凌ぐほどの者などそうはいない。
カレリア最強騎士との誉れ高いダレンスであるが、その身分はそれほど高くなく、学校での責任ある仕事のほとんどは他の教師たちが行なっている。
ダレンスは、カレリア最強の騎士がこの学校に在学した者に剣を教えた、という箔を付けるために学校にいるのだ。
そんなあり方はダレンスにとって不本意なものであったが、きちんとした教育を受けた貴族たちに剣を教えるということは、自らの磨き上げた剣技を広く伝えたいと思っている彼にとっては望みうる最高の環境であると言っていい。
ダレンスは、剣とは理の塊であると思っている。故にこれを理解できねば真に剣を極めることはできないと考える。つまり、理を理解できぬ程度の教養では話にならないということだ。
その点で見れば貴族というのは良い。識字率は百パーセント。算術も心得ており、ほとんどの者が在学中に、学ぶ、研究する、といったことがどういうものなのかを理解できるようになる。
そんなダレンスが教えてきた者たちの中でも、イェルケルという王子の才は突出していた。
その才のみでも学校一となれるほどであったろうに、彼は更に学校で一番努力をする者であった。他の者では全く歯が立たぬ、学校に入って二年が過ぎた頃には、最早本気を出したイェルケルの相手ができるのはダレンスのみとなっていた。
ダレンスはこうした優れた才を見出した時、例えようのない喜びを感じることができる。
ただ惜しむらくは、イェルケルという生徒は他の生徒との仲が極端に悪く、あまりに憎まれすぎたせいで生徒たちの親である貴族たちにまで睨まれてしまっており、教師たちにすら疎まれていた為、そんな生徒を贔屓していると言われるわけにはいかないダレンスは、彼の剣をあまり見てやることができなかった。
そしてイェルケルの二年後に来た女生徒もそうだった。
彼女もまた剣の才能が突出しており、入学してすぐ、あっという間に同級の中で最強の地位を得た。
複数で同時にかかってもまるで相手にならぬ、それほどに技量に差があると、最早競う気すら起きなくなるようで、絶対に勝てぬとわかった貴族の子弟たちは陰湿な反撃をするようになる。
これもまたイェルケルと同じであったのだが、問題は、イェルケルと違って彼女は女であったということだ。
男同士でもイェルケルへの当りはヒドイものだったのに、それが、珍しい女騎士でとなればもう、越えてはならぬ一線を越えてしまうほどであった。
結局彼女は騎士学校を辞めた。ダレンスは、そんな彼女の才能が埋もれてしまうのが許せなかった。
学校を辞めた後行方をくらました彼女を追って、ダレンスはルディエット山の山中深くへと足を踏み入れる。
この山は狼が出ると有名な山で、相応の準備を整えない者は決して入ってはいけないと言われている。そんな山中を、ダレンスは剣一本を下げ恐れる気もなく進んでいく。
「……よせ」
山中の雑音で消えてしまいそうな小さな声だったが、ダレンスの声に反応した小さな影が、木陰より姿を現した。
影は手にしていた短剣を懐へとしまった。
「教官。何しに、来たの?」
少女、であった。背はダレンスの胸ほどもない。見た目だけで言うのなら、良くて十二才程度にしか見えない。
汚い獣皮の上着をはおっているが、その中の服は一部を見るだけでも良い生地を使っているとわかるものだ。ただ、そんなものより彼女の場合もっと気になるものがある。
まだ幼い少女と言ってさしつかえない容貌の彼女の、胸だけは大きいのだ。堅い獣皮を羽織ってすら盛り上がりを隠せないほどに。
顔は薄汚れているせいで目鼻立ちがどうなのかはよくわかりづらいが、挑むような視線が強くダレンスを射抜く。
「レア・マルヤーナ。もし、お前にその気があるのなら、騎士団への紹介状を書いてもいい。新しくできた騎士団だ、お前の事情も私から説明しておく。団長は、あまり評判の良い方ではないが理由もなく無体を働く方ではない。お前が真面目に勤めれば、きっと報いてくれよう」
レアと呼ばれた少女は表情を変えぬまま、ダレンスを見つめ、答えた。
「……わかった。でも今すぐ、動く気はない」
「なら山を降りたら私の所に来るがいい。その時、紹介状を書こう」
レアはこくりと小さく頷く。ダレンスはそんなレアに何かを言おうとして言えず、身を翻し山を降りていった。
ダレンスの姿が見えなくなるまでこれを見送ったレアは、そこで初めて表情を変える。
眉根に皺のよるそれは、苦渋に満ちたものであった。
「教官に私が、ここで修業してたのバレた。だとしたら、私の目的も察しがついてる……時間は、無い、かな」
レアは急ぎ下山の準備を整える。ダレンスより先んじて、目的を果たさなければならない。
この時レア・マルヤーナはダレンスが書いてくれる紹介状だののことは一切考えていないかった。彼女は、全く、全然、これっぱかしも、ダレンスを信用してはいなかったのだ。
イェルケルの第十五騎士団本部は、王都にあるイェルケルの屋敷を仮の事務所としていた。
今のところは団員募集をするでもなく、任務があるでもないので、団長イェルケルを含めたった三人の騎士団には事務所を必要とするほどの事務仕事なぞなく、これで充分なのである。
正式に騎士団設立の許可がおりた後、イェルケルはアイリに頼みアイリやスティナがやっている日々の訓練を教わっていた。
その初日、アイリが予定した距離の半分も走らぬうちに、イェルケルは地べたに這い蹲って身動き取れなくなってしまったのだが。
「……あ、アイリ……ま、まだ、走る、の、か?」
王都の側にある山の麓に向かって、イェルケルを先導しながら走り続けていたアイリは、腕にまいた帯を見てから、涼しい顔のままぶっ倒れるイェルケルを見下ろす。
アイリの左腕に巻かれた帯には円状の金属の板がつけられている。これこそがここ百年最大の発明と言われる『時計』であった。
円状の金属板の周囲には、均等に十二の数字が描かれており、絶えず動き続ける円の中心から伸びる針がこの数字を指すことで現在の時間がわかるという驚くべきものである。
カレリアの隣国であるイジョラ魔法王国において、かの国の門外不出技術、魔法によって作られたものだ。
発明当初は一国の国宝並の金額がした時計であるが、発明から百年以上の時が経った今では、裕福な平民ですら手に入れられるようになってきている。
イジョラ以外では全くと言っていいほど見られない魔法に、カレリア国内でも触れることができる貴重な道具であった。
「二時間かけてこれだけですか。うーむ、やはり殿下は基礎体力に難がありますなぁ。まずはこれを重点的に鍛えねばなりますまい」
わかってはいたが、アイリの求める基礎とやらの基準が高すぎる、とイェルケルは呼吸を整えながら愚痴を脳内のみに留める。
自分から頼んでおいて即座の泣き言なぞかっこ悪すぎる、とイェルケルは思うのである。
その辺の男の子な機微をアイリがどこまでわかってくれているものか、アイリはイェルケルの呼吸が整うのを待って、すぐに立って走るよう言ってくる。
イェルケルは口と顔だけは待ってましたと言わんばかりの勢いで、生まれたての小鹿のようなふらつく足元のまま立ち上がり、悲鳴をあげる筋肉を無視して走り出す。
今度は、一時間も持たなかった。
それでも呼吸が整うまで休んで再び走り始める。そんなことを繰り返し、結局山までは辿り着けずイェルケルの屋敷に戻ることになったのだが、屋敷に着く頃にはイェルケルはもう前も後ろもわからぬ有様になっていた。
「……先の……い、くさこそ……この世、の……地獄、その……もの、だと……思っていたが……案外、地獄……なぞ、どこにでも、転がって……いる、のだ……な」
アイリは呆れ顔であった。
「何を大仰な。まったく、これでは訓練計画は一から練り直しですぞ。殿下は一日も早く、あの山まで二時間で走り辿り着けるようになられませ」
「…………そう、できる、自分が……まるで、想像……できない、んだ、が……」
そのままがくりと倒れてしまうイェルケルと、その寝転がった地面が変色するほどに汗を滴らせる体に、驚き慌てた使用人が屋敷から飛び出してきていた。
その日の夜、イェルケルの屋敷で行われた晩餐の最中、腕が震えてフォークを握るのすら難しいイェルケルを見て、同席していたスティナは心底申し訳無さそうに言った。
「ほんと、アイリってば……申し訳ありません殿下。アイリはいつも悪気無く加減を間違えるものですから……」
「あ、あはは。鍛錬は私が頼んだものであるしな。そ、それにだ。この苦痛を乗り越えた先に更なる強さがあるというのなら、苦痛も耐え甲斐があるというものだ」
うむうむ、とスティナの隣の席で頷いているアイリの頭を、勢い良く小突くスティナ。
「いたっ! な、何をするか!」
「うっさいこのお馬鹿! 殿下こんなへろへろにして、今誰かに襲われたらどーする気なのよ!」
「その時は私がおるわ! 大体だな、スティナの考えた鍛錬内容ではあまりにぬるすぎるのだ。どうせ寝て起きたら回復するのだから、限界まで絞り出さねば損ではないか!」
「馬鹿言わないで! アンタの限界に付き合ったら私だって首くくりたくなるのよ!? あんなの他の人にやらせるんじゃないわよ!」
「お前にそう言われたからきちんと殿下の限界に至らぬよう気をつけたのではないか! それにお前は私の限界にもなんやかやと付き合っているだろうに!」
「心がアレに慣れるのがあと一日遅かったら、間違いなく逃げ出してたわよ! あー、もうっ、思い出したくもない」
「はっ、スティナが? 逃げる? ははははは、それは実に笑える冗談だ。毒煙の窪地を笑って走り抜けた貴様が逃げる? 笑わせよる。自身も信じていないようなことをさも真実であるかのように語るでないわ」
「……時々見せるアンタのその意味のわからない信頼の根拠を、私にも是非教えてほしいわ……」
イェルケルは、とても引いていた。今日の鍛錬すらまだまだ余裕を持ったものだったらしいと聞いて。
それと、ほんの少しだけスティナすら逃げ出したくなるような鍛錬とやらに興味が湧いたのだが、古人の言葉『君子危うきに近寄らず』を思い出し、そっと思考を止めるのであった。
「あー、まあ私の鍛錬は良いとしてだ。一つ、二人にも考えてほしいことがあってな」
そう言ってイェルケルは昨日からずっと悩み続けている内容を二人に告げる。
「なあ、騎士団って、いったい何する所なんだ?」
あまりと言えばあまりなお言葉にスティナもアイリも絶句してしまう。
二人が凄い顔になっているのを見て、イェルケルは慌てて言葉を重ねる。
「ああ、いや、違うぞ。私も騎士団の職務として明文化されている分は把握している。ただ、その文章もえらく曖昧で、更に言うなれば、騎士団の職務のどれもが既存の国軍や官憲や衛兵の仕事と被っている。以上の三つが完璧に機能していれば騎士団とかいらないんじゃないかって」
特に迷うことなくスティナが答える。
「つまりは、そういう所ということでしょうよ。軍ではなく国王陛下直属の組織で、軍事や治安維持を担う部署。とは言え、騎士団の維持管理費で国が出している分は微々たるものですから、その活動のほとんどは出資者への見返りとして行われることになるでしょう。国王陛下から直接騎士団へ常時命令が下るということはないようですし」
イェルケルの眉根が寄る。これを聞いたアイリもまた似たような顔をしている。
「金を出す者の言いなりな武装集団って……それ街にいる商人の手下やってるゴロツキたちとどう違うんだ?」
「規模が違います。差はそれぐらいでしょうね。……アイリ、アンタだって知ってたことでしょうに何よその顔」
「……私が見た騎士団は一つだけで、あれだけが特別腐っていると思っていたのだ」
ともあれ、とイェルケルはやはり考え込んでしまう。
騎士団の仕事の大半が出資者への見返りとして行われるのであれば、現在どこからも出資を受けていないイェルケルたちはいったいなにをすればいいものか。
国王陛下、というか今ならば宰相閣下からの命令は特に下る様子もなく、ただ鍛錬だけしている日々というのも、それが如何に厳しいものであっても仕事をさぼっている気がしてならない。
そんなイェルケルの様子を見て、スティナはアイリに問うた。
「ねえアイリ。以前は手出せなかったけど、今なら私たち騎士団だし殿下もいるしで、あの件、やれそうじゃない?」
「ん? あの件? ……おお! なるほど! それは実に良い案だぞスティナ! そうだな、やられっぱなしは実に気分が悪い。ここらで一つ、反撃を始めてみようではないか」
二人が盛り上がっているのを見て、イェルケルが興味深げにそちらを見る。
二人共人の悪そうな顔になっている。同時に、とても楽しそうでもあった。
「おいスティナ、アイリ。お前ら何企んだんだ?」
スティナはわざとらしいほどに丁重な口調で答えた。
「いえいえ殿下、企みなどと。私はただ、国にはびこる悪党をこらしめてやろうと思っただけですわ」




