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158.私がみんなに怒られた原因(後編)


 高級店にて美味い肉を食っていたテオドルとパニーラ。

 だがテオドルはといえば不機嫌の極みだ。イジョラ四大派閥の一つを率いるアルト王子を襲った下手人にされかけているとなれば、無理からぬところでもあるが。

 食事を終えると二人は店を出る。テオドルの不機嫌っぷりが楽しいらしくパニーラはにやにやと笑ったままである。

 またそんなパニーラの態度が気に食わないテオドルは、店の外に立て掛けてあった人の背丈ほどもある大きな看板を苛立ち任せに蹴り飛ばす。

 店の人間はもちろん、相手がテオドル・シェルストレームであるとわかっているのだからこれを咎めたりはしない。

 蹴飛ばされた看板は大きく空を飛び、人が歩いている通りに飛び出す。危ないだろうが、もし仮にこれが誰かに当たったとしても、ここにいるのはテオドル・シェルストレームとパニーラ・ストークマンである。

 問題になどなりようはずがない。

 だが、この広い街の中にいる幾人かは、これを問題にすることができる。

 そしてその日は、偶々偶然、そんな人物にコレが当たってしまう日であった。

 その全身フードで覆った人物は、飛来してきた看板に対し、少なくとも表面上は驚きも動揺も慌てるところも出さず、それが当然の権利であるかの如く、看板を蹴り飛ばした当人に向かって蹴り返してやったのだ。

 蹴り返した人物は、脳内で思っていた。


『なんだって今日はこうそこかしこからケンカ売られるのよ!』


 その人物、スティナ・アルムグレーンはといえば、先程ケンカを売られた王族の名前が、アルト、と聞こえたことで少し焦ってもいた。

 まさか、そんなことはないだろうけど一応確認はしておくべきか、なんて考えながら歩いていたら、真横からいきなり看板が飛んできたのである。

 何も考えず反射的にこれを蹴り返してやったら、驚くべきことに、看板を蹴った人物はスティナの蹴りで放たれた看板を見事な反射神経と運動能力で回避してみせたのだ。


『へえ、やるじゃな……』


 そこでスティナの思考はぴしりと音を立てて止まる。

 やりやがったなとばかりにスティナを睨む男、この男とは一度、戦場で見えたことがあった。スティナが後悔なんてものをした珍しい相手であるのでよく覚えている。

 そしてその軽薄そうな男の側にいる女。大した美貌の彼女にも見覚えがある。戦場で出会った後で調べて確認した。彼女こそイジョラで最も恐るべき魔法使いの一人、パニーラ・ストークマンであると。

 スティナの蹴りは、売られたケンカは買ってやるという意思表示に他ならない。

 パニーラの連れの男がいかつい顔をしながらスティナへと迫ってくるが、その表情が困惑に歪む。


「なんだ、コイツ……なんか、気配が変じゃねえか?」


 パニーラの表情も怪訝そうだ。


「テオドル、お前も思ったか? コイツ……」


 そう、スティナが後悔したのは、城壁上で出会った時何が何でも殺しておくべきだったということだ。そうすればその後あんなふざけた真似もされることはなかったのに。

 コイツが、イェルケルの首を切った相手であるのだ。

 手加減一切なし。ありったけの殺意を込めたスティナの飛び回し蹴りがテオドルへと飛んだ。瞬きする間もなく、スティナの全身がテオドルの眼前へと迫っていた。

 テオドルにとって幸いであったことは、スティナが我を忘れていたせいで、攻撃の瞬間の気配をほんの微かにだが隠し損ねてしまっていたことだ。

 テオドルは両腕を顔横に構え受けが間に合う。そこに魔法使いならば当たり前の不可視の盾を重ねる。更に、パニーラによる不可視の盾もこれに合わさる。

 本来不可視の盾は自身を守る盾にするぐらいしか効果範囲的に使用できないはずなのだが、天才パニーラならばそんな至難も乗り越えてくるのだ。

 超一流の魔法使いによる不可視の盾二枚、そして鍛えぬいた戦士の腕二本。これらで支えたおかげでテオドルの頭部は千切れずに済んだ。

 だがその衝撃全てを殺しきることはできず、テオドルの全身は縦に回転しながら高級店と通りとを分かつ壁に激突する。

 その一撃でスティナは冷静さを取り戻したが、最早手遅れである。そして追撃をしようにもテオドルはといえば、壁に回りながら突っ込んだはずなのに、壁にぶつかることで身体の回転を止め、即座に姿勢を制御し両足を大地につき迎え撃つ態勢を取る。

 蹴りの一撃のみで、テオドルからは慢心が消し飛び、パニーラは戦時の集中力を取り戻す。

 スティナの頭の中で色んな思考が交錯し、そして結論が出た。


『あー、もう、いいわ。どっちも殺す。ここで殺す。今すぐ殺して、それからのことはその後で考えるわ』


 怪しまれることのないよう、今日は剣を持ってきてはいないのだが、その程度で自身が不利になるなどとは考えぬスティナである。

 スティナは、あれが来いと願いながらパニーラへと踏み込む。

 そして願い叶ってアレが来てくれた。パニーラにとって最も信頼度の高い、光の槍の魔法である。

 この魔法、何が良いかと言えば発動がとんでもなく速いのだ。また飛ばして良し、手にもって良しと応用範囲も広く、形状を変化させることもできるので、ちょっとした小手先の技も多い。

 だがこの技、スティナは既に見ている。そしてパニーラはこれをスティナが見ているとは知らない。

 投げ放たれた光の槍が分裂する寸前、スティナは加速しパニーラの視界から一瞬だが完全に外れてみせる。対象が見えてなければ軌道変更は行えない。光の槍は狙いを失いそのまま直進するのみとなり、パニーラの前には守ってくれる何ものもない。

 一撃でアイリの意識すら刈り取ることができる渾身の拳。これを、しかし、パニーラは不可視の壁で防ぎにかかる。

 以前出会った戦場でならばパニーラの不可視の壁もぶちぬけたかもしれない。だがここは、魔法溢れるイジョラの地である。パニーラの力はこの地でこそ発揮できるものだ。

 岩をも砕くスティナの拳が重苦しい衝撃音と共にパニーラの眼前で止まってしまう。

 そんなスティナの背後から、テオドルが怒鳴りながら襲い掛かる。


「てめえの相手は俺だろうが!」


 スティナがパニーラへと踏み込む速度と、テオドルがスティナへと飛び込む速度にほとんど差がなかったからこそ、パニーラへの攻撃は一打のみですぐテオドルの攻撃となったのだ。

 気配に合わせて振り向くスティナ。だがテオドルはそのスティナの視界から外れながらの拳を放つ。

 スティナ、勘のみを頼りに身体を回し、殴り掛かったテオドルの手を肘で真横から叩いて落とす。見てもいないのにテオドルの高速の拳を叩き落とすのだから、テオドルも驚愕を隠せない。

 だが攻撃は止まらない。パニーラが光の槍を握りこれを下段に薙ぎにかかる。

 かわしにくい足を狙い、もし跳んだならテオドルが仕留める。そんな動きであったが、スティナはこれを跳躍してかわしつつ、頭部は下に、両足を上にと逆立ちのような形になり攻撃を避けつつ二人に同時に蹴りを放つ。

 右足の甲がパニーラの、左足の踵がテオドルの、それぞれ頭部を真横からぶっ叩く。どちらも防御は間に合ったが、衝撃は殺しきれず大きく後ろへと下がることに。

 ただ、さしものスティナもこの二人を同時に相手しつつ、フードで顔を隠しているのは無理があったようだ。

 その流れるような銀髪と、コウヴォラ一と言っても過言ではないパニーラにすら負けぬ美貌が顕わになる。それで動じる二人でもないのだが。

 距離を取ることになったパニーラ。その目は怒りに燃えていた。


「聞けテオドル! コイツ間違いねえ! この動き忘れてねえぞ! コイツが大将を殺った奴だ!」

『これだけ動けばさすがにバレるわね』


 何故そんな人間がイジョラの、それもコウヴォラなんて中心都市にいるのか。そんな疑問は放置して、テオドルは湧き上がる殺意に身を任せる。


「そうかい、そうかい、そいつはいい話じゃあねえか。おいパニーラ、構うことぁねえ、街の半分吹っ飛ばしてでもこのクソブッ殺すぞ」

「半分? ケチ臭ぇこと言うなよ。気前よく全部くれてやろうぜ。代わりにぜってーコイツはブッ殺すがな」


 二人によって勝手にコウヴォラの民の命は、スティナと引き換えにされてしまうようだ。

 パニーラの全身から、魔法を感じ取れぬスティナにさえわかるほどはっきりと、黒々しい何かが漂い始める。これと同時にテオドルが突っ込んできたが、この二人の動きから、スティナは即座にテオドルは囮であると看破する。

 重い気配のパニーラに向け、テオドルにも追いつけぬ速度で踏み込み、スティナの渾身の蹴りを放つ。下段への蹴りは受け方を知らぬ者には極めて効果的であるが、パニーラはどこでそれを学んだものか、不可視の盾のみならず腿にて受ける形を作る。

 衝撃音は二つが同時に。一つはパニーラの腿で、もう一つはスティナの軸足が大地を踏み出した音だ。先の拳、蹴りとは比較にならぬ強い強い強い打撃だ。

 魔女と呼ばれたパニーラの強力な不可視の壁ですら衝撃を殺しきれず、パニーラの腿に信じ難いほどの圧力がのしかかる。


『魔法っ! 無しでこれかよっ! コイツやっぱとんでもねえ!』


 だがそれでも、スティナの目論見であったパニーラの足をへし折るにはまるで届かず。背後からテオドルの魔法を伴った拳がスティナへと。

 スティナ側も、この蹴りをかなり重心を落として放っていたようで、背後よりのテオドルの攻撃に反応が遅れる。

 先程と同じように肘を突き出すスティナだったが、今度は叩くなんて真似はできず。だが、伸ばしたテオドルの拳の流れに沿うような形であり、これを僅かに上へとずらすことでテオドルの拳はスティナへの軌道から外れてしまう。

 そして殴り掛かった勢いを殺さぬままにテオドルの後ろ頭を掴み、パニーラ目掛けて押し込み投げつける。二人は折り重なるようにして倒れた。


「誰を、殺すですって?」


 転がる勢いが止まらぬうちに、パニーラは大地を強く拳で叩く。


「てめーをだよ!」


 パニーラの拳に応えるかのように、大地が赤く染まって熱を帯びていく。その範囲はパニーラの周辺のみに留まらず、円状に八方へと広がっていく。

 マズイ、何がどうマズイのかはわからぬままにスティナはその場を飛び離れる。そんなスティナの眼前に、大地から燃える土砂の塊が天高くにまで噴き上がった。

 土だ。赤く燃える土。土砂崩れを逆さまにしたような、空へと舞い上がっていく真っ赤に染まった土の津波。

 それがスティナの眼前一杯に広がっている。距離が近すぎて端が見えない。だが、それがスティナへと迫っていることだけは感じ取れる。もちろん、あの赤い土に触れたら死ぬだろう。

 スティナは引きつった顔で後退する。下がる速度よりこれが広がる速度が勝っていればスティナは死ぬ。だが幸い、スティナの足程の速度は出せないようで。とはいえ、さっき見た限りではこの赤い土砂、八方へと円状に広がっていたはずで、それがスティナも驚く速度で広がっているとしたらとんでもないことだ。

 燃える土砂の噴き上がる音は正に轟音と呼ぶに相応しいもので、それまで街の一角でしかなかったその空間を地獄絵図へと書き換えていく。

 後退するスティナが高級店前の通りへ飛び出し、店の庭のほとんどを燃える土砂が吹き飛ばしたところで、ソレは来た。

 噴き上がる燃える土砂のど真ん中を突っ切って、テオドルがスティナへと飛び込んできたのだ。

 音と土砂と火炎の熱と、様々な要因がスティナの感覚を麻痺させる中、絶対に触れてはならぬと思われる燃える土砂を突っ切ってくるという意外性により、テオドルはスティナの間合い内へと完璧な形で入り込むことに成功する。


「そう! てめーをぶっ殺すっつってんだよ!」


 こちらも魔法を込めた必殺の拳だ。テオドルは頑強さが有名になっているが、本来はその魔法の力で身体能力を、そして打撃の攻撃力を上げることを得意とする。

 そしてイジョラで魔法使いを多数屠ってきたこの技は、不可視の壁を真っ向から叩き割ることを目的として使われるもので、対人用としては本来ありえぬ過剰な攻撃力を持つものだ。

 そんな拳をスティナは顔面にまともにもらってしまう。

 衝撃を逃がすこともできず、勢いそのままに後方へと転がっていく。テオドルの手に残った感覚は確殺を約束するものであった。

 だが、転がっていくスティナの姿が、徐々に消え、全身が霞がかった後で、テオドルの見ている目の前でスティナは完全に消えてしまった。


「なんだあ!?」


 そして声だけが聞こえた。


「……さっさとその火消しなさい。次やる時は、街の外でやるわよ」


 完全に気配を見失ったテオドルは、それでもと周囲を探すがやはり見つけられない。そして、いまだに広がっていっている大地より噴き上がる赤い土砂に向かって怒鳴った。


「パニーラ! わーりい! 逃げられたわ!」


 少ししてから土砂の向こうより怒鳴り声が返ってきた。


「あー! チクショウ無理だったか! 魔法消すのに少しかかるからお前も逃げとけよー!」

「え? これすぐ消せねーの? 何それやばくね?」

「炎じゃなくて溶岩の魔法だかんな! 出すのも引っ込めるのも一苦労だわ!」


 ははは、という笑い声とは裏腹に、この周辺からは悲鳴と怒号が聞こえてくる。


「火事だー! え!? てかこれ火事だよな!?」

「魔法!? 魔法なのかこれ!? こんなやべえ魔法知らねーぞおい!」

「ヤベエ! 肉の店直撃じゃねえか!」

「喚いてねえでとっとと逃げろ! もう他の家に引火しちまってるぞ!」


 パニーラの言葉通り、大地から噴き上がる燃える土砂は一向に収まる気配がない。広がりだけは止まっているがそれだけである。

 テオドルは少し悩んだ後、土砂の向こうにいて見えないパニーラに背を向けた。


「俺知ーらね」


 戦ってる時は随分と威勢の良いことを言っていたが、いざ後始末をするとなるや、テオドルは早々に逃げ出すことに決めたのであった。




 アイリとレアは調査結果を話し合いながら合流地点へと歩く。

 全身フードで顔まで隠しているようなチビが二人並んで歩いているのは相応に怪しいものであるが、どちらもが気配を薄めて歩いているので、道行く人が二人を注視する様子はない。

 レアが珍しく真剣な声で言う。


「反乱軍に、東部農村地帯が奪われたって。カレリアの手、じゃないと見てるけど、だとしたら、農民が? 魔法使いの軍を倒す? ごめん、私にも意味がわからなかった」


 アイリもその話には納得できぬようだ。


「イジョラ内部の権力闘争ではないのか?」

「少なくともアルト王子の陣営では、それを疑ってた。けど、どこが動いたか全く見当がついてなかった。消極的な理由で、エルヴァスティ侯爵が疑われてたけど、それにもあまり自信が無さそうだった」

「帝国は?」

「あまり疑われてない。というより、帝国が手を出してるのはそもそもの前提、みたいな話しぶりだった。それでも問題視してないって、感じ」

「意味がわからんな。しかし、魔法使いの軍と戦うのなら相応の兵でなくば話にならん。派手な魔法を撃ちこまれたら、訓練の足りてない兵士ならばそれだけで戦線が崩れかねん。農民兵がこれに抗するというのは、些か信じ難い話だ」


 とことんまで追い込まれた農民による反乱というものを、レアもアイリもまだ理解できていない故の発言である。どちらも貴族であるため仕方のないことでもあろうが。

 次にアイリが調べた話に。


「反乱は北部でも起きているらしいな。だが、北部のはどうも陽動、もしくは蜂起実績を作る目的といったところだろう。実際に反乱が起こっている、だから他所も頑張れと、そんな話であろう」

「そっちはもう明確に、帝国の手が入ってるってわかる」

「だな。しかし東部か。そうなるとカレリアが最も怪しいのだが……陛下はイジョラを潰すどころか弱らせるのにも否定的なはずだし、それはないと思う。一度現地に入る必要があるかこれは」

「……そこまでする必要があるかどうか。それにこっちも結構余裕なくなる。馬鹿のせいで」

「ああ、そうだな。とんでもない馬鹿が一人いたな、この街に」

「後でとっちめよう。ホントもう、アレには見張りか首輪かが必要」

「その通り。と、殿下、と、ん? あれは……」


 合流地点である街を出てすぐの所にある林の中には、既にイェルケルが来ていたが、もう一人、先程アイリが逃走に協力してやった騎士の姿が。

 イェルケルと騎士は、並んで座りながらとても楽しそうに話をしている。


「……でな、その勘違い女が言うわけだ。貴方のためなら私はどんな労苦も厭わない、って。お前、直前に俺のためを思うんなら二度と顔出さないでくれって言った言葉になんて返事したか忘れてんだろ、と」

「くっくくく、身勝手な女性がやることはどこも変わらないんだな」

「なーにを他人事顔してやがる。お前ん所の姉貴の話も大概だったろうが」

「まあなあ、でも恋愛が絡むとより悪化するようだな。私のところはそこまでではなかったよ」

「女にモテたいだのとほざく連中に、あの女見せてやりたいよ。あの女一人でも大変なのに、これに嫉妬する男共がごそっとついてくるんだ。恋愛ってな、人の醜いところをこれでもかって勢いで見せ合う醜悪極まりないもの、って俺の感想どこか間違ってるか?」


 イェルケルと騎士の二人は、驚くほど気楽な様子で笑い合っていた。

 レアはどこか呆れた様子であった。


「ホント、でんかって気の合う相手とは、すぐ仲良くなれるよね」

「良いことだろう。文句を言うのはあの馬鹿ぐらいのものだ。うむ、当分はあの馬鹿で十分だな」

「何が凄いって、そうやって仲良くなる人って、大抵本当に信頼できる相手ばっかなんだよね。いったい何を見て判別してるんだか。後馬鹿呼ばわりは私も同意する」

「或いはああして友となることで、短期間でありながら信頼関係を育てているのかもしれんな。我々にはとてもとても、真似できる気がせんよ」


 アイリとレアの姿を認めると、イェルケルは二人に向かって大きく手を振る。隣の騎士は少しバツが悪そうにしていた。




 スティナ・アルムグレーンは窮地に陥っていた。

 イジョラの怪物二人との戦いの後、まさかと確認したところ、どうやらスティナが通りすがりのアホ王族と思っていた相手はイジョラ四大派閥の主の一人であったようで。街中エライ騒ぎになっていた。

 しかもその後、イジョラの魔女パニーラと頑強なるテオドルには顔を見られるわ、そこまでしときながらパニーラもテオドルも殺せずじまい。かと言ってあのまま戦闘を続けていたら街がとんでもないことになっていたので引くしかなかった。


「……顔、痛い」


 挙げ句痛烈な反撃までもらったスティナは、自分の頬をなでながら歩いている。

 テオドルの全力の拳をもらっておきながら痛いで済んでいるのだから、その鍛え方は尋常ならざるものであろうて。

 なんと言い訳したものか、と合流場所に向かったスティナは、そこに腕を組んで仁王立ちしているイェルケルと、その後ろでわざとらしくひそひそ話をしているアイリとレアを見つけた。

 イェルケルは引きつった顔で言った。


「さて、言い訳を聞こうかスティナ」

『やっぱバレてるわよねえええええええ!』


 大慌てのスティナは身振り手振りを交えて語る。


「ちょ、ちょっと待ってください。これにはね、深い、ふかーい訳がありまして。まさかあんな大物貴族が街中呑気に歩いているなんて思いもしなくてっ。そ、それに、きっとみんなもあんな目に遭えば私と同じことしたって……」


 スティナの言い訳を聞く後ろで、レアとアイリが聞こえるようにこそこそと話をしている。


「アイリ、アイリ、なんかこの街に、思いつきと勢いでおおもの貴族に手を出す人がいるんだって、怖いねー」

「うむ、なんたる無法よ。人間社会に適合できておらん獣のような奴よな。いったいどんな悪党なのか、顔が見てみたいわ」

「そこっ! そこの二人! だからこれは誤解なのよー! 今日はたまたま運が悪かっただーけーなーのーよー!」


 スティナに非があって、これを公然とイジメられる機会はそうそうないので、ここぞとイジリにかかるアイリとレアである。

 イェルケルもさすがに今回ばかりは見逃すとか容赦するとかできない案件であるので、きつく厳しく言うことに。

 さんざっぱら煽られいじられ説教された後で、大いにへこんでしまっているスティナに対し、次は気を付けろという話でまとまった。

 これを全部見ていた騎士は疲れた顔で呟いた。


「アルト王子に手を出しておいて、今度は気を付けろで済むんだお前らは……」






 シルヴィ・イソラはお供の戦士二人を引き連れて、コウヴォラの街で真っ先に訪れたのは馬の牧場であった。

 かなり規模の大きなもので、なんとここでは馬の競争も行われているという。

 まだ午前中であったので本格的な競争は始まっていなかったが、馬が周回できるような大きな馬場を訓練中の馬が数頭走っていた。

 お金さえ払えばこれを見学することもできるので、シルヴィはまだほとんど人のいない馬場をぐるっと取り囲んでいる観客席へ入る。

 その大きさに感嘆の声を漏らしつつ、シルヴィは走っている馬を見る。

 それはシルヴィのお眼鏡に適うような馬ではなかったが、シルヴィは自分が色んな馬の面倒を見ているだけに、他所の馬を見るのも好きなのだ。

 一所懸命走る馬を見ながら、いけー、とかがんばれー、とか声を掛ける様は、馬場で整備や準備を進めている人間たちも思わずほっこりするようなもので。

 変な奴に声を掛けられるのではないか、とびくびくしているお供二人を他所に、シルヴィはとても楽しそうに馬の訓練を見続けていた。

 この時の、いけー、という声がどこかの馬に聞こえてしまったというのは、きっとシルヴィに責任のあることではなかろうて。


 一通り街中を見てまわり、そこに暮らす人の顔を見て回ったシルヴィは、もう十分と街を出る。

 門をくぐって街を出て、じゃあ帰ろうかというところでその声を聞いた。


『かっ! 神いいいいいいいいいいい!! 何故ここに神がいらっしゃるのかあああああああ!!』


 もちろん聞こえたのはひひーんという馬の嘶き声である。

 他の者は気付かなかったようだが、シルヴィならば自分の育てた馬はすぐにわかる。


「あれ? あの子……もう、しょうがないなぁ。逃げてきちゃったんだ」


 シルヴィ自身が乗馬にしていただけあってかなり優秀な馬であったのだが、それだけに気位の高い馬でもあった。

 それでもシルヴィの命令に逆らうなんてことはないよう躾けたのだが、人の手から逃げてきたということはまだ躾が足りなかったらしい。

 どうしたものか、と首をかしげるシルヴィだったが、今の自分の立場を考えるに、別にこれ、持って帰ってしまってもいいかと思い付く。

 シルヴィは乗っていた馬から降りると、門番の人に自分の馬の手綱を渡す。


「はい、これ」

「ん? なんだ? 危ないから下がって……」

「私あれ持って帰るから、これ、あげるね」

「は?」


 暴れ馬は一直線にシルヴィの前へと駆けてきて、その最も乗り込みやすい位置にて停止する。

 シルヴィは馬がそうするとわかっていたかのようにひらりとこれに乗り込むと、目を丸くしてるお供の二人に楽しそうに声を掛けた。


「よーっし! にっげろー!」


 そんなシルヴィについていくのは、お供二人にとっては行きの時とは比べ物にならぬ難行であったとか。


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