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157.私がみんなに怒られた原因(中編)


「暴れ馬だあああああああ!」


 走る騎士の前方から、そんな怒鳴り声が聞こえてきた。

 それどころではない、というのが騎士の本音だ。何せ彼の後ろからは二十人近い兵士が走って追ってきているのだから。

 宿で待つよう言われて、言われるがままにしていたら兵士たちが来た。当初、どこかに連れ出そうとしていたようなのだが、気配が怪しかったのでそれを突っ込んだところ、剣を抜いて襲い掛かってきたのだ。

 元々、アルト王子は機嫌によって冷酷になる時もあると知っていたので、警戒は一応していたのだ。

 しかし、まさかここまで直接的な手段に出るとは騎士にとっても予想外だ。

 何にせよ、とにもかくにも生き残ることがまず最優先。騎士は路地から飛び出し、大きな通りへと。そこならば人通りもあるだろうし、そんな中で連中も無茶はすまいという考えであった。

 だが甘かった。兵士は平民が見ていようと気にもせぬまま騎士を追い掛け、むしろ邪魔な平民を突き飛ばす勢いである。

 その雑さが、これはまさにアルト王子の兵だと騎士に確信させるのであったが、今はその雑さのせいで逃げるのに苦労している。

 走る騎士。その前方から、先程叫んでいた暴れ馬とやらが突っ込んでくるのが見える。

 正面衝突なぞ冗談ではない、とこれを避ける騎士。その瞬間背筋が凍ったのは、騎士の間合いの内、すぐ目の前に全身をフードで覆った小さな人影が現れたからだ。

 騎士はそれなりに腕に覚えはある。なればこそ、こんなすぐ側にまで気付かれず踏み込まれたことに驚き、恐怖するのだ。

 そのチビフードが騎士の下で何やら動いた。そう思った瞬間騎士の身体は空高くに舞い上がっていた。

 何をされたのか、当の騎士にもよくわかっていない。だが、次に自分の位置を把握できたのは、その暴れ馬とやらの上に乗っている自分に気が付いた時だ。

 あのチビフードが、前方から突っ込んできていた暴れ馬の上に自分を上手く放り投げたらしい、とわかったのは少し走った後である。

 そのまま騎士は暴れ馬に乗せられ走り抜けていく。

 チビフードはすぐに人込みの中へと隠れ潜み、追っ手の兵士たちから完全に見えなくなったところで一人呟いた。


「ふむ、顔見知りだったのでとりあえずで助けてしまったが。これで良かったものか」


 チビフードの正体はアイリ・フォルシウス。

 この後アイリは、もののついでだ、とばかりに騎士を追っていた兵士を追跡し、これを調べに動くのであった。




「暴れ馬だあああああああ!」


 店の窓から、外の通りを走る暴れ馬を眺めていたテオドルは、馬の上に乗ってこれに必死にしがみついている男を見てゲラゲラと笑っている。


「うはは、なんだあのザマは。いっぱしの男が馬にも乗れねえのかよ」


 テオドルとはテーブルの反対側に相対して座っているパニーラは、普段の言動からは想像もできないほど上品に食事をとっていた。


「おめーよー、せっかく人が高級店連れてきてやったんだからもーちっと品良くしろよ」

「うっせ、こういうお高く留まった店は性に合わねーんだよ。……でもま、確かに肉は美味いが。つかすげぇなこれ、何使えばこんな柔らかくなるんだ?」

「さてな。ほら、あっち見てみろ、おめーみたいなのもいるが、連中も静かなもんだろ」


 そう言ってパニーラが指さした先には、こういった高級店にあまり似つかわしくない若い年の、それも見るからに人相の悪い連中が大テーブルを囲んで静かに食事をとっていた。

 若い連中の中に一人だけ高齢の人物が混ざっているのは、彼のおごりか何かなのであろう。若い連中は、料理の味の良さに驚き感動しているようだ。

 へいへい、大人しくしてりゃいいんだろ、とテオドルも上品な手つきで料理を取り始める。別段テオドルは頭が悪いわけでも勘が鈍いわけでもないので、簡単な所作程度なら見ただけですぐに覚えられる。


「やりゃできんじゃん」

「あったりまえよ、俺ぁ、やる時ぁやる男だぜ」


 よく言うぜ、と二人で笑い合う。そうしていると二人ともそれなりにきちんとした貴族に見えるものだ。

 だが、そんな穏やかな時間は長続きはしなかった。

 一人の男がこの店に、息せき切って飛び込んできたのだ。


「旦那! 旦那ぁどこだ!?」


 旦那とは先程の若い連中を引き連れた老齢の男らしい。彼は飛び込んできた男の不調法を叱るが、男はそれどころではない、と声を張り上げる。


「聞いてくれよ旦那! テオドルだ! テオドルの奴が街に戻ってきやがったんだよ!」


 店中の全ての客の動きが止まった。

 テオドル・シェルストレーム。その強力無比な魔法使いは、相手が何者であろうと平気で噛みつく狂犬として知られていた。

 しかもその実力は一説によれば王宮近衛に匹敵するほどで。圧倒的な、それこそ官憲をすら凌駕する実力を伴った狂犬など迷惑この上ない。

 その狂犬っぷりのおかげで、テオドルの名はこの街の様々な層の人間に知れ渡っているのだ。

 パニーラは今にも噴き出しそうなのを堪えながら言う。


「お前、案外有名なのな」

「うっせえよ。つーかなんだって今更……」


 店に飛び込んできた男を誰も制止しない。テオドル来襲の報せはそれほど価値のある情報であるのだ。


「アイツしばらく街から離れてたけどぜんっぜん変わってねえ! あの野郎! よりにもよってアルト王子に手を出しやがった!」


 今度は動きが止まったなんてものではない、店中の人間が驚愕に凍り付いた。あとパニーラも。


「四大貴族、王族、幾らなんでもコイツにだけは手を出せねえだろなんてみんなが思ってたってのに、両方まとめて行きやがった。アイツ絶対頭おかしいぜ」


 そちらの騒ぎを他所に、パニーラが怒りに引きつった顔でテオドルに問うていた。


「おい、こりゃあ、なんの話だ?」

「待て! 待てパニーラ! 俺は知らねーぞ! 最近はずっと訓練場に居たんだから俺じゃねえって!」

「今更おめーの証言にしんぴょーせーなんてもんがあるなんて思っちゃいねーだろうなーおい」

「だーから俺知らねえっての! ちょ、ちょっと待ってろ! 俺が今確認してくっから!」


 そう言ってテオドルは席を立つ。


「よー、そこのにーちゃん。そのテオドルって奴の話もうちょい詳しく教えてくれよ」


 テオドルは、少なくとも見た目はどこにでもいるようなあんちゃんである。陽気に気安く声を掛ければ、よりそう見えるだろう。

 駆けこんできた男は、癇に障ったとでも言いたげな目でテオドルを睨む。


「あ? あんだてめえは?」

「まあまあ、そうとんがるなよ。あのテオドルの話となりゃそりゃお前、街中の危機じゃあねえか。俺だけじゃねえぜ、ほら、そこらに座ってる奴もみーんな聞き耳立ててるだろ。ここは一つよ、懐の広ぇところ見せてくれよ」


 そう言うテオドルに、駆け込んできた男は眉を顰めつつ、テーブルの旦那と呼ばれた老齢の男を見る。彼は何故かとても焦った様子で何度も頷いて返してきた。

 チンピラ紛いのボスをしているのなら、さすがにテオドルの顔ぐらいは見知っているのだろう。


「ちっ、旦那がそう言うんなら仕方ねえか。おら、店の他の連中も旦那のでっけえ器に感謝しろよ。んでだな……」


 男曰く、たった今、向こうの商店通りの端で、アルト王子が半殺しにされるのを見たというのだ。

 それがどれだけヒドイやり口だったかを彼はとても細かく語り、その間にテオドルは席へと戻る。


「ほらな、俺じゃねえだろ? 理解したか? 納得したか? おめーの爪の先程しかねー頭でもわかっただろ? 俺ぁよぉ、そういう安易なやり方ぁ、もうしねえんだよ、お・と・な・に・なったんだっつの」

「うっわ、すっげぇうぜえ。しっかし、お前以外にアルト王子にそんな真似する奴がいるとはなぁ。……あ、いやちょっと待て。これマズイ、すげぇマズイわ」

「何がだよ」

「俺だって思ったんだぜ。公衆の面前でアルト王子半殺しにするようなのはお前以外いねーって。しかもその犯人、顔隠してたんだろ? このままもし捕まらなかったら、本気でお前のせいにされねえか?」


 しばし無言。そして、爆発した。


「ふっざけんじゃねえええええ!! なんで俺がやってもねえことで文句言われなきゃなんねえんだよ! そのクソ俺がこの手でぶっ殺してやらああああああ!」

「いやー、幾らなんでもとっくに逃げてんだろ。まいったねどうも、まさかこんな手で追い込まれることになるたぁよ。どーすっかなぁ、一度侯爵の所行って相談してみっか」

「何本気で困ってる顔してやがんだ! おめーはその事件があった時俺と一緒にいたじゃねえか! それ言ってくれりゃ一発だろ!」

「俺もお前ほどじゃねえけど信用ねえしなぁ、しかもお前とつるんでるのはみんなにバレてるし。むしろ下手に庇ったなんて言われたら鬱陶しいことになりそうだな……よし、俺もお前とは一緒にいなかったことにしよう」

「パニーラてめえええええええ!!」

「というわけで俺は傍観者に徹するからよ、まあせいぜい頑張ってくれたまえよ、はっはっはっはっは」

「思いっきり状況を楽しんでんじゃねえクソッタレがあああああああ!」


 ちなみに二人が騒いでいるのを聞いていた店内の人間たちは、この二人が件のテオドルと、そして数多の戦歴を誇る魔女パニーラ・ストークマンであると知り、皆がそそくさと店を出ていった。




「暴れ馬だあああああああ!」


 こういう怒鳴り声を聞けば、イェルケルという人間は自分が動ける状態ならばすぐにそちらへと向かう。それは野次馬云々といったことではなく、自分ならば助けになれるかもしれないと考えるからだ。

 殿下商会の恐ろしさ、無法さをよく知る人物にすら、イェルケルが善人であると評される所以である。

 騒がしい声と馬の駆ける音。これを聞き分け暴れ馬の通り道を予測し、その通りに飛び出す。

 いた。今にも落馬しそうな形で、馬にしがみついている男が一人。


「……何してんだ、アイツ」


 イーリスの領地で出会った騎士である。

 それと次に気付いたのは、その馬がとんでもない良馬であるということ。

 一目でわかるほどの優れた馬で、ここまでの馬は騎士軍との戦いの時シルヴィが持ってきていた馬ぐらいしか覚えがない。

 イジョラにもこのような名馬が、優れた調教師がいるのだな、と妙に感心してしまう。

 とにかく馬の暴走を止めようとしたところ、遂に馬上の騎士が力尽き、馬から振り飛ばされてしまう。

 舌打ちしながら騎士の落下地点へと走る。これで暴れ馬の暴走を止めるのは間に合わなくなったが、人間の怪我を防ぐことを優先するのはイェルケルらしい選択でもある。

 そうやって動いた直後、やはり暴れ馬を抑えに回る方がより効果的に人的被害を抑えられるのでは、と思いつきちょっと後悔するのもイェルケルらしいと言えよう。

 飛来する大人一人を、軽々と両腕で抱き止める。その場で力任せに止めてしまうこともできるが、飛んでくる人間にできるだけ負担がかからぬように、きちんと勢いを殺しながらこれを受け止め、すぐに地面にそっと置く。

 大地への激突を覚悟していた騎士は、あっけにとられた様子でそれを為した男、イェルケルを見上げる。

 イェルケルは笑って言った。


「よう、奇遇だな」


 騎士は勢いよく身を起こす。


「おっ! おまっ! なんでここに!」

「ああ、ウチの連中がさ、何か美味いもの食べたいって言いだしたもんで、ならイジョラで一番栄えてるコウヴォラでも行くかってなってな。アンタこそなんだってこんな所に……って、ああ、そっか、アレ運び込む先、ここだったのか」

「そーいうこと言ってるんじゃない! お前ここがどういう街か……あー、うん、いや、もう俺も一緒だな。おい殿下、俺もついさっきお尋ね者になったっぽいわ」


 穏やかならぬ話にイェルケルは、とりあえずこの場を離れようと騎士を誘う。

 騎士もすぐにでも逃げる算段を立てなければならないのだから、イェルケルの招きは望むところで。

 歩いて街の外れへと向かいながら二人は会話を交わす。

 歩きながらの会話は、声量さえ誤らなければ案外盗み聞きされることも少ないものだ。


「で、何があった?」

「泊ってた宿にいきなり騎士と兵士が来た。俺を合法的に連れていこうとしたんだが、挙動が怪しいんでつっこんだらすぐに剣を抜きやがった。正規軍なのは間違いない、それが、非合法に動いてるって話、だと思う。あー、あんまり考えたくないんだが、一応心当たりはあるんだよな」

「密偵の件か?」

「多分な。こっちは善意で秘密裡に運んでやったんだから、向こうもそれなりに応じてくれると勝手に思っていたんだが、いやはや容赦ないな連中。俺が間抜けだったって言われればそれまでなんだけどさ」

「……それは、アルト王子の指示なのか?」

「そこから指示が出てるでもなきゃ、正規軍が街中で暗殺なんて真似、できるもんじゃない。……或いは、俺を殺して何もかも無かったことに、なんて話もあるかもとは思っていたが、そこまでやるほど俺の死に価値があるとも思えなかったから油断してたよ。おかげで当分は逃亡生活だ」

「案外、悲壮感ないんだな」

「どの道出世なんてものはとうに諦めてたしな。半年、一年も隠れてりゃ王子の方も俺なんざどうでもよくなんだろ。そうなってから、知人を通じて金を払って罪状の撤回を頼む。それで終わりだ」


 イェルケルはとても難しい顔をする。そんなイェルケルを見て騎士は笑った。


「お前、やっぱこういうの嫌いか。だがな、四大貴族と本気で事を構えるなんて真似をするよりゃよっぽどマシだぜ。人間の怒りなんてもんはそういつまでも持続するものじゃないんだ。俺を殺さなければアルト王子も死ぬ、もしくは多大な損失を被るなんて話じゃない、頭に来たってだけならそんなもんだぞ」


 騎士がそう対応するのが一番だ、なんてことを当たり前に語るぐらいに、大貴族が機嫌やその場の怒りで他者を断罪している、そういったイジョラの現状にイェルケルは腹を立てているのだ。

 その理不尽に対する怒りは最初にそれを目にした時、誰しもが持つものだと騎士も理解している。だが同時に、だからとどうこうできるわけでもないことも知る。

 もしくはそれを教えるのが、先達の役目というやつだ。


「いいか、どんな時でもだ、まず生き残ることだ。そいつは全てに優先する。見栄だの面目だのは、その後で辻褄を合わせるもんなんだよ」


 そのためにもさっさと街を出るぞ、とイェルケルを促す騎士。

 イェルケルはその間ずっと、納得できない顔のままであった。




 アイリは途中で合流したレアと二人で、イジョラ兵の動きを探っていた。

 先だってイーリスの領地で出会った騎士が、何やらイジョラ兵に追い回されていた理由を調べるためだ。

 彼らの会話を聞いていると、その命令がアルト王子の指示であるとわかる。レアは結構本気でアイリに問うた。


「やっちゃう?」

「イジョラの重鎮をそんな容易く殺そうとするでないっ」


 だが、すぐに彼ら兵士の動きが変わる。


「おい! 大変だ! アルト王子が暴漢に襲われたぞ!」


 アイリはとても驚いた顔でレアをじっと見る。レアは物凄い勢いで首を横に振った。


「犯人探しに人手がいる! お前らも来いってよ!」

「チクショウ! いったいどうなってやがんだ! 反乱軍といいこれといい! よってたかって王子を狙い撃ちかよ!」


 そう言って彼らは二手に分かれて走り出す。

 アイリとレアも二手に分かれ、それぞれの兵から情報収集を行う。そのどちらもで聞かれた、アルト王子を襲った下手人は全身フードを被った化け物みたいに強い謎の男、という話に、青筋立てつつ一人の女性を想像したとか。


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