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154.天馬の騎士再び


 山中の一本道。片側は壁で、片側は奈落の底で。

 そんな道を反乱軍兵士たちは進む。

 砦を目指すにはここを通るしかない。既にこの道を相当数の兵士が進んでいるのに、先が詰まるなんてことにはならない。

 その理由を考えないようにしながら兵士たちは進む。重くて大きな盾を手に持って、これだけ頑丈なら矢も通さない、そう思えるような盾であるが、そんな盾をもぶちぬくのが魔法であるとイジョラの民である彼らは皆知っている。

 ロクに戦闘の心得も知らぬ農民たちが、恐怖を押し殺し進める理由はただ一つ。

 このまま領主の言いなりになっていたら、どの道死ぬしかないからだ。

 それも、自分だけ死ぬのなら皆我慢したかもしれない。いや我慢ではなく、魔法使いへの恐怖から動くことはなかっただろう。

 だが、領主から課せられた税は、一人二人が死ぬ程度でどうこうなるようなものではなかった。

 また幾人かの領主は新たな法律を制定してきた。

 体躯に優れた男を数名、種と称して監禁し、出産可能な女性全てと交わらせ子供の出生率を向上させる、そんな法律である。

 生産性を上げる最も単純な方法だ。人口を増やせばいい。

 それを非道だと認識することが、イジョラの農民はできてしまった。

 何故ならイジョラ西部と東部とは違い、イジョラ南部では魔法を使えぬ民にも豊かに暮らせる可能性が存在しているからだ。

 そして豊かになれなくとも、尋常ならざる重税もなく、理不尽な法も少なく、愚かな領主はもっと少ない。国内でそんな地域格差が存在しているのだ。

 東部の農民たちは皆が思った。何故、自分たちだけがと。

 魔法という絶対的恐怖を乗り越えるほどの怒りと共に。

 農民たちはどうせまともに生きられぬのなら、どうせまともに死ねぬのなら、と決起した。それが、イジョラ魔法王国建国以来初となるこの農民反乱であった。

 元より教育もロクに受けていない農民たちに、下手な損得勘定は存在しない。

 有利不利も自分では判断できず、ただ、自分たちのリーダーが命じるままに戦うのみだ。

 やってやるぞ、と盾を抱えて進む。

 そんな彼らの後方より、妙な歓声が聞こえてきた。

 農民兵は振り返る。すると、細い道を一騎の馬が彼ら目掛けて駆けてくるではないか。


「正気か!? こんな狭い所馬が通れるわけないだろ!」


 その馬はしかし、よく見ると少しおかしかった。

 狭い道を進む農民兵の、頭上を走っているのだ。

 そして時折人並みの中に飛び降りたかと思うと、またすぐ皆の頭上へと飛び上がる。

 そう、彼らはようやく気付いた。


「馬が空飛んでやがる!」


 その馬は農民兵の間に時折着地しているのだが、何故か、それで人が踏まれるということがない。

 馬に押し出される者はいたが、その者が大きな怪我を負うようなことは決してない。

 そして馬に乗っているのは、見たこともないような美しい女性であった。

 彼女は馬上から声を掛け続ける。


「たいきゃくだよー! みんなー! こーたいしてー!」


 幾人かの農民は彼女の顔を見知っているようで、喜び驚き声を張り上げた。


「シルヴィだ! シルヴィが来てくれた! すっげえ! なんだよあれ! 空飛ぶ馬に乗ってシルヴィが来てくれたじゃねえか!」


 彼女の名前は農民兵なら誰もが聞いたことがある。

 ここ最近、色々なところで村を手助けしてくれている、人並み外れて力の強い女がいると。

 たった一人で水路を作っただの、数十本の大木を一人で斬り倒しただの、二十人の盗賊を一人で退治しただのと、ちょっと信じられないような話ばかりだが、これを話す農民たちは皆が皆、絶対に嘘じゃないと言い張るのだ。

 そしてシルヴィの後ろには、これから決死の戦だというのに喜び勇み、笑顔になっている農民兵たちが続く。

 彼らもシルヴィと同じように叫んでいる。


「退却だぞー! 引け引けー! みんな下がるんだー!」


 なんてことを言いながら、全員がシルヴィの後を追って前へと進んでいる。

 シルヴィの声を聞き、シルヴィが頭上を飛び越えた後、彼ら農民兵は全員が全員、シルヴィの後を追っているのだ。

 また面白いことに、シルヴィを知る農民兵の誰もが、彼女の名前に『さん』を付けるような真似をしない。

 親し気に、誰もが彼女をシルヴィと呼ぶ。

 農民兵たちは、笑顔で飛び進む彼女の馬の後に続き、退却だー、と叫び歌い続けるのだ。

 その異様な風景を砦の兵士たちが見たのは、城門前に陣取っていた連中が遂に攻撃を諦め撤退し、その様を砦の上から嘲笑っていた時であった。

 これ以上進めば砦からの攻撃範囲に入る、そんな場所でシルヴィは一度馬を止め、後ろの皆にここまで待つよう伝える。


「私が城門開けたら動いていいから、それまではぜーったい前に出ちゃだめだからねー」


 シルヴィが一人で行くというのだが、誰一人それに異議は唱えない。

 そしてシルヴィができるというのなら、きっと本当に出来るのだろうと信じているのが半数ほど。残る多少知恵のある半分はまさか、と思いつつもシルヴィの命令なら従おうというところだ。

 シルヴィは馬から降りると、これまで乗ってきた馬の背を一つなでる。


「良く、頑張ったね」


 その一言を聞いた後、シルヴィが乗ってきた馬はその場に崩れ落ちた。シルヴィの騎乗に耐えうる馬ではなかったのだ。

 そして徒歩になったシルヴィは肩を鳴らし足を伸ばした後、じゃあ行ってくるねー、とその場から走り出した。

 これを見送る農民兵たちに、先程までの悲壮感はない。

 彼等はこの土地に古くから伝わる歌をもじったものを、陽気に皆で合唱する。


「たいきゃっくだー! たいきゃっくだー! みーんな揃って退却だー! 天馬の騎士が退却だー! ひけー! ひけー! シルヴィが行くぞー! 退却だー!」


 勇ましいんだか腰が抜けてるんだかよくわからない歌である。

 そしてどうやらこちらの国でも、馬に乗ったシルヴィは天馬の騎士であるようだ。人間の考えることなどどこに行っても大して変わらないということであろうか。

 シルヴィが単身で突っ込んだことに対し、砦側はなんのつもりか全くわからない。だが、その人間ならざる走る速さに驚き、攻撃を開始する。

 だが、当たらない。人間の大きさで馬より速いのだ。降り注ぐ矢の全てはシルヴィの後方や左右へと刺さるのみ。

 ではより命中精度の高い魔法はというと、やはりこちらも命中は望めない。移動目標を魔法で狙う訓練を行なっている魔法使いというものは、よほど練度の高い部隊でもなくばいないものだ。

 ただそれでも距離が近くなればなるほど命中率が上がるのも道理で。矢は相変わらずだが、幾つかの魔法はシルヴィへの命中軌道を取るようになってきた。

 よし当たった、と快哉を叫ぶ魔法使い。シルヴィは、命中弾を槍の一振りで容易く弾いてのける。

 そして走り方を変える。右に左に何度も急旋回しながら、斜めに砦へと走るようになったのだ。

 これをやられてしまうと、狙いやすい速い魔法を使ってもそうそう当てることはできず。仕方がないので、矢も魔法も発射間隔を揃えて一斉に放つことで、狙った空間を全て矢と魔法で埋めてしまうようにする。

 だがそうした瞬間、シルヴィは加速し減速し、その殺しの空間からひらりと逃れていく。敵指揮官は次はあちら、今度はこちらと指示を出すも、シルヴィの速すぎる動きを捉えることができない。

 観戦する農民兵たちはもう、興奮の坩堝と化している。

 シルヴィは、まるで魔法使いみたいな凄い人間なのだが、彼女は絶対に農民の味方であると皆が信じているのだ。

 味方どころか、皆が見るにシルヴィこそ農民の中の農民である、と思えてならない。自分たちと同じ農民が、こんなにも強いということの喜びよ。

 奇跡、神の救い、そういった神秘をすら漂わせる働きを、身近で親しい人間がこともなげにやって見せたような。

 だが、さしもの農民たちも、次のシルヴィの動きには全員が言葉を失ってしまった。

 シルヴィは遂に城壁前にまで辿り着く。ここから先はどうしようもない絶対の質量が立ちはだかる。

 それでも農民たちは、シルヴィならばあの城門すらどうにかしてしまうのではないか、と考え、期待し、じっと見つめる。

 だがシルヴィは城門には向かわず壁に向かってまっすぐに走る。

 そして、そのまま壁を、走って、登っていった。

 城壁上で、ここまで来たら油でもなんでも投げつければいい、なんて指示を出していた敵指揮官が、城壁から身を乗り出したまま危うく落ちそうになってしまう。

 たった今まで地面を走っていた女が、そのまま、鉄壁と思われた城壁を垂直に走り登ってきているのだ。


「なんじゃそりゃああああああああああああ!!」


 これには笑顔であった農民たちの表情も凝固してしまう。

 人は、それがいかに自分に都合のよい展開であっても、ありえないものを眼前に突き付けられたならば即座にそれを喜ぶなんてことはできないもので。

 それまでよりも大きな歩幅で、ぽーん、ぽーん、ぽーん、と軽快に壁を蹴ってこれを登っていく。

 シルヴィもまた第十五騎士団の壁跳びを教わり、一人で練習していたのだ。

 そのままシルヴィは城壁を登ってしまい、そして姿を消す。城壁の上が賑やかになっているが、見守る農民たちからはそちらがどうなっているのか窺いようもない。

 結構な時間が経つも、城壁上やらの騒ぎは収まらぬままで。

 農民兵たちはどうしたものか、と戸惑いながらこれを見守る。

 まさか、本当に、そんなことがありえるのか。そんな視線が城門に突き刺さる。

 そんな妙な緊張感の中で、城門が聞いたこともない音を立てる。

 敢えて言うのであれば、ぎい、ぎぐがぎゃぎ、ぐががががががが。であった。

 そんなとても城門を動かしたとは思えぬ音と共に城門が開いていく。最後、総鉄造りの城門が勢いよく開き壁に叩きつけられる。

 そこには、開いた壁と比べて半分にも満たない小さな人影、シルヴィが手を振りながら立っていた。


「おまたせー! 開いたよー!」


 開いた扉の奥には無数の死体が転がっており、彼女自身も返り血に塗れているが誰一人それを気味が悪いなどとは思わない。

 天よりの御使いが、神々しき後光を背負って皆を招いている。誰もがそう見えたのだ。

 言葉にできぬ感動に打ち震える。

 農民兵には学がないのでそれがどういったものなのかを言葉にするのは難しい。

 だが、感じることはできるのだ。

 奇跡に感動する心は、持ち合わせているのだ。

 一人の農民兵がそこにいた。彼は、最後までシルヴィが来てくれると信じ、そう声を掛けた男であった。


「お前ら! シルヴィがやったぞ! つっこめええええええええ!!」


 余計な言葉なぞ不要。やるべきことを示してやればいい。

 農民兵たちはこの声に応え、雄叫びと共に城門の内へと殺到していく。

 声を張り上げた男は泣いていた。シルヴィは、彼が信じたあの心優しき人は、農民兵たちにありえぬ勝利をももたらしてくれたのだ。

 男はすぐにもシルヴィのところに行き、限りない感謝の念を伝えたかった。だができない。何故ならば、皆が突っ込んでくるのが見えたシルヴィはふんすと頷いた後、皆を先導するかの如く彼女もまた城内へと突っ込んでいったからだ。

 なんと頼りになる人だ、と男は苦笑する。

 男は確信した。いや男だけではない、この戦に参加した、いやさ彼女の奇跡を見た誰もが確信したことだろう。

 この反乱は成る。天馬の騎士シルヴィがいれば、勝てぬ相手などこの世にはいないだろうと。

 何せ彼女は、天馬から降りてすら空が飛べるほどであるのだから。




 砦内にいた兵士、貴族はその全てを殺し尽くした。

 ただの一人も逃げることはできなかった。それを許す農民兵ではない。

 非道だの無残だのと、人間らしい感情はそこにはない。彼らは怒りのままに、激情全てを奴らに叩きつけたのだ。

 ここは砦であると同時に関所でもあり人を捕らえておくための牢屋も存在したが、ここに捕らえられている者はいなかった。

 以前はさておき今はこの関所は、牢屋をほぼ必要としないやり方で運営されていたのだ。代わりに忙しくなったのは絞首台と墓穴掘りである。

 血の狂騒は戦況がはっきりしてからが本番である。戦闘を生き残ってしまった運の悪い砦の者たちは、全員が全員、この世に生まれ出でたことを後悔しながら死んでいった。

 特に魔法使いはひどかった。

 別の魔法使いが絶叫を上げる様を間近で見せ続け、存分に恐怖させてから彼らもまた同じ目に遭わせるのだ。

 内の一人が、恐怖のあまり命乞いをする。相手は、たまたま側を通ったシルヴィであった。


「た、頼む! 助けてっ! 助けてくれ! わ、私にできることならなんでもするから……」


 だがその魔法使いは、シルヴィが彼を見下ろす目の冷たさに慄き、後ずさる。

 シルヴィは別に捕らえた相手に興味はない。甚振る趣味もなければ、なんなら生かして返してやっても構わないとも思う。

 だが復讐に猛る農民たちの気持ちもわかるので、彼らが魔法使いたちを無残に殺していくのを止めるつもりもない。

 哀れだとも思うが、思うだけ、である。

 ただ、シルヴィも一応女性であるので、砦にいて捕らえられた女性に関しては一言だけ言っておいた。


「私、これでも女の子だからね。見たくないものもあるよ。いい?」


 なので、シルヴィのこの一言で砦にいた女性は全てすぐに殺すことになった。シルヴィの言葉を無下にする者なぞ、最早反乱軍にはただの一人もいないのである。

 それでも、何も殺すことはないじゃないか、そんな一言は、農民の立場に立てるシルヴィには口が裂けても言えないものであった。

 魔法使いを甚振るなんて危ない真似をしている連中であったが、どうやら相手の魔法使いはそれほど大した魔法を使えるわけでもなく、両手両足をきちんと拘束しておけば無力化できる程度であるようなので、この場はもういいかとシルヴィは移動する。

 シルヴィの足は砦の外へ、城門を出てすぐのところへと。

 そこに転がる死体は全て、反乱軍のものである。

 シルヴィが来る前に、かなりの数がここで戦死しているようだ。

 ロクに戦い方も学んでいない昨日まで農具ぐらいしか触ったことのない農民が、見上げんばかりの城壁へ、見るからに堅固な鉄扉へ、この手でぶっ壊してやると頭上より矢雨が魔法が降り注ぐ中突っ込んでいったのだ。

 彼らが振り絞った勇気は、戦士のそれとは比較にならぬほど深く重いものであったろう。人を殺したこともないような農民が、剣を取って戦うとはそういうことであるのだ。

 死体は見慣れた、敵のものならば。だが味方の死体は。


「……慣れない、なぁ」


 そして、憎しみのままに人を壊して笑い泣く味方にも、慣れることができそうにないシルヴィだ。

 砦の中には、当分戻る気がしないのであった。


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