153.シルヴィさんが反乱してみた
シルヴィ・イソラはとても苦々しい顔で、その男たちを見ていた。
シルヴィが客人として寝泊まりしている農家の入り口に、数十人の男たちが押し掛けてきている。
彼らは口々に言うのだ。反乱軍で一緒にやろう、と。
少し前に反乱軍の兵を叩きのめしたのだからもう接触してくることはないだろう、と思っていたのだが、その後また別の村に行き盗賊を退治して回っていたらそこの反乱軍はまた別の指揮系統であったようで、こうして仲間に入ろうぜとしつこく言ってくるようになったのだ。
しかもこちらは全員から同じ雰囲気を感じる。追い詰められ追い込まれどうにもしようがなくなった、明日の無い人間の気配だ。
実際、シルヴィから見て、これは反乱起こしても仕方がないと思えるような土地であった。
切っ掛けはここ最近になってからより厳しくなった重税であろうが、それ以前からずっと続く苛政に耐えかねたというのが反乱の原因であろう。
カレリアでも農民の地位は高いものではなく、騎士や傭兵が農民に狼藉を働くこともよくある風景だったが、イジョラのはそれどころではない。
そもそも法が、貴族が農民を虐げることを一切制限していないのだ。
貴族が考えるのはいかに効果的に農民を使い潰すかであって、間違ってもその生活の向上なんてものは考えない。
同じ生き物とすら思っていないのは、寿命が倍以上も違うせいであろう。シルヴィはそれを知った時本当に驚いたのだが、イジョラの農民の大半は四十を迎える前に急激に老け込み老衰死するのだ。
三十になったばかりの者が物知り老人扱いされる社会というのは、シルヴィに多大な衝撃を与えるものであった。
反乱軍はその寿命の差を貴族の豊かな食生活と魔法の恩恵によると考えていた。
それ以外にも無数の理不尽を耐え忍んできた彼らが遂に我慢しきれなくなり、圧倒的な戦力差にも恐れず怖じず貴族たちに挑もうと立ち上がったのだ。
思考も立ち位置も農民よりのシルヴィが、そんな彼等の悲壮な決意に心動かされぬわけがない。
それでも戦いは絶望的で、たとえ国中全ての農民が立ち上がったとしても魔法使いには決して勝てぬとわかってしまっているシルヴィは、この反乱に肯定的にはなれないのだ。
シルヴィにはよくわかっている。イジョラ魔法兵団をカレリアが打倒しえたのは、精強な兵士の集まりである騎士軍や国軍が戦ったからで、ロクに戦闘訓練もしていない農民兵では手も足も出ずひたすら殺され続けるだけだろうと。
だからシルヴィは皆が反乱に誘いに来る度、絶対に勝てないから止めようと説得するのだ。
シルヴィが先の戦においてたった五人のみで敵陣に乗り込み、敵主要戦力の大半を叩き潰すなんて真似ができたのは、あの五人であったからだ。シルヴィが一人で戦っていたら、絶対に途中で力尽きていただろう。
だからシルヴィは自分さえいれば戦に勝てるなんてことは考えられないし、農民たちがシルヴィの武勇を褒めそやしシルヴィさえいればなんて言うのを聞いても、全く同意なぞできないのだ。
その日もシルヴィは、辛抱強く彼らの説得に当たる。
シルヴィは平民で農民であるとはとても思えぬほどの教育を受けている。
口調は子供っぽいがその内容は皆が頷かざるをえないような話ばかりで、ある程度彼らの反乱への動きを抑制することはできていたのだろう。
だが数多の村が参集を誓い、己が身を捨てる覚悟を決めた決死の戦士が一人、また一人と増えていく中で、シルヴィの説得は激流に逆らうか細い小枝のようなもので。
農民の代表者は、悲しそうにシルヴィに告げた。
「アンタは本当に、俺たちのために良くしてくれた。そんなアンタの言葉に逆らうのは俺たちも心苦しいんだ。でもな、だけどな、もう、止まれないんだよ、俺たちゃぁ」
「この規模の反乱を本当に国が察知してないなんて、私には信じられないよ。ね、だから、もう少し、もうちょっと、我慢してみようよ」
「……アンタはさ、本当に優しい人だよ。だから俺たちが戦うんなら、きっと、きっとアンタも来てくれると、信じてる」
その日を最後に、農民たちがシルヴィを誘いに来ることはなくなった。
そして反乱が、動いた。
主要街道のど真ん中に鎮座するその砦は、山中という立地条件のせいで関所としての役割も備えていた。
古来よりこの場所は交通の要衝となっており、イジョラ東部に広がる農村地帯へと至る唯一の通り道であった。
ここさえ抑えてしまえれば、中央よりの軍に対抗するのも難しくはない。そういった砦であり、農民たちが蜂起と同時に真っ先に狙ったのも理由あってのことであった。
だが、そんな重要拠点を整備しないわけもなく。
ここはイジョラ築城技術の粋を凝らした堅牢無比な城塞となっていた。イジョラにおいて建築とは当たり前に魔法を用いているもので。
他の国ではとても考えられないような建築物も作り上げることができてしまう。
山の中の一本道を、砦側から一方的に魔法で矢で射殺すことができるような砦を、作り上げていたのであった。
普通ではありえない場所に見張り台があり、どう作ったかまるで理解できぬ場所に櫓が立っている。そんな山城が堅固でないはずがない。
盾を頭上に翳し、反乱農民たちがこの砦へと押し寄せる。
轟音と共に彼等農民たちの頭上すぐで爆発が起きると、農民が爆発に千切られ即死する。
だが、彼らは決して足を止めない。雲霞の如く押し寄せて、自らの肉体そのものを圧力とし城門へと殺到する。
魔法の無い農民たちは城門を破壊するためには、専用の道具を用いなければならない。
何度も敵の魔法に打ち砕かれながらも、どうにか攻城槌を城門前まで運び入れる。
既に百人以上の同志が殺されている。反乱を指揮する者はその犠牲の多さに慄きながらも、絶対に足は止めぬと兵を進める。
そして攻城槌による攻撃が始まるが、何度やっても城門はびくともしない。
農民たちが城門を突破するにはこれしか手段はないのだ。彼らはこの努力の先に必ずや成功があると信じ攻城槌を叩き込み続ける。たとえ、叩き込んだ時の手応えから、きっと城門は砕けないと察してはいても。
城門の上よりあまりにもしつこい農民たちを嘲笑する兵士の声が。
「バーカが! 魔法で強化した城門がお前ら程度に壊せるものかよ! お前らはここでみんな死ぬんだよ!」
彼らを笑うのは、徴兵された農民兵であった。
この砦を守る大半はそうである。彼らもまた農民であるのだから、押し寄せる反乱軍の苦悩も覚悟も理解できるはずだ。だが、しない。
彼らは魔法によって魔法使いの命令に絶対服従を強制されている。どうせ逆らえないというのに、反乱軍側に感情移入などしてしまっては心が耐えられなくなろう。
だから、兵士は皆がそうする。アレは農民ではなく、間抜けで愚かな敵であると、そう自らに言い聞かせるのだ。
もうずっと攻城槌を叩き込み続けている最前線の兵士たちは、周囲に散らばる仲間たちの死体を見ながら、涙を流していた。
「ちくしょう! ちくしょう! こんなことってあるかよちくしょう!」
だが、彼らの願い空しく奇跡は起こらず終い。そして敵軍の反撃が始まる。
これまでこの一本道を反乱軍が好きに突っ込んでこれたのは、そもそもここに反乱軍を招き寄せるための罠であったのだ。
大きく迂回していたイジョラ軍別動隊がこの一本道を進む反乱軍の背後から襲い掛かり城と軍とで挟み撃ちにし、ただの一人も残さず皆殺しにするのがイジョラ軍の狙いであった。
一番後方にある反乱軍本陣は彼方より迫る土煙に驚き、そこで初めてイジョラ軍の狙いを知る。
もちろんもう手遅れだ。既に一本道に突っ込んでいっている連中に退却を指示しても間に合わない。
この場での最善は、敵迂回部隊が接触する前に本陣とその周辺の兵たちだけでもここから逃げ出すことであった。
反乱軍指揮官もそれはすぐに理解できた。だが、最も勇敢で最も頼りになる男たちは、今、雨霰と降り注ぐ魔法と矢の中を突っ切り耐え抜き、城門へと攻撃を続けているのだ。犠牲を顧みぬ生涯一度きりの捨て身の働きによって。
それらが全て無駄になってしまうことに、反乱軍指揮官は耐えられなかった。
どうにか手はないか、何か、勝てる手段はないか、必死に考える。
ない。そして、逃げるための貴重な時間も刻一刻と削れていく。これが遅れれば遅れるほど、逃げ切れる人数が減っていくのだ。
救いはない。都合の良い助けの手など絶対に入らないと知っているからこそ、自ら立ったというのに。
一度でいい、奇跡よ起こってくれと祈らずにはいられない。
指揮官が絶対にやってはいけないことだ。だが、彼は指揮官ではあるが、軍事の訓練を受け戦地にその身を置き続けた戦士ではないのだ。
指揮官もまた農民でしかないのだ。とても農民とは思えぬ意志の強さと他者を導く覇気に満ちた男であっても、極限を試されそこで常に正解を選び続けられるほど、優れた人間ではないのだ。
土煙を上げこちらへと殺到してくる敵軍を、指揮官は睨み付ける。
「ん?」
変なものが見えた。
それは指揮官のみが見えたわけではないようで、軍のそこかしこから窮地とは思えぬ、気の抜けた声が聞こえた。
「ありゃ、なんだ?」
「いやお前、見た、通りだろ」
「見た通りだったらおかしいから聞いてんだろ」
「あー、お前も見えるか。俺だけ見える幻じゃねえんだな」
指揮官は馬に乗っていて視点が高いので彼らよりもよく見える。
こちらへと突っ込んでくる軍の上に、馬が乗っていた。
他にどうにも形容しようがないのだ。駆ける兵士の頭上に、走る馬の足が見える。人の頭の上に馬の足があるということは、胴や乗っている者はもっと上にいるということで。
それほど高い位置にいるからこそ、徒歩の兵士にも見ることができたのだ。
兵士の頭上を駆ける馬は、時折兵士たちの中へと飛び降りる。すると、そこの兵士たちが八方へと弾け飛ぶ。
すると再び馬は兵士の頭上へと飛び上がるのだ。
よく見ると、敵兵士の顔が凄い形相になっている。あれはどう見てもこれから攻め入ろうという兵士の顔ではない。必死に何かから逃れようとする、逃亡兵のそれだ。
「え? いや、何、あれ?」
指揮官らしからぬ寝ぼけた言葉を吐いてしまう。が、ふと我に返る。
あの敵軍はこちらへ攻め掛かってきているのではないのだ。必死に、何かから逃げ惑った結果としてこちらに向かってきているのだ。
大慌てで指揮官は命令を下す。駆けてくる敵軍に対し槍を構えて陣を成す。敵には騎馬もいるようだが、槍の柄を大地に付け、足で抑えて馬の突進にも槍先が負けぬよう備える。
こちらが迎え撃つつもりで陣を構えると、敵兵はこちらの対応に驚き慌て、左右へと逃げ散っていく。
そして先程の馬だ。
敵兵の頭上を走っている馬は、そのまままっすぐ反乱軍の陣に向かってくる。
この頃になってくるとその空飛ぶ馬のずっと後方に、騎馬の一群が見えた。こちらもイジョラ軍へと追いすがり、敵陣を切り裂きながらまっすぐ反乱軍へと突っ込んでくる姿勢だ。
指揮官の目には、その空飛ぶ馬に乗る背丈の大きな、髪の長い女の姿が見えていた。
「あれはいったい何者……」
徒歩の兵たちが、指揮官に応えるかのように叫んだ。
「見ろ! シルヴィだ! あのシルヴィが来てくれたぞ! シルヴィが! 敵の援軍ぶっ潰しながら助けに来てくれたぞ!」
指揮官も名前は聞いたことがある。最近、色んな村を回っては困り事を解決していってくれる謎の人物。
領主や貴族に知られたら奪われてしまうかもしれないので、農民たちだけの間でひっそりと語り合う、農民の味方。
そんな奴がこの世にいるものか、と鼻で笑っていた指揮官であったが、シルヴィを知っている者はここにもかなりの数がいるようで。
彼女が来たと知るや誰もが歓声を上げ、まるで戦に勝利したかのように沸き上がる。
敵兵士たちが逃げ散りだすと、ようやく指揮官も彼女が何をしていたのか理解できた。
別に空なんて飛んではいない。ただ、敵陣のど真ん中で続けて跳躍していただけだ。その高さと跳躍時間が尋常ではなかったため、飛んでいたと錯覚してしまったのだ。
前衛で槍衾を作っている兵士たちは、指揮官が何も言ってないのにシルヴィが来るとこれを開き、陣の中へとシルヴィを招き入れる。
兵士たちの中に入ると、シルヴィは大声で言った。
「みんなーーーーーー! 私も来たよーーーーーーー!」
それは戦場の最中にあるとはとても思えぬ、朗らかで優しく、かつ底抜けに明るい声であった。
反乱軍兵士たちの歓声が更に大きくなる。シルヴィの後ろには、一緒にきたらしい騎馬がようやく追いついてきた。
馬に乗っている兵士たちは全員、呼吸は荒く今にも死にそうな顔をしていた。馬の総数は五十にも満たない。その数であの敵軍に突っ込んだというのなら、こんな有様も納得であるが。
シルヴィは追いついてきた騎馬の中で、一番前に来ていた者に明るく声を掛けてる。
「ね、大丈夫だったでしょ」
「……し、信じられません……貴方、本当に、それで、魔法使いじゃないんですか? いや、魔法使いだって、ここまで……異常なのは聞いたこともありませんっ、よっ」
「そりゃそうだよ。私、魔法使いにも勝ったことあるし。それで、約束、守ってくれる?」
「糧食、一万人、半年分、で、いいんですよね」
「うん。南方都市国家群から通すのはだめね。カレリアから送るんだよ」
「……そちらにツテ、無いんですけどね」
「カレリア経由なら、イジョラ軍は邪魔できないよ。南方都市国家群通して物資輸送するのはイジョラ軍なら幾らでも妨害する手あるから、そっちから送っても意味ない」
「あー、もう、我々にもイジョラ軍を誤魔化す手はある、って言っても聞いてはくれないんでしょうね。はいはい、言われた通りやってみますとも。ですがね、約束は砦を落としたらでしたよね」
「うん、ここまで来たら後はまっかせてー」
シルヴィが声を掛けているのは誰あろう、シルヴィの乗馬を殺させ怒れるシルヴィに大人向け高い高いをされた、シルヴィ曰くの帝国の諜報員であった。
反乱軍が決起すること、狙いがあの砦であることを知ったシルヴィは、この諜報員のところに話を持ち掛けたのだ。
自分も反乱軍に加わるから糧食用意しろと。
諜報員の彼は、シルヴィの武勇がそれほどのものであるというのなら、自分の目で確かめ、それ次第で糧食は手配してみせましょう、と答えた。
そして、今に至ると。シルヴィを確かめるだなんて言わなきゃよかった、とこの突撃に付き合わされた彼は心底から思ったものである。
二人で話しながら馬を進めていると、指揮官の前へとたどり着く。
指揮官はシルヴィの援軍に感謝を述べる。シルヴィが連れてきた彼は反乱軍の中では顔の通っている男で、彼を連れていることで指揮官はシルヴィを信用に足ると判断した。
シルヴィは馬に乗ったまま、事も無げに言い放つ。
「じゃあ、砦落としてくるねー。あそこ、前に見たけど私なら城門開けられるから、任せてくれていいよー」
は? と問い返す間もなく、シルヴィは馬首を返す。
この道は狭く、しかも今は反乱軍兵士が詰まっている。こんなところに馬で行ってどうしようというのか。そんな疑問を指揮官は抱いたのだが、共に来た男はそんなシルヴィを手を振って送り出す。
「私はここまでですから、後は頼みましたよー」
「あれ? もういいの?」
「すみませんもう無理です勘弁してください」
とても正直な彼の言葉にシルヴィは朗らかに笑った。
「そうやっていつもわかりやすくしてくれるんなら、貴方のことそんなに嫌わずに済むのに」
そう言って馬で駆けていくシルヴィ。
指揮官は、やっと行ったか、と安堵顔の男に問う。
「アレに、嫌われてるのか?」
「ええ。ですのでもう、生きた心地がしませんとも」
人間同士の関係とは一筋縄でいくようなものではなく。この二人の関係性について、指揮官はこれ以上つっこむのは止めることにした。