152.殿下と騎士
騎士は、そのあまりに重過ぎる悩みを副官にすら話せずにいた。
五十の兵を引き連れ反乱軍が出たという街に来ると、その地の領主が喜び出迎えてくれた。
そしてすぐに、山の中腹にまで連れていかれた。何事かと思えば、先日騎士に向かって偉そうに反乱軍を潰してくる、なんて宣言していた者たちが死体となって転がっていたのだ。
死体の数は八つ。騎士は即座に現場を調べつつ、領主に言って死体を運べるよう棺桶の用意を頼む。
これが到着初日の話。
兵士たちは領主の館の近くに陣を張り、騎士は領主館で一晩を明かした後、領主とその妻から反乱軍が来てからの推移の説明を受けた。
この間、兵士たちは五人一組に分け、周辺の地図を借り索敵を行わせている。
領主からの話を聞いた騎士は、この件に大きくかかわっている殿下商会なる存在をよく知るため、領主の娘を呼び出し話を聞いた。
領主、その妻、娘の話。山にあった戦闘の跡、遺体の傷、そういった諸々を考慮に入れた騎士は、静かに、その事実を受け入れた。
『イカン。その殿下商会とやらが敵だった場合、何をどうやっても俺たちは生き残れん。というか意味がわからん。何故反乱軍殺しておいてイジョラの兵士まで殺すんだ? 殺人狂か? だとしたら領主の娘の言う人物像から著しくかけ離れてしまうだろうに』
結局、直接話をするしかない、となる。
正直なところ、副官には一緒に来てほしかったのだが、もしもがあった場合は兵士たちの行く末は副官を頼る他ない。あの妙に飄々とした男なら、こと逃げるという話ならば騎士よりよほど上手くやれるような気がするのだ。
騎士が現在抱えている情報はこうだ。
反乱軍百。これを一人残らず皆殺しにしたのは殿下商会なる四人組。たった四人で、百人をただの一人も逃すことなく殺し尽くすなぞ、余程の魔法使いであろう。
伝え聞いたところによれば、魔法というよりは剣を用いていたとか。前線で役立つ魔法使いになりたいのならば、魔法だけではなく武術も修めるべし。魔法で戦うということを真剣に考えたことのある者ならば、これは当たり前の教えである。
その教えを極めて高度な領域で実践していると思われる四人組。そして何より、この地に来た騎士も出会った優れた戦士たちが、八人も倒されていること。
戦場を見た騎士は、あの八人が同士討ちをしたでもないというのなら、敵は極めて少数であったとこの戦場跡から見て取った。
そして八人の身体に刻まれていた斬り傷。これが、もし、魔法でなく剣によるものだったとしたら、その使い手はもう騎士の理解の及ぶ相手ではないだろう、と思われた。
戦場跡と前後の状況を考えるに、八人を殺した犯人は殿下商会の四人組以外にありえないのだ。あの八人を殺せるほどの使い手がそうそういるはずもなかろう。
この状況証拠だけで逮捕には十分であるが、これほどの怪物を、逮捕する戦力などどこにもありはしない。
なので騎士は、自らの役目を果たすためにもこれより彼らと話し合いを行い、情報の提供を求め、そして、殿下商会の四人の退去を促さなければならない。
イジョラ騎士の権威が通じる相手ならばそれほど難しい話でもない。だが、イジョラの兵士であると名乗っただろう八人を殺してる段階でそれは望み薄だ。
逆にそれだけならば、いっそ完全に敵とみなしてさっさと逃げ出すこともできたかもしれない。だがコイツらは反乱軍をも撃退しているのだ。
この地の領主からすれば恩人でもあるそうで、一応、話の通じない相手ではないらしい。
騎士はこの土地の領主に対し、反乱軍の襲撃に間に合わなかったという負い目がある。
これで何もせず逃げ去るのみ、というわけにもいかないのだ。
イジョラ国内の有力者たちは常に権力闘争に明け暮れており、殿下商会なる連中が密偵と思しき八人とぶつかったことがそれの延長であるというのなら、それは納得できぬ話ではない。
そしてそうであるというのなら、殿下商会もまたイジョラの兵となる。なら同じくイジョラの兵であり、表向きは派閥に関係していない騎士ならば、もしかしたらそんなヒドイ話にはならないのでは、といった希望的観測という名の勝算もないではない。
はっきりと自覚できるぐらい重くなった腹をさすりながら、騎士は殿下商会がいるという宿へと向かった。
騎士が想像していたよりも、その殿下商会なる連中の頭はまっとうであった。
殿下商会などという名前でその主の名が殿下なんていう段階で、色々と手遅れ感漂ってはいるものの、騎士が協力を要請すると快くこれに応じてくれた。
反乱軍の一人を捕まえて彼らから情報収集までしていてくれたのは、騎士にとっても望外のことであった。
反乱軍のアジト、今後の襲撃予定、分隊の数、主要な人員、北方に展開している反乱軍はこれでそのほとんどを押さえられるだろう。
騎士は思わず唸る。
「よくも、まあ、ここまで。平民が反乱起こそうというのだ、相手も相当覚悟の決まった奴だったろうに」
「ウチにはそういうの専門にしてるのがいるんでね。……ただ、これで北方のみだってのが気になってな」
「北部は田舎だし反乱起すには都合が良いんだろうよ。他にも展開してるって話、聞いてるのか?」
「いいや。だけど、さっき言ったろ。反乱軍の連中、傭兵もどきを使ってる。どこからか資金が出てるってことじゃないのか? なら、どこが手を出してるにせよ、北方だけじゃ割に合わないだろう」
殿下の言う通りだ。それに、傭兵を抜きにしてもこの北方の規模だけでも、手弁当でやるには数が多すぎる。
何よりも、苛政に耐えかねての反乱というのならば、西部や東部の方でこそ反乱は起きるべきだろうと騎士は思うのだ。
「援軍要請は出しておくべき、と思うか?」
「それをしょーにんの俺に聞くな。……言っちゃ悪いがその数じゃ話にならんだろ」
「取り扱い品目は人の生き死にってか。やっぱりそうなるか、裏を取り次第動くとするかね」
「俺たちは殺し屋かっ。大体俺たちが潰した反乱軍程度の連中なら、アンタでもどうにでもなったろうに」
騎士はうさんくさげにイェルケルを見る。
商人を名乗っておきながら、騎士を相手に当たり前の顔で対等に話をしてくるこの男。
それが全く不自然に感じられないのは、そういう立場に長くいたということだろう。立ち居振る舞いも何もかもが、それなりの立場の貴族のものであろうと推察される。
とてつもなくやり辛い。それが仮のものであろうともきちんと身分を提示してくれれば騎士の方もそれに合わせた対応もできるのだが、あくまで自分は商人だと言い張られては商人として対応するしかなくなる。しかし、ただの商人であるのならばすぐにでも八人の殺害容疑で捕まえなければならない。
だが、できない。殿下商会の所有武力は騎士を大幅に上回っており、騎士の権威も通じないとなれば、騎士にはこの商人もどきをどうこうすることができないのだ。
せめても聞き出せたのは、殿下商会なるものは南方で活動をしていたということぐらいだ。南方はエルヴァスティ侯爵の領域。魔法兵団出兵失敗の件でその権威を大幅に失墜させたと言われているが、イジョラ四大貴族の一人として不足の無い実力をいまだ残している有力者だ。
騎士はエルヴァスティ侯爵の派閥に属する王族貴族の名前を脳内で列挙するも、目の前のこの青年に当たるだろう人物は出てこなかった。
一通り、反乱軍絡みの話を済ませておいてから、騎士は今日の最もしたくない話題に取り掛かることにした。
ちなみに、反乱軍の詳細な情報は後で殿下の部下が書類にして提出することになっており、ここで喧嘩別れすることになった場合、これは諦めるしかない。実に小癪である、と騎士は思わずにはいられない。
「おい、あー、殿下。くっそ、殿下ってお前、もうちょっと他の名前はなかったのか……まあそれはいい、とても重要な質問だ、心して答えてくれ」
「ああ」
「山に転がってた八人。お前が殺したんだろ」
「チガウヨ」
「せめてもうちょっと誤魔化そうと努力しろ! 目を泳がせるな! 足を揺らすな! っだー! 本当に隠す気あんのかお前は!?」
「オレタチ、チガウヨ」
「やかましい! もう聞かんからそのふざけた口調直せ! どの道俺たちにお前らを逮捕なんてできるわけないんだからな!」
「ほう」
「戦力差ぐらい俺にもわかってる。中央からの援軍頼んでも無理だろうな。……領主たちに被害が出る前に反乱軍を処理してくれたのには、本気で感謝はしてるんだ。だが、俺も騎士だ。報告の義務はある」
「そこまでは言わないさ。だが、アイツらって密偵だろ? この後俺たちはどういう扱いになるんだ?」
「正直、わからん。あの八人は第十一師団ってことだが、蒼の部隊の部隊章持ってるってことはアルト王子のところだろう。ここはヘイケラ公爵の勢力下だ。王子と公爵は対エルヴァスティ侯爵で連携してるって見せてるが、実際のところは見えないところでやりあってるだろうしな。この状況で密偵の死がどう扱われるのかは俺にも読めんよ」
「殺しに来るって連中を返り討ちにしたからって、どうして俺たちがこんな目に遭わないといけないんだか」
「……もうお前、素直に正体言っちまえよ。どこのお貴族様だよホント。殺しに来られた程度で上に歯向かったってんなら当然の結果だろうに」
「権力のない奴は黙って殺されろって?」
「そうだよ。まったく、南部のエルヴァスティ様の領地はかなり緩いって聞いてたが、にしたってお前は相当ヒドイわ。間違っても中央には来るんじゃないぞ」
少し真顔になるイェルケル。
「力があれば何をしてもいい、か。まるで野の獣だな」
はっ、と鼻で笑う騎士。
「獣にだって獣なりの決まりはあるさ。その決まり事を上の都合でほいほい変えるのは人間だけだろ。なあ、お前さ、実は本当に殿下なんじゃないのか? あまりに世間知らずなもんで国中回って世間様を学んでこいと家追い出されたとか言われたら、すんなり信じちまいそうだぞ」
「……言わせてくれ。俺はな、これで一人前の商人としてきちーんと商売してるし利益も出してんだ。それで世間知らず呼ばわりは心外この上ないぞ」
「部下が優秀なんだろ?」
「チクショウ、そうだよ部下はみんな優秀だよ。お前なんて嫌いだ」
わざとらしく嘆息してみせた騎士は、で、と話題を切り替える。
「お前はこの後どうするつもりなんだ? しばらくここにいるのか?」
「いや、元々時計の街行くついでに寄っただけだからな。長居するつもりはないよ」
「それがいい。これから先どう転ぶにせよ、さっさと行方くらますのが一番だ」
そこまで言った後で、ふと気になったことが。まさか、ありえないことだが、コイツ、この後でも時計の街に行くなんて言い出すんじゃないだろうか、と。
まさかそんな馬鹿な、と思いながら不安に駆られた騎士はイェルケルに訊ねる。
「お前、この後、時計の街、行く気か?」
「ああ、楽しみだよ」
「ふざけんなああああああ! だーから俺は報告するって言ってんだろ! なのに逃げる先俺に言ってどーすんだお前は! ていうか時計の街はヘイケラ公爵の主要収入源の一つだぞ! そんなところにのこのこ行く馬鹿があるかああああああ!」
「え? 逃げる? いや、別に来たら返り討ちにするだけ……」
「おおおおおまあああああえええええはああああああ!? 頼むよ後ろのねーちゃんたち! コイツのお目付け役だろ何か言ってやってくれ!」
いきなり話を振られた三騎士は、お互い顔を見合わせた後、スティナが代表して口を開く。
「面白い敵が来るといいわね」
「お前らもイカレてんのかあああああああ!? もう何なんだよお前ら! あれか! お前ら帝国だかカレリアだかから来た破壊工作員か!? とりあえずぶっ殺してぶっ壊してよかったねーってそれが責任ある立場の人間のやることか! お前も魔法使いだってんなら自分の力に責任を持てっつーの!」
うーむ、と少し考えた後でイェルケルはこう返した。
「他所の国の工作員だというんなら、俺は魔法使いじゃないんじゃないのか?」
「物の例えだ馬鹿野郎! お前らみたいに隠れも潜みもしない工作員が居てたまるかああああああ!」
ひとしきり喚いた後、騎士はイェルケルに、どうしても時計の街に行くんなら、せめてまともな判断力のある領主の娘を一緒に連れていけ、と言う。領主の館で殿下商会の話を聞いた時、領主の娘ことイーリスに対し騎士はかなり高い評価を与えていた模様。
イェルケルは、もし危険があるというのならイーリスを連れ歩くなんてもってのほかだと思っているのでその案は却下なのだが、騎士がこうまで言うのだから、もしかしたら自分たちは結構危険な立場にいるのでは、と思い直す。
「そっか、今まではどうにかなってきたけど、これはさすがにマズかったってことか。いや、南部と北部の違い、かな」
「……その今までとやらの話を聞きたいよーな聞きたくないよーな。エルヴァスティ侯爵は平民をかなり好きにさせてるからな。南部は他とは別の国と思った方がいい。ま、普通はそうそう地域を移動するなんて機会はないものだしな。南部の緩い空気に慣れすぎたってんなら仕方がない部分もある。それは理解している。けどそれにしてもお前はヒドすぎるけどな」
「上げるのか落とすのかはっきりしてくれ」
「じゃあ落とす。時計の街はイジョラ屈指の職人の街だぞ。お前らみたいなのが行って、問題起こして、もし職人に犠牲者出たらどーするつもりだ。お前にはわからんかもしれんがな、あそこの優れた職人は魔法使い以上に替えが利かないんだからな」
騎士の言葉はまったくもってその通りな話で。イェルケルは騎士から目をそらしながらぼそぼそと呟く。
「だ、だからこそ行ってみてみたいんじゃないか……あんな素晴らしい物を作る人たちとか、私だって尊敬もしてるし、その匠の技を見てみたいとだな……」
「物の価値ぐらいはわかってるようだな。だが明らかに問題を起こすとわかってるようなのをあの街に行かせたくはないな。イジョラの大切な宝だぞあの街は。そこらの平民だってんならそこまでは求めないさ。だがな、僅かでも国に責任がある立場にいるのなら、百年後の世にも残るだろうあの街で作り出された時計たちに、敬意を払うべきだと俺は思うぞ」
助けを求めるように後ろを振り返るイェルケル。
スティナ、アイリ、レアの順番に返事がきた。
「一分の隙もない正論ですわね」
「イーリスを連れていくというのも論外ですぞ」
「つまり、でんかの負け」
がっくりと肩を落とすイェルケルと、ちょっと驚いた顔の騎士。
「意外、だったな。でも少し安心したよ。なあお嬢ちゃんたちよ、頼むからコイツの手綱きちんと握っててくれよな。話聞いてるだけでもう、この先何やらかすか不安でしょうがない」
三人が三様の了解の意を告げると、イェルケルは心底納得いっていない顔をしていた。手綱が必要な暴れ馬は絶対に自分じゃない、と表情で言っていた。三人も騎士も無視した。
結局この話し合いにより殿下商会は、反乱軍の情報を騎士に提供すること、領内からの早期退去、時計の街への出入り禁止、を騎士に約束させられた。
殿下商会側はといえば騎士から何も提供されていないので、商売としてはありうべからざる結果であるのだが、八人組殺害の件を即座に追及しない、という大いなる妥協を騎士側はしているので一応、どちらにも得のある話にはなっている。
話し合いからの帰路、そんな結果を受けて騎士は思うのだ。
『まいったな、領主の娘さんの言う通りだった。保有武力にまるで似合わない、気の良い奴だわ。あー、アイツ本当に王子だったりしないもんかね。ああいう気持ちの良い奴の下になら喜んでつくってのにさ』
初対面だというのに、まるで年来の友人と話をしているようであった。
ただ気安いだけではそういった空気は作れない。敬意と誠意と節度とを、初対面の相手でも当たり前に示せる人間性があって初めてできることだろう。
いっそ報告しないでおこうか、なんて気にもなってしまうが、役目の放棄は騎士にとってはありえぬ選択だ。
八人の遺体を持ってコウヴォラに行き、事の推移を八人の上司、恐らくアルト王子の一派の者に説明しなければならない。
本来ならば騎士の直接の上司に報告を上げるべきだが、この八人は間違いなく密偵で。そんなものを上司に報告しても、俺はそんな報告聞いてないことにするからお前の裁量で勝手に処理しろ、とか言われるのがオチだ。
アルト王子は四大貴族の一人であり、武断的な性格で知られている。勇ましい、なんて評する者もいるが騎士に言わせればただ雑なだけだ。
それ故、王子という身でありながら母方の血筋から四大派閥の一つを受け継いだというのに、王太子の座も勝ち取れぬままなのだ。
コウヴォラで何度か見かけたことはあるが、度量の大きい豪放な将を気取りながらも酷薄な本性が隠せていない彼を、騎士はあまり好いていなかった。
「王子、王子ね。殿下みたいな気の良い王子が、この世にいるわけないってか」