151.必殺技品評会
人目につくのは好ましくないと、イェルケル、アイリ、スティナ、レアの四人は近くの森の中へと。
森の中の開けた場所を予めレアは見つけていたので、ではそこでやるか、となる。
イェルケルとスティナは観戦。今日の主役は、レアとアイリだ。
剣を交えたのも一度や二度ではない二人だ。お互い勝負の時の決まり事みたいなものは自然と理解している。
アイリの一歩の距離から少し離れた場所にレアは立つ。アイリはこきこきと首を鳴らしながら、特に気負った風もなく腰の剣を抜く。
「一応聞くぞレア。勝てる算段は付けてあるのだろうな?」
「なきゃやらない」
そう言ってレアもまた二剣を抜く。
「大変結構! では早速やるとしようか!」
思わせぶりに何かを言い合うこともない。レアが何をしでかしてくれるのか、楽しみで仕方ないといった顔のアイリだ。
だが、楽しみだからと手は抜かない。
レアにはアイリを打倒する術がある、少なくともレアはそう考えている。
それがどんな手か、幾つか想像のつくものをアイリは真っ先に潰しに掛かる。
いつ始める、なんて合図は殿下商会の四人の間にはない。抜いたかどうかが大まかな判断の基準であり、抜いた後なら何時どのように動いても文句は言わないのが暗黙の了解だ。
だが、例外として抜く前に動く、というものもある。四人共お互いに対し油断なぞしていないので、意味がないから滅多にやらないのだが。
今回アイリは、己が真っ先に動いた。
レアが何をするつもりか楽しみではあるのだが、幾ら楽しみだからと何かをしでかすのを待ってやったりはしない。むしろしでかすのがわかっているのなら、先制して何をすることも許さずに潰す。それが少なくともアイリにとっての勝負というものである。
非道非情はスティナの担当だが、容赦躊躇が全くないのはアイリの担当である。
開始直後より、嵐のような連続攻撃がレアを襲う。
これも、きっと第十五騎士団に入る前のレアであったなら、それだけで終わっていただろう凄まじい攻撃だ。
だが今のレアは、もう何度も何度も何度も何度も、アイリやスティナとも剣を交えている。その都度やられてはいるのだが、いい加減二人の剣を受け避け慣れるぐらいはしている。
最近ではアイリやスティナでも、レアを相手に時間次第では攻め切れない時もあるほどなのだ。
特にレアはイェルケルと違って二剣を用いており、防戦に徹した時の堅固さはイェルケルに勝る。
だが、そんなレアでも、今のアイリの連撃は対処しきれない。
『あいりいいいいいい! 予想通りとはいえどんだけ容赦ないのっ!』
アイリはいきなり最初っから全開で飛ばしてきているのだ。
レアがきっと持っているだろう切り札を、切ることすら許さず潰すつもりである。
もしくはその切り札の切れ味を落とすため、こうして激しい攻勢をかけレアから妥協した攻撃を引き出そうとしているのだろう。
それが本気の勝負となれば自身の望みは後回しにし、どこまでも勝負に徹するのがアイリなのだ。
こういう部分では、まだどこか遊びのあるスティナの方が与しやすくはあろう。
まあアイリのこういう所も承知の上での勝負であるので、レアにも対策がないではない。いや対策というか、単純に地力で乗り切りにかかるのだが。
元より奇襲のみでどうこうできる相手ではないのだ。アイリと面と向かって剣を交えることができぬでは、これを打倒するなどそもそもありえない。そんな間抜けた隙のある相手ではない。
歯を食いしばり、動きを読み意識を集中させ、その圧倒的攻勢を凌ぎきる。
いかなアイリとて、無呼吸で延々いつまでも攻撃をし続けることはできないのだ。もちろん、レアやイェルケルぐらい体力があって初めてそこまで粘れるのだが。
アイリの攻撃の切れ目を狙うのが定石であるが、常以上に厳しいアイリの攻勢に、レアはそんな余裕を持つこともできず。
呼吸を二つ。それだけはどうしても欲しかった。
攻勢直後、それもいつも以上に激しいものを行なったアイリはもっと必要だろう。だが、これ以上はマズイ。
再度の攻勢を掛けられる前にレアは前に出る。
ぎりぎりであった。アイリもまたほぼ同時に前へと足を踏み出してきたのだ。
『あんだけ動いといて、もう回復したとか、相変わらずの怪物っぷりに腹が立つっ』
レアも随分と鍛えたつもりだが、まだまだ基礎的な部分ではアイリには及ばないと、こうした所々で見せつけられる。
いつもと違う木剣ではない実剣での立ち回りでも、期待もしていなかったが動きが鈍るなんてこともない。むしろこちらの方が速いぐらいだ。
だが木剣より実剣の方が速いのはレアも一緒だ。
そして二剣の利点は、攻勢時の手数の多さである。もちろん二剣が得意なレアは、一気呵成の連続攻撃も大得意である。
先のアイリにも劣らぬ暴風の如き連撃に、アイリも無理に攻撃に拘らず防戦に徹する。
最初の頃は、連続攻撃の最中にもアイリ、スティナには攻撃し返されていたものだが、今は安全策を取るのであれば両者共レアの連続攻撃の時は防御に徹することが多い。
『あーもうっ! ぜんぜんっ! 崩せる気っ! しーなーいー!』
だがレアは、今回に限り一つアイリに大して優位な点があった。
アイリはレアの奥の手を警戒している。それがアイリをも倒しうる絶対に警戒を怠れない動きであると。
だからこそ、それを匂わせてやればアイリの動きをある程度制限することができるのだ。
奇襲か、連撃か、強打か、惑わしか。
どれであっても不思議ではない。だからアイリはそれら全てを警戒しなければならない。
いつも一緒に訓練しているレアが、アイリを倒せると踏んだ攻撃だ。警戒してもし過ぎるということはなかろう。
そんな優位点を盾にレアは戦闘を有利に進める。つもりであったのだが、さすがに相手が相手であり、そこまで都合良く話は進んでくれない。
せいぜいが一進一退といったところか。
明らかな上位者相手に五分で通せたのだから、上等だとレアはこの状態の維持を狙う。
百剣ならばアイリの全力をすら抜けきれると思うのだが、何せ相手はアイリだ。体力全快時のアイリの動きをされてはもしももあり得る。ある程度の消耗を強いらなければ。
失敗できない重圧はレアにもあるのだ。この技はその特性上二度仕掛けるといったことができないのだから。
レア、アイリ、双方にとって気の抜けぬ時間が過ぎていく。
そして観戦中のスティナとイェルケルだ。
「嫌がらせするより、さっさと奥の手出させた方が早いんじゃないかしら」
「ああいう丁寧さはアイリだよな」
「剣の振りは雑だけど」
「あれはどういう理由なんだろうな。雑、とまでは言わないけど、他の細かさに比べてそこだけ普通、というか、あまり気にしてないというか」
「そこに注意するぐらいなら、さっさと折ってしまって敵の剣奪う方が効率的、とでも考えてるんでしょ。ああいう所は相容れないわねぇ」
「スティナの剣先の細かさは芸術の域だからなぁ。レアも細かいの得意だけど、あんな鎧に張り付いた髪の毛一本を拾うような剣はありえんだろ」
「訓練の賜物ですよ、殿下も精進してください」
「もちろん。……っと、レア? あれはどういうつもり……あ」
遂にレアが動いた。
イェルケルはその時初めて気付いた、スティナはずっとどうするつもりか気にしていた、アイリは、あるのは知っていたが、意味のある何かだとは考えていなかった。
レアは戦闘の最中にじわりと移動しながら、予めこの場所に置いておいた木箱へとにじり寄っていた。
この蓋を千切り取りながら、レアはにやりと笑う。
「秘術、百剣。食らって、驚けっ」
そう言ってレアは箱の中身を盛大に空へとぶちまけた。
さすがにスティナとイェルケルは、あの八人組とは違ってこの技の特性を即座に理解する。
スティナは驚きが声にまで出てしまっていた。
「信じられない、何あの発想。手数を増やすのにどうすればいいかって、剣の方を増やせばいいとか普通考える? 思いつく? ああ、もう、何よあの娘。凄すぎる、かっこよすぎる、頭良すぎるでしょ」
イェルケルはもう完全にレア目線である。同じく、アイリ、スティナ超えを狙っているのだから、自然とそういう目線になってしまうのだ。
「これは! いけるか!? アイリ本気で驚いてる! あれじゃ間合いから外れきれない! やれレア! ここまでお膳立てして外すんじゃないぞ!」
そして当事者の一人、これをいきなりぶちかまされたアイリ・フォルシウスは。
『は、ははっ、これは、思いつかなんだわ。普通、剣の勝負の最中、箱ひっくり返して大量の剣ぶん投げるとかやるか?』
レアが突っ込んでくるのが見える。不覚にもアイリはその瞬間、予想外すぎる出来事に反応が遅れてしまっていた。
『ああ、そうだな。二剣でも足りぬ。貴様が私の速度に追いつこうと思ったならば、更に一つ何か必要だとは思っていた。はははっ、贅沢な奴め。一つどころか数十本といったところか。なるほど、それだけあれば、届くかもしれんな。だがっ!』
もう逃げるのは間に合わない。なら迎え撃つしかない。
「やれるものならやってみせい!」
レアの初撃がアイリへと伸びる。
『ぐっ!? いきなり! 剣が生えるのは! さすがにキツイッ!』
それでも受けは間に合う。二撃目は背後に回り込みながらの一閃。
『剣がどこから生えるか見えんっ! 腕の動きで先が読めぬとかどーいう訓練しおったコヤツ!』
大きくしゃがみこむことでかわす。続く三撃目は左剣が斜め上より、そして四撃目の右剣が斜め下より同時にアイリへと迫り走る。
『調子にっ! 乗るでないわ!』
身体を捻って両剣をかわすと、レアは既に二剣を投げ捨てており、五撃目は大地を跳ねた剣を手に取り下から掬い上げにかかる。
だが、この一撃を、なんとアイリは空中から落下してきた剣を手に取り振り下ろして防ぐ。
初見のこの技に既に対応しているのだから、アイリの戦闘勘もズバ抜けたものであろう。
これはレアにとっても予想外の動きであったようだが、レアに驚きも動揺もない。
『アイリならこのぐらい平気でやってくるっ! 知ってたし!』
アイリが逆腕に握っていた剣を薙いでくるが、これを空中から落下してきた剣を右手で拾って受け止める。
左手は先程斬りかかったのでふさがっている。それは受け止めたアイリも同じで、両者これで両手がふさがってしまう形に。
『これで決める! 決まらなきゃ私の負けでいいっ!』
首を伸ばし、顔を反らし、口で落下してきた剣を受け止めるレア。
「なんだとお!?」
全身を回し、渾身の力でくわえた剣を振り回す。アイリの首元へと伸びる剣。
だがアイリ、攻撃を完全に捨て逃げに徹して背後に跳びこれをかわす。下がるべき時を絶対に見失わない、数多の戦場を駆けアイリが学んだことだ。
しかし、見ていたスティナが鋭い目で呟く。
「もう、遅いっ」
身体を回す動きは、そのまま足を振り回す動きに通じる。
そう、レアの最後の一手として、蹴り足の上に落下してくる剣があったのだ。
必死に身をよじるアイリ。その腹部に剣は吸い込まれていき、しかし、途中で力を失いコツンと大地に落ちる。
アイリは後ろに飛び下がった勢いのまま、更に遠くへと大地を滑っていく。
蹴りの形から大地に足をついたレアは、すがるような目でアイリを見る。
「アイリっ! 今の!」
すると、アイリは片手を開いてレアに向け怒鳴った。
「少し待て!」
その場でわなわなと震えたアイリは、堪えられぬと大地に拳を叩き込む。
巨岩の落石でもあったかのような巨大なへこみを大地に刻んだアイリは、その後深呼吸をたっぷり十回繰り返した後で、とても、心底、悔しそうな顔で言った。
「……貴様が止めねば、深手を負っていたであろうな。よかろう、貴様の、勝ちだレア」
おー、と声を上げるのはスティナだ。
そして、スティナの隣でとても慌てた顔のイェルケルである。
「え、ちょ、ちょっと待ってくれ。いや、今のは……」
焦り慌てた様子のイェルケルの口に、スティナが人差し指をあてる。
「でんか」
「ぐっ、そ、そうだ、な。私が何かを言うべき、では、ない。だが、……」
「はいはい、悔しいのはわかりますけど、アイリも我慢してんですから殿下も我慢するっ」
「ぬ、ぬぐぐぐぐぐぐっ」
ついさっきまではレアの応援をしていながら、いざレアがアイリから一本取ったとなると、それを認めたくなくなっているようで。
複雑な男心、戦士心というやつである。
悔しいのはアイリも一緒であったが、レアの見事な技に驚き感心してもいたので、それを話題にする分にはあまり気にも障らない。
「まっこと見事な技であった。全く、この時のためだけにこれほどの技を用意していたとはな、完全に見誤っておったわ」
これは、初見殺しと呼ばれる種の技である。少なくとも殿下商会の中では、一度見せてしまっては二度と通じはしないだろう。
だが、それでも、このただ一度のアイリとの戦いに勝てればいい、それだけがレアの目的であったのだ。
アイリは続ける。
「頭上より降ってくる剣を手に取り斬る、か。先程は上手くいったが、あれはそれなりに練習して慣らしておかねば失敗もしよう。えいくそ、まさかそんな手で使える剣を増やしてくるとは、もう完っ全っにしてやられたわ。なあスティナ、お前でも今のは……」
アイリは言葉を止める。
話し掛けている相手、レアが、目をこすりながら、すすり泣きを始めたからだ。
「って、おいっ、いきなりどうしたっ」
目をこするのは止めぬまま、涙声でレアは答える。
「ごっ、ごめっ、でも、止まらなっ。私っ、うれっ、しくてっ、これでも、勝てないかもって、思ってて……」
そのままびえーんと泣き出すレアに、苦笑しつつも歩み寄り、頭をなでてやるアイリ。
「構わんからそのまま泣いてろ……まったく、泣きたいのはこっちだというに……」
そんな二人を見ながら、スティナは悔しさのあまりちょっと他所では見せられない顔をしているイェルケルに言う。
「殿下も泣いていいですよ? きちんと私が慰めてあげますから」
「うっさい、ほっといてくれっ。どーせ私が一番弱いんだよ」
拗ねてしまったイェルケルを、アイリの真似しておーよしよしと撫でてやるスティナ。
しばらくそんなアホなことをしていると、ようやくレアも泣き止んで、照れくさそうな顔でえへへと笑う。
するとアイリがレアから少し離れた場所で、鞘に納めた剣を顔の前に真横に突き出す。
「レア。お前の剣、確かに見させてもらった。あれを真っ先に私に使ってくれるとは光栄の至りだ。これは礼だ、我が秘剣、お前にも見せてやろう」
いきなりな話にぎょっとした顔のスティナ。
「ちょっと、どういうつもりよアイリ」
「レアにだけ、出させっぱなしというわけにもいくまい。きちんと返礼せねばな」
「何が返礼よ。負けたのが悔しいから自分も強い所見せたいだけでしょうに。……まあいいわ、確かに、レアのアレにはそれだけの価値はあったと思うし」
顔前に、真横に鞘ごと剣を構え、アイリは呟く。
「秘剣、八つ裂き斬り」
ぎちり、と鞘から音がしたかと思うと、一挙動で鞘から剣を抜く。
いや、抜いただけではない。たった一呼吸の間に、アイリの前に無数の刃が飛び交う。
それは技としては単純明快なものだ。ただ単に、アイリにできる限りの速度で剣を連続で振るっているだけなのだから。
だがその速度が異常だ。
受けるだの避けるだのといった次元の話ではない。そも、切っ先が、それこそレアやイェルケルにすら見えない。
なんとなくどの辺を斬っている、というのはわかるが、正確に見切って避けるなんて真似はとてもではないが無理だ。
その連撃の回数、実に十七回。いきなりこれを食らったら、間違いなく十七回全部もらってしまっただろう、神速の斬撃。
あまりに身体を酷使しすぎるために、これを用いた後のアイリは全身がそれはそれはもう我慢できないぐらいの痛みが襲うほどで。
しかも今回は、最後の一つはアイリの気に入らぬ出来であったようだ。
「えいくそっ、最後の一つ失敗したわ。やはり十六、十六回が限度であるかー、ぬーむー」
イェルケルとレアはとりあえず、その技への驚きはさておき同時につっこんだ。
「八つじゃないだろ」
「八つじゃないし」
「何故にこの技を見た者は皆同じことを抜かすかっ!」
ぶつぶつ文句を言っているアイリを他所に、今度はイェルケルが剣を抜く。
再び驚き顔のスティナ。
「へ? もしかして、殿下も?」
「まあな。あーくそ、まだ未完成だが、これでスティナから一本取ってやるつもりだったんだけどなぁ、まあ、仕方ない。レアとアイリの技見といて、私が出さぬはない」
ゆっくりと、上段に剣を構える。
イェルケル得意の構え。そこから、これといって変哲のない上段の振り下ろし。だが、これこそがイェルケル必勝の形だ。
この剛の剣をまともに受ければ剣がへし折れる。受け流すことすら難しい重い剣撃であるのだ。
中途半端に避ければ崩れた姿勢に返しの一撃が飛ぶ。かといって大きく避けすぎれば次の攻撃もまたイェルケルのものとなる。
見切って避けるのはかなりの難度となる。イェルケルはこの上段、切っ先をぶらしてその軌道を都度変化させることができるので、よほど動体視力のある者でもなくばイェルケルの剣は受けをすり抜けてくるのだ。
だが、それはこれまで何度も見ている。ここからが、イェルケルの秘中の秘となる。
「秘奥、霞の太刀」
振り下ろした剣の、柄より先の刃が消えてなくなる。
スティナ、アイリ、レアの三人の目にはその切っ先が六つに分かれて縦横より中空を斬り裂くのが見えた。
だが、それはこの技の本質ではない。これはイェルケルがわかりやすく六回斬っただけの話で、実際はこの内の一つを放つ。
全く同じ挙動、同じ振り、同じ間合い、同じ速度で、六種の剣のどれかが飛んでくるのがこの技だ。
イェルケルの動きは上段を振り下ろす、そうとしか見えないというのに、左右から、或いは逆袈裟に跳ね上がり、イェルケルの刃は柄より先が別の生き物であるかのように自在に跳ねるのだ。
この切っ先の変化は、見てから動くではそれこそアイリやスティナですら間に合わない。極限まで精度を上げた動きであった。
アイリが呆れた顔で言う。
「それで、未完成ですか?」
「ん? もしかして見抜かれなかった? なら、うーむ、このままでもいけた、か?」
スティナが首を傾げ、そして手を叩いた。
「あ、わかった。足だ。足元悪いと使えないんでしょ、その技」
「そうだよ。くっそ、一瞬じゃわからなかったんならやっときゃ良かったかー」
あははと笑いながらスティナも剣を手に取り、少し離れた場所へと。
「殿下は用心深いですからねー。時にはレアみたいに勢いで突っ走るのも大事ですよ」
ほう、と珍しそうな顔でアイリ。
「なんだ、お前も披露するつもりか。スティナならば意地でも隠し通すと思っていたが」
「まーねー、アンタだけならそうしたろうけどさ。さすがに殿下とレアまでいたら、ね」
「はっ、随分とお優しくなったものだ。……これは、進歩か退化か、どちらなんだろうな」
「さてね。ほら、アイリはそのまま、殿下とレアはアイリの側に居てくださいね」
アイリ、イェルケル、レアの三人が一か所に集まる。これに向かって、スティナは抜き身の剣を手に下げたまま、一歩ずつゆっくりと歩きだす。
うっすらと笑みを浮かべながらスティナは言った。
「秘法、朧身」
その言葉の直後、イェルケルとレアの表情が変わる。
「嘘、だろ?」
「何これ、距離が、わからない」
イェルケルもレアも、スティナまでの距離を見失ってしまったのだ。
確かにスティナは目の前にいる。ゆっくりと歩いているのも見える。だが、スティナまでの距離が突如曖昧になったのだ。
こちらに向かって歩いているというのに、遠ざかっているようにも見えるし、既にすぐ近くにいるようにも見える。
足踏みをしているのか、ほんの少しでも進んでいるのか。次第に、距離感だけでなくその姿すらぼうと虚ろになっていく。
アイリの舌打ちの音が聞こえる。どうやらアイリの目にも、スティナの姿は普通ではないよう見えるらしい。
いつ、来る。
それがわからない。姿は見えるのに、歩いているのも見えているのに。
「「「!?」」」
それでも、三人共その瞬間だけは見切った。
スティナの身体が、三人をすり抜けていく。
通り過ぎた、と感じた直後、スティナの気配が後方に生じる。
三人が振り向いた先でスティナは、どうかしら、と得意気に笑っていた。
秘剣とは、少なくとも殿下商会においては、最強の技を指す言葉ではない。
殺傷能力の高さや使い勝手の良さを考えるのならば、もっと他に良い技があるのだ。
レアに始まり四人が披露した技は、いわゆる初見殺しと呼ばれるような技であった。
つまり秘剣とは、秘すことでその威力が守られる、そういった技であるのだ。
気付かれねば、見切られなければ、絶対の一撃を約束してくれる。しかし一度見れば技の威力は半減するような、そんな技だからこそその存在を秘すのだ。
帰路、山から降りる最中に、レアはとても嬉しそうな顔で笑いながらぼやく。
「今日は、最高の日になるはずだった。なのに、三人のせいで台無し。どうしてくれるのっ」
ブスッとした顔のアイリ。
「こっちは最低の日になるところだったのだ。このぐらいで文句を言うなっ」
スティナもどちらかと言えばアイリよりで、不満のある顔をしている。
「あーあ、新しい技、また一から考え直しじゃない。……でも、レアのあの技は良かったわ。今回、四人の中で一番はレアのでしょ。あの発想はちょっと真似できないわ」
イェルケルはレア寄り。とても充実した時間だったと満足気だ。
「ああ、あれは剣士の思いつくことじゃない。レアはあんなのどうやって思いついたんだ」
四人はお互いの技に関してああでもないこうでもないと語り合う。
それはとても楽しい時間だったようで、山から降りて宿に戻っても四人での話は続き、お互いの剣術論をぶつけ合い、時に怒鳴り合いながら賑やかに過ごす。
この間、イジョラ軍兵士をぶっ殺した後始末に関して、誰一人発言したりはしなかった。問題ないと思っているのではなく、完全に、忘れてしまっていたのである。
少なくともこの四人にとってその件は、剣の話をすることより緊急性のある事項ではなかった模様。