015.結成、第十五騎士団
イェルケルにスティナとアイリを伴い王城に出頭するよう命令が下ったのは、サルナーレの戦から七日ほど経ってからだ。
戦の後始末やらで時間を取られたのと、最初に元帥府に報告をして以降、何故かどこからも沙汰が無かったせいで、こんなに時間が空いてしまったのだ。
王城にもさっさと報告に行くつもりだったイェルケルだったが、それは元帥府の方から堅く止められており、また王城の方でも時間をくれとの返答があったので、三人はゆっくりと体を休めることにしていた。
招かれたのは宰相アンセルミの執務室だ。
事前の説明ではそこで今回の戦の褒賞に関する話があるということであった。
三人が執務室に入ると、中にはアンセルミ宰相とその側近であるヴァリオ、そして十人の騎士に、更に騎士学校の教官ダレンスの姿もあった。
妙に物々しい出迎えに、少し驚いた顔をするイェルケルであったが、アンセルミはその辺を気にする風もなく話し始めた。
「報告は聞いたよ。イェルケル、君は素晴らしい武勲を立てた。見事だ」
「ありがとうございます」
「だが、報告を聞けば聞くほど、浮世の話とはとても思えぬ内容が聞こえてくる。だからイェルケル、君の口からいったい何があったのかを聞きたいのだが」
イェルケルは、嘘偽りの一切無い報告をアンセルミにも聞かせる。
内容の嘘くささはイェルケルにもわかっているのだが、だからとこれをどう誤魔化していいものかイェルケルにもわからず、仕方なくあったこと全てを正直に話すことにしたのだ。
案の定報告を終えたアンセルミは両のこめかみを指で押さえていた。
「……もし、君の証言を裏付ける報告が上がってきていなかったら、即座に逮捕するところだ」
不意に、室内に居る誰もが予想しなかった人物が口を開いた。
「宰相閣下」
教官ダレンスである。彼は国一番の騎士として尊敬を集める人物であったが、元の身分がそれほど高くないこともあり、万事に控えめであったのだ。
アンセルミも少し驚きながらダレンスに発言を促す。
「恐れながら、イェルケル殿下の武勇は騎士学校首席卒業なぞという程度ではございません。この老骨めも、次剣を交えればまるで勝てる気がせぬほど優れた剣人でございます」
この発言には列席した騎士たちが一番驚く。これまでダレンスは控えめに誰かを褒めることはあっても、自分より上だという類の発言だけはしたことが無かったのだから。
ダレンスの発言にアンセルミは何やら納得するところがあったのか、大きく頷いてみせる。
「わかった。すまなかったなイェルケル。お主を疑うような言葉を口にした」
「い、いえ、閣下のお立場からすれば無理無きことかと……」
イェルケルの話を聞いている間のアンセルミの反応は、あまり良いと言えるものではなかった。むしろ疑っているとしか思えぬ仕草に思えた。
それが急にころっと変わったことに、イェルケルの方が焦ってしまう。
「ではイェルケル。今日は君への褒美を内定しておこうと思って呼んだのだ。他の諸将との兼ね合いもあるから無責任なことは言えんが、望みがあるのならできる限り配慮するがどうだ?」
イェルケルは一切迷うことなく口を開く。
「では宰相閣下。私に、騎士団の設立をお許し下さい」
「ほう。いきなり大きく出たな。しかし騎士団を維持するほどの領地ともなると、そう易々とは用意できぬぞ」
騎士団は兵士の集団であるからして、当然物凄い金を食う。騎士団を保持している貴族は、そのほとんどが大きな領地を持つ大貴族であるのも当然であろう。
アンセルミは当たり前に、イェルケルの望みは騎士団設立と、これを維持するに十分な規模の領地であると受け取った。
しかしイェルケルは意外そうに首を横に振る。
「いえいえ、騎士団設立に加え領地までとは、そこまで私は欲深にはなれません。そもそも此度の戦は私がサルナーレに視察に赴いた時より準備がなされていたものでしょう。でしたらサルナーレの領土も如何に割譲するかは既に決まっているのでは?」
いやまあ、全くもってその通りだ、とはさすがに口にはしないアンセルミは、とりあえず一番気になるところを聞いてみる。
「では領地無しでどうやって騎士団を作るというのだ? お前の持つ領地では騎士団どころか騎士を一人二人揃えるのも厳しかろう」
「構いません。どうせ私の騎士団は私を含む三人のみで活動するつもりですから」
十人の騎士全員が怪訝な顔をした後、眉根を顰める。騎士団という存在を侮辱された気になったのだろう。
ヴァリオ、ダレンス、共に内心はともかく表情に変化は無し。
アンセルミは一人、笑みを見せた。
「なるほど。騎士団を名乗れる実績は既に示してあるか。いいだろう、騎士団設立を許そう。正式な叙勲は謁見の間での会議の際になるが、準備は早い方がいい。早速手続きを始めるがいい。手配はしておこう」
「ありがとうございます」
イェルケルは深く頭を下げ、騎士二人を伴い退室していった。
カレリア王国宰相アンセルミの側近ヴァリオは、これで十度目の報告を聞き終え、報告者が退席すると、部屋に残ったもう一人の人物であるアンセルミに尋ねる。
「宰相閣下。そろそろ、我慢しなくてよろしいですかな?」
アンセルミは難しい顔のまま。
「ん? 我慢?」
返事を待たず、ヴァリオは腹を抱えて笑い始めた。
「ぶっくっくっくくっく……いえね、そりゃそうでしょうとも。王軍の武威を示すのに、傭兵は居ても仕方ないですからねぇ。ぶくっくはっははは……それで残った三人だけで正面から突っ込んで大将モルテンの首を取るって……は、はぶっ、いやはや、イェルケル殿下は実に命令に忠実な方ですなぁ」
「笑い事かっ。十度だ。十度の報告を受けて、その全てが同じ内容。イェルケルが配下の騎士二人と共に、たった三人で三千の軍に挑み、正面からこれを打ち破って大将モルテンの首を取った……これのどこに信じるに足る要素がある?」
部屋にノックの音が響く。アンセルミが入室を促すと、屈強な体躯を持つ老齢の男が入ってきた。
「良く来たなダレンス。早速で悪いが、イェルケルの話は聞いているな。お前の率直な意見が聞きたい」
ダレンスは即座に断じる。
「ありえません。イェルケル殿下の優れた武勇は私が保証しましょう。ですが、それとこれとは話が全く別です」
ヴァリオが鋭い目で問う。
「二人の騎士、遠目でもいいから見るよう頼んでおいた件は、どうでした?」
こちらも即座に返答を。
「わかりません。その事実を、そら恐ろしく感じはしますが」
「どういう意味ですか?」
「もしあれで優れた武勇の持ち主であるというのなら、この老骨めには測ることなぞできぬ猛者だということです」
ヴァリオは難しい顔で首を傾げる。
「ダレンス様でもわかりませんか。報告では六百近い遺体が出ているそうで。たった三人で三千相手に挑んで六百を殺した。ああ、本当、どうしたものでしょうかねぇ」
とはいえ結論は既に出ていたりする。これだけ報告が揃っていてはアンセルミもイェルケルの武勲を認めるしかないのだ。
では、と招いていたイェルケルたちを部屋へと呼ぶ。
ダレンスが強く進言したことで、特に腕の立つ騎士を十人室内に揃えてある。
本来はもっと多くの騎士をダレンスは望んだのだが、それでは会見にならんとアンセルミが断ったのだ。
「……もし、騎士の二人がイェルケル殿下と同等の腕であった場合でも、一応これならば閣下をお守りするぐらいはできますか」
と彼もそれで納得してくれたのだ。
しかし、ダレンスはイェルケルたち三人が部屋に入るのを見るや、自分の失策を悟る。
特に強い言葉を発するでもないイェルケルの、言の葉一つ一つが以前とはまるで違う。
漲る覇気は、戦地を潜り抜けてきた自信のなせるわざか。その堂々とした振る舞いといい、一切隙を見つけられぬ立ち居といい、イェルケルは既にダレンスの知っているイェルケルではなくなっていた。
完全に手が付けられない。ダレンスでは、死ぬ気で飛び掛ってどうにかアンセルミが逃げる時間を稼げる程度だろう。
人知れずそうして緊張していたダレンスが絶望しかけたのは、アンセルミがイェルケルに失礼とも取れる態度を取り始めた時だ。
報告を受け、他の十人の騎士たちがそうするようにアンセルミまで信じられぬといった顔をしていると、イェルケルの後ろの二人の殺気が膨れ上がっていったのだ。
いや、二人の殺傷圏内に既にこの場の全員が入っていると、その殺気が漏れてくれたおかげでようやくダレンスにも理解できたということだ。
二人がその気ならば、とうの昔に全員斬り殺されていたと。
十人の騎士も皆腕は確かであるが、従軍経験、実戦経験という点ではダレンスに遠く及ばぬため、こうした絶対に触れてはならぬ相手の気配というものがわからないのだろう。
かくなる上は、とダレンスは非礼を承知で口を挟む。
「宰相閣下」
そんなダレンスの焦りをアンセルミは理解してくれたようで、会談はその後はとても穏やかに進んだ。
そしてイェルケルたちが退室すると、アンセルミは十人の騎士たちも下がらせ、部屋にはアンセルミとヴァリオとダレンスのみが残った。
ヴァリオは確かめるように訊ねる。
「そんなに、危険でしたか?」
「今後あの二人を王城に入れてはなりません。どれだけ優れた警備を揃えようと、正直、止める手立てが思いつきませぬ」
ダレンスの意を汲んだアンセルミは、特に彼の言葉に逆らうつもりもないようだ。
「わかった。イェルケルはどうだ?」
「あの方こそが、カレリア一の剣士となると考えておりましたが……どうやら三人目になるのが限界のようです。とはいえ、その殿下ですら今のカレリアでは勝てる者はおらぬでしょう。それにあの全身にこびり付いたような血臭。たった一度の戦場で、あの方は十年戦場に居続けたかのような修羅を宿しておりまする」
ヴァリオは結論をまとめる。
「つまり、あの三人は断じて敵に回してはならない、と」
「万の軍で押し潰す用意があるのでしたら、構いませんが」
アンセルミは二人を窘めるように笑う。
「敵になること前提で話をするのは、イェルケルがこれまで示した忠義に対して失礼だぞ。なあ、考えてもみろ。アイツは如何に技量があろうとアレが初陣だったんだ、勝てるかどうかなんて絶対わかってなかったぞ。それでも三人で挑んだんだ。命令を果たそうとな。それはイェルケルという人物を信頼するに充分な理由になるのではないか?」
もう習慣になってきたイェルケルの屋敷での夕食。
この席での話題はもちろん、宰相閣下との謁見の話だ。
アイリは感心したようにダレンスを称える。
「さすがはカレリア一の騎士! 見る目がありますなあ! あの方の一言で全てが上手くいくようになりましたぞ!」
スティナも満更ではない様子だ。
「宰相閣下のあの疑り深い目、よっぽど抉り出してやろうかと思ったけど、見るべき所はしっかり見てくれてるみたいだし、悪くはない結果かしら」
イェルケルも目的を達せたので弛緩した安堵の表情である。
「ヴァリオ様が色々気を配ってくれたのかもしれないな。後でお礼に行かないとだ」
騎士団さえできてしまえば、元帥府からの命令を聞く必要も無くなる。それにスティナにもアイリにも個別に褒美が贈られることになっており、こうなっては騎士位の叙勲を無かったことにもできまい。
これで晴れて三人は、彼らの執拗な追及に抗するだけの力と立場を手に入れたのだ。
イェルケルはワインを手にし、乾杯をしようと思いふと思いとどまる。
「なあ、騎士団の名前どうしようか。全然考えていなかった」
アイリは嬉々として語る。
「ならば剛勇無双天下一騎士団というのはどうでしょう!」
速攻でスティナにダメ出しされる。
「ないわー。別に名前なんてなんでもいいでしょうに、恥ずかしいものじゃなければ」
イェルケルは頭を捻り、ぽんと手を叩く。
「ふむ、なら第十五騎士団というのはどうだ?」
まずスティナが噴出し、アイリもそれに続いた。
「殿下。どんだけ安直なんですか」
「いや、まあ、誰の騎士団かはとてもわかりやすいですがな」
イェルケルは笑われても特に気にした様子はない。
「いいだろ。私はそもそもこの第十五王子って立場もワリと気に入ってはいるんだ。大したものも持ってはいないが、代わりに好きに動ける自由があるからな」
では、とスティナとアイリもグラスを手に取る。当然音頭はイェルケルの仕事だ。
「第十五騎士団の結成を祝って、乾杯」
三人分のグラスが鳴る。
この時のワインの味は、三人共長く忘れられぬものとなった。