147.やりすぎはよくない
イーリスの屋敷が襲撃された日の夜。イェルケルたちは街の宿に泊まることにした。
反乱軍を名乗る百人近くいた集団は、たった一人を残して全てがイェルケルたちの手に掛かり死亡した。
イェルケルが敵集団のど真ん中に突っ込んで片っ端から斬り倒していく中、それと気付かれぬままスティナが敵集団の外周を回りながら、逃げ出そうとする者を次々と殺していった。
敵集団が、一方的に殺すのはともかく殺し合いには全く不慣れであったこともあり、やったイェルケルたちが驚くぐらい完璧に殺し尽くすことができてしまった。
たった一人生き残ったのは、この集団を導いていた優男だ。
彼を引き連れスティナは林の奥へと消えていった。少し時間を掛けるとのことで、イェルケルたちはその晩は宿に泊まることにしたのだ。
イーリスも、その父であるこの土地の領主も、当然イェルケルたちに礼を言いたいし屋敷に招いて歓迎もしたいしどういうことなのか話を聞きたいとも思ったが、それらを全て勘弁してほしい、とイェルケルはイーリスに頼む。
殿下商会なんて名乗ってる人間が本物の貴族と接点なんて持ちたくない、とかなり無茶苦茶な話だがどうか通して欲しいとイーリスに頼んだのだ。
この頼みを聞いたイーリスが実家でどのような話をしたものか、とりあえずその晩はイェルケルたちに領主側からの連絡は無かった。
そこら中に散乱している反乱軍の死体は、領主が命じて近隣の住民たちが片付けた。多分今回一番の被害者は彼らであろう。
宿の主人とおかみがそれはそれはもう可哀そうなぐらい怯え震えているが、何を言ったところできっと震えは止まらないだろうし放置を決め込むイェルケル。
そして翌日、イーリスが朝一番で宿に顔を出しにきた。
とても疲れて見える顔から、一晩中起きていたのだろうなと推測できる。そうなった原因であるイェルケルはとても申し訳なさそうにイーリスに結果を問うと、イェルケルの希望は通ったとのこと。
「色々と揉めたんだけど、結局母様の一言で決まったわ。恩を返すのか、利用して有利に立ち回るのか、どちらかはっきりしないのは良くないって」
肩をすくめるイェルケル。
「恩、って思ってくれたか。ありがたいね。親族集まってたんだろ? 決定に納得いってないのはいたのかい?」
「兄や従弟は調子の良いこと言ってたわ。どっちも母様に逆らえないから問題はないけど。なんだって他人の手柄でああも偉そうにできるんだか」
そういうのはどこにでもいるものでしょ、とスティナが言うとアイリもレアもイェルケルも、そしてイーリスまでもが、そうだよなぁ、と深く嘆息する。
それで、とイーリスは連れてきた三人の男を紹介する。
「この人たちは街で一番の料理上手よ。朝一で集めてきたの。贅を凝らしたなんてのは無理だけど、せめてものお礼ってことでおいしい食事用意させてもらうわね」
こういう配慮の要らない好意はイェルケルたちにとってもありがたく、イェルケルが喜んで受け入れると、料理人たちは昼食に間に合うよう動き始める。
そして四人はというとせっかく御馳走が待っているのだから、と全力で腹を減らしにかかる。
急がずじっくりと調理するのなら食事の完成は午後になるということで、四人はそれまでの時間、山中に鍛錬に向かった。
ちょっとした誤算としては、はりきったスティナとアイリがやりすぎたせいで、イェルケルとレアが食欲が失せてしまうほどぼろっぼろになってしまったことか。
とはいえ汗を流して休憩をとれば食欲もそれなりに回復するのだが。
どう調理したものかまるでわからないほど甘いパンをかじりながら、恨みがましい目でレアがアイリに文句を言う。
「おいしいもの、私たちに食べさせないつもりだった。ヒドイ罠。けどそうはいかない、ぜったい私も食べるしっ」
「だーから、私が悪かったと言うておろうが。ほれ、この皿も食べるがよい」
「ん、いただく。あと、そっちの野菜も」
「私は給仕かっ」
そしてこちらも仏頂面のイェルケルのご機嫌取りをしているスティナである。
「はい殿下。このワイン、口当たりすっごくいいですよー」
「……肉っ」
「はいはーい、ただいまー……そんな怒らないでもいいじゃないですかー」
「やかましい。昨日の戦闘よりよっぽど生きた心地しなかったんだぞ」
「訓練ってそーいうものでしょうに。あっと、そっちのワインはアイリ向けですわよ」
「ん? おー、確かに。これはさすがに甘すぎだな。焼き菓子とか合いそうだ」
「イジョラの北はやたらめったら甘いワイン多いですから。私や殿下には少し寂しいところですね」
「酒と思わなければこれも悪いものじゃないけどな。……スティナ」
「ええ。今日はもー小間使いはぜーんぶ私とアイリがしますともっ。殿下とレアはゆっくり食事しててくださいな」
イェルケルの言葉は、宿の食堂を探る気配を感じてのこと。
かなり隠密術に長けた者らしい。この気配の主を探るべくスティナがアイリを誘い動こうとした時、別口の集団が宿へと入ってきた。
「ほう、ここか。よくもまあこんな田舎くさい宿を使えるものよ」
こんな田舎にはまるで不似合いな高級な服を着た若い男が三人。彼らの後に続いて十人の男が。
入ってきた男たちを見てイーリスが怒り声をあげる。
「アンタたち! どういうつもりよ!」
先頭の男が面倒そうに小さく手を振る。
「うるさい、流れの魔法使いとやらの顔を見に来ただけだ。……顔を、顔、って……」
食事中であり、建物の中ということで、スティナもアイリもレアも、いつものようにフードは被っておらずその素顔が表に出ている。
入ってきた三人の男は、三人の美女美少女を見て驚愕の表情のまま硬直してしまう。
面倒なことになりそうだ、といった顔のスティナとアイリ。レアは完全に無視して食事を続けている。
「アイリ、ワイン。甘くない白」
「……ああ、うむ、レアはもうそれでよい」
そのあまりの美貌から、この三人の女が反乱軍を蹴散らしたとは思わなかったようで。
残った一人の男であるイェルケルに、三人の高い服を着た男が近寄っていく。先頭に立ち声を掛けてきた男は、ちらちらと横目でスティナの胸を見ながらであった。
「お、お主が、反乱軍を撃退した男か。ず、随分と良い女を連れているな」
イェルケルはこれには答えずじっとその男を見て、その後でイーリスに目を向ける。応対は任せるという意味だ。
下手なことを言って彼らと揉める前に、イーリスに全部任せてしまった方がイーリスもやりやすいだろうと思ってのことでもある。
イーリスはイェルケルと男たちの間に立つ。
「母様から接触するなって言われてるでしょ。聞いてなかったの?」
「あー、ホントうるさいなお前は。別に少しぐらいいいだろ」
「それを、母様に直接言ったらどう?」
「なんだよ、お前告げ口する気かよ。だからお前は嫌われるんだ、使えない女だってな」
軽く眩暈を覚えるイーリス。いい年した大人が子供みたいに告げ口を嫌がるなどと。いや確かにやっていることは子供の駄々とさして変わらないが。まさかこの場にイーリスがいるというのに、この馬鹿共が来たことを母に告げないとでも思っていたというのか。
怒る気力をすら奪われるような脱力感を堪えつつ、辛抱強くイーリスは言う。
「ね、母様がああ決めて父様たちも納得したことを、貴方たちがひっくり返したら物凄い怒られるわよ? しかもこの人たちは部外者なんだから、身内が恥を晒したなんて話になったらもう、母様がそういうのどれだけ嫌いか知ってるでしょ?」
「恥なんて晒さないさ、お前は俺をなんだと思ってんだ。叔母様にはお前から上手く言っておけよ、お前にはその程度しかできないんだからな。なあ、おい、そこのアンタ」
そう言って男はイーリスを腕で退けながらイェルケルの前に進み出る。ついでに、テーブルに座るイェルケルの顔の前に自らの顔を寄せる。まるで威嚇するかのように。
「反乱軍なんて所詮平民の集まりだろ? そんなの幾ら蹴散らしたって自慢にもならないさ。だが、お前の魔法には多少興味はあるな。俺の魔法より上だとはとても思えないが、いいぜ、見てやるから何かやってみろよ」
イーリスはこの男、つまり従弟である彼の性質は幼いころよりの付き合いなのでよく知っている。だが、まさか、いきなりよりにもよってイェルケルたちにケンカを売るとは思いもしなかった。
「ちょっ! ちょーーーーーっ! な、何してんのアンタああああああ!?」
イェルケルは、実はこうした面倒な場面にはそれなりに慣れている。こちらも幼い頃よりこんな連中より遥かに面倒くさい姉妹の相手をしてきたのだから。
なのでそれなりに穏便に済ませようと動く。馬鹿は馬鹿でもイーリスの親族であるようだし。
「ああ、大したことをした覚えはないさ。悪いんだが、領主様からのせっかくの心づけなんだ、ゆっくり楽しみたいと思っているんだが」
そう言って特に激した風もなく静かに手元のワインを喉に流し込む。話は終わり、後は食事の時間だと皿に目を向けるイェルケル。
後はイーリスが上手いことまとめてくれるだろう、と思ってのことだ。そんなイェルケルの配慮に感謝しつつ、イーリスは従弟を宥めて宿から出ていくよう誘導する。
そのままイーリスに丸め込まれるかと思いきや、三人の内の一人、中央に留学に行っていたもう一人の従弟がけらけらと笑いだす。
「大したことしてないんなら、その料理を受け取る権利もないわな。ついでに女も置いてけよ。魔法使いの身でありながら挑まれても立ち上がれん腰抜けに、これほどの女を連れ歩く資格はないね」
こちらはもう完全にイーリスの予想外の台詞であった。この男、留学前はなよなよとしたヘタレだったはずなのだが、中央に行って妙な知恵をつけてきたようだ。
もしかしたらこの美女を手にできるかも、と帰りかけていた男たちもこの話に乗ってくる。
イーリスは、イェルケルたちではなく彼らのためにこそ、必死になって止めに入るがこの元ヘタレと胸好きの男は二人で何やら話し合っている。
「なあ、おい、アレ、やってみろよ」
「そ、そうだな。こんなへっぽこなら、目をつぶってても勝てるだろうし……よ、よし、やるか!」
胸好きの男はイェルケルの前に立つと、得意げに話し始める。
「おい、お前。知ってるか? イジョラにはな、昔から続く由緒正しき法律がある。決闘法っていうものだ。これは、争いになった両者が男らしく一対一の決闘にて決着をつけるという法律だ。お前、俺を相手にこの決闘法を受ける勇気はあるか?」
イェルケルの顔が驚愕に歪む。思わずスティナも、アイリも、レアすら、その手が止まってしまった。
もちろんイェルケルたち第十五騎士団の四人は四人共が貴族としての教育は受けているわけで、決闘法に関しての知識もある。カレリアではとうの昔に廃止にされているもので、どんな悪事だろうと力ずくで押し通してしまうような野蛮な法律が今のカレリアで通るはずがないと当たり前に思っていた。
だが、そんな決闘法が、イジョラの地ではまだ施行されているという。
イェルケル、無言のままでスティナを見る。おい、これ本当か、という視線だ。
スティナ、首を横に振った後でアイリを見る。私は知らないけど、貴女は? という問い掛けである。
アイリ、首をかしげる。一応念のため、という意味でレアにも視線を送る。
レアはもしゃもしゃとサラダを食べ終えた後で、ぼそりと答える。
「慣習法として、残ってる土地はある。もちろん、中央の役人来たら、とっ捕まるけど」
でも、とレアはその先を言葉にはしなかった。
四人共が考えたことだ。
この法律だけは、マズイ、と。
殿下商会の四人は、四人共が自分たちの尋常ならざる戦力を自覚している。自分たちを倒すには、それこそ百人、千人の戦士を揃えなければならないと。
なのに、一対一で戦い、しかも勝ったのなら、全ての主張が無条件で通ってしまうというのだ。
この四人同士で戦うでもなければ決して止められぬだろう殿下商会が決闘法を使ってしまったなら、それこそ四人に意見できる者なぞただの一人も居なくなってしまうだろう。
そんな、決闘法を、やろうと言ってきたのだ、この馬鹿共は。
アイリが、これは言葉に出して念を押すべきだと考え口を出す。
「なりませぬぞ」
すぐにスティナも同意する。
「うん、これだけは、まずいわ」
レアも続ける。
「幾らなんでもこれは引く」
うんうんと頷くイェルケル。
「私たちも色々やらかしてきたけど、確かに、これだけはマズイ。絶対にやってはならない一線だな」
イェルケルは、どこか憐れむような表情で男たちに言った。
「敵は、殺せばいい。悪党外道にも躊躇も容赦もする気はない。でもな、決闘だから、決闘法だからって言い訳はいらない。斬るんなら決闘法なんてなくても斬るし、斬らないんなら決闘法を持ち出してきても斬らない。わかるか? 俺たちは、そんな駄法には絶対に頼らない」
その迫力に押され彼らは言葉に詰まる。するとイーリスが割って入り、今度こそ連中を宿から追い出すことに成功する。
彼らが去った後、イェルケルたちは恐ろしいものを見た後のように身震いしていた。
イェルケルはしみじみと言う。
「いやぁ、決闘法、決闘法なあ。恐ろしい法律もあったもんだ」
スティナも、おお怖いと果物に手を伸ばしている。
「不意打ちでしたわねぇ。そりゃね、私たちかなり好き勝手やってますよ? でも、だからって国が無法地帯になるのを望んでるわけじゃないですからね」
アイリは、まったくだ、と何度も頷いている。
「我々が決闘法を運用したら……おおおっ、背筋が寒くなるわ。昔の人間はいったい何を考えてこんなふざけたシロモノを法律になぞしたのやら」
レアはそれなりに落ち着いてはいるようだ。だが、思っていることは一緒だ。
「慣習をただそのまんま、法律にしたって話じゃないかな。その強い人が全部もらう、ってのをどうにかするための法律のはずなのに、ねえ」
そして今回、一番引いていたのは誰あろうイーリスであった。
「……決闘法一つで、そこまで真剣に悩むアンタらが一番怖いわっ」